旧東海道とうかいどうの県道732号線。


 箱根湯本はこねゆもとから『箱根寄木細工はこねよせぎざいく』発祥の地である畑宿はたじゅくを抜け、芦ノ湖あしのこまで続く長い坂道。


 そこを1台の真っ赤なポルシェが走っていた。



天野勇二

どうだ前島よ。
この辺りもなかなか綺麗だろう。
紅葉の時期が特に素晴らしいが、緑が色濃くなる夏の景色もまた格別だ。
四季折々しきおりおりの絶景が味わえるのも、箱根が持つ魅力のひとつといえるだろうな。



 運転席には『天才クソ野郎』こと天野の姿。


 上機嫌でポルシェを操っている。



前島悠子

へぇ……。
そうなんですか……。
たしかに綺麗ですねぇ……。



 助手席には『国民的アイドル』こと前島の姿。


 先ほどから顔を曇らせ、憂鬱ゆううつという名のため息を吐き出している。


 説明するまでもないが、『元カレ』である飯塚いいづかのことを引きずっているのだ。


 天野はそれを横目で眺めながら尋ねた。



天野勇二

箱根のどこに行きたいんだ?
何冊もガイドブックを買って調べたのだろう?
目当ての『温泉』や『美術館』があると言っていたじゃないか。

前島悠子

は、はい……。
そうでしたね……。



 前島はスマホを取り出した。


 記念すべき天野との初デート。


 実りある時間にするため、一生懸命『デートプラン』を練っていたのだ。



 仙石原せんごくはらを歩いたり、露天風呂に入ったり、ロープウェイに乗ったり、美術館で絵画を鑑賞したり。


 行ってみたい場所は山のようにある。



前島悠子

えっとぉ……。
まずは、どこに行きましょうか……。



 前島はため息を吐いた。


 あれだけ天野と歩いてみたい場所があったのに。


 寝る間を惜しんで箱根を調べたのに。


 それらの情報がうまく整理できない。



 前島がスマホを見ながら唸っていると、天野が言った。



天野勇二

決めきれないなら、俺の好きなところに行かないか?
いつも箱根に来たら寄る場所があるんだ。

前島悠子

師匠の、好きなところ……?

天野勇二

ああ、温泉や美術館ではないが、なかなか見応えのある景色が拝めるのさ。
とっておきの場所だ。
お前に見せるのもまた一興いっきょうだろう。


 天野は爽やかに笑っている。


 前島はスマホを鞄にしまい、申し訳なさそうに言った。


前島悠子

……お願いします。
なんかすみません。
どうも頭が、うまく回らなくて……。

天野勇二

気にするなよ。
箱根は詳しいんだ。
色々とオススメはあるが、なるべく人が少ない場所を案内しよう。

前島悠子

助かります。
はぁ……。
私ってばダメですね。
無理に師匠をお誘いしたのに……。

天野勇二

本当に気にするな。
デートとは、基本的に男がリードしてやるものさ。



 天野はポルシェを軽やかに走らせると、有料道路を抜け、大観山たいかんざんの峠まで前島を運んだ。


 箱根と湯河原ゆがわらの境にある山だ。


天野勇二

ここの展望台も良いんだが、少々人が多い。
俺様が好きなのはこっちだ。


 路地に車を停め、森に入り、狭い獣道を歩く。


 やがて美しい絶景が目の前に現れた。



前島悠子

うわぁ……!
富士山ふじさんに、芦ノ湖あしのこまで……!
すごく綺麗ですね……!



 晴天に浮かぶ富士山。


 したたるように青く美しい。


 まるで鏡に映したように、穏やかな芦ノ湖の水面に富士の影が揺らいでいる。


 天野は夏の風を浴びながら笑った。


天野勇二

この山から見る富士山が好きなんだ。
他の場所も良いんだが、ここは芦ノ湖あしのこから駒ケ岳こまがたけ、天気が良ければ三浦半島みうらはんとうも見えるからな。
おまけに人が立ち入るような場所でもない。
なかなか悪くないだろう?


 前島は素直に頷いた。


 実に見応えのある絶景だ。


 涼しげな山風やまかぜがまた心地よい。


前島悠子

本当ですねぇ……。
すっごく見晴らしが良いです。
360度見渡す限りの大パノラマ、ってやつですね。

天野勇二

ここから花火大会を眺めるのも格別なんだ。
しかも、富士山と『初日の出』を同時に拝むこともできるのさ。

前島悠子

それも見てみたいですね。
師匠がここまで素敵な場所を知ってるなんて驚きました。

天野勇二

言っておくが、あまり人には教えないんだぜ。
特に女を連れて来たのは初めてだ。
光栄に思えよ。

前島悠子

えっ?


 前島は驚いて天野を見上げた。


前島悠子

お、女を、連れて来たのは、初めて……!


 思わぬ発言が飛び出した。


 前島の頬が喜びに染まる。


前島悠子

そ、それってマジですか!?
私が『特別な女』だから連れて来たってことですよね!?
そう受け取っていいんですよね!?


 天野はあっさり言った。


天野勇二

いや違った。
そうでもない。
前に『レイチェル』を連れて来たよ。


 前島が「ぎょっ」として叫ぶ。


前島悠子

はぁ!?
レイちゃん!?
それってあれですか!?
『殺し屋』のレイちゃんのことですか!?

天野勇二

そのレイチェルだ。
『キラービー』と名乗っていたバカな殺し屋さ。



 天野は懐かしげに笑った。


 あの時はレイチェルが「富士山を見たい」とせがんだので、単車で箱根を案内してやったのだ。


(詳しくは『彼が上手に浮気する方法』を参照)



前島悠子

そんなの聞いてませんよ!?
なんでですか!?
なんでレイちゃんと箱根に来たんですか!?

天野勇二

言ってなかったか?
観光案内してやったのさ。
温泉に入ったりもしたぜ。


 前島がますます「ぎょっ」して叫ぶ。


前島悠子

はぁぁッ!?
温泉!?
2人で温泉ってことは……!
まさか『混浴』したんですか!?

天野勇二

混浴なんかするワケないだろ。
水着で入れる温泉施設スパに行ったのさ。

だが困ったことに、レイの身体に合う『レンタル水着』がなくてなぁ……。
サイズが小さくて胸がはち切れそうだったよ。

前島悠子

む、胸が、はち切れそう……!?


 前島の頭に血が上った。


前島悠子

そ、そりゃ、レイちゃんはダイナマイトバディな女の子でしたからわからなくもない……。

……いや!
そんなこと、どうでもいいんですよ!


 前島は腕をブンブン振り回した。


 顔を真っ赤にさせながら叫ぶ。


前島悠子

そんなの聞いてません!
むしろそんなこと、言わなくても
良いじゃないですか!?


今日は私たちの『初デート』なんですよ!?
他の女の子のことを考えるとか、どういうつもりなんですかッ!?

天野勇二

おいおい前島よ……。
それはこっちのセリフだな。



 天野は気障キザったらしく唇を歪めた。


 胸元に手を入れ、ひとつのスイッチを切る。


 真正面から前島を見つめた。



天野勇二

この俺様と2人きりだというのに、他の男のことを考えるとは、いったいどういう了見だ?
気に入らないな。



 鋭い視線が前島を射抜く。


 殺気や、脅しや、そんなものは含まれていない。


 真摯しんしで、どこか優しげな感情を含む、鋭い眼差し。



前島悠子

し、し、師匠……?



 思わず前島の時が止まった。


 ただ天野の顔に見惚みとれる。


 どこまでも美しく、色気を放ち、野性味とたくましさに溢れ、命のみなぎった強い男の顔。




 天野はそっと手を伸ばした。


 熱くなった前島の頬に触れる。


 そして優しげに言った。






天野勇二

今は、俺様のことだけを、考えていればいいんだ。






 前島の頬がたちまちバラ色に染まった。



前島悠子

おおおっ……!

なんか師匠が、師匠じゃない……!

まるで『乙女ゲー』に出てくる人みたい……!



 いつものように偉そうで気障キザったらしい物言い。


 それなのになんて、甘美で、肉感的で、心に突き刺さるような響きを持った言葉なのだろう。



前島悠子

師匠の口から、こんな男らしい言葉が飛び出すなんて……!

まさかこれは夢なんですか……!?

私は夢を見ているんですか……!?



 思わずペシペシと自らの頬を叩く。


 痛い。


 夢ではない。


 しかし、前島はそれで我に返った。



 改めて天野の顔を見上げる。


 瞳の奥底にあるものをじっと見つめる。


 そして呆れたように笑った。



前島悠子

……やめてくださいよ。
そんな言葉、師匠には似合いませんよ。
私を励まそうとしてますね。
師匠の『演技』は下手くそですから、見ればすぐにわかります。



 微笑みを浮かべながら視線を逸らす。



前島悠子

もしかして……。
気になりますか?
私がどんな『元カレ』と付き合ってたのか。
あの人と、どんな『男女交際』をしていたのか……。



 天野は小さく息を吐いた。


 苦笑しながら前島の横顔を見つめる。


天野勇二

……いや、別に。
過去は過去でしかない。
しかも、それはお前にとって重要なことじゃない。
既に吹っ切り、決別けつべつした過去なのだろう?


 前島がこくんと頷く。


前島悠子

さすが師匠。
その通りです。
あんな人のことなんて、すっかり忘れてました。
顔を見た時だって、ああそういえばこんな顔してたなぁ、とか思いましたから。


 恥ずかしげに笑う。


前島悠子

今だって、あの頃を思い出して落ちていたワケじゃありません。

そりゃ手酷くフラれましたよ。
しかも私を捨てた後、すぐに他の女の子と付き合い始めて、私の存在をガン無視してた男ですよ。

だけど、全て終わったことです。
私は恋愛の思い出を『上書き保存』するタイプです。
本当にどうでもいいことなんです。


 「あはは」と笑みを浮かべる。


前島悠子

それでも、ショックだったんですよね……。

まさか、弱みを握って、脅迫するような人だったなんて。
そんな人と付き合ってたなんて。
そんな人を、一時は本気で好きだと思ってたなんて……。

こんなことで川口さんに迷惑をかけてしまうのは、ちょっとイヤですねぇ……。


 そっと天野の顔を見上げる。


前島悠子

師匠……。
いつか言ってましたよね。
人は『心も体も変わりながら生きていく』って。

私も、あの人も、変わってしまったんでしょうか?
『芸能人』になったから。
『アイドル』になったから。
そのせいで、何か大切なものが変わってしまったんでしょうか……?


 祈るような瞳で天野を見上げている。


 天野はその瞳の奥にある『輝き』を確かめ、どこか優しげに言った。


天野勇二

確かに変わったのかもしれないな。
瞳に映るものは全て変わり続ける。
あの男も、お前の影響で変化したものがあるのかもしれない。


 静かに首を横に振る。


天野勇二

だが、それは『大切なもの』じゃない。
本当に大切なことは瞳に映るものじゃないんだ。
『肩書』や『見てくれ』なんて、お前を彩るひとつの色でしかない。
お前はそのことを知っているはずだろう?


 前島の胸元を指さす。


天野勇二

いつか、お前に尋ねたな。
今一度、尋ねよう。

前島よ。
お前の中には、何がある?


 前島は自らの胸に手を当てた。


 かつては答えられなかった質問。


 しかし、今は違う。


 前島は天野の顔を見上げて言った。



前島悠子

私には『本質』があります。
『流星クソ女』という名の『本質』があります。
師匠から受け継いだ『クソ』があるんです。



 まるでスピーチする学生のように言葉を続ける。



前島悠子

私は、誰かの心に『輝き』を届けたいんです。
その気持ちは変わってません。

今ここにいる私の全てで、誰かの心に残る輝きを届けたい……。
できれば、それがいつまでも心に残り、誰かの人生を照らす道標みちしるべになるような、強く美しい輝きを届けたい……。

今もずっと、そう思い続けてます。



 天野は満足気に頷いた。


天野勇二

それでこそ俺様の『弟子』だ。
俺はその『答え』を気に入っている。
そして、これだけは覚えておけ。


 天野は指先をパチリと鳴らした。


 気障キザったらしく自らを指さす。


天野勇二

お前がどんな人生を選んだとしても、師匠である俺様が全て肯定してやる。

迷うことはない。
つまらない過去に振り回される必要はない。
そんなものに戸惑う必要もないんだ。

お前はそのままでいい。
お前の人生、それでいいのさ。


 前島は小さく頷いた。


 改めて天野の顔を見上げる。


 胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。




 それはあの時、胸の奥に芽生めばえた感情。


 変わった『クソ野郎』の本質に触れ、自分の中にあった迷いを打ち砕かれ、新しい自分を知るきっかけになった時。


 永遠に忘れたくない思い出。


 『上書き保存』なんかできやしない。


 あの時の言葉こそが、人生を照らす『輝き』であり、自らの道標みちしるべだった。



 前島はそんなことを思いながら、天野に頭を下げた。



前島悠子

師匠……。
ありがとうございます。
私、師匠に出会えて良かったです。

はぁ……。
なんだかすごくスッキリしました。


 き物が落ちたような顔で笑う。


前島悠子

もう気分を切り替えます!
今日はせっかくの『初デート』ですもん!

それに私は負けないんです。
あんな再会で特別な時間を乱されたりしないんです。

だって、私の師匠カレシは無敵の『天才クソ野郎』ですから!


 天野は満足げに頷いた。


天野勇二

それでいい。
過去にこだわるなんて、ケツの穴が小さい人間のやることさ。
お前はもっとデカい女になれよ。

前島悠子

うふふ……。
師匠はいつもお下品ですねぇ。
でも、ありがとうございます。


 前島は大きく背を伸ばした。


 深呼吸して眼下に広がる景色を眺める。


 天野は葉月はづきの風に吹かれながら、そんな弟子の姿を見つめていた。 





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つばこ

つばこ「やっぱりさ、挿絵、欲しいよね」
担当「欲しいですね」
つばこ「『乙女ゲー的師匠』の挿絵。どう考えても欲しいよね」
担当「どう考えても欲しいですね」
つばこ「もうキランキランでフワッフワでハートマーク飛びまくりの永久保存不可避なイケメンイケメンアンドイケメンの乙女ゲー的師匠の挿絵、欲しくてたまらないよね。担当さんから読者の皆さまに謝って」
担当「わかりました」
 
 
担当「ごめんなさい!!! 『乙女ゲー的師匠』の挿絵はありません!!! 読者の皆さま、本当にすみませんでした!!!」
 
 
その代わり、次回は挿絵があります!
箱根の露天風呂での一幕!
しかもなんと裸です! 天野くんたちが裸ですよ! ご期待ください!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(∩´∀`)∩

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コメント 46件

  • 佐倉真実

    天野くんが、じゃあ俺の知ってるところでいいか、って言ってくれた時ドキッとした、いい男だと思ってしまって……

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  • バルサ

    普通なデートで、リードしてる天野くんきゅんきゅんしたよ(^^)ビックリ!

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  • だちょう

    最新話からスイッチのこと見に来ました!
    確かに切ってる!

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  • みーちゃん

    なんだこのキュンキュンする展開…ほんとにクソ野郎なのか?!

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  • ゆっきー

    くっ…乙女ゲーなキラッキラなクソ野郎見てみたかった。。

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