10月のある日。



 綾瀬清美あやせきよみ月命日つきめいにち



 陽が傾いた夕暮れ時。



 涼太はまた湘南しょうなんの砂浜に立っていた。



 いつもの場所に花束を置き、代わり映えのしない海岸線を眺める。



佐伯涼太

ふぅ……。
結構、寒くなってきたね……。
もう秋も終わりかなぁ……。



 夕焼けに照らされた由比ヶ浜ゆいがはま


 少し肌寒さを覚える潮風が吹いている。


 微かに聴こえる冬の足音だ。



佐伯涼太

それじゃ……。
始めようかな。



 涼太は大きなゴミ袋を取り出した。


 軍手をはめて、砂浜に落ちているゴミを拾い始める。




 砂浜に打ち上げられた海藻。


 どこからか流れてきた木片。


 ラベルの剥がれたペットボトル。


 割れたガラスの欠片。


 ビニール袋の残骸。


 そんなものをゴミ袋に放り投げる。


 スコップで汚れた砂を掘り起こし、持参した砂と入れ替える。


 どれだけ続けたかわからない『月命日の習慣』だ。




 涼太は砂浜を清掃しながら、綾瀬の母親の言葉を思い返した。







綾瀬の母親

涼太くん……。
ずっと、清美のことを忘れないでくれて、本当にありがとう。





 由比ヶ浜に立ち寄る前。


 涼太は綾瀬の『墓参り』に行ってきたのだ。


 綾瀬の両親にも挨拶をした。





綾瀬の母親

でもね……。
もう『砂浜の清掃』はしなくて良いの。
あなたはあなたの人生を生きなさい。
きっと清美もそう言ってると思うから。





 綾瀬の母親はそう言っていた。


 いつまでも過去にとらわれないように。


 いつまでも『初恋』に縛られないように。


 気を使ってさとしてくれたのだろう。


 その言葉の意味は深く理解している。


 それでもしばらくの間、この『習慣』は続けようと考えていた。




 涼太はゴミ袋の口を閉じながら立ち上がった。


 誰もいない秋の海岸。


 寄せては返すだけの波。


 自分の足跡だけが、砂浜に刻まれている。







 ……もう、ここに綾瀬はいない。







 涼太はぼんやりとそのことを理解し始めていた。





河瀬結衣

……あれ?
涼太さんだ!
涼太さーん!



 背後から自分を呼ぶ声。


 涼太は驚いて振り返った。


 この場所で出会った小柄な女子高生。


 河瀬結衣かわせゆいが立っている。



佐伯涼太

……結衣ちゃん?
マジで結衣ちゃん!?
久しぶりだね!



 河瀬は砂浜の入り口に自転車を停めた。


 女子高の制服姿。


 恐らく下校の途中なのだろう。


 河瀬は笑顔で涼太に駆け寄った。



河瀬結衣

お久しぶりです!
涼太さんはお元気ですか?

佐伯涼太

もちろん!
君と最後に会ったのは先月だったかな?
もう退院したんだっけ?

河瀬結衣

そうなんです。
すっかり元気になりました。
お医者さんが「もう通院しなくても大丈夫」って、言ってくれたんですよ。



 河瀬は朗らかに笑っている。


 涼太は眩しげにそれを見つめた。


 あの夏に見ることはなかった笑顔。


 写真でしか見たことのない笑顔だ。



佐伯涼太

そっか。
それは良かった。
いやぁ、どうしてるのか気になってたんだよ。

河瀬結衣

えー?
本当ですかぁ?
涼太さん、一度しかお見舞いに来てくれなかったのに。


 いたずらっ子のように微笑む。


 涼太は苦笑しながら頭をかいた。


佐伯涼太

あはは……。
ごめんね。
僕は東京に住んでるからさ。
鎌倉は遠いんだよ。

河瀬結衣

えへへ……。
わかってます。
全然大丈夫ですよ。
涼太さんとはもうちょっとお話できればなぁ、と思ってたんです。

佐伯涼太

へぇ?
またどうして?

河瀬結衣

友達がすっごく涼太さんをすんです。
もう大人気なんです。
ちょっとした『ファンクラブ』ですよ。
「連絡先教えて」とか「鎌倉に呼んで」とかしつこくて。
どんな人なのかなぁ、って気になってたんです。



 涼太は苦笑いを浮かべた。


 友達はきっと、河瀬が失った『空白の記憶』を伝えたくてたまらないのだろう。



佐伯涼太

残念だけど、僕は『子供JK』には興味ないな。
こればっかりは『嘘』じゃないんだ。

河瀬結衣

それを聞いたら友達がヘコみますね。
やっぱり『女子大生』みたいな大人の女性がタイプなんですか?

佐伯涼太

そういうこと。
友達にはそう言っておいて。

河瀬結衣

わかりました。
受験勉強を頑張るように伝えます。
一緒に「東京の大学に行こうね」って話をしてるんですよ。

佐伯涼太

へぇ、じゃあ大変な時期だね。

それで今日はどうしたの?
ここって登下校の通り道じゃないよね?
もしかして……。
僕に会いに来たとか?


 おどけながら尋ねる。


 河瀬は呆れたように苦笑した。


河瀬結衣

いやいや……。
そんなワケないですって。
でもなんか、よくわからないんですけど……。


 小首を傾げながら言葉を続ける。


河瀬結衣

なんとなく「ここに来たいな」と思ったんです。
それも今日じゃなきゃダメなような気がして……。

そしたら涼太さんがいたからビックリしました。
どうしてですかねぇ?
涼太さんはわかりますか?


 涼太は軽く肩をすくめた。


佐伯涼太

さぁ?
僕にはわからないな。
特に理由はないと思うけど。

河瀬結衣

そうですよねぇ……。
涼太さんはここで何をしてたんですか?
『迷子の子供』を探してたんですか?

佐伯涼太

……えっ?



 涼太は驚いて河瀬を見つめた。


 『迷子の子供』。


 かつて河瀬に言われたフレーズ。


 河瀬は首を傾げた。



河瀬結衣

……迷子の子供?
うん?
それって、なんですかね?



 なぜそんな言葉を口にしたのか。


 理由がわからず戸惑っている。


 涼太は微笑を浮かべながらその顔を見つめた。


 優しげに告げる。



佐伯涼太

『迷子の子供』は見つかったよ。
やっと見つけられたんだ。
長い時間がかかったけどね。


 河瀬は嬉しそうに頬をほころばせた。


河瀬結衣

そうなんですか!
良かったですね!
なんかいまいちよくわからないけど……。
良かったです!

……あれ?
それはなんですか?


 河瀬が涼太の右手を見つめた。


 大きなゴミ袋が握られている。


佐伯涼太

ああ、これは砂浜のゴミだよ。
この辺りを掃除してるんだ。
『ボランティア活動』ってやつだね。

河瀬結衣

へぇ……。
涼太さんは偉いですね。
私も大学に進学したらそんな『サークル活動』をしてみようかな。

佐伯涼太

いいと思うよ。
それが結衣ちゃんの『本質』になるかもしれないしね。

河瀬結衣

……本質?
それってどういう意味ですか?

佐伯涼太

ああ、こっちのこと。
気にしないで。



 涼太は爽やかに微笑んだ。


 夕焼けに照らされた由比ヶ浜。


 河瀬の頬がみかん色に染まっている。


 涼太はそっと手を差し出した。



佐伯涼太

結衣ちゃん……。
僕と握手してくれる?

河瀬結衣

えっ?
あ、握手ですか?
どうして?

佐伯涼太

まぁいいじゃん。
そういう気分なんだ。
ほら手を出して。

河瀬結衣

は、はぁ……。



 河瀬がおずおずと手を差し出す。


 涼太は優しくその手を握った。


 照れ臭そうに河瀬が笑う。







河瀬結衣

あはは……。
なんか恥ずかしいですね。
どうしたんですか?

佐伯涼太

君に御礼が言いたくてさ。

河瀬結衣

御礼ですか?

佐伯涼太

そうさ。
僕は君に出会えて良かった。
昔も今もね。
本当にそう思うよ。
今の僕には何ひとつ『嘘』なんかない。
全て君のおかげなんだ。



 神妙な口調だ。


 河瀬がくすぐったそうに笑った。



河瀬結衣

うふふ……。
変な涼太さん。
私、何かしましたっけ?

佐伯涼太

ちょっとだけね。
でもそれが、僕にとっては大切なことだったんだよ。



 涼太は優しげな木漏れ日のような笑顔を浮かべた。



佐伯涼太

結衣ちゃん……。

どうか人生を楽しんで。
きっと君は幸せになれる。
君にはその資格がある。
僕が保証するよ。

例え何人かの男に騙されても諦めないで。
いつか君に相応しい立派な『カレシ』が現れるからさ。



 河瀬は驚いて涼太を見つめた。


 なぜか既視感デジャブを覚えた。


 遠い昔、どこかで、誰かに。


 同じようなことを言われた気がする。



河瀬結衣

そ、そうですか……?

佐伯涼太

きっとそうさ。
僕はそう信じてる。
ずっと信じてるからさ。

河瀬結衣

は、はぁ……。



 涼太はそこで河瀬の手を放した。


 ゴミ袋を担ぎながら告げる。



佐伯涼太

もうすぐ陽が落ちる。
暗くなる前に帰りなよ。
僕はまだここにいるからさ。

それじゃあバイバイ!
元気でね!



 涼太は笑顔で手を振った。


 満面の笑みで河瀬を送り出している。



河瀬結衣

は、はい……。
それじゃ涼太さん……。
失礼します……。



 河瀬はぺこりと頭を下げた。


 ゆっくり砂浜を後にする。


 停めた自転車を押しながら国道を歩く。


 振り返れば砂浜に立つ涼太の姿。


 夕焼けが満面の笑顔を照らしている。










 なぜだろう。






 なぜこれが『決定的な別れ』のように感じるのだろう。



 なぜ、もう二度と、涼太には会えないような気がするのだろう。



 なぜそのことが、こんなにも悲しく感じるのだろう。





河瀬結衣

…………





 河瀬はじっと涼太の笑顔を見つめた。



 涼太のことはよく知らない。



 どこで出会ったのかも覚えていない。



 それなのに、なぜか、とても懐かしく感じる。



 ずっと探していたような。



 ずっと待ち焦がれていたような。




河瀬結衣

どうして……?




 河瀬は手のひらをじっと見つめた。



 涼太に触れた手。



 優しくも力強い握手。



 微かに残るひとつの温もり。



 涼太という不思議な男の温もり。



 その温もりが、河瀬にひとつの真実をささやいたのだが……。



 それは湘南の潮風に揺られて。



 水平線の彼方に消え去ってしまった。














佐伯涼太

ふふっ……。
結衣ちゃんってば、あんなところで何してるんだろ。



 涼太は苦笑しながら河瀬を見つめた。


 河瀬はゆっくり自転車を押している。


 何度も立ち止まり。


 何度も振り返り。


 涼太の姿を眺めている。



佐伯涼太

まさか『生徒手帳』でも落としたのかな?
って、そんなワケないか。



 やがて河瀬は頭を深々と下げ、涼太に背を向けた。


 自転車にまたがり走り出す。


 小さくなっていく少女の背中。


 涼太はその背中に呟いた。






佐伯涼太

……ありがとう。
そして、さようなら。
ひと夏だけの、僕の恋人……。







 涼太は大きく手を振った。


 晴れ晴れとした笑顔を浮かべて。


 ひとつの季節に別れを告げる。


 みかん色の夕陽に照らされて、河瀬の影がどこまでも長く伸びていた。











(おしまい)



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つばこ

ご愛読いただきありがとうございます。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
 
「もう、ここにあなたはいない」
 
その事実を受け入れることがどれだけ大変なことか。
涼太くん、お疲れ様。
また君が「パコパコ」言い出す日を楽しみにしているよ。 
 
 
さてさて、結構シリアスな恋愛物が長く続きましたので、次回はガラッと雰囲気を変えてバイオレンスなエピソードを紹介したいと思います。
かなり過激で刺激が強い題材のため、ずっとお蔵入りしていた物語です。
個人的には「とても天クソっぽいな」と思っているので、これはこれで読んでいただければ幸いでございます。
 
それでは次週土曜日、
『彼が上手に愛人を捨てる方法』
にてお会いしましょう。
 
つばこでしたヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 44件

  • とうか。

    珍しく「これでいいんだ」とは分かるのに
    受け入れたくない終わり方だった…
    こう終わったからには思い出して欲しくないけど
    どうか思い出して欲しいなって

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  • じゃない方

    天クソの中でもTOP3に入るほど好きなお話しです。

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  • ゆず

    すごく切ない…
    ゆいちゃんが涼太との思い出を思い出して結ばれないかなって思ったけどやっぱりそう上手くはいかないよね…
    でも、2人がそれぞれ新しい道を歩んでいってよかった!
    2人に幸あれ

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  • りおー

    いやー、また河瀬ちゃん出てくれるといいなあ
    涼太、恋愛に運がないというか、色々背負うものが大きいなあ…と思った。おつかれさまです

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  • 佐倉真実

    涼太くん早く元気になってね…!(;ω;)

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