※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。




前島悠子

皆さん見てください!
すごいですよ!
富士山ふじさんがすっごく綺麗です!



 その日、前島悠子まえしまゆうこ箱根はこねにある老舗しにせの温泉旅館にいた。


 カメラの前で純真無垢じゅんしんむくな笑顔を浮かべ、露天風呂から望む絶景に歓声かんせいをあげる。


 露天風呂の魅力をしっかりレポート。


 次は部屋に移って料理の紹介だ。



前島悠子

うわぁ……!
地元の食材を使った料理がこんなにいっぱい……!

しかもメインディッシュは『金目鯛きんめだい』なんですね!
……へぇこれは南伊豆みなみいず弓ヶ浜ゆみがはまでとれた地金目鯛ジキンメっていうんですかぁ。

……えぇっ!?
金目鯛きんめだいの中でも最高ランク!?
幻といわれる高級魚!?
それはすごいですね!

いただきまぁーす!



 瞳を輝かせながら地金目鯛ジキンメの刺身を頬張る。


 とろけるような笑顔を浮かべて叫んだ。



前島悠子

美味しいー!
こんなに美味しい金目鯛きんめだい、生まれて初めて食べました!
すごく脂がのってて甘いですし、香りもコクがあって味わい深いですね! 

……えっ!?
箱根でもここだけでしか食べられないんですか!?
すごーい!



 料理に舌鼓したづつみを打ち、旅館の女将おかみと会話を弾ませ、華やかに場を盛り上げている。


 これは前島悠子の冠番組かんむりばんぐみ『ゆうこの悠々ゆうゆうひとり旅』という番組の撮影だ。


 アイドル前島悠子が「一人旅をしながら地方の魅力を紹介する」といった紀行番組きこうばんぐみで、毎週日曜午前10時から放映されている。


 前島が路線バスに乗ったり、地元の中学生と触れ合ったり、時には田植えを手伝ったりと、アイドルの枠を越えた素朴そぼくで人当たりの良い姿が好評をはくしている。



 今週のロケ地は神奈川県かながわけん南西部にある箱根。


 江戸時代から栄えた日本を代表する温泉地のひとつだ。


 芦ノ湖あしのこ大涌谷おおわくだに仙石原せんごくはらなどの絶景を見ることができ、近年は外国人観光客にも人気の観光地となっている。



 前島は老舗しにせの温泉旅館を訪ね、旅館の魅力をたっぷり紹介している。


 最後には宿泊料金が書かれたフリップを持ち、



前島悠子

今月末まで悠々ゆうゆうひとり旅を観た』と言って予約していただければ、なんと1泊2食お一人様19800円!
お電話お待ちしております!
本日はありがとうございました!



 と告げて、撮影を終了させた。








川口由紀恵

悠子ちゃん。
お疲れ様。
今日も良かったわよ。


 マネージャーである川口かわぐちが前島をねぎらった。


前島悠子

お疲れ様でした!
いやぁ、本当に美味しい料理でしたねぇ。
温泉にも入りたかったなぁ。
せっかく箱根まで来たのに残念です。

川口由紀恵

ダメよ。
まだあなたの『温泉ロケ』は撮らせません。
人気絶頂なんだから出し惜しみしないとね。

前島悠子

別に私はいいんですけどねぇ。
一度やってみたいです。
バスタオル1枚だけの温泉レポなんて、めっちゃ視聴率とれそうじゃないですか。


 川口は呆れたように笑った。


川口由紀恵

悠々ゆうゆうひとり旅』は日曜の10時に流してるのよ?
そんなの私も視聴者も望んでません。

それじゃ東京に帰りましょうか。
マイクロバスで家まで送るからね。

前島悠子

あっ、そのことなんですけど……。
私、このまま箱根に残っても良いですか?


 川口は驚いて前島を見つめた。


川口由紀恵

えっ?
残るの?
一緒に帰らないの?

前島悠子

はい。
まだお昼前じゃないですか。
明日の仕事も午後からですし、ちょっと時間が空いてるんです。
なので箱根を観光してみようかなぁって。
温泉にも入りたいですし。
大丈夫ですよね?


 川口は困り顔で言った。


川口由紀恵

まぁ、それは大丈夫だけど……。
箱根はかなり人が多いのよね……。

前島悠子

平気ですよ。
外国人観光客だらけですもん。
私のことなんて知りませんよ。

川口由紀恵

日本人の観光客だって多いのよ。
あなたを見つけたら騒ぎになるじゃない。
1人で回るつもりなの?

前島悠子

はい。
1人で観光してきます。


 前島が屈託くったくのない笑顔を浮かべる。


 付き合いの長い川口は「ピーン」ときた。


川口由紀恵

……本当に?

前島悠子

本当ですよ。

川口由紀恵

まさかとは思うけど……。

念の為、訊くけど……。

誰かと『デート』するつもりじゃないわよね……?


 前島は呆れたように笑った。


前島悠子

まさかぁ。
ありないですよぉ。
私はアイドルグループを卒業しましたけど、まだ『恋愛禁止条例』を守ってるんです。
デートなんかしませんよ。

川口由紀恵

その言葉を信じていいのね?
天野あまの様とデートするつもり』
じゃないのね?

前島悠子

師匠とですか?
ますますありえませんね。
師匠は忙しい医学生です。
私なんかのために箱根まで来ませんよ。
『絶対に却下だ』とか言いますね。


 天野の口調を真似して言う。


川口由紀恵

天野様なら言いそうだけど……。
怪しいわね……。

本当に1人なのね?
変な友達と会ったりもしないわよね?
週刊誌に撮られて困ることはしないって約束できる?

前島悠子

約束します。
川口さんに隠し事はしません。


 前島は愛嬌あいきょうしたたる満面の笑みを浮かべ続けている。


川口由紀恵

怪しい……。

これは、怪しい……。

どう見ても怪しいわ……。


 川口はしばらくの間、




「本当に1人で箱根を回るのか」


「天野と会うつもりじゃないのか」


「天野と箱根デートするんじゃないのか」


「その言葉にウソはないのか」


「ウソついたら針千本飲めるのか」




 と、しつこく追及を続けたが、


川口由紀恵

……わかりました。
タレントのプライベートを詮索せんさくするのも良くないわね。
久しぶりに羽を伸ばしてらっしゃい。


 と言って、こころよく前島を送り出した。


前島悠子

ありがとうございます!
箱根でリフレッシュしてきますね!


 東京に帰る川口や撮影クルーたちを見送ると、前島は即座にスマホを取り出した。



前島悠子

ふっふっふっ……。

やりましたよ。
計画通りですよ。
ちゃんと川口さんを巻きました。
箱根湯本はこねゆもとの『あじさい橋』で待ってますので早く来てくださいね……っと。



 1人の男にメッセを送信。


 変装用のマスクとサングラスを装着し、急いで箱根の玄関口である箱根湯本はこねゆもとの駅へ向かう。


 湯本駅のそばにある早川はやかわ


 赤い欄干らんかんの橋が『あじさい橋』


 そこが『天野との初デート』の始まりを告げる場所だ。


 前島は早川の清らかな流れを眺めながら満面の笑みを浮かべた。



前島悠子

ふっふっふっふっふっ……!

ついにこの日が来ました……!

長かった……!

本当に長かった……!

師匠との『初デート』……!

ずっとこの日が来るのを待っていたんです……!






 さかのぼること数ヶ月前。


 とある『殺し屋』に命を狙われ、何人かの知り合いが命を落とした痛ましい事件。


 その事件が解決した後、前島は天野にひとつの願い事を告げた。



前島悠子

じゃあ、師匠。
お詫びとして、私と『交際』してください。
『男女のお付き合い』をしてください。



 そんな願い事だ。


 なんと天野はそれに対して、



天野勇二

ああ、いいだろう。



 と、了承の返事を寄越したのだ。


 実にあっさりしたものだったが、了承することは了承したのだ。


(詳しくは『天才クソ野郎とアルカナの支配者』を参照)




 これでめでたく2人の交際が始まり、ようやく恋の歯車は音をたてて回り出した……と思ったのは最初だけ。


 天野は『男女交際』を認めたのに、ちっとも『恋人カレシ』らしいことをしてくれない。


 デートはもちろんのこと、2人きりで会うことも許してくれない。


 恋の歯車はピクリとも動かない。



前島悠子

いいですか師匠!
デートぐらいはしてくださいよ!

東京じゃ人目が多くて却下だと言うなら『箱根』はどうですか!?
今度箱根でロケするので、その後にデートしてください!
箱根なら東京より人が少ないからいいじゃないですか!

デートをしないと交際してることにならないんですよ!
『天才クソ野郎』は約束を守る男だって聞いてますけど!?



 強く攻めこんでも天野はのらりくらりかわすだけ。


 そこで前島は仕方なく『奥の手』を使うことにした。



前島悠子

わかりましたよ。
師匠がそんなに冷たい態度ばっかりとるなら……。

師匠の大好きな妹の胡桃くるみちゃんに言いつけますからね!!!



 この一言が効いた。


 天野は妹を可愛がる『シスコン番長』だ。


 特に末妹の胡桃くるみ溺愛できあいしており、絶対に嫌われたくないと考えている。


 まさに弁慶べんけいの泣き所。


 無敵の天才クソ野郎にとって、唯一ともいえる弱点だ。


 こうして前島は「仕方ねぇな……。デートすればいいんだろすれば」という了承を引きずり出したのだ。






前島悠子

ふっふっふっ……。
師匠が到着するのは13時かぁ……。
あと30分ぐらいかな。


 前島は至福しふくの笑みを浮かべていた。


前島悠子

しかも愛車である『ポチ』で来てくれるんだぁ……。
師匠はわかってるなぁ。
箱根は車があったほうが楽しめるもんなぁ。


 前島は上機嫌でメイクを直し、今日のために用意した「勝負服」に着替えた。


 ガーリーかつフェミニンなコーデでまとめ、思い切って腕も出す。



 この時点で「いけるところまでいってしまおう」と前島は考えている。


 頭からつま先まで「勝負」できるように整えている。



 顔を隠すため、ハットをかぶり薄いサングラスを装着。


 待ち合わせ場所である『あじさい橋』の上に立ち、天野の到着を今か今かと待つ。


 そんな時だった。



???

……あれ?



 1人の男が前島を見て立ち止まった。


 同世代の若い男だ。


 こちらに気づかれただろうか。


 前島がさり気なくハットを目深まぶかにかぶると、



???

悠子だよな?
ここで何してんの?



 まずい。


 驚くほどあっさり気づかれた。


 しかも名前を『呼び捨て』にしてきた。


 なんて馴れ馴れしい男だ。


 『恋人カレシ』である天野には一度も名前で呼ばれたことがないのに。


 こんなムカつくヤツは絶対に無視シカトだ何を言われてもエンドレスで無視シカトしてやる、と前島が考えていると、



馴れ馴れしい男

そんなにビビんなって。
俺だよ。
尚樹なおきだよ。
飯塚尚樹いいづかなおきだってば。

前島悠子

……えっ?



 前島は驚いて馴れ馴れしい男の顔を見た。



飯塚尚樹

久しぶり。
元気だった?
こんなところで会うなんて奇遇だな。



 前島は唇を噛み締めた。


 長い間忘れていた男の顔。


 それでも、記憶の底からは消えることのない、男の顔。




 飯塚尚樹いいづかなおき




 記憶の底からひとつの名前が浮かび上がる。


 ずっと忘れていた名前。


 二度と思い出したくないと願っていた、忌々いまいましい名前。







 それは前島が15歳の時。


 3ヶ月だけ交際していた『元カレ』の名前だった。






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つばこ

どうも、つばこです。
今週もお読みいただきありがとうございます。
 
いやぁ……。もうすぐ終わっちゃいますね。
つばこ作品オールスターイベント……。(これを書いてるのは6/15です)
2週間限定のつばこウィークはいかがでしたでしょうか。
たくさんのつばこ作品に触れていただき、少しでも楽しんでいただけたなら光栄でございます。
 
今回は「アルカナ編」の壮大なネタバレから始まりました。
「アルカナ編」においてこの程度のネタバレは大したことじゃない(たぶん…)ので、未読の方も安心していただければと思います。(とはいえ「アルカナ編」は本編に等しいので読んでいただけると嬉しいです(*ノω・*)テヘ)
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!ヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 43件

  • まばたき

    悠子ちゃん処女じゃない説ちらほら出てきたけど
    「彼女を上手にプロデュースする方法」で天野は、悠子ちゃんのような処女である上ファンを上手に魅せる人はやはりいない、的なこと言ってなかったっけ

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  • モブB

    「アルカナの支配者」読んでくる!

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  • 佐倉真実

    も、元カレ…だと…なんか嫌な予感しかしないな…

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  • バルサ

    先週、読むのを忘れてた(^^;
    波乱な予感…続き楽しみ!(^^)

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  • ゆっきー

    元カレとな…?天才クソ野郎とバチバチやり合える相手なのか…お手並み拝見といこうか。

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