天野勇二

お前……。
『長谷部大和』のことを知っていたな。
全てを知った上で、桃太郎を俺様に預けたな。



伊藤文也

……っ!



 伊藤は驚いて天野の顔を見た。


 鋭い目つきだ。


 殺気などを放っている訳ではない。


 ただ冷静に伊藤を見つめている。


 どんな隠し事も全て見透かしてしまうような、冷たく、鋭利えいりな刃物のような目つきだ。



伊藤文也

……な、なにを仰っているのか、よくわかりません……。



 伊藤は逃げるように顔を背けた。


 無機質な病室の壁を見つめる。



伊藤文也

わ、私はただ、桃太郎の世話を、坊っちゃまにお願いしただけで……。

天野勇二

とぼけるなよ。
お前の『安い演技』など見たくもない。


 顔を歪めながら吐き捨てる。


天野勇二

俺は長谷部大和に接触し、大体の事情を知ったよ。
育児放棄ネグレクト』の現場にも踏み込んだ。
お前がくわだてた通りにな。


 伊藤はまだ顔を背けている。


 天野は伊藤の横顔に語りかけた。


天野勇二

いつまでも俺を騙せないと、理解してはいたのだろう?
担当医から聞き出したよ。

お前の主張する『心臓の動悸どうき』は確認できなかった。
年の割には健康そのもの。
どこかの飼い犬と同じさ。

だが、お前が「どうしても」とせがむので、今回は仕方なく検査入院させることにした……。


 疲れたように言葉を続ける。


天野勇二

つまり、お前の言葉とはまるで『逆』なんだ。
お前は病気のために入院したのではない。
『俺様に桃太郎を預けること』が目的だったのだろう?


 伊藤は苦しげに俯いた。


 横顔には怯え、そして謝罪の感情が浮かんでいる。


天野勇二

俺が桃太郎を預かれば、大和と接触する可能性が高まる。
桃太郎に『夕暮れ前になったら大和のアパートへ行け』と仕込んでおけば、尚更のことさ。

大和に接触すれば『育児放棄ネグレクト』の現場を目撃する。
俺様の性格なら見過ごすことはない。
そう考えたのだろう?


 伊藤は肩を落とした。


 観念するかのように口を開く。


伊藤文也

……はい。
申し訳ございません。
私は、坊っちゃまを騙すようなことをいたしました……。


 深々と頭を下げる。


伊藤文也

どうすれば良いのか、私にはわからなかったのです。
普通にお願いすれば、断られてしまうと思いまして……。

天野勇二

当然だな。
俺様は他人の家庭事情に口を出す趣味はない。
ましてや『育児放棄ネグレクト』だ。
他人が干渉したところで解決する問題じゃない。

伊藤文也

仰る通りでございます。
何度か児相じそうにも相談したのですが……。

天野勇二

思うように動かなかった。
そういうことか。

伊藤文也

はい……。



 天野は小さく息を吐いた。


 伊藤の肩は罪悪感で震えている。


 まるで刑の執行しっこうを待つ罪人のような姿。


 恩義ある伊藤のそんな姿を見るのが、天野は辛かった。



天野勇二

いつ、大和と出会った?
なぜあんなガキと知り合った。

伊藤文也

1年ほど前になります……。
大和くんはその頃、あのアパートに越してきまして……。


 伊藤は苦しげに言った。


伊藤文也

桃太郎の散歩中に、彼を見つけたのです。
河川敷にある公園でした。
彼は1人でベンチに座り、寂しげに夕陽を眺めておりました。
なぜか、桃太郎はボールを咥えて彼に近づき、「遊んでほしい」とせがんだのです。


 じっと天野を見上げる。


伊藤文也

あれは驚きました。
人懐っこい犬でしたが、あそこまで他人に興味を示す姿を見たのは初めてだったのです。
しかし、その理由はすぐに理解できました……。


 伊藤は小さな笑みを浮かべた。


伊藤文也

坊っちゃまも、お気づきになりませんでしたか……?
大和くんは『幼き日の坊っちゃま』に似ていたのです。

もしかしたら桃太郎は、坊っちゃまの面影を大和くんに見つけたのではないか……。
そう思いました。


 天野は苦笑した。


天野勇二

それは心外だな。
俺様はあそこまで汚いガキじゃなかった。
もっとマトモだったと記憶しているよ。

伊藤文也

ええ……。
そうでございますね。
ですが、桃太郎は大和くんによく懐きました。
そこで私も彼に話しかけたのです。

天野勇二

それで『育児放棄ネグレクト』のことを知ったのか?


 伊藤は深く頷いた。


伊藤文也

はい……。
母親も最初はよく帰っていたのですが、家を空けることが多くなりまして……。

何度も大和くんを自宅へ招き、食事を振る舞ったり、お風呂を貸したりしました。
滞納した電気代を立て替えたこともあったのです。

ところが、それが良くありませんでした……。


 悔やむように言葉を続ける。


伊藤文也

何度も母親に注意したのですが、まったく聞き入れてもらえず……。
むしろ私のことを『ストーカー』のようにつきまとい、子供をさらおうとする『誘拐犯』だと訴えたのです。
それで私もやむを得ず、児相じそうに相談いたしました。

天野勇二

それは最近のことだな?

伊藤文也

ええ……。
このまま冬を迎えたら、大和くんがどうなるか心配でした。
しかし、私にはもう、どうすることもできない……。

天野勇二

だから俺様に『桃太郎を預ける』という作戦を実行したのか……。


 天野は「ふぅ…」と息を吐いた。


 ベッドに座ったままの伊藤の肩に手を置く。


天野勇二

色々と言いたいことはあるが……。
まずは良かった。
お前はまだ生きてくれる。
それが何よりも嬉しいよ。


 伊藤は瞳を震わせながら天野を見上げた。


天野勇二

俺様はお前のことを、本当の『親戚』の1人だと思っている。
ある意味、両親以上の恩義を感じている。
お前もきっと同じだろう。

だからこそ、今回のことで責めるつもりはない。
俺様をハメたことなんか気にするな。


 気障キザったらしい笑みを浮かべる。


天野勇二

確かに悪くない『やり方』だ。
俺様は望むままに物事を塗り替えてみせる。

法を犯しても構わない。
『毒親』の始末なんて簡単。
『消す』ことだって容易いね。

お前もそれを望んでいるのだろう?
孫のように可愛がった俺様に『人を殺めてほしい』と願ったのだからな。


 伊藤は慌てて口を開いた。


伊藤文也

そ、そこまでは願っておりません……!
坊っちゃまに、人を殺してほしいなんて……!

天野勇二

だから安い演技をやめろよ。
お前が仕組んだのは『そうなる可能性もある未来』だ。

それぐらい理解していたよな?
だから桃太郎を預ける時、何度も頭を下げていた。
想定していなかったとは言わせないぜ。


 伊藤はぐったりと肩を落とした。


 やはり全てを見透かされている。


 天野は呆れたように言った。


天野勇二

まぁ、お前を虐めるのはこれぐらいにしてやろう。
俺様も『殺し』なんて御免だ。
かといって、もうこの件から降りるつもりはない。


 ニタリと悪い笑みを浮かべる。


天野勇二

まずは教えてもらおう。
『毒親』のことを吐け。
どうせ所在も掴んでいるのだろう?
知っている情報の全てを話せ。


 伊藤は苦しげに天野を見上げた。


 そして、静かに頷いた。





 伊藤から情報を聞き出すと、天野は大和のもとへ向かった。


 もうすぐ夕暮れ時。


 今日は涼太が大和の面倒を見ているはずだ。



佐伯涼太

……あっ、勇二だ!
こっちこっち!



 涼太は河川敷で大和と遊んでいた。


 2人でサッカーボールを蹴っている。


 天野は大和の楽しそうな顔を見て微笑んだが、そのそばに立つ1人の女性を見て、すぐに表情を険しくさせた。



天野勇二

おい涼太……。
どういうことだ。
なぜ、ここに胡桃くるみがいる。



 末妹の胡桃が桃太郎のリードを持ち、大和と談笑している。


佐伯涼太

いやぁ、胡桃ちゃんが「私も大和くんに会ってみたい!」って言うからさぁ。
なんでも『弟』ができたみたいで面白いんだって。

天野勇二

ほう……。
お前は胡桃の連絡先を知っていたのか……。

佐伯涼太

大和くんを『年上のお姉さま』と絡ませるのもアリかな、と思って。
友達が多いのは良いことじゃん?


 天野はギロリと涼太を睨みつけた。


天野勇二

涼太よ。
お前のことは信頼している。
だが、女癖の悪さを知っているからな。
釘は刺しておくぞ。
昔から何度も言っているが……。

胡桃に手を出したら、殺す。

佐伯涼太

あはは。
まだそんなこと言ってるの?
高校生ぐらいからずっと言ってるね。
もう聞き飽きたよ。
僕は中学生に手を出すようなロリコンじゃないってば。

天野勇二

それは理解している。
だが、もう一度言うぞ。

胡桃に手を出したら、殺すからな。

佐伯涼太

うわぁ。
目がマジだねぇ。
はいはいわかりましたよ。
勇二は胡桃ちゃんのことになると怖いんだよね。


 涼太がヘラヘラとおどける。


 そこに胡桃が大和を連れてやって来た。


天野胡桃

ちい兄ちゃん!
見て見て!
大和くんが10回もリフティングできるようになったんだよ!

天野勇二

ほう、やるじゃないか。
大和よ、見せてくれないか。

長谷部大和

うん……。


 大和は恥ずかしそうにボールを蹴り上げた。


 その場でリフティングを始める。


 残念ながら5回で失敗してしまったが、天野は拍手して褒め称えた。


天野勇二

見事だ。
スジがいいな。
それだけ出来れば立派だよ。

佐伯涼太

だよねぇ。
昔の僕よりずっと上手だ。
大和くんは運動神経が良いね。

長谷部大和

そ、そうかな……。


 大和は照れくさそうに頬を赤らめた。


 出会った時は感情の起伏きふくに乏しい少年で、天野たちに心を開こうともしなかったが、今は年相応の表情を浮かべている。


 天野たちは毎日大和に会い、桃太郎を散歩させながら遊び、交友関係を築き上げているのだ。



天野勇二

空が暗くなってきたな。
家に帰ろうか。



 天野は大和をアパートまで送り届けることにした。


 胡桃と手をつないで歩く大和の背中を眺めながら、小声で涼太に話しかける。


天野勇二

涼太よ。
大和の母親の職場を突き止めた。
池袋いけぶくろだ。
どうやら水商売スナックで働いているらしい。


 涼太が「マジで?」と呟く。


佐伯涼太

どこでそんな情報を手に入れたの?
手がかりなくて詰んでたのに。

天野勇二

伊藤から聞き出したんだ。
やはりアイツは大和の事情を知っていた。
母親に会ったこともあるそうだ。


 カンの良い涼太はそれだけで大体の事情を察した。


佐伯涼太

そういうことか……。
伊藤さんが児相じそうに通報したんだね。
勇二に桃太郎を預けたのは、間接的な『SOS』だったのかな?

天野勇二

その通りだ。
母親は俺たちの想像通り、かなり厄介な女らしい。

伊藤の進言は全て無視。
児相じそうの注意も聞きやしない。
むしろ逆に警察へ通報し、伊藤のことを『ストーカー』や『誘拐犯』だと訴えたらしい。


 涼太はげんなりと顔を歪めた。


佐伯涼太

うわぁ……。
タチ悪いなぁ……。
伊藤さんは警察に『育児放棄ネグレクト』のことを伝えたのかな?

天野勇二

もちろん伝えたさ。
だが、聞き入られなかった。
それも無理はない。
『実の母親による訴え』と『ストーカーの戯言ざれごと』。
警察が信じるとなれば前者だ。

佐伯涼太

育児放棄ネグレクト』が『明らかな事件』に発展するまで、警察は動いてくれないんだね……。

天野勇二

しかも母親は短いスパンで転居を繰り返している。
伊藤や児相じそうが騒げば、大和を連れてどこかに消えてしまう可能性が高い。


 涼太はため息を吐いた。


佐伯涼太

こりゃ困ったね……。
次はどうする?
母親の素行調査そこうちょうさでもしてみる?

天野勇二

そうしてくれ。
水商売の連中は口が軽い。
必要であれば金を積み、情報を集めろ。

佐伯涼太

オッケー。
まかせてよ。
それは僕の得意分野だ。


 天野はニヤリと悪い笑みを浮かべた。


天野勇二

お前の調査には期待してるぜ。

母親の行動パターン。
現在の住居。
大和に会う頻度ひんど

それらの情報は『育児放棄ネグレクト』の証拠になる。
しかも俺様は『大和を病院に担ぎ込んだ』という事実を握っているからな。
必要であればカルテも『脚色』してやるぜ。

佐伯涼太

うぷぷ……。
勇二ってばワルだねぇ。
でもそういうの、僕ちゃん嫌いじゃないよ。


 涼太もニタニタと悪い笑みを浮かべたが、胡桃と手をつなぐ大和の背中を見つめ、どこか切なげに呟いた。


佐伯涼太

だけど……。
それは『大和くんから母親を引き離す』ための調査ってことだよね。

天野勇二

ああ、そうだな。

佐伯涼太

それはそれで辛いね。
あの子さ、一度も母親の悪口を言わないんだよ。

まだ母親のことを信じてる。
口には出さないけど、会いたくてたまらないんだ。

きっと自分が置かれてる状況は理解してる。
でもそれが『虐待』だとは、なかなか理解できないみたいでさ。


 天野も静かに頷いた。


天野勇二

だろうな。
自分は他の子供と違う。
だから俺たちや伊藤が構ってくれる。
だが、その理由が理解できる年齢ではない。

佐伯涼太

大丈夫かなぁ。
きっと傷つくよね。

もっと大人になった時……。
自分が『虐待』されていたことを客観視した時……。
その時、大和くんは本当の試練を迎えることになるんだ。

でも僕たちは、その時まで、大和くんの傍にいられない……。


 天野はじっと大和の背中を見つめた。


 今は胡桃と楽しそうに何かの歌を口ずさんでいる。


 かたわらには桃太郎の姿。



桃太郎

………



 桃太郎はそっと振り返り、天野の顔を見上げた。


 左右に軽く尻尾を振る。


 その姿が、天野にはどこか頼もしげに見えていた。






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つばこ

天野くんはそこまで伊藤さんのことを責めてはいませんが、かなり辛辣なことを言ってますね。
たぶんショックだったんだろうなぁ……。
できれば謀るようなことせず、素直に相談してくれることを望んでいたのでしょう。
 
あと薄々感じていましたが、やはり、天野くんは涼太くんが胡桃ちゃんを口説くのではないか、心配しているんですね。
殺してしまうんですね。
これも本気なんでしょうね。
シスコン番長かつクソ野郎のお義兄さんとかイヤだなぁ……(´・ω・`)
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(´vωv`*)

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コメント 33件

  • 焼きましゅまろ

    師匠はシスコンっていうより胡桃ちゃんが好きなんかな?それにしても師匠の拗ねが可愛いwwwなんやあれw

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  • 佐倉真実

    とりあえず、伊藤さんが健康体でよかった(● ´ ω`●)

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  • れーば

    ネグレクトなんて大人になってから気がつくような問題だよね。
    子どもの時はそれが「普通」だと思っちゃうからね。

    何をもってして普通と言えるかは僕もわかりませんが

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  • バルサ

    伊藤さん、何ともなくて良かった(^^)
    これから どうなるかな?続き気になる‼︎

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  • ニル

    ただ単にクソなときもあるのにこういうときカッコいいな

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