弱々しい自供の呟き。



 天野は「ふぅ…」と小さく息を吐いた。



天野勇二

ブランド好きの奥様には、妙なこだわりがあったんですかね。

『シャネル』と『ルイ・ヴィトン』を併せ持つことが違和感だと思ったのか。
衣服と『カプシーヌ』を収納できる鞄が存在しなかったのか。
単純にそこまで気が回らなかったのか……。



 興味もなさそうに尋ねている。


 なぜ『カプシーヌ』が現場に残ったのか。


 それは天野にとって、解き明かす必要のない謎だ。


 西崎もその理由は知らなかった。



西崎篤史

そのどれかだろう……。
あの『ブランド品』だらけの部屋なら誰も気づかない……。
鞄だけなら後から回収できる……。
そう考えてしまったそうだ……。

天野勇二

ところが、俺様がたった1日で全てを暴いてしまった。
天才クソ野郎に宣戦布告したら無傷ではすまないんですよ。

西崎篤史

ああ、君は本当に恐ろしい男だ……。
こんな短時間で、そこまでの情報を集めるとは……。

天野勇二

やはり『悪』という存在を神が許さないんでしょうね。

俺が権藤を尾行したのも偶然。
須田の奥様の外出時に目撃者がいて、持っている鞄まで覚えていたのも偶然。

まるで「あなたを裁け」と、神が命じているかのようだ。



 天野自身も「自分が権藤を尾行していなければ、これほど早く真相に辿り着くことはなかっただろう」と感じていた。


 全ては偶然。


 それが必然であったかのように、天野の手の中に全てが集まった。



西崎篤史

……だが、まだ君は……。
僕に勝ったワケではない……。



 西崎は苦しげに顔を歪めた。



西崎篤史

眞下さんの家にある『カプシーヌ』……。
それが『物的証拠』として認められるかどうか、まだわからないんだ。

眞下さんと須田さんの奥さんは、『友人』としての付き合いがあった。
教授の妻と准教授だ。
別に不自然な関係ではない。
以前に『鞄』を貸していただけ。

警察にはそう説明することもできるんだぞ。

天野勇二

クックックッ……。
随分と安い言い訳ですね。
『カプシーヌ』は犯行前に目撃されているんです。
警察はそこまで甘くない。
逃げられるとは思えませんよ。

西崎篤史

警察の追求は厳しくなるだろう。
それでも『鞄』の存在だけでは起訴できないんだ。
まだ僕には『切り札』がある。


 西崎はまだ敗北を認めていない。


 最後の『切り札』を振りかざした。


西崎篤史

『犯人は20時に犯行現場から逃亡した』

この『証言』が残っているんだ。
君はその時間に奥さんを目撃している。
この『アリバイ』を覆さない限り、奥さんが起訴されることはない。

天野勇二

……やはりあなたは、それにすがるんですか。


 天野は西崎の言葉に失望すら覚えた。


天野勇二

確かに『メスブタの偽証』は厄介だ。
俺が『謎の女』の正体を警察に伝えなかったとしても、権藤の供述があれば十分。
それだけで須田の奥様は『容疑者』から外される。
不起訴になる可能性が高いでしょうね。

西崎篤史

その通りだ。
この『証言』がある以上、奥さんは立件できない。
どこかの強盗犯が眞下さんを殺した……。
結局はそんな結論に辿り着くんだ。

天野勇二

それはメスブタが『偽証』『殺人の隠蔽』という重罪を背負っているだけの話です。
メスブタはあなたの所有物じゃない。
何をしても良いってワケじゃないんですよ。


 西崎は歪な笑みを浮かべた。


 息絶えた自らの悪を蘇生させる。


西崎篤史

僕は君と同じなんだ。
君と同じ『悪』だ。
『悪』になると決めたんだ。

天野勇二

俺はあなたとは違う。
俺の『悪』は気高いんです。
あなたの『悪』と一緒にされたくはありませんね。


 西崎は唇を歪めたまま叫んだ。


西崎篤史

それなら君が警察に喋ればいいだろう!?
だがどうやって牧瀬くんの『証言』を覆す!?

『20時』に奥さんは歌舞伎町にいた。
しかし『犯人』はその時間に犯行現場で目撃されている。

この『鉄壁のアリバイ』を君が証明するだけだ!

天野勇二

メスブタのことは考えてないんですか?
重罪を背負ったまま人生を歩くことになる。
いつかあなたに「殺されるかもしれない」という恐怖も抱いて。
その道はメスブタを苦しめますよ。


 西崎は乱暴に髪をかきむしった。


 罪悪感を振り払うように叫ぶ。


西崎篤史

僕は『悪』という名の道を進むんだ!
彼女を守るためなら何だって利用してやるさ!

君が牧瀬くんの『証言』を覆しても無駄だ!
そうなれば牧瀬くんは『偽証』の罪に問われる!
君も牧瀬くんも打つ手がないんだよ!

彼女は誰にも手出しさせない!
これは彼女を守るための『悪』なんだ!


 天野は静かに西崎の声を聞いた。


 ひとつの疑問が浮かび上がる。


天野勇二

西崎教授……。
あなた、もしかして……。
須田の奥様にれているんですか?


 西崎は思わず黙り込んだ。


 震えながら口を開く。


西崎篤史

き、君は……。
なにを言っている……。
そんなことは、ない……。


 絞り出すような声。


 天野は呆れたように言った。


天野勇二

まったく……。
実にくだらない動機だ。
だがそれなら、あなたが須田の奥様に肩入れする理由も納得できますね。


 部屋の隅に置かれた現金を眺める。


 西崎がクローゼットの奥に隠していた裏金。


 『裏口』で稼いだ金だ。


天野勇二

以前あなたを尾行した時、教授の身分にありながら質素で庶民的な生活を送っているものだ、と感心したんですよ。
金使いが荒いこともない。
権藤のように借金に追われていることもない。


 部屋にある現金は億を越えている。


 現金がこれだけ残っているのは不自然だ。


天野勇二

現金を貯めこむ収集癖でもあるのかと思いましたが……。
本当は違ったんですね。

あなたが『裏口のシステム』を構築したこと。
そして『殺人の隠蔽』に加担したこと。
全ては須田の奥様のためだったんですね。

西崎篤史

ふ、ふふ、ふふっ……。
君は、本当に面白いことを言う……。

天才クソ野郎め……。
そんなことまで、見抜いてしまうのか……。



 西崎は地面を見つめた。


 こみ上がる嗚咽おえつ


 それを堪えながら口を開く。



西崎篤史

ああ、そうだ……。
そうなんだよ……。

全ては奥さんの……智子のためだった……。
智子の両親が途方もない借金をつくり、彼女はそれを全て背負ってしまったんだ……。
僕が援助しても、須田さんの資産を吐き出しても、とても返済できる額ではなかった……。



 苦しげに言葉を続ける。



西崎篤史

僕は我慢できなかった……。
須田さんなんかどうでも良い。
智子が、貧しく厳しい生活を送ることになるのが、どうしても我慢できなかったんだ……。



 哀れな笑みを浮かべる。



西崎篤史

笑ってくれよ天野くん。
僕はそれで須田さんに『裏口』を持ちかけたんだ。

僕にとって智子は、生涯でただ1人だけ、本気で愛した女性だった……。
だけど、深い関係になると、僕たちはどうしてもうまくいかなくてね……。

結果、彼女は僕の上司と結ばれて幸せになった。
それでいい。
僕たちはそれで良かった。
どれだけ自分に言い聞かせても、気持ちを捨てることができなかったんだ……。



 天野は冷めた表情で西崎の呟きを聞いていた。


 全てを失った情けない男。


 きっと目の前にいれば土下座しているのだろう。



西崎篤史

お願いだ天野くん……。
悪いのは僕なんだ。

君をあざむいたことを謝罪する。
その部屋にある現金も全て捧げる。
牧瀬くんを殺さないと約束する。

だからどうか、僕たちのことを見逃してくれないか……!
お願いだ……!
どうか僕という『悪』を見逃してくれ……!



 天野は思案しながら西崎の部屋を眺めた。


 1DKの質素なアパート。


 ベランダから侵入するのも容易かった。


 サーフボードがいくつか並んでいるが、それ以上の高級品は見当たらない。



天野勇二

……なるほどね。
あなたがテラスで俺と会った時、本当に頼みたいことはそれだったんですか。
俺にはさっぱり理解できませんが、それも『愛』とやらが持つひとつの形なんでしょうね。


 西崎は涙を堪えながら頷いた。


西崎篤史

そうなんだ……。
頼む、この通りだ……。

天野勇二

確かに俺様もあなたと同じ『悪』だ。
所詮しょせんは同じ穴のムジナ。
同じ『悪』は見逃してやっても構いませんよ。

西崎篤史

ほ、本当かい!?

天野勇二

もちろんです。
ただね、『殺人犯』を見逃してやるほど、俺様の『悪』は下劣じゃないんですよ。


 ニタリと極悪の笑みを浮かべる。


天野勇二

実を言いますと……。
どれだけあなたが懇願しても、全ては手遅れなんです。
もうあなたたちを叩き潰すための『最後の作戦』を発動させているんですよ。


 西崎は呆然と呟いた。


西崎篤史

な、なんだって……?
最後の、作戦だと……?

天野勇二

そうです。
さっきから不思議じゃないんですか?
見張りの警官が戻って来ないでしょう?
キープアウトを放り出してどこに消えたのか、興味ないんですか?



 西崎はその時、初めて警官が戻って来ないことに気づいた。


 そして『メスブタ』も戻って来ない。


 つまり、警官をここから遠ざけるために悲鳴をあげた、牧瀬がまったく戻って来ない。



西崎篤史

ほ、本当だ……。
警官が戻って来ない……。
なぜだ……。



 呆然と周囲を見回す。


 視界には入るのは風に揺れるキープアウトテープ。


 そして、自らを覗き込む涼太の顔だけ。


 天野は悪い笑みを浮かべながら言った。



天野勇二

キープアウトの見張り以上に『重要なこと』が発生したんでしょうね。

つまり、この会話の時間さえも『ブラフ』なんです。
今のあなたがすべきこと。
それはひとつの事実を1人の女に告げて、海外にでも高飛びするよう忠告することだったんですよ。

西崎篤史

ど、どういうことだ……?

天野勇二

言ったでしょう?
メスブタは『俺とあなたのペット』だと。

さて、メスブタはいつまで『あなたのペット』なんでしょう?
もしかすると、メスブタはあなたをもう見限ったんじゃありませんか?



 西崎の脳裏に最悪の展開が過ぎった。



天野勇二

俺様はね、あの優秀なメスブタを飼いたいんですよ。
それには『偽証』の罪が邪魔だ。
これからも手駒として活用するために、アイツが被った罪を取り払ってやる必要がある。
それがメスブタを飼うご主人様としての務めだ。
メスブタに全てをなすりつけるあなたとは違うんですよ。


 天野はゆっくり立ち上がった。


 西崎の部屋を後にしていく。


 もうこの場所に用事はなかった。


天野勇二

メスブタは俺とあなた。
どちらに仕えるつもりなんでしょう?

俺様という天才クソ野郎。
自らを偽証のコマとして動かしたあなた。
悪としては甲乙こうおつつけがたい2人だ。
しかし、俺様はあなたの『悪』を超えてしまった。

つまり、今のメスブタは『トリプルスパイ』なんですよ。
あなたに従い、俺様に従い、そしてあなたに従うフリをしながら俺様を選んだ。
メスブタは今頃、警察にこう告げているんでしょうね。


 西崎の顔が絶望に染まった。


 慌てて周囲に叫ぶ。


西崎篤史

……牧瀬!
牧瀬くん!
どこにいる!?
戻って来てくれ!


 その声に答える声はない。


 天野はケラケラ笑いながら言った。


天野勇二

メスブタが警察にこう伝えることで、あなたが着せた『偽証』は消えるんだ。

『20時』に目撃したのは、違う家から飛び出した人物だった。
眞下の家から飛び出した人物ではない。

そして『18時』より前。
眞下の家を張り込む直前。
玄関から出て来る人物を見た。
あれは『須田の奥様』だった。


……とね。


 西崎はスマホを放り投げた。


 慌てて自らのスマホを取り出す。


 ひとつの番号に電話をかける。


西崎篤史

そ、そんな……!
智子……!
頼む、出てくれ……!


 涼太は小首を傾げながらスマホを拾った。


 天野にのんびり尋ねる。


佐伯涼太

ねぇ勇二ぃ……。
これどうなってんの?
西崎先生が落ち込んだり、笑い出したり、泣き出したりしちゃってさぁ。

天野勇二

これで全てが終わったのさ。
今頃、処刑が執行されているぜ。

佐伯涼太

ふぇ?
そうなの?
処刑ってどういうこと?


 涼太が間抜けな声を出すと、LIMEのトークが飛び込んできた。


 前島からのトークだ。



前島悠子(LIMEトーク)

大変です!
須田先生の家に何台もパトカーがやってきました!
警察が大勢集まってます!
家にも入って行きましたよ!



 涼太は驚いて尋ねた。


佐伯涼太

須田教授の家にパトカーが集結してるって!
須田教授が犯人だったの!?

天野勇二

いや違う。
だがそれでいい。

佐伯涼太

は、はぁ?
なんなのよ!
さっぱりわからないよ!


 天野は欠伸をしながら言った。


天野勇二

もう俺様は眠い。
帰って寝る。
詳しいことは明日のテラスでな。

佐伯涼太

え、えぇっ!?
何言ってんのよ!?
この人どうすればいいの!?


 西崎を指さして叫ぶ。


 西崎は何度も電話をかけ続けている。


天野勇二

捨てておけ。
勝手に病院へ行くだろ。

佐伯涼太

いやいや……。
僕たぶん、鎖骨を踵落としで折ったよ。
これじゃ僕が『傷害罪』になっちゃうじゃん。


 天野は呆れて言った。


天野勇二

何をやってんだよ……。
相手は素人だぞ。
手加減しなかったのか。

佐伯涼太

いやだってぇ!
「ゴキブリを潰せ」って言ったじゃん!
「殺されるかもしれない」とか言ったし!

天野勇二

お前にはそんなことを言ってない。
潰し方、というものがあるだろ。
ローキックを何発か打ち込めば終わったはずだ。

佐伯涼太

ひぇぇ……!
ど、どうしよう。
西崎先生が強いと思って、本気で蹴っちゃったよ。
急所を的確に蹴りまくった。


 天野はため息を吐いて言った。


天野勇二

西崎に土下座するんだな。

見知らぬ強盗に襲われた。
それをお前が撃退した。


そんなことにしてもらえ。
まぁ、ブタ箱に入ったら面会に行ってやるよ。
これでお前も前科持ちの『オスブタ』だな。

佐伯涼太

ウソォ!
やだよそんなの!
西崎先生が見逃してくれるワケないじゃん!

…………あっ!
切った!
電話を切った!


なんなのこのクソ野郎!
犯人はちっともわかんないし、なんでこんなことを僕に押しつけるのよぉー!?



 涼太がスマホを叩きつけて吠える。


 西崎はその姿を見上げて苦笑していた。


 どれだけ電話をかけてもつながらない。


 智子は警察に連行されてしまった。


 西崎は今度こそ、自らの悪の終焉しゅうえんを悟った。




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つばこ

補足しますが、今回の天野くんは「西崎やメスブタを警察にぶち込む」ことを考えてませんでした。
一番に警戒していたのは、メスブタちゃんが口封じのために消されること。
次に狙ったのが、『偽証』と『殺人の隠蔽』を罪にならないように取り払ってあげること。
その後に須田の奥様を逮捕させるよう仕組んでいました。
天野くんは西崎と長々お喋りしていましたが、あれ結局は『足止め』の役目を果たしていたんですね。
 
ちなみに今回の「メスブタ編」のテーマは『悪』です。
『悪』の道を歩いた先に何が待つのか。
エピソードも残りわずかとなりましたが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(`・ω・´)ゞ

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コメント 24件

  • まこと

    西崎にちょびっと同情された涼太が不憫

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  • ポンデリング

    涼太が相変わらず涼太で笑った、オスブタ‪w

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  • コロテール

    牧瀬は二度と裏切らない本物のメスブタとして仕えそうだね(*´ェ`*)

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  • 折川

    カプシーヌなんてよく知ってるなぁ。私は分からなかったから検索してしまった(笑)

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  • 昆布

    すげえええええ

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