1830年11月9日、英国の南部ケント州の農場に約100人の農場労働者が集結し、のこぎりや斧(おの)で脱穀機を破壊した。中部ノーフォーク州のバーナムオーバリーでも、労働者らが「正直者が仕事にあぶれる」と叫びながら脱穀機をたたき壊した。小麦栽培地域で脱穀機の普及に伴い仕事を失ったり賃金を削られたりした農場労働者による「スイング暴動」だ。

彼らは脱穀機を破壊し、納屋に火を放ち、農場主に脅迫状を送り、賃金の引き上げを要求した。英歴史家のエリック・ホブズボームとジョージ・リューデは共著「キャプテン・スイング」(編集注、脅迫状に書かれていた暴動指導者の架空の名前。邦訳未刊)で、11月下旬には「南イングランドの大半が事実上、炎に包まれたように見えた」と記している。

仕事の世界で起きた変化に労働者らは捨て鉢になった。手作業で脱穀する仕事で冬の間、糊口(ここう)をしのいでいたが、脱穀機の登場によって作業効率が5~10倍も上がり、農場主は彼らを雇う必要がなくなった。農場での仕事は以前より不定期で不安定になった。当時の記録には「日雇い労働者は特に雨の日は雇わなくてもよいことから、使用人を住み込ませるより安くすむ」と残されている。

イラスト Financial Times/James Ferguson

歴史上再び、われわれは、少なくとも一部の人にとっては仕事がより不確実で不安定になりつつある時代に生きている。昨年、個人で配送業務を請け負う「アマゾンフレックス」のドライバーたちは物理的に最も近い人に仕事が割り振られる仕組みを逆手にとり、スマートフォンを配送拠点のすぐ外の木にぶら下げた。必ずしも本人が近くにいなくても、スマホの位置情報から配達員がそこにいると会社のシステムが認識するため、仕事を割り振ってもらえたのだ。

英北部スコットランドのラズベリー農場では、雨が降ったり収穫量が一定水準を下回ったりすると、季節労働者は賃金を支払われないまま簡易宿泊所で待機を命じられた。

こうした問題の解決方法として「ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)」がたびたび持ち出される。政府があらゆる人に無条件で毎月、最低限の所得水準を保障する制度だ。賛同者らは仕事が技術の進歩によって減り、あるいは予測不可能や不安定になるとすれば、労働市場に左右されない最低限の所得が必要になると主張する。さもなければ、働き手は脱穀機を破壊した英国の労働者と同様、怒りのあまり自暴自棄に陥ってしまいかねないとみる。

だが変化する労働市場への対応策としてUBIを導入した場合、その変化を予測困難な形でさらに促してしまうという側面もある。

スイング暴動の事例では、よかれと思って導入した福祉制度が実際には農場労働者の窮状を悪化させたと指摘する歴史家もいる。1790年代半ば、英南部バークシャー州スピーナムランドで貧困層に対し、所得がパンの値段を基準とする最低生活費を下回れば、その分を公費で補填するという救貧制度が定められた。

この制度は他の地域にも広がったが、ウィーン出身の経済史家カール・ポラニーは著書「大転換」の中でこれを「愚者の楽園」と評した。公的資金による埋め合わせがあるのを知って賃金を減らす農場主が続出したためだ。やがて制度の維持費が膨らみ、補填額は大幅に減少した。ポラニーは「『生存権(所得)』は制度上、その支援対象であるべき人々を結局のところ破滅させることになった」と記した。

ただ、こうした評価だけではないことも強調したい。スピーナムランド制度が労働者を貧困に陥れたという見方に反論する歴史家もいるからだ。彼らは教会の教区ごとに大きく異なった救貧制度が、当時の様々な問題を深刻化させたというより、不十分ながらも事態を改善させる措置として講じられたと考える方が妥当だと主張する。

とはいえ現在、UBIが導入されたら雇用主がどう受け止めるかは考慮した方がいい。彼らは福祉制度の変更に必ず反応する。ある研究論文によると、1999年に英国で勤労者世帯に税額控除が導入された時、雇用主は制度の対象となる労働者の賃金を若干下げるようになり、この傾向は制度の対象外の労働者の賃金にも及んだという。

UBIの導入で、仕事とは労働者の生計を十分保障するものでなければならないという考えから完全に解放されたら、雇用主は短時間勤務の労働者を臨時に、または一時的に雇用するのが容易になるだろう。最低限の生活に必要な賃金水準や労働時間の保障を求める英リビングウェージ財団の主張は勢いを失うかもしれない。最低賃金の概念すら否定される可能性がある。

もし労働者が所得の安定を維持し、雇用主は柔軟に人を雇えるようになるなら悪くはないと思うかもしれない。しかし仕事があるかどうか予測できない状況から生まれる問題は所得の変動だけではない。託児サービスの手配や仕事以外の人生設計、パートナーなどとの関係の維持などにも影響が出る。

一方、UBIの賛同者はメリットがあると訴える。最低限の所得保障という盤石な土台があれば、労働者は低賃金の業務やライフスタイルと合わない仕事を続けなくてすむし、雇用主は労働者を確保するため、魅力的な賃金と労働条件を提示する必要に迫られるはずだという。

確率の高いシナリオはUBIの水準とその時の経済状況によって変わるだろう。フィンランドなどではUBIの社会実験が進められたが、残念ながら雇用主の行動に影響を及ぼすほどの規模ではなく、先行きを占う材料としては不十分だ。

仕事の未来をより明るくするためにできることは他にもある。第一歩として、すべての問題が技術の変化によってもたらされるわけではないと認識することが肝要だ。例えばラズベリーの収量の低い労働者が報酬をもらえず宿泊所で待機を言い渡されるのは、アルゴリズムや機械のせいではない。こうした処遇を許す法律があるから農場主はそうするのだ。

UBIはもっと議論する価値がある。その際、仕事の不安定化はすべて必然で、われわれはそれに適応していかなければならないと考えてしまう危険があることも忘れてはならない。一部の問題は単なる法規制の不備が原因であり、是正することが必要だ。

(8月31日付)