ここまで幼稚園の事をメインに書いて来ましたが、実際診断は受けたのか?療育手帳は持っているのか?など気になる部分もあるかなと思いますので書いていきます。
2歳で発達検査を役所で受け、発達遅滞、つまり、発達障がいの可能性を告げられます。
ですがすぐに手帳の話にはならず、ウチの市では福祉サービス受給者証があれば、デイには通えるので、その手続きを役所でしました。
定期的に役所の担当者さんと面談しながら幼稚園の事など報告もしていました。
発達支援デイに通いながら幼稚園に行く。
理想のカタチでした。
担当者さんも、デイの先生も特に療育園でないとダメだ!と言うこともなく。
どちらかと言うと、私の選択を喜んでくれていた印象でした。
三男くんの発達を見ていると、その環境が良さそうだねと。
ですが、入園してたった2ヶ月で幼稚園からは匙を投げられます。
みんな目が点でした。
今思えば、長く付き合わないと三男は話せないので理解しにくい部分があるのだろうなと。
ずっと一緒にいたら、三男の事、ちゃんと見えてくるのに…
役所の担当者さんも、デイの先生も、じっくり付き合ってくださる方で、自閉症について理解してくれていたからかもしれませんね。
幼稚園の先生からしたら、今までとは違う意思疎通の難しい子。
無理!!
と、なるのも仕方が無かったのかもしれませんね。
転園することとなり、かなり重めであると警戒もされていたので、私もちゃんと診断書を取りに行こうと決意します。
3歳、初めて医師の診察を受けます。
そこでの衝撃は…
役所で取った発達検査の結果を見て、サラッと三男の顔を見て、中等度知的障害ありの自閉症と診断された事でした。
え?医師ってもっと詳しく診てくれるんじゃないの??
数値だけで、簡単に診断名が付くんだ…
初めて知る自閉症の世界。
驚きました。(この先生だけかもしれませんが)
まだ話せないだけで色々理解しているかもしれないのに。
出来ないのではなく、やらないだけかもしれないのに。
知的障がいという言葉が、
私の胸をグッと潰すのを感じました…
天変地異なんて大袈裟だけど、
ちょっと発達がゆっくりなのかな?というくらいで踏ん張っていた私には、膝から崩れ落ちるほどの衝撃でした…
でも、これで、ちゃんと幼稚園に言える。
この状況で受け入れてもらうのだから、他のお子さんと全く同じに出来なくても、タイミングを見たりしてもらえるのでは?
なんて、淡い期待を抱いていました。
まだこの頃は、普通の子やある程度ついていける子しか幼稚園に行っちゃいけないなんて思っていなかったし、先生という職に就く人ならそんな事は言わないだろうと思っていたんですよね…
診断書を幼稚園に提出し、特別支援の補助金申請もし、いざ入園!
担任はまだ若くかわいい初担任の先生。
障がいへの偏見も少なく、三男を三男として受け入れてくれました。
ホッとしたのも束の間…
4者面談を経て、主任先生によるトイトレと栄養指導が始まります。
良かれと思って。
三男くんのために。
気持ちはとてもありがたかったのですが、価値観の違いに私は苦しみ始めます…
トイレというものがまだイマイチよく分かっていない子に、パンツを履かせて気持ち悪い感覚を覚えさせましょう!と言われても…
それが出来たらとっくにやってるわ…
だし、
もし、それで色んなところで漏らす事、床を濡らす事が楽しくなったりしたらどうするの?
この先生、自閉症を知らないんだ…
と、悲しくなりました。
確かにやってみて損はありません。
もし、本当に理解が出来る子なら、すぐにでもオムツは取れたでしょう。
一筋縄にはいかないから大変なんです…
知的障がい、自閉症とひとくちに言っても、その子その子で違うから難しいんです。
うまくいく事もあれば、トラウマになり、将来に傷として残る場合もある。
そういう事をゆっくり考えながら対応して欲しかった…
偏食についても、白いご飯しか食べない息子に、おかずをひとくち食べないと白いご飯はあげないというやり方。
息子は白いご飯を食べたい一心で、無理矢理おかずを口に放り込む。
それを、
すごいねー出来たねーと褒めて成功体験にする!と先生は言っていましたが…
それ、嫌いな食べ物を食べさせて慣れさせるやり方…
うまくいけばラッキーだけど、
下手したら拷問ですよ…
私はどうもこの先生のやり方には違和感しかなく。
連絡帳に少しずつ、無理矢理はやめて欲しいと書き始めます。
それが先生をイラつかせるとは思いもよらず。
2回目の四者面談でついに言われました。
トイトレもしないで欲しい
偏食もそのままで、
なんて、
じゃあ、何のために幼稚園に入れたんですか?
と。
普通の子に追いつくためだよね!!と言わんばかりのセリフ…
療育園を選ばなかった私は、何故か負い目を感じていたので、その時強くは言い返せず。
少しは言えた言葉も、園長と主任先生にはねのけられてしまいました…
私が願う、障がい児もそのままで、普通の環境に存在していい。
少しずつ自分のペースで成長していけばいい。
定型児だって皆が完璧なわけじゃないんだし、無理してあれこれ教え込まずとも、良きタイミングを見計らえばスッとスイッチが入るように出来るようになる!という教育観は先生達に届く事はありませんでした。
四者面談の帰りに園長から言われた言葉。
これもまた園長の優しさだったのは分かっていますが…
絶対に忘れられない、衝撃を受けました。
お母さん、こういう子はね、将来お母さんが死んでも理解できないのよ。普通の環境で頑張らせても可哀想なだけ。
今はうちで面倒見られるけど、その先は三男くんのために適切な環境を選んであげてね。
と。
なんだか、すごく悲しかったです。
知的障がいの子の成長を見限るような言い方。
当時の私は、定型児も障がい児もこの世に生まれた大切な命。
無理矢理に何かをさせたり、大人の都合の良いように育てるものではなく、その子その子のタイミング、その子その子の持つ良さを伸ばしていくのが教育だと思っていたので、定型児やついていける子は普通の環境、障がいのある子は専門施設へ行くべきという考えが本気で理解できませんでした。
これが自己中心的で周りの迷惑を考えない最低な親と叩かれる所以だと思っています。
ですが、本当にそうでしょうか??
親の思いだけで突っ走っているように見えますか??
専門施設の良いところはもちろんあります。
その子に合わせて、出来る事を増やしてくれるでしょう。
ですが、そこには障がいのある子ばかりです。
世の中には障がいに理解のない冷たい人もたくさんいます。
税金を食い潰すとか、何の役にも立たないとか、定型児の邪魔になる、とか。
この考え自体、障がいのある人に正しく触れ合って来なかった、障がいのある人を自分達と同じ心のある人間だと理解して来なかった、他者を大事にして来なかった人の言い分だと思うのです。
また、本当は障がいのある子と一緒にいたくなかったのに無理矢理面倒を見させられた!というような大人の無配慮により犠牲になった子達でしょう。
ですが、その時点で障がいのある子に対する正しい知識を得ていたら?
大人が上手にアシスト出来ていたら、結果は違ったでしょうね。
人には人の生きる意味があり、価値があり、世の中にいらない人間なんていませんし、その人その人に大切な命があります。
不遇な環境に置かれ、つらくなる事、無価値感、自暴自棄になる事もあるでしょう。
それでも今生きている。
心臓が動いている。
生きる限り、自分の命の炎を燃やして、たくさん笑って、精一杯生きることに意味があると私は思うのです。
人それぞれに価値観があるので、私の意見を押し付けるつもりはありません。
ただ、私や三男は、思うように生きたい!
誰かを困らせ、泣かせ、振り回して生きる気はありません。
手を貸してくださる方に感謝し、受け入れてくださる環境に感謝し、三男と共に何が出来るか?
この世に生まれた意味を、私の元に生まれてくれた意味を感じながら、毎日をめいっぱい生きるだけです。
知的障がいとは何か。
自閉症とは何か。
三男と共に感じながら、たくさんの愛する人達に囲まれて、三男は三男の、私は私の人生を生きる。
ただそれだけです。
その際、ご迷惑をおかけした方には謝り、決して無理に何かをお願いする事もせず、ただただその時に判断して進んでいます。
この時点で図々しい!もっと周りを見ろ!人の迷惑も考えろ!と言う人もいます。
ですが、逆に、どんどん甘えて!もっと頼っていいんだよ!分かってるよ!安心してねという人もたくさんいるのです。
私がどんな人達に囲まれているか?
三男の今は、知っている人にしか分からない。
そんな現実もあるのです。
長くなってしまいましたー!
そして、なんだかアツくなってしまいましたね
ほんと、どこを切り取るか?なんだと思います。
書き方によっても違うし、読み取り方によっても変わります。
ブログで全てを伝え切るのは私には難しいみたいですが、分かる人に分かってもらえたらいい。
誰かに何かが届いて、安心材料になればいいなとそんな風に思っています。
また、私とは全く違う価値観、考え方の方が読んで混乱する事もあるでしょう。
ですが、これは私という人間の、オリジナルな考え方。
良いも悪いもありません。
合わないな、違うな、ピンと来ないな
それでいいんです
考え方、生き方なんて千差万別
あなたの人生を生きてください
それがあなたの真実