自宅アパートの階段で足を滑らせ。



 頭を打ち、右足の骨を折り。



 無様ぶざまに入院してから2週間後。



 二宮は『ふるのう』のオフィスがある『渋谷しぶやスクランブルエッグ』の17階ロビーに立っていた。



二宮翔太

落ち着け……。
きっと大丈夫だ。

藤原さんに何を言われても「すみませんでした」で通せばいいんだ……。
もしかしたら無視されるかもしれないけど……。
もうそうなったらその時だ。

まずはエンジニアとデザイナーの皆さんに謝罪しないと……。



 ブツブツ呟きながらロビーを行き交う社員たちを眺める。


 久々のスーツ姿。


 2週間ぶりの出勤だ。


 昨晩は緊張のあまりよく眠れなかった。


 できることならこのまま帰ってしまいたい。


 永遠に出勤なんかしたくない。



二宮翔太

……いや、僕は立ち直ったんだ。
天野さんが言った通り、『視点』を変えたんだ。
僕は1人で仕事をしているんじゃない……。
だから、きっと大丈夫だ……!



 何度も深呼吸して頷く。


 しかし、足はなかなか前に進まない。


 いくら『視点』を切り替えて『やる気』を再燃させても、怖いものは怖い。


 藤原と顔を合わせるのが怖い。


 そんな時だった。



山下佐介

……あれ?
二宮ニノ
二宮ニノじゃんか!


 背後から山下の声が響いた。


二宮翔太

あっ……!
山下!
お、おはよう……。

山下佐介

良かった……!
会社に来れるようになったんだな!


 山下が勢いよく抱きついた。


 人懐っこい大型犬のようだ。


 二宮の細い肩をバンバンと叩く。


二宮翔太

い、痛いって……!
まだ右足が治ってないんだよ!
飛びつくな!

山下佐介

あははっ!
いや、良かったよ!
マジで心配したんだぜ!

ほら早く行こうぜ。
みんな二宮ニノに会いたがってるから。


 二宮の荷物を持ち、颯爽さっそうとゲートを抜けて行く。


 そんな山下の姿を二宮は苦笑しながら見つめた。


 少なくとも、1人は自分の復帰を喜んでくれた。


 なんてありがたいことなのだろう。


二宮翔太

ごめんな。
結構休んじゃって。
仕事もフォローしてくれたんだろ?

山下佐介

ああ、大変だったよ。
しばらく終電帰りだったんだぜ。
いや、二宮ニノの抜けた穴はデカかったなぁ。
田中将大たなかまさひろがメジャーに行った後の楽天らくてんみたいだったよ。



 山下は朗らかに笑っているが、目の下には深いクマがある。


 寝不足なのだろう。


 それを「申し訳ない」と感じると同時に、少しだけ嬉しく感じてしまう。


 自分は『ふるのう』に必要な人材だった。


 そう考えてしまうのは、さすがに性格が悪すぎるだろうか。


 二宮はそんなことを思いながらオフィスに入った。



樹莉乃

……あっ!
二宮ニノ


 すぐさま樹が立ち上がった。


 こちらも目の下に深いクマがある。


樹莉乃

身体は大丈夫?
仕事には復帰できるの?

二宮翔太

は、はい……。
まだ右足はこの通りですけど、仕事はできます。
あの、長くお休みをいただいて、本当に申し訳ございませんでした……。

樹莉乃

うん、大丈夫。
わかってる。
こっちこそフォローできなくてごめんね。

それで、早速悪いんだけど……。


 二宮を自らのデスクに呼び寄せる。


樹莉乃

30分後にミーティングがあるの。
長野の自治体が返礼品を変更したいって言ってきて。
ちょっと資料に目を通してくれる?

二宮翔太

えっ?
もちろんいいですけど……。
職場の皆さんにお詫びをしないと……。

樹莉乃

はぁ?
そんなの後でいいでしょ。

二宮翔太

いや、でも……。
藤原さんにも挨拶しないと……。


 二宮がまごまごしていると、樹はため息を吐きながら立ち上がった。


 両手をパンパン叩いてオフィスに呼びかける。



樹莉乃

みなさん!
二宮ニノが戻って来ました!
拍手してあげてください!



 職場の全員が二宮を見上げ、温かな拍手を送った。


 「お帰り!」「待ってたよ!」二宮ニノはドジっ子だな!」なんて声もあがる。


 誰もが嬉しそうに笑っている。


 デザイナーも。


 エンジニアも。


 総務のスタッフも。


 本当に二宮を歓迎している。


 二宮は驚いてその様子を見つめた。



二宮翔太

(ああ……。こんなに温かく迎えてくれるんだ……。僕なんて、一番仕事のできない新入社員だったのに……)



 軽く首を振り、ぺこりと頭を下げる。



二宮翔太

(……いや、それだけが僕じゃないんだ。『視点』を変えよう。僕にもできることはある。ネガティブな自分が『全て』だって、そう思いこむ必要はないんだ……)



 頭を上げてオフィスを眺める。


 きっと入院する前の自分だったら、この景色を素直に受け取ることはできなかった。


 卑屈ひくつな感情に流されて何も見えなかった。


 拍手の音さえ聴こえなかったかもしれない。


 でも、今の自分なら。


 新しい景色を見ることができるはずだ。



樹莉乃

うん……。
あんた、なんかスッキリした顔してるね。


 樹が苦笑しながら言った。


樹莉乃

でもこっちはさぁ……。
連日の残業でボロボロなんだよねぇ……。

今日は定時で帰るよ。
誰が何を言っても定時で帰るから。
復帰明けで悪いけど、遠慮なく仕事振らせてもらうからね。

二宮翔太

は、はい……!
お願いします!


 そこで二宮は立ち止まった。


 そういえば、まだ藤原に挨拶をしていない。


 むしろオフィスに藤原の姿が見当たらない。


 藤原のデスクはもぬけのからだ。


二宮翔太

樹さん……。
藤原さんはどうしたんですか?


 樹は興味もなさそうに言った。


樹莉乃

さぁ?
よく知らない。
最近、顔見てないんだよね。
なんか別の仕事してるんじゃない?

二宮翔太

えぇ……?
藤原さんは『プロデューサー』なのに?
なんでですか?

樹莉乃

そんなこと言われても、知らないものは知らないよ。
まぁ、いいんじゃない?
別にいなくても何とかなるし。
二宮ニノが戻ってくれたほうが助かるよ。

二宮翔太

そ、そうですか……。
それならいいんですけど……。


 二宮は不安気に藤原のデスクを見つめた。


 今の自分はとても落ち着いている。


 絶好調と言ってもいいだろう。


 でも、藤原と顔を合わせたらどうなるのか。


 また以前の自分に戻らないだろうか。


 二宮はその点だけが不安だった。



 その夜。


 二宮は山下に「復帰祝いをやろうぜ」と誘われ、渋谷の居酒屋を訪れていた。


 宮崎の美味しい『地頭鶏じとっこ』が食べられる名店のひとつ。


 樹も一緒だ。


樹莉乃

はぁ……。
お酒が染みるわぁ……。
最近飲んでなかったからなぁ……。

山下佐介

本当ッスよねぇ。
ルービーが身体に染みますねぇ……。

でもあれですよね?
樹さんこの前、『お医者さん』と合コンしたんですよね?
お酒飲んでるじゃないですか。

樹莉乃

ちょっ……!
山下!
それは言わない約束でしょ!?


 樹があたふたと慌てている。


 オフィスでは見ることのできない素顔。


 頼れる同僚たちの素顔だ。


二宮翔太

……ありがとうございます。
自分は恵まれてます。
先輩が樹さんで。
同期が山下で……。
本当に良かったです。


 深々と頭を下げる。


 樹が呆れたような口調で言った。


樹莉乃

何を今さら言ってんの。
そんなのもっと前から自覚してよ。
私ほど有能な先輩、他にはいないからね。

二宮翔太

ええ、そうですよね。
本当にそう思います。
僕が復帰できたのは、2人のおかげです……。


 場をしんみりとした空気が包む。


 その空気を待っていたのか。


 それともすぐに切り出そうと決めていたのか。


 山下がぽつりと呟いた。


山下佐介

なぁ二宮ニノ……。
別にさ、プレッシャーというか、迷惑をかけるつもりじゃないんだけどさ……。
お前には、早めに言っておくべきかな、と思って。

二宮翔太

うん?
どうしたの?

山下佐介

俺さ……。
もうすぐ……。
会社を辞めようかと思ってるんだ。



 二宮はぼんやりと山下を見つめた。


 すぐに言葉が頭に入ってこない。


 それほど想定外のセリフだった。



二宮翔太

……えぇ?
ど、どういうこと……?
もしかして、あれ?
『ヘッドハンティング』ってやつ?
どこかに誘われたの?


 山下は呆れたように二宮を見つめた。


 どこか悲しげに微笑む。


山下佐介

そうじゃないよ。
そんな話、俺に来る訳ないだろ。
会社がキツいんだ。
もう辞めようかと思ってさ。



 二宮は大きく目を見開いた。


 思わず隣の樹を見つめる。


 樹はどこか納得したような表情を浮かべている。


 二宮は仰天して言った。






二宮翔太

は、はぁ!?
冗談やめてくれよ!
なんで山下が辞めるんだよ!?
お前、うまくやってるじゃないか!


 身を乗り出しながら言葉を続ける。


二宮翔太

僕と違って、すごく仕事もできるのに!
藤原さんとも仲良くやってるし、自治体や生産者にも好かれてるし……。
山下ほど有能なヤツいないって!

山下佐介

そう言ってくれるのは嬉しいよ。
でもさ、わかるんだ。
この会社、向いてないって。


 生ビールを口にしながら呟く。


 二宮は驚いて山下の横顔を見つめた。


 見たことのない表情だ。


 山下がここまで悲しげに自分のことを語る姿なんて、一度も見たことがない。


山下佐介

もう本当にキツいんだ。
二宮ニノが休む前から、ずっとそう思ってた。
会社の空気ノリも合わないし、会話のレベルは高すぎるし、業務もついて行くだけで精一杯だよ。
もっと気楽に仕事できる会社に転職しようかなと思ってさ。


 二宮は呆然と山下を見つめた。


 もうなんて言ったらいいのか。


 言葉が出てこない。


 山下がそんなに悩んでいたなんて知らなかった。


二宮翔太

そ、そうなんだ……。
ごめん……。
僕は何も気づかなかった……。
山下がそんなことを考えてたなんて……。


 山下は優しげに微笑んだ。


山下佐介

いや、いいんだ。
言えなかったんだよ。
恥ずかしくて。
それにこんな俺でも、二宮ニノに頼られるのは嬉しかったからさ。


 店員に空のジョッキを渡し、お替りを注文。


 新しいビールを眺めながら、山下はしみじみと呟いた。


山下佐介

二宮ニノはすげぇよ。
本当にすげぇって思う。
俺には真似できない。
二宮ニノが休んで改めてそう思った。

藤原さんはめちゃくちゃ厳しかったのに、しっかり仕事をこなして、あれだけ独自性ある企画も立ち上げて……。

おまけに生産者さんの信頼まで勝ち取るんだぜ?
この2週間、毎日のように二宮はどうしてる?』って、そんな問い合わせばっかり入ってたんだ。


 ぐいっと生ビールを飲み干す。


 山下はどこか晴れ晴れとした表情で言った。


山下佐介

……ふぅ。
やっと言えたぜ。
樹さんすみません。
こんなつまんない話しちゃって。

樹莉乃

……いいよ。
その気持ちもわかるし。
同期と自分を比べちゃうよね。

山下佐介

そうなんスよねぇ……。
やっぱりこの会社って、できるヤツばっかり集まるんですね……。



 頭をかきながら『地頭鶏』を頬張る。


 二宮は黙ってその言葉を受け止めた。




 恥ずかしいのは自分のほうだ。


 これまでどれだけ山下に愚痴ったことだろう。


 自分は『無能』だと。


 仕事のできない新入社員だと。


 どれだけ弱い姿を見せただろう。



二宮翔太

(今ならわかる……。僕は山下に、甘えてたんだ……)



 いつもどんな時も、山下は明るく励ましてくれた。


 表でも裏でも自分を支えてくれた。


 それなのに、山下がどんな気持ちで自分を励ましていたのか。


 一切考えることができなかった。


 そのことが、たまらなく恥ずかしい。



二宮翔太

……僕さ、山下がいてくれて良かったよ。
山下がいてくれたから、今まで頑張ってこれた。



 二宮は慌てて目元を拭った。


 なぜか涙がこぼれそうになる。


 今の山下に泣き顔なんか見せるべきじゃない。



二宮翔太

山下のおかげだよ。
山下がいなかったら、僕は本当に会社を辞めてた。
絶対に頑張れなかった。

山下が自分のことをなんて思っていても、僕の気持ちは変わらない。
僕は山下を尊敬してるんだ。

だから、なんていうか……。
僕はもっと、山下と一緒に仕事がしたいよ……。



 涙と一緒に酒を飲み干す。


 山下が小さくはにかみ「そっか……。ありがとな」と呟いた。


 久々に飲む酒の味。


 尊敬する先輩と、頼れる友と飲む酒の味。


 きっとこの味は、一生忘れることができないだろうなと、二宮は思った。





 翌日。


 二宮はオフィスでいつも通り業務に励んでいた。


山下佐介

……いつもお世話になってます!
『ふるのう』の山下です!
お客さんから問い合わせが入ったんですけど、『桜島大根』の返礼品って、また今年もうちで出してくれますか?


 山下もいつも通りだ。


 明るく自治体とのコミュニケーションに励んでいる。


 昨日の発言が夢だったかのようだ。


 まさか、山下が「会社を辞めよう」と考えていたなんて。


 本当に気づけなかった。


 2週間ほど休んだだけなのに、世界の全てが変わってしまったかのように感じる。



二宮翔太

(……いや、世界は何も変わってない。ただきっと、僕の『視点』が変わったんだ……)



 そんなことを考えていた時。


 部長からの呼び出しが入った。


 山下を連れて会議室まで来るように、とのことだ。



二宮翔太

お疲れ様です。
緊急のミーティングですか?


 会議室には部長と樹の姿があった。


 2人ともどこか晴れ晴れとした表情を浮かべている。


部長

忙しいのにすまない。
来週、他部署から欠員を補充することになったんだ。
もう辞令も出てるから、お前たちにも話しておくな。


 部長は嬉しそうに言った。


部長

来週からは樹に『ふるのう』『プロデューサー』として動いてもらう。
樹の業務は二宮と山下。
2人で分担してくれ。


 二宮は驚いて樹を見つめた。


二宮翔太

樹さんが!?
それってあれですか!?
『出世』ってことですよね!

部長

まぁ、そうだな。

山下佐介

うわぁ……!
すごいッスね!
おめでとうございます!

二宮翔太

おめでとうございます!
やりましたね樹さん!

樹莉乃

うん……。
ありがとね。
2人とも、これから改めてよろしく。


 会議室に二宮と山下の歓声が響く。


 樹はどこか自慢気な表情だ。


 気のせいか肌までツヤツヤしているように見える。


部長

それでな、二宮と山下には悪いんだけど……。
藤原のデスクを片付けたいと思うんだ。
荷物を整理してくれないかな。

二宮翔太

……えっ?
片付ける……?
そ、それって……?


 二宮と山下が「きょとん」とした顔で部長を見る。


 部長はひとつ息を吐き、どこか冷めた表情で言った。


部長

藤原は他部署に異動してもらった。
もう『ふるのう』に戻ることはない。
そういうことなんだよ。





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つばこ

グッバイ藤原フォーエバー藤原!!
 
このエピソードを書いてると、仲の良かった同期のことを思い出しますね。
入社1年目で一緒に過酷な部署へ飛ばされ、2年目には地方へ飛ばされ、3年目には新規事業を任されたりと、激動の社会人生活をともにしました。
挫折と苦労を分かち合ったり、時には合コンを開催したり、朝まで飲んで騒いだり、彼の結婚式を泣きながら祝ったりと。
アイツは今、何してるのかなぁ。
一緒に名○○の○○○○○をハシゴしたこととか、覚えてくれてたらいいなぁ(´∀`*)ウフフ
 
本当に同期って大事!
皆さんも同期を大切にしてあげましょう!
このエピソードはなんか昔のことを色々と思い出して、心にキマすね!
そんなこんなでいつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(๑•̀ㅂ•́)و✧

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コメント 36件

  • 佐倉真実

    じとっこ(* ´ ω`*)

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  • hide

    藤原は天野がマークしてたストーカーだったとかwその事を部長にリークされたか、それをネタに天野に脅されたかして他部署に異動なったとか?なんか、そんな気がする

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  • 神谷蒼空

    もう辞めたいって何度も思ったけど、くだらない私の話を聞いてくれる相棒のような、ライバルのような同期がいてくれたおかげで今も頑張れる。ありがとう。

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  • まこと

    上司を上手に殴る方法は天野に一任すること!
    もう始末後なのか?

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  • 宙舞

    もしかして殴りたい上司は樹さん…?

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