どれだけの時間が過ぎたのだろう。



 葛城は目の前で泣き続け、涼太は抜け殻のように黙りこんでいた。



葛城沙也加

……やっぱり、そうだよね……。


 涙を拭いながら、葛城が呟いた。


葛城沙也加

まだ涼太くんとは何もしてないのに……。
私のこと、嫌いになって当然だよね……。



 涼太はその言葉で我に返った。


 自らの頬を叩く。



佐伯涼太

(僕は、何をしてるんだ)



 何度も頬を叩く。


 冷静になるよう努める。



佐伯涼太

(一番辛いのは沙也加ちゃんだ。僕が力にならなくてどうする。しっかりしろ)



 何度か大きく深呼吸。


 涼太は葛城の手を握り返した。



佐伯涼太

……わかった。
ちょっと驚いたけど、嫌いになったりしないよ。
だけど、ひとつ教えて。

葛城沙也加

うん……。

佐伯涼太

父親は、誰なの……?


 葛城は顔を伏せた。


葛城沙也加

それは……。
言わないと、ダメかな……。

佐伯涼太

うん……。
ダメだと思うな……。
元カレの進藤さん……?


 葛城は肯定も否定もしなかった。


佐伯涼太

そうに決まってるよね……。
進藤さんは、なんて言ってるの?


 残酷な質問だった。


 葛城は辛そうに口を開いた。


葛城沙也加

進藤さんには話してないの……。
もうすぐ就職だし……。
迷惑をかけたくないから……。


 その回答も残酷なものだった。



佐伯涼太

そ、そうか……。
そうなんだ……。



 涼太はまた何度も深呼吸した。



 どれだけ現実が残酷でも、動かなければならない。



 葛城が本当に妊娠しているのであれば、そのために動かなければならない。



佐伯涼太

……もう病院には行ったの?

葛城沙也加

ううん……。

佐伯涼太

それなら、まずは病院に行って調べてもらおうよ。

葛城沙也加

うん……。
そのことで、お願いがあるの……。


 葛城は涼太ではなく、その先にいる男を見ていた。


葛城沙也加

お父さんやお母さんには内緒にしたいの……。
だから、涼太くんから、お願いしてほしいんだ……。
勇二くんの病院を頼れないかな……?




 その言葉は涼太を打ちのめした。




 葛城が頼りたいと願っているのは、天野勇二という存在なのだ。


 正確には、天野の父親が経営している産婦人科のクリニック。


 涼太を仲介することで円滑えんかつに話を通そうとしている。



葛城沙也加

それから……。
もうひとつ、お願いがあるんだ……。

佐伯涼太

お、お願いって……?

葛城沙也加

お金を、貸してほしいの……。


 妊娠している女性が金を求めている。


 その金を何のために使うのか。


 答えはひとつしかない。


佐伯涼太

ごめん……。
もう僕は貯金がないや……。

葛城沙也加

そうだよね……。
やっぱり、勇二くんに頼まないと……。
一緒に頼んでくれる……?


 惨めで、悲しくて、狡猾こうかつな呟きだった。


 葛城から見れば天野は医者の息子。


 あり余るほど金を持っていると、考えてしまうのも当然だろう。


佐伯涼太

それは無理だよ……。


 涼太は静かに首を横に振った。


佐伯涼太

勇二自身は、お金持ちでも、医者でもないんだ……。


 そして、この時の涼太は、天野と父親の関係が良好ではないことを知っている。


佐伯涼太

勇二には、頼めない。
困らせたくない。


 葛城はすがるように言った。


葛城沙也加

そんな……。
私を見捨てるの?
私が勇二くんに頼んでも、断られるに決まってる。
涼太くんだけが頼りなの……。


 ぽろぽろと大粒の涙をこぼす。


 ぎゅっと強く涼太の手を握りしめる。


葛城沙也加

涼太くんのこと、大好きなんだよ。
涼太くんなら力になってくれるって、信じてるんだよ?
だからお願い……。
私を助けて……。



 涼太は小さく息を吐いた。


 きっと、その言葉も真実なのだろう。


 涼太は静かに立ち上がった。



佐伯涼太

お金は僕が何とかする。
だけどその前に、進藤さんと話をしよう。

葛城沙也加

どうしても、進藤さんに言わないとダメ……?


 涼太は頷いた。


 黙って店を出る。


 その腕を葛城が掴んだ。


葛城沙也加

やめよう。
言いたくない。
進藤さんには言いたくない。

佐伯涼太

ダメだよ。
進藤さんにも伝えないと。
それに誰が父親なのか、病院に言う必要があると思う。

葛城沙也加

それは……。
涼太くん、ってことにしてくれないかな?


 青白い顔で懇願こんがんしている。


 涼太は現実の全てに嫌気がさしていた。


葛城沙也加

ま、待って。
お願いだから喧嘩だけはやめて。


 葛城が不安気に涼太を追いかける。


葛城沙也加

進藤さんは空手の有段者なの。
喧嘩なんかしても意味ない。

佐伯涼太

僕はそんなことしない。
ただ話すだけだよ。



 涼太は葛城のバイト先であるファミレスに向かった。


 進藤はフロアを忙しく駆け回っている。


 涼太はその腕を強く掴んだ。



進藤さん

あ、あれ?
君は誰だっけ?


 進藤は驚き、涼太と葛城の顔を見ている。


佐伯涼太

僕は佐伯涼太といいます。
進藤さん、あなたに話があります。

進藤さん

ああ、沙也加ちゃんのカレシか。
今忙しいんだよね。
閉店後でもいいかな?

佐伯涼太

そんなの待ってられない。
沙也加ちゃんのことで話があるんです。

進藤さん

沙也加ちゃんのこと?


 進藤は葛城の気まずそうな顔を見つめた。



進藤さん

……ああ。
なるほどね。



 軽く呟くと、笑顔で言った。


進藤さん

しょうがない。
じゃあ裏口で話そうか。


 進藤は涼太をファミレスの裏口に案内した。


 従業員専用の出入口であり、ゴミ捨て場でもある場所だ。


進藤さん

なんの話なの?
手短にお願いしてもいい?


 進藤がタバコを取り出して火をつけた。


佐伯涼太

あの、タバコはやめてください。

進藤さん

あれ?
君も吸いたいの?
別に吸ってもいいけど。

佐伯涼太

ち、違います!
沙也加ちゃんは妊娠してるんです。
あなたの子供です!


 進藤はぼんやりタバコの煙を吐き出した。


 興味もなさそうに尋ねる。


進藤さん

ふーん。
病院に行ったの?

佐伯涼太

これから行くんですよ!
あなたも立ち会ってください!


 涼太が顔を赤くして詰め寄る。


 進藤は苦笑した。


進藤さん

どうして僕が?
沙也加ちゃんとは終わってるけど。

佐伯涼太

だって、あなたの子供なんですよ!
なんでそんなに……。

進藤さん

無関心か、なんて聞きたいの?
フフッ……。
青いねぇ。
僕にもそんな頃があったよ。

佐伯涼太

こ、この野郎!



 涼太は進藤の胸ぐらを掴み上げた。


 怒りに震えながら叫ぶ。



佐伯涼太

あなたにも覚えはあるはずだ!
妊娠しているかどうか、一緒に立ち会って確かめてください!
沙也加ちゃんは、あなたに迷惑かけたくないって泣いたんですよ!

沙也加ちゃんに必要なのは僕じゃない!
あなたなんだ!

進藤さん

青臭くて嫌いじゃないね。
でも、ひとつ良いことを教えてあげるよ。


 進藤は咥えていたタバコを吐き捨てると、涼太の両手首を強く握りしめた。


進藤さん

胸ぐらを掴むってのはね。
暴力行為に該当するんだ。
目上の人間にそんなことをしてはいけないね。


 涼太の両手が強い力によってけられた。


 進藤の体勢が低くなる。


 次の瞬間、涼太の鳩尾みぞおちに鋭い肘打ちが突き刺さった。



佐伯涼太

ぐはっ!



 的確に急所を捉えていた。


 鳩尾から燃えるような痛みが走る。



佐伯涼太

ごほっ……!
がはぁ……!



 内臓がねじ曲がるようだ。


 涼太は胃の中身を地面に吐き出した。



進藤さん

まったく。
これだから常識のないガキはイヤなんだ。


 葛城が泣きながら進藤の袖を掴む。


葛城沙也加

や、やめてください!
お願い進藤さん!
やめて!

進藤さん

ダメだよ沙也加ちゃん。
先に手を出したのはこの高校生。
お仕置きが必要だね。


 進藤は葛城の制止を振り払うと、亀のように丸まる涼太に対して蹴りの連打を叩き込んだ。


 足から腕から内蔵まで。


 踏み潰すようなストンピング。


 涼太は抵抗することもできなかった。


佐伯涼太

くそっ……!
お前……!
がはっ!

進藤さん

佐伯くん、弱すぎ。
喧嘩を売るには10年早いね。


 そう言うと涼太から離れ、またタバコを取り出して火をつけた。



佐伯涼太

ぐっ……!
ちくしょう……!



 体中が痛い。


 それでも立ち上がり、進藤の顔面を殴り飛ばしたい。


 頭はそう望んでいるのに足が震えて立つことができない。


 圧倒的な暴力を受けて、涼太の体は完全に怯えていた。



佐伯涼太

沙也加ちゃんと、病院に、行けよ……!


 それでも口を開いた。


 進藤を強く睨みつける。


進藤さん

まだ言ってんの?
話にならないな。
君の子供ガキでしょ?

佐伯涼太

父親は、僕じゃない……。
僕はまだ、沙也加ちゃんと……。


 涼太が悔しそうに呟く。


 進藤は驚いたように両手を広げた。


進藤さん

……あれ?
もしかして、君、まだ沙也加ちゃんとヤってないの?


 腹を抱えて笑い出した。


進藤さん

ぎゃははははっ!

そういうことか!
佐伯くんは哀れだねぇ。
さては、沙也加ちゃんから何も聞いてないね。


 葛城が「やめてください!」と叫んだ。


葛城沙也加

それは言ってないんです。
お願いです。
言わないでください。

進藤さん

それはムシが良すぎでしょ?
困ったなぁ……。
だから佐伯くんと早く付き合ってほしかったんだよねぇ……。

それなら佐伯くん。
こういうことで手を打たない?


 薄ら笑いを浮かべながらしゃがみ込む。


 涼太と目線を合わせながら言った。


進藤さん

君たちは中絶ちゅうぜつに必要なもの、お金がないでしょ。
お金は僕がカンパして集める。
その代わり、手術の立ち会いをお願いできる?
今のカレシは君なんだしさ。

まぁ、カンパなんてすぐに集まるよ。
少し大目に出してくれる人もいるかも。
君たちにとって良いバイト代になるかもよ。


 葛城は「やめて」と呟いている。


 その姿に、涼太は違和感を覚えた。


佐伯涼太

えっ……?
カンパが、集まる……?

進藤さん

そりゃそうさ。
沙也加ちゃんの子供の父親候補は、うちの店にたくさんいるからね。




 全身から血の気が引くような言葉だった。



 進藤は涼太の耳元でささやいた。




進藤さん

……あの子さ、言い寄られたら拒まないの。
誰にだって股を開いちゃう。
みんなで楽しませてもらったよ。
『みんな』でさ。


 同情したように涼太の肩を叩く。


進藤さん

君もお願いすれば良かったのに。
ちゃんと教えてあげたんだよ。
ゴムを使うのはホントのセックスじゃないってさ。
悪いのは、ピルを飲まなかった沙也加ちゃんなんだよね。



 軽薄な笑みを浮かべる進藤。



 泣き続けている葛城。



 2人の姿を見て、涼太の中で何かが弾けた。




佐伯涼太

……てめぇぇ!
うああああ!




 ここまでの殺意を覚えたのは初めてのことだった。



 全身を叩きつけるように進藤へ飛びかかる。



 拳が3度ほど進藤の頬をかすめ、代わりに蹴りと肘が打ち込まれた。



 そのひとつが涼太の顎先に命中して脳を揺らす。



 意識があったのはそこまでだった。






















佐伯涼太

……あぁ……。



 涼太が目を覚ましたのは、ファミレスの裏手だった。


 仰向けに倒れている。


 もう進藤の姿はない。


 まだ空は暗く、どれだけの時間が流れたのかわからない。


 葛城が膝枕をして涙を流し、濡れたハンカチを涼太の顔に当てていた。



葛城沙也加

ごめん……。
ごめんね……。



 どれだけ痛めつけられたのだろう。


 体のあちこちが痛みによって発熱している。


 だが、涼太を何よりも傷つけたのは、葛城の次の言葉だった。





葛城沙也加

だから、喧嘩しても意味ないって、言ったのに……。





 無理にでも作ろうとした笑顔は、その言葉で消えてしまった。


 惨めで悔しくてやり切れなかった。


 涙がじわりと浮かぶ。



佐伯涼太

(情けない。僕はなんて情けないんだ。僕は、何も変わってない……)



 進藤という暴力には太刀打ちできない。



 葛城を救うことはできない。



 葛城の気持ちは自分に向いていない。



 そして、頼れる存在はもう1人しかいない。



 どんなに惨めな思いをしても、その人物に頼るしかない。



佐伯涼太

……勇二に、電話しよう……。



 転がって葛城から離れる。


 壁によりかかりながら立ち上がった。


葛城沙也加

だ、大丈夫?
頭を打ったみたいだし、無理はしちゃダメだよ……。

佐伯涼太

平気だよ。
もうなんともない。


 ポケットから携帯電話を取り出す。


 傷だらけの指先でアドレスを開く。



佐伯涼太

(ごめん。本当にごめん)



 結局、天野を頼るしかない。


 天野が嫌っている父親のコネクションに甘えるしかない。


 自分の力では現実を変えることができない。


 それでも葛城のために、消えかけそうなプライドを振り絞った。



天野勇二

勇二だ。
どうした?



 親友の声が、やけに遠く感じる。



佐伯涼太

あぁ……勇二……。
今、ちょっといいかな……。

天野勇二

構わないぜ。
どうした?



 嗚咽おえつをこらえる。


 涼太は声を振り絞った。



佐伯涼太

あのね……。

勇二に、頼みたいことがあるんだ……。

沙也加ちゃんが……。

沙也加ちゃんがさぁ……。



 この時の天野が抱えている悩みを、涼太は理解している。


 自らの願いは天野を苦しめるだろう。



佐伯涼太

こんなことをさぁ……。

勇二に頼むべきじゃないって……。

一番、わかってるのにさぁ……。



 涙があふれて止まらない。


 言葉になってくれない。


 涼太は必死に言葉を紡いだ。



佐伯涼太

それなのにさぁ……。

勇二を、頼るしかなくてさぁ……。

ごめんよ……。

勇二を苦しめるって、わかってるのにさぁ……。




 天野は静かにその泣き声を聞くと、優しげに言った。






天野勇二

新宿まで来てくれ。
知り合いのクリニックを手配してある。
辛いと思うが、今後のことをそこで相談しよう。




 携帯電話を握り締め、涼太は大声で泣き叫んだ。






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つばこ

これまで様々な悪人を天クソで書いてきましたが、進藤に関しては腸が煮えたぎるような怒りを覚えますね( ゚д゚)
なんて胸くその悪い男でしょう。相手が子供だから完全にナメてるんですよ。しかも結構こんなヤツ、現実にもいますからね。それがムカつきますねヽ(`Д´)ノプンプン
 
 
 
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天クソを読んでいるとニヤニヤする箇所がいっぱいあります!
どうか読んでやってください! よろしくお願いします!

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コメント 166件

  • ぷよぷよ

    天野って、認めた人間には優しいんだな…

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  • rtkyusgt

    さやか虫がよすぎるし進藤もクソすぎる。
    類は友を呼ぶですね。

    涼太がほんとにかわいそう。辛い。
    天野くん・・・助けてあげて!

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  • ピカルディの3度

    絶句…

    さやかちゃんへの非難多いし、もっともだとは思うよ
    特に涼太君の気持ちにつけ込んで都合良く利用しようとしたのは非情としか言いようがない
    ただ、多数の大人の男から良からぬ遊びの知識を延々と吹き込まれてる環境にあったら、一種の錯誤状態に陥る事ってあるのかもしれないとも思えた
    言い換えれば、洗脳、みたいな

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  • まこと

    涼太はくそな男じゃなかった!助けなきゃって思ってくれる男…の子で、天野も優しいいい男だった
    泣けてしまう

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  • みと@第3艦橋OLD


    16歳の女の子相手に
    バイト仲間やら大人もみんなで公認穴兄弟って吐き気するわ
    しかもレ◯プではなく同意の上って女もどうかしてる

    妊娠云々もだけど性病こわい…

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