天野勇二

おい下園……。
貴様のようなクズは生きるべきではない。
ここで殺してやるよ。
覚悟するんだな。




 下園は驚いて天野を見上げた。



 こごえるような殺気を放つ謎の男性。



 突きつけられた鋭利えいりなメス。



 その先端は自らの鮮血で濡れている。



下園浩明

………えっ?
え、え、えっ?
な、なに?
誰なの?
じょ、冗談ですよね?



 青ざめながら問いかける。


 天野は返答の代わりに拳を握った。


 大きく振り上げ、下園の心臓に叩き落とす。



下園浩明

ぐっふぅ……!?



 まるでボーリング玉でも落とされたかのような一撃。


 下園の心臓が一瞬だけ止まる。


 胸元から痺れるような激痛が走った。


下園浩明

がっ、はぁ……。
ごほっ、ごほっ……。
い、いったぁ……。

……ひぃぃっ!



 咳き込む下園の首筋にメスを当てる。


 天野は冷たい声で言った。


天野勇二

冗談じゃないんだよ。
今日が貴様の命日だ。
ふざけた真似をしやがって。
なぜ自分が殺されようとしているのか、理解しているよな?


 下園はぶるぶると首を横に振った。


下園浩明

わ、わかりませんよ……!
あなたに、何かしましたか?
人違いじゃありませんか!?

天野勇二

人違いだと?
バカなことを言うな。
貴様は下園浩明だろう?

下園浩明

ええっ?
ぼ、僕は下園ですけど……。
あなたに殴られることなんて、何も覚えがないんですよ!
絶対に人違いですって……!


 必死に言葉を吐き出している。


 その顔に嘘の気配はない。


 本当に自分が襲撃されている理由がわからないのだ。


天野勇二

チッ……。
罪の自覚がないのか。
ますます気に入らねぇな。


 下園を押さえつけながら興信所こうしんじょの素行調査記録を取り出す。


 どのように下園を尋問じんもんすべきか。


 一瞬で『作戦』をまとめ上げると、天野は呆れたように言った。


天野勇二

天野桃子……。
貴様が勤めている製薬会社の所長だ。
その名は知っているな?
今、その女にどんな悲劇が降りかかっているのか……。
そのことも知っているよな?

下園浩明

なっ……!?


 下園の顔から一瞬で色が消えた。


 ようやく自らが襲撃されている理由に気づいたのだ。


 口が金魚のようにパクパクと開く。


 震えながら天野が握り締めている『興信所』の調査記録を見つめた。


下園浩明

い、いや……。
その、あの、えっと……。
な、なんのことか、よくわからな……

……ぎゃんっ!?


 とぼけようとした下園の頬を張り飛ばす。


天野勇二

おい下園……。
俺様は気が短いんだ。
次にふざけたことを言ったら即座に殺すぞ。

もう誘拐事件のことは知っている。
お前が横溝淳弥よこみぞじゅんやという浪人生を内通者スパイとして派遣したことも掴んでいるんだ。
色々と詳しく教えてもらおうか。


 下園はガタガタ震えながら天野を見上げた。


 瞳にはいくつもの疑問符クエスチョンマークが浮かんでいる。


 なぜそのことを知っているのか。


 どこで知ったのか。


 そして、この男性は何者なのか。


 警察関係者か、製薬会社の雇った人間か、天野桃子の身内だろうか。


 天野はその疑問に答えるように言った。


天野勇二

俺様は『ファビピラビル』の『臨床データ』を狙っている組織の一員だよ。
貴様らが誘拐をくわだてる前から天野桃子に接触し、水面下で交渉を続けていたのさ。
『臨床データ』を横流しさせるようにな。


 下園は「ぎょっ」として叫んだ。


下園浩明

よ、横流し……!?
嘘ですよね!?
天野所長がそんなことを!?
ありえない!

天野勇二

それがありえるんだよ。
とんでもない額の金が動いている。
もうすぐ『臨床データ』は俺たちの手に渡るはずだった。

それなのに、ふざけた横槍よこやりを入れやがって……。
『誘拐』とは手荒な真似をしてくれたな。
何もかもが台無しだ。
俺たちの計画は白紙になっちまったよ。


 失望したように言い放つ。


 下園は顔面蒼白がんめんそうはくのまま震えている。


 天野の話に疑問を抱いている様子は見えない。


天野勇二

『誘拐』を計画したのは誰だ?
貴様か?
金に困った貧乏人か?
それともまさか『HIM製薬』の連中なのか?

全てを吐いてくれ。
何も話したくないのであれば、即座に死んでもらう。


 下園は震えたまま黙り込んだ。


 素直に告げるべきか、黙秘もくひを貫くべきか、迷っているのだ。


 天野は舌打ちしながら拳を振り落とした。



下園浩明

ひげぇっ……!
痛い!
やめてください!



 容赦ようしゃのない暴力が襲いかかる。


 胸元から脇腹に走り続ける激痛。


 鎖骨や肺のきしむ音が聴こえるかのようだ。


 下園は両手を広げながら叫んだ。


下園浩明

喋りますからぁ!
殺さないで!
誘拐は向こうが持ちかけてきたんですよ!
僕が計画したんじゃないんです!

天野勇二

ほう……?


 拳がピタリと止まる。


 メスを突きつけたまま尋ねる。


天野勇二

「向こう」とは誰だ?
やはり『HIM製薬』なのか?

下園浩明

そうです!
スカウトされたんです!
『臨床データ』を盗んで転職すれば高待遇こうたいぐうで迎えてくれるって!
でも持ち出すことが難しくて……。
そしたら誘拐するって話になったんですよぉ!


 天野は深く息を吐いた。


天野勇二

呆れた連中め。
人質はどうするつもりだ?
殺すのか?

下園浩明

こ、殺すって……!?
そんな恐ろしいことまでは計画してません!
大事おおごとにはしないって聞いてます!

天野勇二

バカを言うな。
もう大事おおごとになっている。
敵対組織である俺たちに、計画が知られているのだからな。


 下園の顔からどんどん色が消えていく。


下園浩明

そ、そんなぁ……!
どうしてあなたは、計画のことを知ってるんですか!?
こんなに早くバレるはずないのに……!


 下園がそう言うのも無理はない。


 まだ時刻は21時前。


 胡桃が誘拐されてから2時間ほどしか経過していないのだ。


 それなのに『敵対組織』とやらに計画が漏れており、下園の住居まで突き止められている。


 下園はこんな展開を想定すらしていなかった。


天野勇二

お前にそんなことを説明してやる義理はない。
とにかく質問に答えろ。
このままでは天野桃子との取引が途絶とだえてしまうんだ。
警察沙汰ざたになるのも困る。
必然的に貴様らの誘拐計画を潰すしかないんだよ。

下園浩明

で、でも……!
僕が喋ったら、奴らに殺されます!
何も教えられません!

天野勇二

安心しろ。
俺様の目的は『誘拐計画』を潰すことだけ。
貴様が口を割ったことは内緒にしてやる。
だが、何も喋りたくないというのであれば、墓まで秘密を持って行くんだな。


 アメとムチを交互に与えながら、メスを下園の首元に押しつける。


 下園の身体がさらに震え上がる。


 過呼吸かこきゅうを起こしそうなほどのパニックにおちいっている。


下園浩明

ほ、ほ、本当ですか……?
僕が喋ったこと、内緒にしてくれますか……?

天野勇二

ああ、構わないぜ。

下園浩明

や、約束ですよ……?
まだ死にたくない……!
何でも喋りますから、殺さないでください……!

天野勇二

いいだろう。
約束してやる。
再確認するが、貴様らの目的は『ファビピラビル』の『臨床データ』で間違いないな?

3億円の身代金要求はブラフ。
どうせ目当ては研究所にハッキングするための情報キーだろう。
天野桃子のIDを奪うのか。
セキュリティホールでも作らせるのか。
コンピューターウイルスを仕込ませるのか……。
その後に悠々ゆうゆうと『臨床データ』を盗み出すつもりだったのだろう?


 下園の身体からガクンと力が抜けた。


 顔をくしゃくしゃに歪めながら言葉を吐き出す。


下園浩明

なんだよぉ……。
そこまでバレてるんですか……?
全然完璧な計画じゃないじゃんかぁ……。
やっぱり無理だと思ったんだよぉ……。


 下園はさめざめと呟いている。


 天野は心の中で安堵あんどの息を吐いた。


 積み重ねたいくつもの推測。


 それは正しい方角へ向かっていたのだ。


天野勇二

なぜ貴様はここで家に帰った?
「青木」という偽名を使って横溝淳弥に近づき、『盗聴器』を仕込ませたはず。
横溝からの連絡を受けなくていいのか?


 下園は顔を歪めながら天野を見上げた。


下園浩明

それもご存知なんですか……?
そうです……。
盗聴器を持たせました。
でも僕は研究所の関係者なんで、明日の朝まで待機するように言われたんです。
アリバイのためだって……。

天野勇二

なるほど。
誘拐事件となれば関係者が疑われて当然だからな。
この後は知人に電話したり、出前でまえでも注文しろと命じられているのか。

下園浩明

はい……。
その通りです……。

天野勇二

「青木」の携帯電話は誰が所持しているんだ?

下園浩明

それは……。
実行犯の1人に持たせるって聞いてます。
誰か知らないですけど、その人が「青木」として電話に出るって……。


 天野はそこで深く息を吐いた。


 『青木の携帯電話』は実行犯の1人が所持している。


 これは重要な情報だ。


 携帯電話の電波を掴めば、実行犯の居場所を突き止めることができる。


天野勇二

横溝に持たせた『盗聴器』は、その実行犯が受信しているのか。

下園浩明

たぶん……。
そうだと思います……。

天野勇二

アジトはどこだ。
天野桃子の娘はどこで監禁している?


 天野は肝心かんじんの質問を飛ばした。


 下園が生唾なまつばを「ごくり」と飲み込む。


 かすれるような声で問いかけた。


下園浩明

……ほ、本当に、僕が喋ったこと……。
内緒にしてもらえますよね……?

天野勇二

くどいな。
あまり渋ると気が変わるぜ。


 天野は素早くメスを振り回した。


 下園の頬を一閃いっせん


 焼きつくような痛みと同時に、鮮血が垂れる。


下園浩明

ひぃぃっ……!?
すみません!
港区みなとくの倉庫です!
HIM製薬が持ってる物流倉庫に監禁すると言ってました!
今はほぼ使ってないんで、そこが最適らしいんです!


 天野はいぶかしげに眉をひそめた。


天野勇二

HIM製薬の倉庫だと?
にわかには信じがたいな。
そんな場所に監禁したら足がつく。
もし警察に踏み込まれたら言い訳できないぜ。

下園浩明

いやぁ……。
そんなこと言われても……。
僕は計画のこと、あまり教えられてないんですよぉ……。

天野勇二

使えない男め。
実行犯は何人だ?

下園浩明

それもちょっとわかんないです……。
本当に詳しいことは教えてもらえなくて……。
でもたぶん、相当いると思います。
国内の『中国マフィア』を集結させるとか言ってましたから……。


 天野は嫌そうに顔を歪めた。


 HIM製薬は北京ぺきんのバイオ企業』と提携を結んでいる。


 もし本当に中華系のマフィアを実行犯として雇ったのであれば、敵はHIM製薬というよりも『北京のバイオ企業』と考えるべきだろう。


天野勇二

そうか……。
それは実に楽しみだな。
殺しがいのある連中と出会えそうだ。
詳しい住所を教えろ。

下園浩明

は、はい……。
えっと、確か……。


 下園が住所を呟く。


 それを暗記すると、天野は即座に下園の首元をめ上げた。


 苦悶くもんと絶望の表情を浮かべる下園をめ落とし、用意したロープで縛り上げる。


 クローゼットの奥に押し込み、扉はガムテープで厳重に封印。


 救助が訪れるまで外に出ることはできない。


 念のため下園のスマホとノートPCを回収し、ベランダから部屋を脱出。


 『避難はしご』を登り、屋上へ這い上がり、非常階段から外に出る。


 天野はフェイスガードを外しながら息を吐いた。



天野勇二

(落ち着け……。これでいいんだ。あんな小物に構っている場合ではない。全てを終えた後に、しかるべき処罰を与えてやればいいんだ……)



 胸の奥で渦巻うずまく殺意をなだめる。


 『共犯者』だった下園への怒りが激しく燃え盛っているのだ。


 相手は最愛の妹を誘拐した一員。


 普段の天野であれば、あの場面で再起不能にしてもおかしくはなかった。


 それでも優先すべきは胡桃の救出。


 深呼吸しながらスマホを取り出す。


 時刻は21時過ぎ。


 天野はまず母親である桃子に電話をかけた。


天野勇二

勇二だ。
今、大丈夫か?

天野桃子

ええ、平気よ。
さっき誘拐犯から連絡があったわ。

天野勇二

どうだった?
連中は何を言ってきた?

天野桃子

最初の電話と同じ。
3億円をしつこく要求してる。
でも胡桃の声を聴くことができたの。
胡桃は無事よ。
まだ危ない目にはあってないみたい。


 天野は大きく息を吐いた。


天野勇二

そうか……。
それは良かった。
安心したよ。

天野桃子

次は3時間後に電話するって。
それまでに金を集めろと命じられたわ。

天野勇二

連絡をきざんでいるな。
金を要求していることをアピールしているのか。

天野桃子

そっちはどう?
何か見つかった?

天野勇二

ああ、下園と会えたよ。
やはり誘拐事件に関わっていた。
『臨床データ』を盗めとスカウトされ、なかば脅される形で加担したのだろう。
黒幕はHIM製薬と提携している『北京のバイオ企業』だろうな。


 桃子は悔しげに吐き捨てた。


天野桃子

本当に下園くんがスパイだったのね……。
信じられない。
なんでそんなことするのよ……。

天野勇二

胡桃の監禁場所も聞き出した。
応援を呼んだ上で救出に向かう。
まだ敵は正体を突き止められたとは思っていないはず。
ここで先手を打ち、胡桃を助け出してみせるさ。

天野桃子

……わかった。
もうここまできたらあなたのやり方を信じる。
でも、無茶はしないで。
警察にも助けを求めなさい。

天野勇二

もちろんだ。
むしろ警察より頼れる連中を使うさ。
俺様の妹に手を出したことを、あの世で後悔させてやるよ。


 そこで天野は電話を切った。


 即座に電話帳を開き、別の番号に電話をかける。


 それは天野が信頼できる数少ない人物の1人。


 長い呼び出し音の後、



黒崎

……どうした?
黒崎くろさきだ。
天野なのか?



 黒崎が電話に出た。


 外務省がいむしょう国際情報統括官こくさいじょうほうとうかつかん


 海外事件に関わる諜報員ケースオフィサーだ。


 天野は唇を歪めながら言った。



天野勇二

ああ、そうだ。
久しぶりだな黒崎よ。
頼みたいことがある。
どうしてもお前の手を借りたい。
また一緒に死線しせんをくぐってもらいたいのさ。






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つばこ

※釣りマガジン『釣りDAISUKI! 9月号』今月の釣り人インタビューコーナーより抜粋
 
下園「都内の製薬会社に勤めている下園浩明といいます。最近はもっぱら湖釣りにハマってますね。ほぼ毎週湖にきてますよ。釣り歴はもう15年になるのかなぁ。もう僕ぐらいになると、魚を釣り上げることが目的じゃなくて、釣りを通して魚と対話するっていうんですかね。さしずめ釣り糸が魚と僕をつなぐ電話線みたいな感じですよ(笑)まぁ、そういっても結構、既読スルーされることも多いんですけど(空のクーラーボックスを指さしながら笑う下園さん)」
 
 
なんだかんだでもうすぐクライマックスっぽいですね!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!ヾ(*´∀`*)ノ

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コメント 30件

  • ИДЙ

    黒崎さん登場嬉しい\(^o^)/
    けど、黒崎さんは天野からの電話なんて嫌な予感しかしないだろうなぁw

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  • 三毛猫らいおんず

    涼太は涼太で最高の相棒だけど、
    黒崎さんもこれ以上ないくらいクソ野郎を
    理解してくれてると思う

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  • ユタ

    なんで妹に手を出してしまったんや……(ガクブル)

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  • 佐倉真実

    下園さんのインタビュー笑

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  • ニル

    銃撃戦が繰り広げられるのかな

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