神奈川かながわ県の南西部。


 箱根湯本はこねゆもとの駅近くにある早川はやかわ


 そこにかかる赤い欄干らんかんの『あじさい橋』。


 清らかな川の流れと、箱根はこねの美しい山間を眺めることのできる観光スポットなのだが、




天野勇二

そこにいるクソガキ……。
どうやって処分する?
なんだったら殺してしまうか?




 今は1人の男が『戦場』に形を変えてしまっていた。


 全身から殺気を放ち、ニタリと唇を歪ませて極悪の笑みを浮かべている。


 えた肉食獣のような瞳だ。


飯塚尚樹

え、えっ……?



 飯塚が戸惑とまどいの声をあげた。


 突然現れた長身の男。


 とんでもなくガラが悪い。


 とても一般人とは思えない。


 「本職の極道そのもの」といった威圧感いあつかんを放っている。


飯塚尚樹

おい悠子……。
この人は、誰だよ……?



 前島に問いかける。


 しかしもう、前島は飯塚のことなんか視界に入っていなかった。


 ただ天野の顔を見つめる。


 真っ先に「これはまずい」という言葉が浮かんだ。



前島悠子

……師匠!



 天野の前に立ちはだかる。



前島悠子

落ち着いてください!
大丈夫です!
何も困ったことは起きてません!
とにかくまずは落ち着きましょう!



 青ざめた顔で手のひらを広げる。


 殺気をなだめようと試みる。



前島悠子

お願いです!
殺すのはやめてください!
殺したら警察に逮捕されるんですよ!?


師匠にはどうせ余罪よざいがゴロゴロあるんですから、逮捕されたら面倒なことになります!
せめて「あじさい橋から突き落とす」ぐらいにとどめてください!



 必死の口調で告げる。


 天野は前島の顔を驚いたように見つめた。



天野勇二

…………



 しばし前島の顔を凝視ぎょうし


 そして、嫌そうに舌打ち。


 呆れたように呟いた。



天野勇二

おい前島……。
本気にするな。
これは『ブラフ』だ。

前島悠子

えぇっ!?
ブ、ブラフぅ!?

天野勇二

当たり前だろ。
俺様がこの程度の『小物』を本気で相手にすると思ったのか?
アホらしい。
軽く脅すつもりだったんだよ。

前島悠子

お、脅す……?
えっ……?
ほ、本当ですか?

天野勇二

お前との付き合いも長くなったはずだぞ。
少しは『天才クソ野郎』の常套じょうとう手段を覚えろ。
まずは『トラッシュトーク』から入るのが俺のやり方だ。



 前島は目をぱちくりさせた。


 確かにそうだ。


 言われるまでもなかった。


 天野は生粋きっすい『トラッシュトーカー』


 脅しや挑発で相手の心理を揺さぶり、偉そうな物言いで優位に立つことを好む男だ。



前島悠子

そ、そうだったんですか……。
いやでも、師匠は今……。
あ、あれぇ……?



 前島が首を傾げる。


 確かに今、「これはまずい」と感じたのだ。


 もっと正確にいえば「師匠が人をあやめてしまう。これは止めなければまずい」と感じたのだ。


 それは天野が、見たことがないほどの『怒り』の表情を浮かべていたからなのだが……。



天野勇二

きょうがそがれたな。
まぁいい。
ちょっと下がってろ。



 困惑する前島を押しのけ、飯塚の前に立つ。


 飯塚の顔はすでに真っ青だ。


 『ブラフ』が何を示すのか、飯塚には理解できない。


 ただ目の前にいる男に恐怖していた。



天野勇二

俺は天野という者だ。
俺の顔は見たことあるか?


 飯塚が黙って首を横に振る。


天野勇二

ならば教えよう。
俺は前島悠子が所属する芸能事務所のSPだ。
本日は前島を護衛するために箱根へ訪れた。
アイツのマネージャーらしきこともやっている。
盗み聞きするつもりはなかったが、君たちの会話を聞かせてもらったよ。


 飯塚の顔に「やばい」という文字が浮かんだ。


天野勇二

どうやら、君は前島悠子に関する『興味深い情報』を持っているようだな……。

それはいい。
君がその情報を手にしていることは問題じゃない。

だが、それを使って『うちのタレント』恐喝きょうかつするのであれば、話は別だ。


 天野の瞳が冷たく光る。


 再び本職の極道にも劣らない殺気が『あじさい橋』を包む。


天野勇二

もし恐喝するというならば、こちらも大切なタレントを守るために動かなければならない。
もう何を言いたいのか理解できたよな?

お前は今、前島悠子を脅したんじゃない。
俺たちに喧嘩を売ったんだ。
『芸能界』という組織につばを吐いたのさ。


 ニタリと唇を歪める。


 胸元から『ボイスレコーダー』を取り出した。


天野勇二

会話は録音させてもらった。
恐喝の証拠はある。
もう逃げられやしないぜ。

お前との喧嘩がどのような結末を迎えるのか……。
実に楽しみだな。


 飯塚が絶望の表情を浮かべた。


 全身が小刻みに震えている。


 それを満足気に眺め、天野は狂気の笑みを浮かべた。


天野勇二

いいか小僧……。
あまり俺たちをナメるなよ。


お前を消すことは容易いが、法的手段に訴えることも容易いんだ。
有能な弁護士を動かし、お前の人生も、お前の未来も、お前の家族までも巻き込んだ喧嘩にしてやる。
それを覚悟した上で、『恐喝』という卑劣ひれつな手段に出たんだろうな?



 飯塚は「ゴクリ」と生唾を飲み込んだ。


 震える両手を広げ、平静を保つためにヘラヘラと口元を歪める。



飯塚尚樹

い、いや、違いますよ……。

その、冗談ですってば……。
ちょっと、なんていうか、からかっただけなんですよ……。

そ、そ、そうだよなぁ……?



 同意を求めて前島を見る。


 前島は眉根まゆねを寄せて飯塚を睨んでいる。


 無言という名の否定。


 汚物でも見るかのような瞳だ。



飯塚尚樹

な、なんだよ……。
冗談が通じないなぁ……。

恐喝なんかしませんって……。
今はただのファンなんです……。
応援してるよ、ってことを伝えたかっただけなのになぁ……。


 逃げるように視線を逸らす。


飯塚尚樹

ほ、本当に恐喝とかしないんで……。
友達が待ってるんで、もう行きますね。
じゃ、じゃあな……。

前島悠子

待って。


 前島が強い声で呼び止めた。


 天野の隣に立ち、吐き捨てるように告げた。


前島悠子

もう二度と私の前に現れないで。
さっきも言ったけど、あなたは『友達』じゃないから。

飯塚尚樹

あ、ああ……。

前島悠子

それとさ、何かしたいなら勝手にすればいいよ。
あなたが何をしても、私は負けないから。
あなたみたいな卑劣な人間に、私たちは絶対に屈しないから。

飯塚尚樹

…………



 飯塚は黙って背を向けた。


 小走りで『あじさい橋』から立ち去る。


 飯塚の背中が見えなくなると、



天野勇二

チッ……。
写真か。
厄介な情報ネタだな。


 舌打ちしながら天野が尋ねた。


天野勇二

何を撮らせたんだ?
スキャンダルになり得るものか?
まさかと思うが『裸』じゃないだろうな?

前島悠子

ななっ……!


 前島の頬が赤くなる。


 慌てて首を横に振った。


前島悠子

な、な、ななななにをバカなこと言ってるんですか!?
撮ってませんよ!
そんなの、1枚も撮ってません!


 天野はひとつ息を吐いた。


 冷静に問いかける。


天野勇二

断っておくが、これは俺が関与することじゃない。
俺はSPだがマネージャーというワケじゃないからな。
お前の『芸能活動』に口を出すつもりはない。

だがな、『元カレ』がああ言う以上、ある程度の事態は想定しなければならないぜ。

前島悠子

そ、それは……。
そうですけど……。

天野勇二

本当に撮らせてないのか?
忘れているだけじゃないのか?
『裸の自撮りセルフィーをバカみたいに送りつけたこともないのか?



 前島は顔を赤くさせながらうつむいた。


 どうしてだろう。


 どうして、記念すべき『初デート』だというのに、こんな会話をしなければならないのだろう。


 前島はそのことが悲しかった。



前島悠子

……撮ってません。
中学生の頃は、写真を撮られるのが嫌いだったんです……。
なんかほら、中学生の時って、自意識過剰になって、そんなことを考えちゃう時があるじゃないですか……。

天野勇二

ふぅん。
お前にも『中二病』があったのか。



 前島はいたたまれない気持ちになった。


 まさか『天才クソ野郎』と名乗る『中二病の権化ごんげのような男に、そんなことを言われるとは。



前島悠子

……まぁ、そうなんです。
今は恋人今カレとの自撮りをたくさん撮りたいなぁ、テラスとかで撮りたいなぁ、スマホの壁紙にして友達に自慢したいなぁ、とか思いますけど、あの頃はそれが恥ずかしくてイヤだったんです。



 恋人今カレを強調して言ってみる。


 しかし、無意味だったようだ。


 天野はあっさり言った。



天野勇二

ならば『隠し撮り』か。
あの男の部屋に行ったんだろ?
『行為』の写真を撮られたのかもしれんな。

前島悠子

なななっ!?


 前島の顔が燃えるように赤くなった。


前島悠子

ちょっと師匠!

なんでそこまで知ってるんですか!?
いつから『あじさい橋』にいたんですか!?
むしろどこから会話を盗み聞きしてたんですか!?

もうやだー!
そんな前からいたなら早く助けてくださいよ!

天野勇二

とりあえずここを離れるぞ。
野次馬が集まってきやがった。



 『あじさい橋』を歩く観光客が立ち止まり、天野たちを興味深そうに眺めている。


 若い男女が喧嘩を始め、それを仲裁する男が現れ、片方の男が逃げるように立ち去った。


 これはなかなか興味深い痴話喧嘩シチュエーションだ。


 注目するのも必然だろう。


 前島は顔を隠しながら頷いた。


前島悠子

わ、わかりました……。

天野勇二

すぐそこに車を停めてある。
行くぞ。



 前島は天野を追いかけて『あじさい橋』を立ち去った。


 駅前の駐車場に天野の愛車である『真っ赤なポルシェ』が停まっている。


 助手席に乗り込み、帽子とサングラスを外すと、前島は深くため息を吐いた。



前島悠子

はぁ……。
もう最悪……。
なんで、あんなヤツに会わなくちゃいけないんですか……。

しかも『写真』だなんて……。
本当に盗み撮りされたんでしょうか……?


 天野はエンジンをかけながら言った。


天野勇二

あまり気にするなよ。
今のお前に出来ることはないんだ。

前島悠子

そりゃまぁ……。
そうですけど……。

天野勇二

まずは川口に連絡したらどうだ?
真実かどうか定かではないが、スキャンダルになりかねない写真ネタを持った男がいる。
事務所が対応できるよう、事前に相談したほうが無難だと思うぜ。

前島悠子

川口さんにですか……。


 前島はしばし迷ったが、諦めたように言った。


前島悠子

……そうします。
恥ずかしいし情けないですけど、川口さんには伝えるべきですよね。
でも今日は『1人で箱根を回る』と言ってますので、師匠のことは伏せても構わないでしょうか?

天野勇二

それは問題ない。
俺様は川口に何を言われても気にしない。

前島悠子

助かります。
ちょっと電話しますね。



 スマホを取り出し川口に電話をかける。



 天野は愛車ポルシェを操りながら車窓に広がる風景を眺めた。


 夏を迎えようとする箱根。


 眩しいほどに緑鮮やかな山の色合い。


 美しい風景だ。


 しかし、それらの全てが頭に入って来ない。



 隣を見れば、前島がペコペコと頭を下げ、涙目で状況を説明している。



前島悠子

そうなんです……。
ほんと偶然、元カレに会ったんですよぉ……。

いえいえ、会う約束をしてたワケじゃありません。
たまたま会ったんです。
バッタリ出くわしたんです。
もう何年も連絡をとってませんでしたよ。

会いたいなんて思ってなかったですし、存在自体も忘れてたんですよぉ……。



 どうやら川口に「箱根で元カレに会うつもりだったのか?」詰問きつもんされているようだ。


 天野は深くため息を吐いた。



天野勇二

(チッ……。くだらねぇな……)



 胸の中に形容しがたい感情が浮かんでいる。


 覚えたことのない感情だ。


 それを何と呼べばいいのか、天野にはわからなかった。





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つばこ

『トラッシュトーク』は作中で何度か登場していますので、念の為補足しましょう。
 
トラッシュ・トーク(英: Trash-talk)とは、スポーツの試合前の記者会見や試合中に汚い言葉や挑発で相手選手の心理面を揺さぶる、また相手の気を逸らすような会話で混乱させ、調子を乱させる作戦のことを指す。トラッシュ・トークをする選手をトラッシュ・トーカー(Trash-talker)と呼ぶ。日本語ではビッグマウスも同様の意味で使われることが多い。【ウィキペディアより抜粋】
 
ようやく箱根のデートがはじまるぞぉー!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!ヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 54件

  • rtkyusgt

    や き も ち ♡

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  • ロングヘアー

    天野さん、それは「嫉妬」という感情です。

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  • サクラ

    嫉妬ですか?!❤

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  • まこと

    題名“今”カレになってるー!(///∇///)
    今から読むとこだけど、とりあえず叫びたかった

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  • 永年戦争←オススメ

    もしかして:嫉妬

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