30分後。



 涼太は葛城を連れて新宿へ向かった。



天野勇二

お前……。
それ、どうしたんだ?



 傷だらけの涼太を見て、天野は驚いて尋ねた。



佐伯涼太

ちょっとね。
転んじゃってさ。

天野勇二

派手に転んだな。
相手はただの素人じゃねぇのか。


 天野は嫌そうに呟きながら、ひとつのクリニックまで2人を連れて行った。



 歌舞伎町には、天野の父親が経営する産婦人科のクリニックのひとつがある。


 土地柄、非合法な堕胎だたいや出産を依頼されることが多い。


 そのため医師としての『倫理りんり』よりも、『金』を優先する悪い医師が在籍している。



天野勇二

堂本どうもとよ。
やはり世話になりそうだ。

堂本

お待ちしておりました。
坊ちゃんも大人になられましたな。



 その悪い医師、堂本は嬉しそうに天野たちを出迎えた。


 幼少時から付き合いのある男だ。


天野勇二

これが例の女だ。
まだ病院に行ってない。


 葛城がおずおずと頭を下げる。


葛城沙也加

お、お願いします。
葛城といいます。

堂本

お若いですね。
まずは診察しましょう。


 堂本が優しく声をかける。


 天野も優しげに言った。


天野勇二

堂本は信頼できる医師だ。
安心してくれ。

葛城沙也加

うん……。
勇二くん、ホントにありがとう。

天野勇二

気にするなよ。


 葛城を処置室に向かわせる。


 診察の間、天野は涼太にこれまでの経緯を尋ねた。



 葛城の告白。


 進藤との会話。


 父親について。



 その全てを、天野は無表情で聞いていた。



天野勇二

……そうか。



 2人はそれ以上言葉を交わさず、待合室で結果を待ち続けた。


 やがて処置室から堂本が戻ってきた。



堂本

10週目です。
これは決断しなくてはいけませんね。



 1枚の紙を差し出す。


 中絶ちゅうぜつに関する注意点と同意書。


 天野は苦しげに尋ねた。


天野勇二

10週目か……。
本当なのか?

堂本

本人の申告が正しければですがね。
まぁ、間違いないでしょう。



 妊娠10週目。


 人によってはお腹の膨らみが目立ち、胎児は人の形に変化し始める時期だ。



堂本

かなり苦しみ、我慢されたことでしょう。
将来のために1日でも早く決断すべきですね。



 この時期は『つわり』がピークに入る。


 貧血や立ちくらみも多い。



天野勇二

そうだろうな……。
わかった……。



 初期中絶するのであれば、一般的に妊娠5週目から12週目の間。


 それ以降の中絶手術は、若い葛城にとって大きな負担になる。


 残された時間はゼロに近い。




 出産するのか。


 中絶するのか。


 葛城自身が決断しなくてはならない。



天野勇二

葛城と話したい。
もう話せるだろうか?

堂本

構いませんが……。
坊ちゃん、これだけはご注意ください。


 堂本は強い口調で言った。


堂本

間違っても彼女を責めてはいけませんよ。
避妊ひにんおこたった女性にも責任がありますが、傷つくのは女性だけなのです。

天野勇二

ああ……。
わかったよ……。



 天野と涼太は処置室に入った。


 2人の顔は真っ青だ。



 クラスメイトの女子が妊娠。


 出産するのか、中絶するのか。


 決断させなければならない。



 高校1年生の2人にとって、その事実はあまりに大きかった。







 処置室には、葛城のすすり泣く声だけが響いていた。







佐伯涼太

沙也加ちゃん……。



 いつも太陽のような笑顔を浮かべる美少女は、絶望に打ちひしがれ、ただ泣いていた。



葛城沙也加

2人とも、ごめんね……。



 泣きながら手を伸ばす。


 涼太はその手を握りしめた。



佐伯涼太

いいんだよ。
もう結果は聞いたんだよね……。

葛城沙也加

うん……。

佐伯涼太

ごめんね。
僕はずっと傍にいたのに、何も気づかなかった。

葛城沙也加

いいよ……。



 何度も葛城の手を握りしめる。


 涼太は頭の中で『質問』を探していた。


 いくら考えても、ひとつの『質問』しか浮かばない。


 震える口をゆっくり開く。




佐伯涼太

それで……。
どうしようか……?




 どうするのか。



 そんなことは決まりきっている。



 父親は誰かわからない。



 葛城も母親になるつもりがない。



 導き出される結論はひとつだけ。



 体の中に鉗子かんしを突っ込み、胎児たいじをただの肉塊に変えて引きずり出すのだ。





葛城沙也加

ろす……。



 葛城は絞り出すように言った。



葛城沙也加

ごめんね。
2人には迷惑かけて……。

佐伯涼太

いいんだよ。
何も気にしないで。

葛城沙也加

どうしよう……。
お金、ないのに……。
どうすればいいの……。


 神にでもすがるような声だ。


佐伯涼太

お金は僕が出すよ。
バイトして払う。

葛城沙也加

そんなの悪いよ……。

佐伯涼太

いいんだ。
気にしないで。

葛城沙也加

涼太くんに迷惑かけちゃう……。

佐伯涼太

本当に気にしないで。
僕がそうしたいんだ。




 天野は黙って処置室を後にした。


 かける言葉なんてなかった。


 クラスメイトが中絶を決断する場面を冷静に眺められるほど、天野は大人ではなかった。




 処置室を出ると、廊下に堂本がたたずんでいた。



天野勇二

葛城が決断した。
頼めるだろうか。


 堂本は静かに頷いた。


堂本

もちろん構いません。
しかし、彼女はまだ16歳。
踏むべき手順がいくつもあります。
どのようにされますか?

天野勇二

葛城の望みどおりにしてほしい。

堂本

彼女は両親に言いたくないそうです。
お相手のことも伺いました。

天野勇二

両親には、言いたくないのか……。



 不特定多数との関係があった。


 誰が父親なのかわからない。


 その事実を知られたくないのだろう。


 そして何より、『父親候補』に迷惑をかけたくないのだろう。



堂本

坊ちゃんも彼女がそう希望すると、想定していたのでしょう?
だからこそ、あえて私を頼った。

天野勇二

ああ、その通りだ……。

堂本

私は悪い医師ですからね。
坊ちゃんもプライドを曲げてここを選択した。
そのことはよく理解しております。
ですが、大金となりますよ。


 初期中絶の相場は約10万円から20万円ほど。


 もし非合法な手段を選ぶのであれば、当然ながらそれ以上の大金が必要だ。


天野勇二

必ず払う。
頼む。
少しだけ待ってくれ。


 堂本はしばし腕組みをしていたが、少し優しげに言った。


堂本

私は『金の亡者』とも呼べる医師ですが、さすがに坊ちゃんからむしり取ろうとは思いません。
お望みであれば、お安くしても構いませんが。

天野勇二

いや、それには及ばない。


 天野は小さく首を横に振った。


天野勇二

俺だって腐っても医者の息子だ。
そんなことはしたくない。
必ず払う。
だから、頼む……。


 悔しそうに唇を噛みしめる。


 真っ直ぐ頭を下げて言った。




天野勇二

……親父には、黙っていてくれないか……。




 堂本はため息を吐きながら頷いた。


堂本

……了解しました。
それでいきましょう。


 優しく天野の肩を叩いた。


堂本

お父様が気づかないように改ざんし、非合法なやり方で処置いたします。
坊っちゃんに迷惑はかけません。
お約束しましょう。

天野勇二

すまない。
この恩は忘れない。

堂本

それであれば、患者と今後のことを相談しますか。


 堂本は処置室に向かった。


 代わりに涼太が戻って来た。


佐伯涼太

勇二、本当にごめん……。

天野勇二

いいんだ。
お前が謝ることじゃない。

佐伯涼太

お金って、どれぐらいかかるんだろう。
堂本さんは支払いを待ってくれるかな……?

天野勇二

待ってくれるそうだ。
俺たちがバイトすれば……。
いや、もっと手っ取り早い方法がある。
敷かれたレールの上を走り、親父から小遣いをせびるさ。



 その言葉に、涼太は天野の決意を感じた。


 天野と父親の関係はかなり悪い。


 天野は父親に頭を下げることを何よりも嫌っていた。



佐伯涼太

そ、それはダメだよ。

天野勇二

いいんだ。
俺がそうしたいのさ。


 待合室の椅子に座り、天野は気障キザったらしい笑みを浮かべた。


天野勇二

いつか決断すべきだったんだ。
兄と同じ道を走る。
そうすりゃ、小遣いなんて親父から腐るほど貰えるんだぜ?
スネをしゃぶり尽くしてやるよ。
中絶費用なんて端金はしたがねさ。


 その作られた笑顔に、涼太は頭を下げることしかできなかった。



佐伯涼太

ごめんよ……。
本当にごめん……。



 涼太は天野の隣に座った。


 静かに病院の床を見つめる。


 やるせない気持ちに押し潰されそうだ。


 ふと視界に天野の脚が入った。





 その膝が、小刻みに震えていた。





佐伯涼太

ゆ、勇二……?

天野勇二

なんだ?


 天野はいつものように余裕たっぷりの表情を浮かべている。


 それでも涼太には、些細ささいな変化を『観察』することができた。



佐伯涼太

(勇二が震えてる。怖いんだ。勇二だって怖いんだ……)



 幼き日の天野は医師になることを望んでいなかった。


 自らの理想を押しつける父親に反抗し、医療とは関係のない未来を望んでいた。


 父親の期待は全て兄に押しつけられ、兄が父親の期待に応えようとしていたからこそ、天野は自由だった。


 その兄が心を喪失そうしつしてしまったのは、中学を卒業する少し前のことだった。





 その兄と同じ道を、天野は歩こうとしている。


 それは天野が嫌っていた人生。


 そして、したっていた兄が心を喪失した人生だ。


 兄と同じように心を失うかもしれない。


 そんな恐怖に怯えているように、涼太には見えた。



佐伯涼太

ねぇ、ゆ、勇二……?

天野勇二

だからなんだよ。
泣きそうなツラしやがって。

佐伯涼太

本当は、嫌なんじゃないの……?
医者なんて、なりたくなかったでしょ……?

天野勇二

もう俺はガキじゃないんだ。
医師だって悪くないさ。



 どこかぼんやりと虚空こくうを見つめている。


 涼太はその瞳の色がたまらなく不安だった。


 声をかけなければ天野が消えてしまう。


 そんな気がした。



佐伯涼太

あ、あのさ、勇二はもう忘れちゃったかもしれないけど……。


 天野をつなぎとめるために。


 涼太は必死に言葉を絞り出した。


佐伯涼太

小学6年生の時に転校してきた、綾瀬さんって女の子……。
覚えてる?


 天野は驚いて涼太を見つめた。


天野勇二

ああ……。
覚えてるぜ。

佐伯涼太

今日、思い出したんだけどさ。
沙也加ちゃんって、綾瀬さんに似てるよね。

天野勇二

やっと気づいたのかよ。
不思議と顔が似てるな。

佐伯涼太

そうなんだよね。
懐かしいなぁ……。
綾瀬さん、今頃どうしてるんだろう……。


 俯く涼太の横顔を見て、天野は切なげに言った。


天野勇二

お前……。
そこで気づいちまったのか。

佐伯涼太

……うん。

天野勇二

だから言ったんだ。
葛城はやめておけ、ってよ。


 天野は少しキツイ口調で尋ねた。



天野勇二

だから、あっさり中絶をうながしたのか?



 涼太が黙り込む。



天野勇二

いや、別に責めるつもりはない。
お前の子供じゃないんだ。
おまけに父親は不明。
高校を辞めて結婚なんて現実的な人生じゃない。
理解はしているんだ。
理解はしている。

だがな……。



 じっと涼太の瞳を見つめる。



天野勇二

嘘でもいいから、お前には『産んでほしい』と、『父親になる覚悟がある』と、言ってほしかった。
血が繋がらなくても家族にはなれるんだ。
時間と環境が家族を作る。
血が繋がってなけりゃ家族になれないなんて、俺は絶対に認めない。



 それは自らの魂を切り出すような言葉だった。


 なぜ天野が、そのように言ったのか。


 涼太には理解することができなかった。



天野勇二

……いや。
そんなこと、俺が言うことじゃない……。



 苦笑しながら首を横に振る。



天野勇二

どうかしている。
中絶がベターだ。
今の言葉は忘れてくれ。



 涼太は静かに頷いた。


 深く息を吐く。



佐伯涼太

僕はさ、最低なんだよ……。
そんなこと、怖くて言えなかった……。



 涼太の中には、受け入れ難い感情があった。


 できれば目を背けたい。


 認めたくもない感情だ。


 それでもひとつの決断をした親友のために、その感情を告げるべきだと感じた。



佐伯涼太

父親になろうって……。
結婚を申し込もうって……。
そう考えようとした。
でも、できなかった……。

僕は沙也加ちゃんが妊娠を告げた時、最低のことを考えていたんだ……。
沙也加ちゃんの顔を見ながらさ……



 苦い顔で言葉を続ける。



佐伯涼太

『顔が綾瀬さんに似てるな』って、思ってたんだよ……。



 瞳から涙がこぼれ落ちる。



佐伯涼太

その瞬間まで、僕は綾瀬さんのことを忘れてた。
あんな時に気づいて、思い出すなんて……。
僕は、最低だよ……。


 天野は静かに頷いた。


天野勇二

……そうか。
それで『恋心』が消えちまったのか。

佐伯涼太

うん……。

天野勇二

お前が惚れていたのは、葛城沙也加じゃない。
綾瀬に似た顔を持つ1人の女だった……。


 首を振ってその言葉を否定する。


天野勇二

いや、その女ですらない。
お前が本当に惚れていたのは、葛城の顔にあった綾瀬の面影おもかげだけだった……。


 涼太がそでで涙を拭う。


 顔を歪め、認めたくない感情を吐き出した。


佐伯涼太

そうだよ。
僕が恋をしていたのは、本当に好きだったのは、そこに存在しないものだったんだ……。
それに気づいたら、何もかも怖くなってさぁ……。
酷いよね。
僕は、最低なんだよ……。


 天野は軽く首を振った。


天野勇二

そんなことはない。
お前も葛城もそうさ。
俺は誰も責める気はない。


 天野は軽く親友の肩を叩いた。


天野勇二

ただ、最後まで葛城の傍にいてやれよ。
もしかしたら、それさえ望まれていないのかもしれない。
お前は滑稽こっけいな道化師なのかもしれない。
それでも、優しく寄り添ってやれよ。

佐伯涼太

うん……。



 2人はしばらくの間、黙ってその場に佇んでいた。







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つばこ

歌舞伎町の医師、堂本さんは第96話『彼と上手にお付き合いする方法 -9-』に登場しております。
もしお時間あれば読み返してみてくださいませ。
 
涼太くんは最悪のタイミングで「自分が惚れていたのは葛城沙也加じゃない。綾瀬さんの面影だ」と気づいてしまったんですね。
恐らく妊娠などの告白も相まって、葛城さんへの恋心が驚くほど急激に冷めちゃったんだろうなぁ……。
彼の中にはずっと、初恋の想いが眠り続けていたんですね。
 
ではでは、いつもオススメやコメント、本当にありがとうございます!(*- -)(*_ _)ペコリ

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コメント 116件

  • たぬき

    血が繋がってなくても家族になれる、ってとこ、後の伏線になってるんだなと思うと、作者さんすげぇ、ってなる

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  • 藤雪

    支払い待ってくれるなら全額葛城サイドに払わせるべきでは??金くれっていえば父親候補がカンパしてくれるんだから

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  • まばたき

    「間違っても彼女を責めてはいけません。
    両方とも責任あるが、傷つくのは女性だけ。」
    とても優しくて、重くて、大事な一言だと思います
    いつもはクソ野郎の暴力っぷりとか、悪人より残虐非道とかそういう展開なのにこういうところばっかりは心を暖めて来ます
    願わくば全ての人が、この真理に辿り着けますように

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  • ゆう

    ほんとに伏線だ、、、、、。
    鳥肌たったんだけど、、、、。

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  • riku

    うわ、マジに伏線だ、、、、
    作者しゅごい、、、、、

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