『桃太郎のトモダチ』こと、長谷部大和はせべやまとと自己紹介を交わした翌日。


 天野は相棒の涼太りょうたを連れて、大和が住むアパートを訪れていた。



天野勇二

……大和はいないか。
ちゃんと学校に行っているといいのだが。



 まだ午前中。


 部屋に人の気配は感じられない。


 まだ小学校は休みに入っていない。


 常識的に考えれば学校へ行っているのだろう。



佐伯涼太

これは酷いね。
マジで電気が止まってるよ。



 涼太が呆れたように言った。


 郵便ポストをこじ開け、大量の督促状とくそくじょうを引っ張り出している。


佐伯涼太

しかもそれだけじゃないんだ。
ガスも水道も止まってる。
キツイなぁ。
トイレはどうしてるんだろ?

天野勇二

便器は酷い有様だったよ。
あれじゃいつか病気になる。
できるだけ外で済ませるようにしてるんだとよ。


 嫌そうに吐き捨てる。


天野勇二

部屋には暖房器具なんか存在しない。
布団はペラペラの安物。
食料もない。
真冬だというのにそんな状態で安アパートの部屋に置き去りだ。
俺様が見つけなかったら死んでいたかもしれん。


 涼太はげんなりと顔を歪めた。


佐伯涼太

ありえないねぇ。
ガチの『虐待』だ。
誰が見ても育児放棄ネグレクトじゃん。
母親から連絡はあった?

天野勇二

まだないな。
母親は1週間ほど帰ってないんだ。
いつ帰るのか読めない。
それでお前に来てもらったのさ。


 涼太は納得したように頷いた。


佐伯涼太

なるほどね。
まかせてよ。
僕がこのアパートを『張り込み』すればいいのね。

天野勇二

同時に『聞き込み』を手伝ってほしい。
児相じそうは大和の状況を把握していた。
つまり『誰かが通報した』ということだ。

佐伯涼太

児相じそうはどこまで動いてるのかな?
ここまでの『育児放棄ネグレクト』は生命に関わるよ。
すぐに大和くんを母親から引き離して、児童養護施設で保護しても不思議じゃない。

天野勇二

そうだろうな。
だが俺様が見る限り、そこまでの強硬手段には出ていない。
何か理由があるはずだ。


 涼太は肩を軽く回した。


佐伯涼太

それを探るための『聞き込み調査』ってワケだね。

天野勇二

同時に母親の所在を探りたい。
誰かが母親の連絡先を知っているかもしれん。

佐伯涼太

オッケー。
それも聞いてみる。
僕ちゃんの『コミュ力』に期待しちゃってよ。



 天野と涼太は手分けして聞き込み調査を開始した。


 近隣住民に大和の状況を話し、虐待を見たことがないか、もしくは母親の連絡先を知らないか尋ねる。


 2人は虐待の情報が集まらないか期待していたが、それは徒労とろうに終わった。



佐伯涼太

まいったね……。
完全に空振った。
勇二はどうだった?


 天野は悔しげに首を振った。


天野勇二

こちらもダメだ。
近所の連中は『育児放棄ネグレクト』の存在なんか認識していない。
良くて『小汚い少年が犬を連れているのを見た』という程度だ。


 涼太は深くため息を吐いた。


佐伯涼太

わかってはいたけど、世知辛せちがらい世の中だよねぇ……。
すぐ近くに虐待で死にかけた男の子がいるのに、誰も存在を認識してないんだ……。

天野勇二

アパートの隣人すら大和の『虐待』を知らなかった。
確かに『育児放棄ネグレクト』は表面化しがたい問題だからな……。

佐伯涼太

そもそも、大和くんたちがここに住み始めたのは、比較的最近のことみたいね。


 天野は軽く頷いた。


天野勇二

そのようだな。
1年ほど前から大和の姿が目撃されている。
もしかすると、大和の母親は『育児放棄ネグレクト』が表面化する前に、転居を繰り返しているのかもしれん。

佐伯涼太

ダメ元で小学校と不動産屋に行ってみる?
興信所の素行調査とか言ってみようか?



 涼太の提案に乗り、天野は小学校と不動産屋へ向かった。


 残念ながら結果は惨敗ざんぱい


 不動産屋は『育児放棄ネグレクト』を認識しておらず、小学校の教師は天野たちに大和の事情を語ろうとしなかった。



 いくら天野が『天才クソ野郎』でも、世間が見れば第三者の無関係な若者。


 例え『育児放棄ネグレクト』を認知していても相談する相手ではない。


 2人は肩を落としながら小学校を後にした。



佐伯涼太

やっぱりダメかぁ……。
僕たちは無力だね。
どうも担任の先生は、大和くんの『虐待』に気づいてるみたいだったけど……。

天野勇二

あの顔は知っていたな。
まぁ、風呂にも入らず、汚い服を着ているガキだ。
家庭に問題があることは知っているのだろう。

佐伯涼太

もしかしたら、先生が児相じそうに通報したのかもね。

天野勇二

そうであることを願うよ。
せめてもの救いは、大和がちゃんと小学校に通っている……という点だけだな。

佐伯涼太

こうなると、あとはアパートを張り込むしかないね。
母親が帰るのを待つしかない。

だけど……。

だけどさぁ……。


 涼太は気落ちしたように呟いた。



佐伯涼太

仮に母親と接触したとして……。
それで僕たちに、何ができるのかなぁ……?



 天野は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。


 涼太はすがるように言った。



佐伯涼太

これがタチの悪いストーカーなら、お得意の『暴力』でお仕置きできるじゃん。
脅したり、説教したり、処刑したり、なんならマインドコントロールしてもいいよね。
僕たちなら解決するのは難しくない。

でもさ、虐待してる『毒親』を改心させるなんて、いくらなんでもムズゲーすぎるよ。


 呆れたように言葉を続ける。


佐伯涼太

だって電気ガス水道の全てを滞納して、食料や毛布を与えず放置でしょ?
マトモじゃない。
人間のすることじゃないよ。
人の心なんかあると思えない。


 天野は深く頷いた。


天野勇二

同感だな。
この手の問題は単純じゃない。
そもそも児相じそうは事態を把握し、ある程度は動き始めている。
つまり『打つ手は全て打たれている』んだ。

佐伯涼太

僕らができるのは児相じそうに通報し続けること』だけ……ってことだよね。
大和くんを引き取ることもできないし。

天野勇二

ああ、所詮は無関係な家庭の事情だよ。
直接助けてやることはできない。

佐伯涼太

仮に大和くんを母親から引き離して、児童養護施設で保護してもらったとしても、大和くんの人生がハッピーになる保障はない。
僕たちも大人になるまでの面倒は見れない。
一番ベストなのは、大和くんの母親が改心して、立派なお母さんになることなんだけど……。


 2人は互いの顔を見つめ、深くため息を吐いた。


天野勇二

想像できないな。
ここまでの『毒親』が変わるとは思えない。

確かに人間は変わりながら生きていく生物だ。
だが、同時に人間は『変われない生物』でもある。

この件は元から俺たちが口を出す範疇はんちゅうを越えている。
母親をののしっても、殴り飛ばしても、何ひとつ解決しないんだ。


 天野は「ギリリ…」と歯ぎしりした。


 口唇を歪め、吐き捨てるように呟く。



天野勇二

だがな……。

俺様は気に入らない……。

気に入らないんだよ。

大和を取り巻く環境の全てがな。



 強い口調で涼太へ告げる。


天野勇二

何がベストな選択肢なのか。
どんな選択が大和の未来をいろどるのか。
俺にはわからない。
俺が判断することでもない。
だが、そんなもの知ったことか。

アパートを張り込むぞ。
大和の母親が家に帰るのを待つんだ。


 涼太は苦笑しながら拳を握った。


佐伯涼太

いいじゃん。
それでいこうよ。
早くお母さんに会ってみたいね。

天野勇二

まったくだ。
何発か殴らないと気が済まない。

佐伯涼太

おっかないねぇ。
でもダメだよ。
ののしっても殴り飛ばしても、何ひとつ解決しないんだからさ。

天野勇二

わかってるよ。
それはさっき、俺様が言ったセリフだからな。


 天野は舌打ちしながらアパートを睨みつけた。







 それからしばらくの間。


 天野と涼太は大和が住むアパートを張り込み続けた。


 交代しながらの24時間体制だ。



 しかし、2人は現役の大学生。


 しかも天野は忙しい医学生。


 どうしても必須の実習やゼミには出席しなければならない。


 必然的に『張り込めない時間帯』というものが生まれてしまう。


 大和の母親はその『時間帯』に、アパートへ帰っていた。



天野勇二

クソッ……。
やられた。
昼間に戻っていたのか……。



 1週間後の夕方。


 天野は大和の家の中で、母親が残した痕跡こんせきを睨みつけていた。


 部屋の中央に数個の菓子パン。


 そして母親が置いた『手紙』があったのだ。



天野勇二

おい大和。
お前はママに会ったのか?

長谷部大和

ううん……。


 大和はふるふると首を横に振った。


長谷部大和

会ってない。
おうちに帰ったら、手紙が置いてあった。

天野勇二

チッ……。
イカれてやがるぜ。
なんてクソ親だ。

お前も残念だったな。
ママに会いたかっただろう。


 大和はどこか困ったように呟いた。


長谷部大和

うん……。
でもしょうがないんだ。
ママは忙しいんだよ。
だいじなお仕事をしてるから……。


 母親が残した『手紙』を握りしめる。


 頬を染めながら言った。


長谷部大和

それに見てよ。

『会えなくて寂しい』って。
『いつも僕のことが好き』だって書いてある……。

ママはがんばってるんだ。
だから、あんまり……。
ママの悪口を言わないで……。



 確かに手紙には大和を気遣きづかう言葉が並んでいる。


 天野にしてみれば、吐き気をもよおすような単語の羅列。


 しかし大和にとっては違う。


 天野は大和の顔を見つめ、深く息を吐いた。



天野勇二

お前は偉いな。
ママの悪口は言わないよ。
だけど、もしママと会うことがあれば、俺に教えてくれるか?

長谷部大和

うん……。

天野勇二

良い子だ。
それじゃ、桃太郎の散歩に行こう。

長谷部大和

うん!

桃太郎

ワフッ!



 大和は桃太郎のリードを握り、嬉しそうに外へ飛び出した。


 日課の散歩道を歩きながら尋ねる。



長谷部大和

ねぇ……。
どうして勇二さんたちは、僕に優しくしてくれるの?

天野勇二

優しく?
どうしたんだ急に。

長谷部大和

だって、毎日、来てくれるし……。
桃太郎とも、毎日、会わせてくれるし……。
勇二さんも、涼太さんも、僕と遊んでくれるし……。


 天野と涼太は『張り込み』しつつ、大和の遊び相手を務めている。


 友達のいない大和の孤独を埋めつつ、お風呂に入れたり、夕食を振る舞ったりしているのだ。


長谷部大和

勇二さんたちは、ママのお友達なの?

天野勇二

いや、ママには会ったこともない。

長谷部大和

それじゃ、悪い人なの?


 つぶらな瞳で天野を見上げる。


長谷部大和

ママが言ってた。
大人はみんな嘘つきだって。
優しい顔で近づくけど、みんな嘘つきで、イジワルで、僕とママをイジメるんだって。
絶対に仲良くしちゃいけないって……。


 天野は苦笑しながら言った。


天野勇二

それでも、俺とは仲良くしてくれるんだな。


 大和は恥ずかしげに俯いた。


長谷部大和

べ、別に、仲良くしてないもん……。

でも、勇二さんはね……。
なんか違うんだ……。

まるで、伊藤のおじいちゃんみたいで……。


 大和は何かに気づいたように顔を上げた。


 すがるように天野を見上げる。


長谷部大和

もしかして……。
勇二さんは、僕のお兄ちゃんなの?
僕ずっと、お兄ちゃんが欲しかったんだ。


 天野は優しげに大和を見つめた。


 静かに首を横に振る。


天野勇二

残念ながら、俺はお前の兄ではない。

長谷部大和

そ、そっか……。

天野勇二

だが、友達だ。
ママには秘密の、特別な友達ってやつさ。


 大和は無表情で天野の顔を見つめた。


 そして、どこか悲しげに頷いた。





 大和と遊び、家に送り届けた後。


 天野は伊藤が入院している病院へ向かった。



天野勇二

伊藤よ。
今、少しだけいいか?


 伊藤は驚いて部屋に入ってきた天野を見つめた。


伊藤文也

坊っちゃま……。
もちろん構いませんが、大丈夫でしょうか?


 不安げに窓の外を見る。


 空はすっかり暗くなっている。


天野勇二

面会時間は過ぎているが、ここは個室だ。
迷惑をかけることはないさ。
それに看護師に見つかったら退散するよ。
少しお前と話したくてな。

伊藤文也

私は構いませんが……。
何かございましたか?


 伊藤は居住いずまいを正し、天野の顔を見上げた。


天野勇二

まず身体の具合はどうだ?
無事に退院できそうか?


 伊藤は深々と頭を下げた。


伊藤文也

はい。
おかげさまで来週には退院できそうです。
坊っちゃまにも、お父様にも、とても良くしていただきました。

天野勇二

俺は何もしていないさ。
桃太郎を預かっただけだ。

伊藤文也

何をおっしゃいますか。
毎日のようにお見舞いに来てくださり、とても感謝しておりますよ。

天野勇二

実習のついでだよ。
こう見えても医学生だからな。


 天野は気障キザったらしく微笑むと、伊藤の顔を真正面から睨みつけた。


天野勇二

本来であれば、この件は見逃してやろうと思っていた。
だが、事態は深刻でな。
調査も行き詰まっている。

お前が知っていること……。
全て話してもらいたい。


 伊藤は静かに天野を見つめた。


伊藤文也

私が知っていること……?
それは、なんでございますか?

天野勇二

とぼけるなよ。
今の俺様は『天才クソ野郎』だ。
お前ごときの『隠し事』なんてお見通しさ。


 冷たい言葉を紡ぐ。



天野勇二

お前……。
『長谷部大和』のことを知っていたな。
全てを知った上で、桃太郎を俺様に預けたな。






この作品が気に入ったら「応援!」

応援ありがとう!

17,669

つばこ

もしこの世界の根本に愛が存在するのであれば、母親が天野くんの言葉で改心して大和くんを抱きしめる……そして2人は末永く幸せに暮らしました……めでたしめでたし……なんて未来もあるのかもしれません。
 
だけど、大和くんの母親は全てのライフラインを止めてるからなぁ……。
そんなの殺人に等しいですよ。
つばことしては「天クソの世界の児相は何をやってるんだクソが( ゚д゚)、ペッ」とか思います。
 
なんだか伊藤さんが穏やかじゃなくなってきましたが、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!
来週も読んでください!!!∠( ゚д゚)/

この作品が気に入ったら読者になろう!

コメント 35件

  • チュパカブラ

    伊藤さんがお母さんのふりしてるとかってないのかな?

    通報

  • みと@第3艦橋OLD


    置き手紙ではちゃっかり愛のある表現してるんだ…胸糞

    通報

  • バルサ

    そうか、伊藤さんならば何か事情を少しは知ってるよね。どうなるんかな。続き楽しみ!

    通報

  • Apple

    つばこさんの引き出しの多さに本当に驚かされます…。
    一般的には、「児相に繋ぐべき」「児相は何をしてるんだ」となる流れですが、作中で天野くんが言っているように、「既に動けるだけ動いているのに事態が動かせない」ということがあること、虐待されている子どもの様子(発言や行動、心理描写等)がリアルであること、もしかして、そちら分野でのご経験がお有りで…?と思わされます。
    もし経験でないとするなら、かなりしっかりと取材をしたり勉強をしたりされているんだろうなぁと。
    児童福祉分野に近い仕事をしている身としては、天野くん達がこういう事件にも熱意を持って関わってくれることが嬉しいです。
    今後の展開を楽しみにしています☆

    通報

  • あめはトバリがとにかく推し

    せっかく生まれてきてくれた大和くんのこと、大切にしてほしい

    でもきっと、お母さんにも事情があるんだと思う…
    お母さん自身が育ってきた環境とか、今置かれてる環境とか、心理状態とか
    だから、詳しく語られてない今の時点で、お母さんのことあんまり責めたくないし、責めてほしくないなあ…

    でもやっぱり、大和くんに幸せに過ごしててほしい

    通報

関連お知らせ

オトナ限定comicoに移動しますか?
刺激が強い作品が掲載されています。

  • OK