二宮が入院してから1週間が過ぎた。



 もう頭部の包帯は取れている。



 脚のギプスも2週間ほどで取れるとのこと。



 医師も「明後日には退院できるよ」と、太鼓判たいこばんを押してくれた。



樹莉乃

それで二宮ニノ……。
こんなこと訊いて悪いんだけどさ……。
あんた、本当に飛び降りたんじゃないんだよね……?



 その日、病室には先輩社員のいつき


 そして『部長』の姿があった。


 プロデューサーの藤原ふじわらよりも上の役職。


 『ふるのう』の総責任者だ。



二宮翔太

はい……。
本当に足を滑らせてしまったんです……。
寝不足で意識が朦朧もうろうとしていて……。
自殺なんかじゃありません。



 二宮は涙目で弁解していた。


 飛び降りれば楽になれる。


 会社を休んでも許されるかもしれない。


 そう考えたのは事実だ。


 しかし、あれは本当に二宮の不注意が招いた事故。


 階段をのぼった時点で、意識がほとんど飛んでいたのだ。



部長

そうか……。
わかったよ。
でも、無理させた責任は俺たちにある。
本当にすまなかった。

二宮翔太

い、いえ……。
悪いのは自分です。
ご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみませんでした……。

部長

謝らなくていいよ。
会社もしばらく休んで構わない。
でも、できればまた会社に戻ってきてほしい。
『ふるのう』は歓迎するし、二宮が希望するなら他部署を紹介するからさ。


 優しげに語りかけている。


 部長は30代半ばの男性。


 エリートコースを歩み続けた社員であり、二宮にとっては雲の上にいるような存在の人物。


 れ物に触るような態度を取らせてしまうことが、二宮は申し訳なかった。


二宮翔太

でも、自分は藤原さんや樹さんに、迷惑をかけてしまって……。
どんな顔で戻ればいいのか……。

樹莉乃

そんなの気にしないで。
私は二宮ニノを歓迎する。
私たちが働きやすくなるように、勤務体制も変えたいと思ってるの。
二宮ニノがいてくれたほうが助かるよ。


 樹も優しげに語りかけている。


 こちらも腫れ物に触るような態度だ。


二宮翔太

(そうか……。まだ2人は、僕が『自殺未遂』したかもしれないって、考えてるんだ……)


 二宮は切なげに息を吐いた。


 自分は普段から藤原に叱責しっせきされていた。


 ノイローゼ気味だったといっても過言ではない。


 部長と樹はそのことをよく理解している。


 いくら「事故だ」という言葉を聞いても、また別の場所で飛び降りるのではないか。


 そんな懸念を抱いているのだろう。


二宮翔太

(新卒が『自殺』だなんて、会社としては大問題になる……。僕は生きていても、死んだとしても、会社に迷惑をかけてしまうんだな……)




 結局、その場で決断を下すことはできなかった。


 『ふるのう』に復帰するのか。


 他部署への異動を希望するのか。


 それとも、会社を辞めるのか。


 部長と樹を見送り、病室のベッドの上でため息を吐く。



二宮翔太

(……藤原ふじわらさんは、どう思ってるのかな……。やっぱり怒ってるんだろうな……)



 樹や山下は何度も見舞いに訪れているが、まだ藤原は顔を見せていない。


 きっと忙しいのだろう。


 自分のような『ポンコツ』と面会する時間なんか存在しない。


 そう考えていてもおかしくない。


 また二宮がため息を吐いた時だった。



天野勇二

いよう二宮。
具合はどうだ?


 ふいに天野が現れた。


 いつだって男前の『みかんの王子様』


 見舞いに来てくれたのだろう。


 二宮は慌てて頭を下げた。


二宮翔太

天野さん……。
先日は、すみませんでした……。
恥ずかしいところをお見せしまして……。

天野勇二

そんなこと気にするな。
もうすぐ退院だろう?
大した怪我じゃなくて幸いだったな。

二宮翔太

は、はい……。
おかげさまで……。

でも天野さん、本当に『プロジェクト』を離れてしまったんですね……。
樹さんから聞きました。

天野勇二

ああ、そうだ。
お前が降りた以上、あんなプロジェクトに興味はない。
お前はこれからどうするんだ?
会社に戻るのか?
それとも辞めるのか?


 軽い口調で尋ねている。


 二宮は小さく息を吐いた。


二宮翔太

……実を言うと、まだ悩んでます。
部長は僕の意思を尊重してくれるそうです。
『ふるのう』に戻っても歓迎すると、そう言ってくれました。

天野勇二

それは良かったな。
お前が『ふるのう』に戻れば『みかんの王子様』の企画も再始動できる。
俺にとっては悪くない話だ。


 天野が偉そうに微笑む。


 二宮はその顔を見つめ、ゆっくり首を横に振った。


二宮翔太

でも、正直なところ……。
もう僕は会社を辞めたほうがいいんじゃないかって、そう考えてるんです……。

天野勇二

ほう?
なぜだ?

二宮翔太

だって、僕は仕事ができませんから……。
会社にいても迷惑をかけるだけなんです。
それなら辞めたほうが、まだマシじゃないかって……。


 二宮は自嘲じちょうするような笑みを浮かべた。


 恥ずかしげに頭をかく。


二宮翔太

まだ藤原さんと一緒に仕事できる自信はありません。
他部署に行っても、同じように迷惑をかけるだけだと思います。

結局、僕は何も成し遂げることできなかった……。
本当に無能な社員でした。
それを自覚するために入社したと、そう考えるべきなのかもしれません。



 俯きながら言葉を吐き出す。


 自分はなんて情けないのだろう。


「迷惑をかけたくない」


「無能を自覚するために会社に入った」


 そんなことは建前でしかない。


 今はただ、悔しい。


 何も成果を残せず、最終的に「会社から逃げ出したい」と考えてしまうことが、悔しくてたまらない。



天野勇二

……そうか。
お前はそんなことを考えているのか。


 天野は腕組みしながら二宮を見つめた。


天野勇二

自分は無能で使えない新入社員。
誰からも認められず、何ひとつむくわれることもなかった。
一流企業で通用するような人間ではない。
だから、逃げ出してしまうのか。


 自分の心情を言い当てるような口ぶりだ。


 二宮は小さく頷いた。


二宮翔太

はい……。
本当にすみません……。
天野さんには励ましてもらったのに、こんな結果になってしまって……。



 二宮が深々と頭を下げる。


 それを見て天野は小さく息を吐いた。


 胸元に手をやり、何かを操作する。


 ほんの数秒後。


 病室の扉が「コンコン」とノックされた。


 廊下から男の声が響く。



???

……勇二ぃ?
そこにいる?
この病室で合ってるかな?

天野勇二

ああ、涼太りょうたか。
入ってくれ。

???

ほいほーい。
お邪魔しまーす。


 扉が開き、1人の軽薄な男が現れた。


 派手な茶髪の男性だ。


 全身がチャラチャラしている。


派手な茶髪の男性

どうも!
こんにちは!
お届け物でーす!

二宮翔太

は、はぁ……。
ど、どうも……。


 天野の友人だろうか。


 台車に大きなダンボールを載せている。


 天野は偉そうに言った。


天野勇二

『手土産』を持ってきたんだ。
やはり見舞いといえば『手土産』が必須だろう?
前回は手ぶらで来てしまったからなぁ。
受け取ってくれ。

派手な茶髪の男性

うんうん。
いっぱいあるからね。
それじゃ僕は失礼します!
バイバイキーン!


 友人らしき男は風のように立ち去った。


 病室に大きなダンボールが残される。


 天野は楽しげに中身を漁り始めた。


二宮翔太

随分と、量がありますね……。
本当に手土産なんですか……?

天野勇二

もちろんだ。
さすがに持ち帰るのは大変だろう。
病院から配送してもらうといい。

二宮翔太

はぁ……。

天野勇二

ほらよ。
まずはこれだ。


 ダンボールから茶色いものを取り出す。


 二宮はそれを見つめ、訝しげに尋ねた。


二宮翔太

……えっ?
こ、これ、なんですか……?

天野勇二

見てわからないのか?

『どんこ』だよ。
それも大分おおいた『花どんこ』だ。

肉厚で香り豊かな乾燥しいたけ。
2年の歳月をかけて作られた逸品だぞ。


 またダンボールを漁る。


天野勇二

次はこれだ。
『土佐カラスミ』だ。
職人のこだわりが凝縮された最高級カラスミ。
日本酒と一緒に味わいたいものだ。

他にも『辛子明太子』『醤油はらこ』『奈良漬け』なんかもあるぞ。



 二宮は瞳を丸くして『手土産』を見つめた。


 なんだか色々なものが出てくる。


 酒のアテだけかと思いきや、『ベーコン』『干物』『うなぎ』などの加工食品。


 『みかん』『マスカット』『イチゴ』『柿』などの果物まで出てくる。


 二宮は恐縮して言った。


二宮翔太

これはちょっと……。
さすがに量が多すぎますよ。
こんなに受け取れません。

天野勇二

仕方ないさ。
頼んでもいないのに送ってくるんだからよ。
ほら、最後はこれだ。


 天野は『手紙の束』を取り出した。


 二宮の前に放り投げる。


二宮翔太

手紙?
……えっ?
な、なんですかこれ?

天野勇二

まだ気づかないのか?
鈍い男だな。
この『返礼品』のラインナップを見たら、気づくものじゃないのか?

二宮翔太

……返礼品?
それって『ふるさと納税』の……?



 そこまで言った時。


 二宮は気づいた。


 驚いて数々の『手土産』を見つめる。


 身体が小刻みに震え出す。



二宮翔太

こ、これって……!
まさか、僕が担当した……。
生産者さんの……!?



 慌てて手紙を見つめる。


 差出人は馴染みのある名前ばかり。


 愛媛のみかん農家。


 徳島の養蜂業者。


 佐賀の酪農家。


 全て知っている。


 『ふるのう』で商談したり、取引を交わした生産者だ。


 二宮は驚いて尋ねた。



二宮翔太

ど、どうして、これを天野さんが持ってきたんですか!?
むしろなんで知ってるんですか!?

天野勇二

あっはっは。
そんな細かいこと気にするなよ。
まずは手紙を読んだらどうだ?


 二宮はおずおずと頷き、手紙を見つめた。


 手紙には二宮の体調を気遣う文章が並んでいる。









『二宮さん。お怪我をされたと聞きました。早く元気になってくださいね。』


『もうネクタイを結ぶのには慣れたかい? こっちに来たらまた一緒に漁に出ような。これからもお世話になるよ。』


『二宮さんに教えてもらったインスタ、あれでお客さんがいっぱい来るようになりました! また色々教えてくださいね!』


『退院したらまたこっちに来てくださいよ! ご馳走しますから!』


『いつもお世話になっております。どうかご養生に専念されますように。うちのみかん送りますので、お召し上がりください。』


『怪我したって聞いたけど、大丈夫? いつも一生懸命なのはいいけど、あんまり無理しないで。若い内はサボるのも仕事だぞ!』


『うちのおじいちゃんが二宮さんの話ばっかりするんですよ。孫だと思ってるみたいで笑 元気になったら顔でも見せてあげてくださいよ。』


『二宮さんのおかげで今年は取引先が増えて本当に助かりました。今後ともよろしくお願いしますね。』









 口から言葉にならない声が漏れた。


 ひとつひとつは長い手紙ではない。


 それでも、しっかりとした温もりを感じる優しい手紙。


 生産者の笑顔や声が浮かぶようだ。



天野勇二

どの『手土産』も、先方が勝手に送ってきたものだ。
入院しているお前にくれてやりたい。
みんなそう考えたんだとよ。


 二宮は震えながら天野を見上げた。


 天野は優しげに言葉を続けた。


天野勇二

なぁ二宮……。
これはきっと、お前が『成し遂げたこと』じゃないのか?

どの生産者もお前をしたい感謝している。
『無能』だなんて考えてはいない。
生産者から見たお前は、信頼に値する『ふるのう』のディレクターなのだろう。


 天野は『手土産』のみかんを手にとった。


 どこか嬉しそうにオレンジ色の輝きを眺める。


天野勇二

お前は言ったな。
自分は『迷惑をかけてばかりの無能な社員』だと。

それは誰から見たお前なんだ?
上司の藤原から見たお前に過ぎないんじゃないのか?
それは本当に、お前という人間を表しているのか?

俺はそう思わない。
きっと先輩である樹。
同期である山下。
お前と関わった生産者たち。
みんな同じことを言うだろう。
ひとつの視点から本当のことなんか見えやしないのさ。



 天野は軽く微笑んだ。


 それは二宮が見たことのない表情だった。


 爽やかな『みかんの王子様』ではなく。


 何度か目にした野蛮な表情でもない。


 天野勇二という、1人の変わった男の表情だ。



天野勇二

いいか二宮。
視点を変えるんだ。

視点を変えた時、あらゆる物の姿は変わる。

ちっぽけだと感じていた自分の姿も変わる。
世界の見え方だって変わるんだ。
だからこそ、ひとつの視点に囚われるな。
そんなものに自分の限界を定める必要もないんだ。



 その言葉は銃弾のように、二宮の心を貫いた。


 心にあった何かが音をたてて弾け飛ぶ。


 まるでずっと視界をさえぎっていた霧が一気に晴れたかのように、二宮は感じた。



天野勇二

お前はしっかりやり遂げた。
誰かを支え、誰かに支えられ、そして誰かに認められながら、ここまで走ってきた。
お前は『無能』なんかじゃないんだよ。



 二宮が呆然とした表情で頷く。


 改めて手紙の束を見つめた。



 初めて取次した生産者。


 頭を下げて『ふるのう』での契約をお願いした生産者。


 自分を信じて独占契約を結んでくれた生産者もいる。



 二宮は手紙を握りしめながら呟いた。



二宮翔太

……こんな、僕のことを……。
気にかけてくれて……。
僕にも、やれたことは、あったんだ……。



 ぽつり、ぽつりと。


 手紙に温かい雫が落ちる。


 涙が止まらない。


 胸の奥に温かいものが広がり、涙となって溢れ出ているのだ。




 しばらく泣きじゃくった後。


 二宮は瞳を拭いながら天野を見上げた。




二宮翔太

天野さん……。
いつも、本当にすみません……。
天野さんには、恥ずかしいところばかりお見せして……。


 天野は呆れたように笑った。


天野勇二

そんなこと気にするなよ。
お前は謝ってばかりだな。

二宮翔太

いや、そりゃ謝りますよ……。
僕はなんで、気づかなかったんだろう……。


 二宮はぎゅっと拳を握った。


二宮翔太

藤原さんに言われることばかり気にして。
それが自分の価値だとしか思えなくなって……。
こんなに、僕を認めてくれた人がいたのに……。

それを忘れて会社を辞めようとか……。
僕はバカですね……。



 鼻をすすり、袖口で目元を拭う。


 ひとつの決意を抱いて頷いた。



二宮翔太

天野さん……。
僕は『ふるのう』に戻ります。
もう一度、違う視点で仕事や藤原さんと向き合ってみたい……。
そう思うんです。

だから、お願いします。
その時は、僕と一緒に仕事をしてくれませんか?


 天野は満足気に二宮を見つめた。


 何かを確認して頷く。


天野勇二

ああ、いいだろう。
視点を変え、新たな世界を見つめたお前とのプロジェクト。
実に興味深い。
この『天才クソ野郎』も協力してやろうじゃないか。


 二宮は訝しげに天野を見上げた。


二宮翔太

………えっ?
今、なんて言いました?
天才、クソ……?

天野勇二

い、いや、なんでもない。
なんでもないんだ。

二宮よ、期待してるぞ。
改めてよろしく頼む。



 天野が片手を差し出す。


 二宮はその手を強く握りしめた。


 きっと今なら、できなかったことがやれる。


 そんな予感が二宮の中を駆け巡っていた。




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つばこ

【天野くんの手土産(完全版)】
『花どんこ』『土佐カラスミ』『無着色辛子明太子』『紀州金山寺漬』『ガンジー牧場ベーコン』『長崎蚊焼干し干物』『西京漬け』『津山青うなぎ』『せとか』『シャインマスカット』『紅ほっぺ』『あんぽ柿』『アカシアはちみつ』『琉球もろみ酢』『インカのめざめ』『シルクスイート』『なると金時』
 
なんかお腹空いてきちゃった!
『ふるさと納税』はとってもおすすめなので、皆さんガンガン利用しましょう!
そんなこんなで『上司グーパンチ編』はまだまだ続きます!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(๑•̀ㅂ•́)و✧

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コメント 27件

  • ハニーハーベスト

    ヤバイ、読みながら涙出てきた。
    二宮は、こんなに感謝されるほどの立派な仕事してんだよ。

    たかが役職があって勤務年数の長い、弱い者虐めしか能がない奴にそんなこと出来るのか??????

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  • はるか

    普段コメントしないんですけど、思わず心に迫るものがあったので。私も新卒入社した会社で上司と合わずに研修を終えたわずか3ヶ月でこの二宮のように自殺を考えるくらい追い詰められて逃げるように会社を辞めました。それから数年経った今、別の会社で後輩が出来て、せっかく努力して入った会社をそんな悲しい理由で辞める人ができるだけ少なくなるように日々考え生活しています。自分語りになってすみません。どうしても届けたくなりました。

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  • kj

    これ普通に泣くわ。心に刺さりすぎる。

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  • ふわら

    あ、やばい、泣いた。わかる、私もこの人の気持ちすごくわかる、本当に、…

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  • とみい

    やばい、涙腺崩壊、、
    クソ野郎なのに、、心に染みる

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