火曜日。


 葛城の中絶手術は行われた。




 本来であれば未成年が中絶する場合、両親の立ち会いや同意書などが必要だ。


 初期中絶は全身麻酔を用いる。


 場合によっては子供を産めない体になる。


 死ぬことだってある。



 それでも葛城は非合法なやり方を希望し、堂本はあっさり承諾した。


 堂本の腕は一流。


 隠蔽いんぺいする自信もあるのだ。




 初期中絶は基本的に日帰り手術だ。


 術後に問題がなければ、例え両親と一緒に住んでいても隠し通すことは可能。


 葛城はその日の学校を休み、涼太と一緒にクリニックへ向かった。


 天野はそれに同席せず、少し時間をずらして顔を出した。



天野勇二

もう、終わったのか。


 待合室には涼太の姿があった。


佐伯涼太

来てくれたんだ。
もうすぐ終わるって。

天野勇二

そうか。



 正確にいえば、この時、もう中絶手術は終わっていた。


 中絶の処置自体はそれほどややこしいものではない。


 ほんの10分たらずで、ひとつの命は消えていた。



佐伯涼太

ねぇ、勇二……。


 涼太がぽつりと尋ねた。


佐伯涼太

手術が終わったらさ……。
僕は沙也加ちゃんに、どんな言葉をかければいいんだろう……。
何か、魔法の言葉はないかな……?

天野勇二

……知らねぇよ。
自分で考えろ。

佐伯涼太

そう、だよね……。



 長く短い時間だった。


 ふと堂本が待合室を通り過ぎ、驚いたように天野の姿を眺めた。


堂本

おや坊ちゃん。
いらっしゃったんですか。

天野勇二

どうも気になってな。

堂本

手術は無事に成功しました。
後遺症の心配もないでしょう。

天野勇二

そうか。
すまないな。

堂本

これが仕事ですので。
お気になさらず。



 2人は黙って肩を落とした。



 全ては終わった。


 葛城の悩み事は消えた。


 2人の男にとって、それは実にあっさりとしたものだった。



堂本

麻酔で眠っておりますが、そばで待っていてあげたほうが良いかと。



 堂本の言葉を受け、涼太が慌てて立ち上がった。


佐伯涼太

は、はい。
本当にありがとうございます。



 病室には全身麻酔によって眠る葛城の姿があった。


 安らかな寝顔だ。


 血の気が引いた白い顔が綾瀬を連想させる。


 骨格も顔のつくりも違うのに、そこに綾瀬の面影を見つけてしまう。


 そのことが涼太はたまらなく悲しかった。




 涼太はしばし葛城の手を握っていた。


 天野は入り口に立ち、遠目でその様子を眺めている。




葛城沙也加

……あれ……?




 葛城が目を覚ました。


 不思議そうに周囲を見回している。


 涼太は精一杯の笑顔をつくり、葛城に語りかけた。



佐伯涼太

おはよう。
沙也加ちゃん。

葛城沙也加

涼太くん……?
おはよう……。



 そう言って葛城は微笑みを浮かべた。


 瞳はうつろだ。


 焦点が合っていない。


 弱々しい姿だったが、どこか嬉しそうに微笑んでいる。



葛城沙也加

ここはどこ……?
涼太くんの家?



 涼太の涙はもう止まらなかった。


 ただ黙って首を横に振る。


 葛城は麻酔から覚めたばかりで意識が混濁こんだくとしている。


 現実と夢の境目が曖昧あいまいなのだ。


 どこか無邪気に笑う姿が、悲しくて仕方なかった。



佐伯涼太

ちがう……。
ちがうんだ……。

葛城沙也加

どうして泣いてるの……?
変なの……。



 強く葛城の手を握りしめる。


 葛城は首を捻りながら周囲を見渡し、淡い夢から現実に戻っていった。




 ここは病院だ。


 手術をした。


 そのためにここにいる。




 葛城は静かに尋ねた。



葛城沙也加

終わったの……?

佐伯涼太

うん……。
終わったよ……。
無事に、終わったよ……。

葛城沙也加

そうなんだ……。



 葛城はそっとお腹に手を伸ばした。


 そこにあった異物は消えている。


 その面影を探すように、葛城は自らのお腹を撫でた。



葛城沙也加

終わったんだ……。



 ぽろぽろと葛城の瞳から涙がこぼれた。


 どうして泣いているのか、葛城にはよくわからなかった。



葛城沙也加

なんで……。
なんでかなぁ……。



 指先を伸ばす。


 涼太の顔を優しくなぞる。



葛城沙也加

好きだったのになぁ……。



 誰のことなのか。


 葛城自身もよくわからない。


 まだ意識は混濁こんだくとしている。



葛城沙也加

産みたかったよ……。
好きだったんだよ……。



 悲しい呟きだった。



葛城沙也加

ホントに好きだったのに……。
生理がこないって、言っただけなんだよ……?
それだけなのに、どうしてもう、私と話してくれないの……?
どうして、もう終わりにしようって、そんなこと言うの……?
ホントに大好きだったのに……。



 涼太はただ黙って、綾瀬に似た少女に指先を伸ばした。


 葛城の頬を撫でる。



葛城沙也加

涼太くんと、もっと早く、仲良くなりたかったなぁ……。



 涼太の優しい指先を、葛城は嬉しそうに受け止めた。



葛城沙也加

もっと前から、一緒だったら、良かったのになぁ……。
きっと涼太くんなら、こんな思い、させないのにね……。



 葛城は涼太の頬に触れた。


 頬をつたう涙が温かい。


 悲しげに微笑む。



葛城沙也加

どうして、こうなっちゃったんだろう……。

どうして、色々なことが、うまくいかないんだろう……。

涼太くんのことも、好きなんだよ……。



 涼太はただ俯きながら、葛城の手を握っていた。


 天野は静かに処置室を後にした。


 そこは天野が存在すべき部屋ではなかった。







 やがて季節は過ぎ、夏になった。



 運が良いことに葛城は術後の状態が安定しており、大きな後遺症を残すことはなかった。


 3日ほど学校を休んでいたが、太陽のような明るい笑顔を浮かべ、何事もなかったかのように復帰した。


 ポニーテールの健康的な美少女は全てを忘れようとしていた。




 天野は葛城と距離をとり、葛城も天野と親しくなろうとはしなかった。


 涼太はまだ葛城と『キープ』としての立場で付き合っていたが、天野はそれを見ることさえできなかった。


 お互いに上辺うわべだけの付き合い。


 本心を打ち明けるような関係ではない。


 痛々しくて見ていられなかった。





 日常は何事もなく過ぎていき、夏休みに入った。


 涼太が葛城から別れ話を告げられたのは、その初日のことだった。



葛城沙也加

転校しようと思うんだ。



 奇しくもそれは、涼太が妊娠を告げられたファーストフード店だった。



佐伯涼太

そうなんだ。
どこに行くの?

葛城沙也加

隣県の高校にしようと思って。

佐伯涼太

そっか。
寂しくなるね。


 そう呟きながら、涼太はどこか心が軽くなる気分を味わった。


葛城沙也加

酷いんだよ。
里音りおんちゃんがね、私が妊娠してたことを学校の友達に喋ったの。
バイトを辞めたら友達でもなんでもないんだね。
ちょっと学校に居づらくなっちゃいそうでさ。

佐伯涼太

そうなんだ。
また会えるかな?


 葛城は苦笑しながら言った。



葛城沙也加

実はね、進藤さんとやり直すことにしたの。



 鞄から封筒を取り出す。


 涼太の前に差し出した。


葛城沙也加

お金も用意したんだ。
涼太くんが立て替えてくれたんでしょ?
ホントにありがとう。
勝手なお願いなんだけど、もう2人で会うのは、これで最後にしたいんだ……。


 思わず涼太は笑い出してしまった。


佐伯涼太

へぇ、おかしいの。
それ進藤さんに悪いから?

葛城沙也加

うん……。
それもあるし、涼太くんに期待させちゃうのも悪いし……。

佐伯涼太

わかるなぁ。
僕は『キープ』だけど、そこから昇格することはない、ってことだね。

葛城沙也加

そうなの……。
ごめんね。
色々助けてもらったのに。

佐伯涼太

あははっ!
いいんだよ!
僕もね、そうなるんじゃないかと思ってた。



 何もかもが可笑しかった。


 葛城は恋する少女の表情を浮かべ、その眼差しは自分を傷めつけた進藤という男に向けられている。


 その姿が滑稽こっけいに感じてしまうこと。


 別れを宣告されても何も感じないこと。


 全てが可笑しくてたまらなかった。



佐伯涼太

似てると思ったんだよね。
でも、今思えば、全然似てないや。

葛城沙也加

えっ?
なんの話?

佐伯涼太

いや、こっちのことだよ。
いいんじゃない。
進藤さんと仲良くやりなよ。

葛城沙也加

ありがと!
涼太くんなら、そう言ってくれるんじゃないかって思った。

佐伯涼太

あはははっ!
そこまで言っちゃうの!?
本当に最高だね!


 涼太は腹を抱えて笑い出した。


 葛城もどこか嬉しそうに微笑んでいる。


 涼太の感情やリアクションに興味はないのだろう。


 最初から最後まで、興味を抱くことはなかった。


 涼太がこの場で何を考えていても、葛城の世界ではどうでもいいことだ。



佐伯涼太

でもね、お金はいいよ。



 涼太は封筒を突き返した。


佐伯涼太

これは、受け取らない。
持って帰りなよ。

葛城沙也加

いや、それは悪いよ。
大金だったと思うし。
受け取ってほしいの。

佐伯涼太

うぷぷ。
僕ちゃんにもプライドってのがあるの。
いらないよ。


 葛城は困ったように黙り込んだ。



 もうこの時の涼太は『天才的チャラ男』として覚醒している。


 金を払った方が関係をしっかり清算できる。


 変な貸しは残したくない。


 そんな葛城の感情を読み取っていた。



葛城沙也加

でも、これは進藤さんが出してくれたんだよ。
涼太くんに渡してあげるべきだって。

佐伯涼太

うげぇ……。
それを僕に渡すとか、沙也加ちゃんは結構エキセントリックだね。

葛城沙也加

だって進藤さんは、涼太くんに悪いことしたって、すごく反省してるんだよ。
治療費にもしてほしいって。
それに私だって、色々秘密にしてくれたことを、すごく感謝してるんだよ。


 きっとその言葉も真実なのだろう。


 涼太は半眼で葛城を睨むと、軽い口調で言った。


佐伯涼太

いらない。
僕の口はコンクリートみたいに固いんだ。
口止め料なんかクソいらないよ。

葛城沙也加

そんな、口止め料なんかじゃないよ……。

佐伯涼太

そう?
でも、いらない。



 葛城はしばし困ったように黙りこんだ。



葛城沙也加

それなら……。



 時計を見れば夕暮れ時。


 意を決したように言った。



葛城沙也加

あのさ、今日は夜遅くなっても大丈夫?

佐伯涼太

別に大丈夫だけど。

葛城沙也加

それなら……。
行かない?

佐伯涼太

どこに行くの?
マルキュー?

葛城沙也加

違うよ。
2人きりになれるところだよ。



 涼太は思わず目を見開いた。


 葛城は少し照れたように言葉を続けた。



葛城沙也加

だって、涼太くんとは何もしてないし……。
涼太くんもそんなこと頼まないしさ。
ずっと気になってたんだ。
涼太くんとならいいかなぁ、って思うの。



 それは甘いささやきだった。


 まだ女子の身体を知らない涼太にとって、これ以上ないほどの魅力的な誘いだった。



佐伯涼太

えっ……。
そ、それってさ……。
つまりさ……。

葛城沙也加

うん。
進藤さんにはナイショね。





 ヤラせてやる。


 セックスさせてやる。


 だから自分との関係を精算してくれと、葛城は告げている。






 涼太は思わず口元を押さえた。


 吐き気を覚えたからだ。


 魅力的な誘いの言葉であり、涼太にとって願うべき行為なのに、わき上がってくるのは激しい嫌悪感だった。



佐伯涼太

……いらない。



 首を横に振る。


 その姿を葛城は不思議そうに見つめた。



葛城沙也加

どうして?
私じゃイヤ?
何かお詫びしたいよ。

佐伯涼太

マジでいらない。


 そう言って立ち上がる。


 涼太は自らの頬を叩き、精一杯の笑顔をつくった。


 きっとこれが『道化師』としての笑顔なのだろう、と感じた。


佐伯涼太

気にしないでよ。
全部さ、僕がしたかったことなんだ。
お詫びなんていらないよ。


 葛城がスネたように頬を膨らませる。


葛城沙也加

私だってこんなこと言うの恥ずかしいんだよ。
それに私がしたいって思ってるの。
涼太くんだから、そう思えるんだよ。



 その言葉に嘘はない。


 葛城の中には涼太を想う感情がある。


 だから自分を捧げたいと願っている。


 涼太はそう信じた。



佐伯涼太

あははっ。
その言葉だけで、もうお腹いっぱい。



 涼太は何度か頷き、じっと葛城を見つめた。


 一度は恋した少女に。


 本気で好きだと思った少女に。


 涼太は呆れるほどの優しさを送った。



佐伯涼太

僕もね、沙也加ちゃんと抱き合えたら、最高に幸せなんだろうなって思うよ。

だって僕はさ、君が好きだったもの。
あの気持ちは『まがい物』なんかじゃなかった。
今もそう信じてる。

だから、それはマジでいらない。
僕が欲しかったのは、お金でも身体でもないんだ。

それじゃあバイバイ!
元気でね!



 葛城が何か言っていたが、涼太は無視して店を飛び出した。





 7月の蒸し暑い夕暮れ時を走りながら、涼太は終わってしまった恋の味を噛みしめた。



 夢のように甘い時間だった。



 それなのに、最後には苦い感情しか残らなかった。



 苦味がいつしか塩っぱく感じ、そこで涼太は泣いていたことに気づいた。






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つばこ

葛城さんにとって、進藤さんは初恋の相手だったんです。
涼太くんと同じように、彼女もまた、忘れられない恋をしたんだと思います。
それが他の男と関係させたり、弄んで捨てたりするような外道でも、全てを忘れて次に進むことは難しかったんだろうなぁ、と思うのです。
 
 
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コメント 159件

  • ぷよぷよ

    また読みにきた
    高校生が背負うには重すぎるな…

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  • ぷよぷよ

    涼太、よく考えたら現時点で童◯じゃねえか
    それなのに男らしすぎるだろ

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  • てぃむ

    なんかちょっと前に付き合ってた女と似てて不快。誰とでもヤるような女だったからなぁ…

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  • rtkyusgt

    うわ、きもちわる。

    本当に感謝してるなら今までの行動(股が緩いのとか)反省して、こんなこと言わないしやらない。

    涼太のこと馬鹿にしてるの?
    なんなんだビッチさんよ。

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  • ピカルディの3度

    うわぁ…堕したばかりで他の男とより戻す事告げた直後に、2人で会いたいは無いだろ
    堕した後も子供の命に対する詫びの言葉も無かったのも引っかかってた所だったのに、完全に決定打だよ

    涼太君よく我慢したよ

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