天野勇二

レイ……。
約束は明後日のはずだ。



 天野は右手を背後に伸ばした。


 レイチェルに覚られぬよう、持っていたものをポケットの中へ滑り落とす。



天野勇二

まだ再会するには早いぜ。
お前の『依頼』を果たすために動いている最中だ。

レイチェル

ユージ……。
バカを言わないで。
私をナメないでほしいわね。


 レイチェルの瞳には怒りの炎が揺らめいている。


レイチェル

あなた、私を『殺す』と宣言したでしょ?
おまけに死体の始末を外務省の諜報員エージェントに依頼した。
全て知っているのよ。

天野勇二

なに……?
なぜ、それを知っている?

レイチェル

アハハッ……。
残念だわ。
ユージはもっと頭が回ると思ったのに。

実はね、昼間テラスであなたと抱擁ハグした時……。
襟元えりもと』に『盗聴器』を仕掛けたのよ。

天野勇二

なんだと……!?


 リカルドが青ざめて叫んだ。


リカルド・ヴェレーノ

盗聴器ぃ!?
どういうことだよ!?
そんなの聞いてねぇぞ!


 天野は苦しげに息を吐いた。


天野勇二

……そういうことか。
俺を『尾行』していたのか。
全ての『会話』や『居場所』は、お前に筒抜けだったワケか……!


 殺気を視線に変えてレイチェルに飛ばす。


天野勇二

初めから『明後日の再会』なんて守るつもりがなかったな。
俺を動かし、リカルドのもとまで案内させる。
それが狙いか。

レイチェル

そういうこと。
その点は褒めてあげる。
良い働きをしてくれたわ。

天野勇二

目的はなんだ?
『大統領の娘』の暗殺計画に関わっているのか?
それとも『パレスチナ問題』のために動いているのか?


 レイチェルは頬を緩め、愛嬌あいきょうしたたる笑顔を浮かべた。


レイチェル

ダメよユージ。
あなたの考えはお見通し。

質問を重ねて時間を稼ぐつもりでしょ?
エレベーターの中で『誰か』に留守電を残していたものね。
どんな『援軍』を用意してるの?

天野勇二

………!

レイチェル

それに頼るのは諦めて。
さっきね、エレベーターを破壊して停止させたの。
援軍が到着するのは遅くなる。
つまり、時間はそれなりにあるのよ。


 それを聞き、リカルドが震える声で言った。


リカルド・ヴェレーノ

ちょっと待てよ……。
テメェはどこの人間だ?
オレは『毒物』を売ってねぇ!
ユダヤを裏切ってなんかいねぇんだよ!

レイチェル

あなたは頭の回転が遅いわね。
だから問題なの。
私はあなたの『取引相手』なんだから。

リカルド・ヴェレーノ

なにぃ!?
お、お前が……!?
オレはお前になんか会ってねぇぞ!

レイチェル

当たり前でしょ。
私も『代理人』を立てたから。
あなたと『取引』したのは『影武者』ってこと。
私が大金をはたいて『毒物』を買ったのよ。


 ひとつ息を吐き、リカルドを睨みつける。


 レイチェルは鬼の形相を浮かべた。


レイチェル

やってくれるじゃない……!
私に『偽の毒物』を掴ませてくれるなんてね……!


こっちが『毒物』の分析ができないと思ってバカにした?
この報い、死んで償ってもらうわ。

リカルド・ヴェレーノ

ひぃぃぃ!


 リカルドが恐怖の悲鳴をあげる。


 天野は鷹のようにわった眼差しでレイチェルを見た。


天野勇二

レイよ……。
殺す前に教えろ。
お前は本気で『大統領の娘』を殺すつもりなのか?
誰がそんなことを依頼したんだ?


 悔しげに言葉を吐き出す。


天野勇二

そして何より、涼太にはどんな『毒物』を打った?
俺はお前の掌の上で踊ってやったんだぞ。
事情を知らず死にたくはない。
それぐらい教えろよ。



 レイチェルは瞳を細めた。


 天野の青ざめた顔を舐めるように見回す。


 そして、妖艶ようえんなる笑みを浮かべた。



レイチェル

……いいわ。
簡単に教えてあげる。

まず『優しいオス猿リョータ』に打ったのは、リカルドが売りつけた『偽の毒物』なの。
もう理解してると思うけど、私と『毒蛇』がチームを組んでいたなんて嘘ってこと。
リョータが死ぬことはない。
騙してごめんね。


 踊るように言葉を続ける。


レイチェル

それと私は『パレスチナ』の人間じゃない。
依頼人クライアントは『イスラエル』。
つまり私は『モサドの手先』なのよ。


 天野は苦しげに息を吐いた。


天野勇二

やはりそうか……。
ふざけやがって……!

レイチェル

あら?
もしかして予想してた?
さすがユージね。
私は『司法取引』の結果、

『大統領の娘を暗殺する』

という条件で解放されたの。
私は日本語が得意でしょ?
それが役に立ったのよ。

天野勇二

なぜ『モサド』は大統領の娘を狙った?
同じユダヤだぞ。

レイチェル

だからなのよ。
イスラエルは『パレスチナを滅ぼす理由』が欲しいの。

私が『パレスチナ』に雇われた殺し屋として『アメリカ大統領の娘』を殺す。

それが『モサド』の描いたシナリオなのよ。


 ニタリと悪の笑みを浮かべる。


レイチェル

『暗殺』が成功すれば、もうパレスチナの味方はいなくなる。
アメリカも狂ったようにパレスチナへの空爆を開始する。
これが『イスラエル』が望む未来なの。

恐ろしい話でしょ?
民間人ユージ』が知らない世界の裏側といえるかもね。


 天野は大きく息を吐いた。


 何度か首を横に振る。


天野勇二

そうか……。
お前も、厄介な『依頼』を請け負ったな。
それしか道がなかったのか。

レイチェル

そうね。
失敗する訳にはいかない。

天野勇二

だが『モサド』は暗殺の失敗を覚悟してるぜ。
そうでなければ、日本政府に情報を流す必要がない。
『偽の毒物』を掴まされたことがバレたんだろ?
本当はお前、『モサド』に追われているんじゃないのか?


 レイチェルは天野の冷たい瞳を見つめた。


 苦しげに息を吐く。


レイチェル

……さすがね。
その通りよ。

依頼人モサドは私が『偽の毒物』を掴まされたことを知った。
もう『暗殺は失敗した』と考えてる。

あとは『失態を犯した殺し屋レイチェル・オースティン』を消すだけ。
『パレスチナに雇われた殺し屋』っていう偽りの情報を着せてね。


 顔を歪めながら言葉を続ける。


レイチェル

私はもう崖っぷちまで追い込まれてる。
リカルドから『毒物』を奪い、何としても『アメリカ大統領の娘』を殺す……。
それしか生き残る道はないのよ……!


 レイチェルの顔には死相が浮かんでいる。


 天野は小さく呟いた。


天野勇二

……わかった。
もう十分だ。
友人の命が助かるならそれでいい。

リカルドよ。
レイに『毒物』を渡してやれ。


 リカルドが驚いて天野を見た。


リカルド・ヴェレーノ

い、いや……。
今のオレは『毒物』なんか持ってねぇぞ……?

天野勇二

ならばレシピを書け。
そこに万年筆とメモがある。


 顎でベッドサイドテーブルを示す。


天野勇二

レイが望む『毒物』のレシピを書くんだ。
素人のレイでも簡単に精製できるもの。
それがベストだろう。


 レイチェルは満足気に頷いた。


レイチェル

いいわね。
急いで書いて。
援軍が来る前に逃げたいから。

リカルド・ヴェレーノ

あ、ああ……。


 リカルドはゆっくりテーブルに近づいた。


 置かれていた万年筆ペンを手に取る。


 何度か首を振り、呆れたように呟いた。



リカルド・ヴェレーノ

バンビーノ……。
お前、すげぇな。
ここまでとは思わなかったぜ……。



 そして、万年筆のペン先をレイチェルに向けた。



レイチェル

……ん?
どうして、それを私に向けるの?



 レイチェルがいぶかしげに呟く。


 その時、室内にカチャリと乾いた音が鳴った。





 それは、一瞬の隙だった。



 レイチェルがリカルドの動作に注目した、ほんの一瞬。



 その一瞬を、天野は狙っていた。











レイチェル

なっ……!?
ど、どうして……!?



 天野が『拳銃』を握り、不敵な笑みを浮かべている。


 レイチェルの意識がれたほんの一瞬。


 懐から拳銃を取り出し、素早く突きつけたのだ。



リカルド・ヴェレーノ

おっと。
拳銃ガン脅威きょういだが、それ以上にオレの万年筆ペンも恐ろしいぜ。


 リカルドがニヒルな笑みを浮かべる。


リカルド・ヴェレーノ

これはただのペンじゃねぇ。
『毒針』を射出する暗殺兵器ニードルガンだ。

猛毒神経剤ノビチョク』を加工した毒物を仕込んである。
刺されたら最後。
絶対に助かることはないぜ。

レイチェル

なんですって……!?
なぜ、ユージがそのことを……!?


 天野はニタリと口唇を歪めた。


天野勇二

そりゃ気づくさ。
テーブルの上に先程はなかった『万年筆』が置かれている。
ホテルの備品じゃない。
リカルドの『切り札ニードルガン』だろうと察したよ。

リカルド・ヴェレーノ

ハハッ……。
とんでもねぇ男だ。
だが、おかげで助かったぜ。


 レイチェルは拳銃を構え直し、ヒステリックな叫び声をあげた。


レイチェル

ど、どうしてユージが拳銃を持ってるの!?
あなた『丸腰』じゃなかったの!?


 天野は「クックックッ……」と悪い笑みを浮かべた。


 レイチェルの怯えた顔を覗き込む。


天野勇二

哀れな小娘バンビーナよ。
お前は狡猾こうかつで、計算高く、男の扱いに自信を持った女だ。
俺はお前のそんなところを高く評価している。
『信用』している。
そう言っても過言じゃない。


 吐き捨てるように言葉を続ける。


天野勇二

だからこそ、お前が『リカルドを探せ』という『依頼』を丸投げし、48時間も猶予ゆうよを与えて放流させるなんて、絶対にありえないと踏んでいたよ。

俺様はそんなお前の『狡賢さ』を信じた。
だから『盗聴器』を見破った。
そして、逆に利用してやったんだ。


 感心したようにリカルドを見る。


天野勇二

黒崎は気づかなかったが、リカルドは俺様の『仕草』を見ただけで『盗聴器』に気づいた。

あの時のお前は困惑していたなぁ。
なぜか外務省の工作員エージェントが『盗聴器』の存在をほのめかしてきたのだからな。


 偉そうにレイチェルを見下す。


天野勇二

つまり、俺たちはずっと芝居テアートロを演じていたんだ。
どこかでお前を誘き寄せるために。
お前はまた『天才クソ野郎』にハメられたのさ。

レイチェル

な、なんですってぇ……!


 天野は片手をポケットに入れ、スマホを取り出した。


天野勇二

黒崎よ。
会話は聞いているな?
どこにいる?

黒崎

もう非常階段を上がっている。
影武者ベニートも確保済みだ。
レイチェルにはうちの部隊がホテルを包囲している、と伝えてくれ。

天野勇二

了解だ。
レイよ。
そういうことだ。


 レイチェルは呆然とスマホを見つめた。


レイチェル

電話を、つなげていたの……?
部屋に入る前から……?

天野勇二

そうだ。
なぜリカルドが急に協力的になったのか、不思議に思わなかったのか?
通話中のスマホを見せたからだよ。
それだけでリカルドは『芝居』に気づいたのさ。

レイチェル

それなら……。
あの『留守電』は……?

天野勇二

あれもブラフだ。
援軍なんか存在しない。
そのために黒崎から拳銃を借りた。

レイチェル

黒崎や、リョータや、リカルドとの会話も、私を騙すために……?

天野勇二

当然だ。
悪くない演技だったろう?

レイチェル

ありえない……!

なんなのよ……!

あなた、本当になんなのよ……!



 獣のような声で叫ぶ。



レイチェル

私は、この程度じゃ諦めない……!

どうせ捕まっても、モサドに消されるだけ……!

それなら、刺し違えてでも、あなたたちを殺してやる……!!!



 レイチェルから殺気が放たれた。


 室内に緊張が走る。


 リカルドはレイチェルの震える両手を見つめ、同情の呟きを吐いた。



リカルド・ヴェレーノ

もう諦めろよ。
そんな状態じゃオレたちを即死させるのは無理だ。
返り討ちにあうだけだぜ。



 レイチェルの顔に迷いが浮かぶ。


 天野も追撃するように言った。



天野勇二

リカルドの言う通りだ。
日本政府を通じてアメリカに救援SOSを出すんだな。
『モサド』に操られたことを証言するんだ。
お前が助かる未来はそれしかない。

レイチェル

………ッ!



 苦悩するレイチェルを追い立てるように、廊下からいくつかの足音が響いた。


 黒崎を先頭にして、外務省の男たちがなだれ込む。


 レイチェルの顔が絶望に染まった。



黒崎

レイチェル・オースティン。
銃を捨てろ。



 黒崎が拳銃を構え、ゆっくりレイチェルに迫る。



黒崎

この国は『民間人』を殺した犯罪者を絶対に許さない。
それが『大統領の娘』だろうと、医学を志す学生であろうと、同じことだ。



 鋭い目つきで告げる。


 レイチェルはまだ拳銃を握っている。


 黒崎はもう一度告げた。



黒崎

ここで発砲すれば、日本政府はお前を『大統領の娘』を狙った『主犯』として突き出す。

だが、大人しく投降すれば、『モサド』に操られた『被害者』として話をつけてやる。

どうだ?
悪い話ではあるまい。



 レイチェルはすがるように黒崎を見た。



レイチェル

そ、そんなの……!
信用できない……!

黒崎

約束する。
よく考えろ。

『大統領の娘』を狙った暗殺者。
『モサド』に踊らされた被害者。

立場は大きく異なるぞ。



 レイチェルは口唇を噛みしめた。


 追われた草食動物のような瞳で室内を見る。


 交差する拳銃の射線。


 息詰まるような沈黙。


 それは、レイチェルが銃を下ろしたことにより、ゆっくり四散しさんした。



レイチェル

わかった……。

お願い……。

『被害者』として、話をつけて……。



 拳銃が床に落ちる。


 黒崎たちがレイチェルを取り押さえるのを見て、リカルドが安堵の息を吐いた。



リカルド・ヴェレーノ

ふぅ……。
ビビったぜ……。
オレはマジで、痛ぇのが嫌いなんだよ……。



 天野も安堵の息を吐いた。


 黒崎たちの姿を眺め、偉そうに呟く。



天野勇二

クックックッ……。
さすがに寿命が縮んだな。

だが、日本のスパイもやるじゃないか。
しばらく外交問題は安心できそうだ。





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つばこ

モサド「大統領の娘を殺すやで~」
レイチェル「毒物が偽物だったンゴ…」
モサド「ファッ!? それじゃ暗殺できんやん! 失敗や! ほなら全部が『パレスチナの計画』ってことで日本政府に密告するで! レイチェルには責任とって死んでもらうやで~」
レイチェル「こうなったら天野を使うしかないンゴ…(´;ω;`)」
 
という裏があったワケですね( ゚д゚)
汚い。モサド汚い。
(念の為補足しますがフィクションです)
 
そんな感じで『毒殺編』も次回の後日談にてラストです!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!彡(^)(^)

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コメント 56件

  • Demurrer

    「ここまでとは」で??井さんの顔が頭の中に流れてきたよ

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  • もなか

    リカルドがいちいち可愛くて推せる

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  • rtkyusgt

    えらい襟元の伏線張りまくってるなと思ってたけどこういうことね!

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  • まお

    モサドはなんj民だった…?

    通報

  • しはりよりまる

    本当だ読み返すとめちゃくちゃ納得する……
    天野くんが「襟元を確認しながら」とかさりげなくぶっ込まれてるし……

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