桃太郎が『脱走』した翌日。


 天野は桃太郎を連れて動物病院へ向かった。


 足の裏の傷をしっかり処置してもらい、健康診断も実施。


 天野は桃太郎の身体に異常がないか心配だったが、それは杞憂きゆうに終わった。



天野勇二

良かったな桃太郎。
足の怪我はすぐ治るってよ。



 嬉しそうに桃太郎の頭を撫でる。



天野勇二

しかも医者から

『年の割には健康そのもの。大病をわずらっていることもない。きっと長生きできる』

と、お墨付すみつきをもらったぜ。
やはり健康が一番だ。
それに勝るものは存在しない。



 天野は心から安堵していた。


 今は天野家の一員だが、本来は伊藤の飼い犬だ。


 預かっている間に「具合が悪くなりました」なんて報告は避けたい。



天野勇二

だが、それは言い換えれば、お前はいつでも『昨日のように脱走できる』という証明に等しいんだよなぁ……。



 天野はため息を吐きながらホームセンターへ向かった。


 昨日、桃太郎が庭の植木を引っこ抜いてしまったので、



天野桃子

私は『犬を飼うこと』を許したけど、『庭を荒らすこと』なんか許してません。
勇二、あなたが責任を持って元通りにしなさい。



 と、母親から小言を頂戴しているのだ。


 無敵の『天才クソ野郎』も身内には弱い。


 天野はいくつかの品を買い込み、天野の家に戻った。


 まず桃太郎が引っこ抜いた植木を植え直す。



天野勇二

まったく……。
なぜ俺様が、こんなことを……。



 土を整え、植木が枯れないように手を打つ。


 次は犬小屋の補強だ。


 桃太郎は想定以上にパワフル。


 下手な犬小屋では破壊されてしまう。


 天野は何枚も板を打ち付け、とびきり頑丈な犬小屋を完成させた。



天野勇二

お次はこれだ。
上質な鎖だろう?
さすがのお前も引きちぎれないぜ。

桃太郎

……クゥン



 桃太郎のリードを太い鎖に取り替える。


 ドッグポールを庭に突き刺し、それに繋いでしまえば、よほどのことがない限り脱走不可能。


 それでも念のため、桃太郎が飛び越えないよう塀と門を高く補強し、有刺鉄線ゆうしてっせんまで張り巡らせる。


 これで全ての補修作業が完成。


 天野は満足気に呟いた。



天野勇二

フッフッフッ……。
完璧だ。
なんて堅牢けんろうな庭だ。
桃太郎よ、これではお前も脱走プリズンブレイクできまい。

桃太郎

………



 桃太郎は庭に寝そべっている。


 抗議することもなく、作業の邪魔をすることもない。


 しかし、尻尾はだらりと垂れたままなので、機嫌が良い訳ではなさそうだ。


天野勇二

散歩にでも行くか?
医者は少しなら歩いても良い、と言っていたぞ。


 散歩用のリードを持って誘う。


 桃太郎は少し顔を上げたが、すぐにまた寝そべり、「ぷいっ」と顔を背けてしまった。


天野勇二

まさかスネてるのか?
犬とは思ったより利口な生物だな。


 天野は時計を眺めた。


 時刻は午後4時。


 しばらくすれば胡桃が帰って来るだろう。


天野勇二

桃太郎よ。
俺様は出かけてくる。
散歩は胡桃に頼んでくれ。

桃太郎

………



 桃太郎に別れを告げて家を出る。


 目的地は伊藤の家だ。


 歩けば40分ほどかかる道のりだが、車で行けばほんの数分。


 あっさり到着した。



天野勇二

(ふむ……。今日は『視線』を感じないな……)



 家の前の通りを眺める。


 昨日は人気ひとけのない通りだったが、今は帰宅途中の学生、買い物帰りと思われる主婦が歩いている。


 天野は伊藤の家を見つめた。



天野勇二

(誰もいないか……。それもそのはずだ。伊藤は独り身。過去には結婚もしていたらしいが、詳しく聞いたことはないな……)



 伊藤の家は無人そのもの。


 誰かが訪れた形跡は見つからない。


 天野は腕組みをして思案した。


 灰色の脳細胞は静かに回転している。



天野勇二

(考え過ぎだろうか……。だが、どうも気になる……。俺様の『動物的カン』が違和感を訴えているんだ……)



 思案した結果、天野は車に戻り、しばらく伊藤の家を張り込むことにした。


 車内から伊藤の家を眺める。


 しばらくすると日が暮れ、夜のとばりが静かに下りる。


 午後5時を過ぎた頃、胡桃から着信が入った。



天野胡桃

あっ、ちい兄ちゃん?
今帰ったよ。
桃太郎は大丈夫だった?

天野勇二

ああ、アイツは健康そのものだ。
怪我も問題ない。
短時間であれば散歩も構わないとよ。

天野胡桃

良かったぁ。
桃太郎ってばね、リードを口に咥えて尻尾振ってるんだよ。
可愛いなぁ。
お散歩に行きたいみたい。

天野勇二

ほう?
さては胡桃と散歩するのが好きなんだな。
俺が誘ってもまるで乗って来なかったぜ。

天野胡桃

えへへ。
じゃあちょっとだけお散歩してくるね。

天野勇二

あまり遅くなるなよ。
俺もしばらくしたら帰る。

天野胡桃

うん。
わかった!


 胡桃がスマホの向こうで「うわっ! お庭すごいね! でもやり過ぎじゃないかなぁ」と笑っている。


 天野は苦笑しながら言った。


天野勇二

電話しながら桃太郎を放すなよ。
意外に力が強いぞ。
また脱走されると……

天野胡桃

ああぁっ!



 突然、胡桃が大声をあげた。



天野勇二

……うん?
どうした?
何かあったのか?



 スマホの向こうからガサガサとした物音。


 「ガシャン」と何かが壊れるような音。


 そして、胡桃の「桃太郎! ダメ! うわわっ!?」という悲鳴が響いた。




 天野は嫌な予感がしてきた。




天野胡桃

……ち、ちい兄ちゃん!
ごめんなさい!


 胡桃がスマホを持ち直して叫ぶ。


天野胡桃

また桃太郎が逃げちゃった!
鎖を外した瞬間、門に体当たりして脱走しちゃったの!
ど、どどどどうしよう!?



 天野は「ふぅー…」と息を吐き、冷静に言った。



天野勇二

桃太郎はどこに逃げた?
昨日と同じ方角か?

天野胡桃

うん!
昨日とおんなじ!
猛ダッシュでいなくなっちゃった!
どうしたらいいかな!?
お姉ちゃんもお母さんもいないのにぃ!

天野勇二

落ち着け。
俺が捕まえる。
お前は家で待機していろ。
念のため桃香に連絡を入れておけ。


 天野はため息を吐きながら電話を切った。



天野勇二

ったく……。
桃太郎め。
車に気をつけろよ……。



 天野はそのまま車内で待つことにした。


 『読み』が正しければ、桃太郎はこの場所にやって来るだろう。


 あとは事故にわず、人様に迷惑をかけないことを祈るだけだ。



天野勇二

ちゃんと来いよ……。
20分だけ待ってやる……。



 桃太郎の足なら15分ほどで到着するだろう。


 20分を過ぎれば探したほうが賢明。


 できれば何事もなく家に戻ることを祈りつつ、天野は待ち続けた。


 そして15分が経過した。



天野勇二

……きたか。



 桃太郎が元気良く駆けてきた。


 天野の車を通り過ぎ、真っ直ぐ伊藤の家へ向かっている。


 天野は静かに車から出た。


 大声を出せば驚いて逃げるかもしれない。


 風下に立ち、背後からゆっくり近づく。



天野勇二

……うん?



 天野は驚いて足を止めた。


 桃太郎は伊藤の家をあっさり通り過ぎ、路地の先へ駆けている。



天野勇二

なぜだ?
伊藤の家に行くつもりじゃないのか……?



 桃太郎は5軒隣にあるアパートの前で、ようやくその足を止めた。


 2階建ての小さな木造アパートだ。


 桃太郎はそれを見上げ、尻尾をぶんぶん振り回している。



桃太郎

ワンッ!



 アパートに向かって吠える。



桃太郎

……ワンッ!



 もう一度吠えた。


 しかし、その声に応えるものはない。


 桃太郎は「クゥン」と鼻を鳴らし、その場にお座りした。


 尻尾を振り、舌を出し、どことなく嬉しげな様子だ。



天野勇二

……桃太郎?
何をやっている?



 天野が声をかけた。


 桃太郎は天野を見上げ「ワフッ!」と尻尾を振ったまま吠えた。


 逃げようとはしていない。


 むしろ天野を「こっちにおいでよ」と、誘っているかのようだ。



天野勇二

なぜここに座る?
伊藤の家に帰らないのか?

桃太郎

………

天野勇二

ほら、あっちだぞ。
お前の家はあっちだ。



 伊藤の家を指さすが、桃太郎はそれを見ようともしない。


 じっとアパートを見上げている。


 尻尾をブンブン振っているので、機嫌は良いのだろう。


 天野は苦笑しながら言った。


天野勇二

……まぁ、無事で良かった。
帰るぞ。


 首輪には散歩用のリードがかかっている。


 胡桃がリードを取り替えた瞬間に脱走したのだろう。


 天野はそれを引っ張った。


桃太郎

………


 しかし桃太郎が動かない。


 まったく動かない。


 絶対にここを離れないぞ、という強い意思を感じる。


天野勇二

なんだ?
アパートに用事があるのか?


 天野は首を傾げながらアパートを見つめた。


 誰かが料理でも作っていて、その匂いにつられているのだろうか。


天野勇二

何も美味そうな匂いはしないがなぁ……。

何が目当てなんだ。
誰かを待っているのか?
俺にも教えてくれよ。

桃太郎

………

天野勇二

まったく……。
この俺様をシカトとは、いい度胸をしてやがるぜ。



 天野は苦笑しながら桃太郎の隣に立った。


 理由は不明だがテコでも動こうとしない。


 しばらく付き合ってみよう。


 そう思いながらタバコに火をつける。



天野勇二

もしかして、昨日もこのアパートに用があって脱走したのか?

桃太郎

………

天野勇二

まぁ、そうなんだろうな。
伊藤の家なんか見向きもしなかったからな。
伊藤が聞いたら落ち込みそうだぜ。

桃太郎

………

天野勇二

足は大丈夫か?
まさか昨日みたいに走ってないだろうな。

桃太郎

………

天野勇二

はぁ……。
俺様は犬相手に何を喋っているんだ……。
恥ずかしい話だ。



 桃太郎はその場でお座りし続けた。


 天野が3本目のタバコに火をつけた時、



桃太郎

……ワンッ!



 桃太郎がもう一度吠えた。


 やはりそれに反応するものはない。



桃太郎

クゥン……?



 ようやく桃太郎に変化が訪れた。


 クンクンクンと鼻を地面にこすりつけ、周囲の臭いを注意深く嗅いでいる。



天野勇二

どうした。

何か気になるのか?
上質のトリュフでも探しているのか?

桃太郎

………

天野勇二

さてはあれか。
このアパートに美味いメシをくれるヤツがいるんだな。
それをねだりに来たのか。
食いしん坊なヤツめ。

桃太郎

………

天野勇二

それともメス犬か?
ここにお前の恋人がいるのか?

桃太郎

ワンッ!

天野勇二

うおっ。
なんだよいきなり。


 桃太郎が大きな声で吠えた。


 そしていきなり駆け出し、アパートの敷地に飛び込もうとした。


天野勇二

バ、バカ!
やめろ!
そこに入るな!

桃太郎

ワンッ! ワンッ!

天野勇二

落ち着けっての!
人様の敷地に不法侵入するんじゃない!


 桃太郎はそこで天野を見上げた。


 若干、目を細めている。


 何かを訴えるような瞳だ。


天野勇二

今度はなんだよ。
何を伝えたいんだ?


 桃太郎はその声に応えるように、天野のパンツの裾を噛んだ。


 ぐいぐいと引っ張り、アパートの敷地に連れ込もうとしている。


 まるで「こっちに来い」と訴えているかのようだ。


天野勇二

まさか……。
「ついて来い」と言っているのか?
アパートに入れと?

桃太郎

ワフッ!

天野勇二

またイヤなタイミングで返事しやがったな……。
何があると言うんだ……。


 天野はアパートを睨みつけた。


 桃太郎の声に反応するものは見当たらない。


 そもそも明かりがともっている部屋がない。


 天野は周囲を見回し、人気ひとけのないことを確認すると、


天野勇二

まぁ、いいだろう。
お前に付き合ってやる。
だが、これでウンコしたかっただけなら叱るからな。


 ため息を吐きながらリードを持つ手を緩めた。


 桃太郎はそれを『許可』と認識したのか、勢い良く駆け出した。


 アパートの敷地に飛び込む。



天野勇二

さて、どこに行くのかね……。



 桃太郎はアパートの裏手に向かった。


 1階の部屋には、ごくわずかな庭がある。


 桃太郎は庭を遠慮なく走り、ひとつの窓の前で立ち止まった。



桃太郎

……ゥー



 窓を見上げ、小さな唸り声をあげている。


 そこで天野は気づいた。



天野勇二

おい桃太郎。
まさか……。
この部屋に『何かある』のか?



 天野は慎重に周囲を見回した。


 アパートの庭からは隣家の窓が見える。


 人の気配は感じない。


 天野は念のため、懐から手袋を取り出した。



天野勇二

なんだ……。
この部屋で、何が起きているんだ……?



 警戒しながら窓へ近づく。


 鍵はかかっていない。


 カーテンの隙間から、わずかに部屋の様子がうかがえる。


 天野はゆっくり部屋を覗き込んだ。









天野勇二

なに……?



 1人の少年が横たわっている。


 眠っているのか、意識を失っているのか、死んでいるのか。


 外からでは判断できない。


 天野はゆっくり窓を開けた。



桃太郎

ワフッ!



 桃太郎が部屋に飛び込む。


 天野は部屋に漂う『臭い』に顔をしかめた。


 冬だというのに、酷い生ゴミの臭いだ。


 部屋は酷く散らかり、あちこちにゴミが散乱している。



桃太郎

クーン……



 桃太郎が少年の顔に鼻を近づける。



少年

……んっ……



 少年が微かに声を漏らした。


 どうやら『死体』ではないようだ。


 天野はまずそのことに安堵し、部屋のガス栓などを確かめた。



天野勇二

ガス漏れはしてないか……。



 安堵の息を吐き、少年と散らかった部屋。


 そして桃太郎を眺める。


 天野は疲れたように呟いた。



天野勇二

おいおい……。
何がどうなってやがる。
このガキは誰なんだ?




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つばこ

あまの「やはり健康が一番だ。それに勝るものは存在しない」
 
天野くん……。キミは犬相手だとビックリするほどマトモなことを喋るんだね……。
キミとの付き合いも数年になったけど、いまだに知らないキミの顔が出てくることがあって、つばこは驚くばかりのエブリデイだよ……( ゚д゚)
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(´vωv`*)

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コメント 37件

  • さくら

    人様の敷地に不法侵入するんじゃない!

    盛大なブーメランですね天野くん

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  • チュパカブラ

    驚くばかりのエブリデェヘ(≧▽≦ヘ)♪

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  • なっつん

    つばこさんwww

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  • 凪ちゃんみて落ち着こ♪

    天野君塀を高くして有刺鉄線張るとか刑務所みてえだな笑

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  • はやし

    やはり健康が一番だ。それに勝るものは存在しない。
    と言いながらタバコを3本吸う天野氏

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