前島悠子

うどん、うどん♪
うどうどうどーん♪



 前島が「うどんの歌」を口ずさみながらテラスに上がると、机にうつ伏せになり落ち込んでいる天野の姿があった。



天野勇二

はぁ……。


 顔色は真っ青。

 心なしか老けたようにも見える。

 この世の終わりでも迎えたかのような顔だ。


前島悠子

あれ、師匠。
どうしたんですか?
元気ないですね。

天野勇二

……ああ……。

弟子か……。


 天野がゆっくり起き上がる。

 力なくタバコに火をつけ、無言で煙を吐き出した。


天野勇二

はぁ……。


 何度もため息を吐いている。


前島悠子

師匠ってば、随分と落ち込んでますね。

天野勇二

そうか?
気のせいだろ。


 前島はニヤニヤしながら言った。


前島悠子

まるで……。
最愛の妹である胡桃ちゃんに嫌われたかのよう……ですねぇ。


 天野は「チッ」と舌打ちすると、悔しそうに顔を歪ませた。


天野勇二

……ちくしょう。
やっぱり知ってやがる。
あのお喋りめが。

前島悠子

私と妹さんたちのホットラインは強いんです。
色々と聞きましたよぉ。
お話してあげましょうか?


 天野は思わず手で制した。


天野勇二

いや、いい!
やめろ!


 制止を無視して、前島は楽しそうに語り始めた。


前島悠子

何でも、沙織お嬢様をコンクリ詰めにして海に突き落としたり。

天野勇二

いや、それは誤解だ。

前島悠子

父親を拳銃で撃ち殺そうとしたり。

天野勇二

そ、それも誤解だ。

前島悠子

執事にいたっては本当に撃ったと。

天野勇二

うむ。
それは誤解じゃない。
正解だ。
2発撃って6発ほど蹴った。


 前島は呆れて天野を見つめた。


前島悠子

しかも、父親と沙織さんをこっぴどく説教して、痛烈に捨てたそうじゃないですか。
ちょっとやり過ぎですよ。
なんでそこまでしちゃうんですか。
沙織さんはかなりショックを受けて、わんわん泣いたらしいですよ。


 天野は深く頷いた。


天野勇二

それも正解だ。
だが説教すべきシチュエーションだったのさ。
如月は完全に道を踏み外していたのに、誰も正すことができなかった。


 天野はタバコの煙を吐き出しながらぼやいた。


天野勇二

不思議な話だ。
若者や子供が悪さをした場合、叱るべきだという風潮がある。
ところが年長者になればなるほどそういったことが許されない。
年下からの説教を受け入れられる人間は まれだ。
仮に正論をぶつけられても、受け止められずに激昂げきこうしてしまう。

ふざけた話だよ。
ガキも大人も、悪さをしたら説教されなきゃいけないんだ。

前島悠子

師匠は相手が目上だとしても、無礼なヤツは許さないんですね。

天野勇二

そうだ。
俺様は許さない。
ガキ同様に叱る。
そして叱った。

前島悠子

その結果、胡桃ちゃんに『絶交』されたんですよね。


 その言葉を受け、天野は「ズドコーン」と肩を落とした。


 絶望の底の底まで落ちていく。


 実は沙織に別れを告げた翌日、末妹の胡桃から、


天野胡桃(メール)

ちい兄ちゃん最低!
もう顔なんか見たくない!
家に来ないで!


 というメールが届いたのだ。


 電話で弁解を試みたが全て無視。

 メールの返信もない。

 全て既読スルー。


 天野の落ち込みようといったらなかった。


前島悠子

いいじゃないですか。
天才クソ野郎として正しいことをしたんですから。

天野勇二

ああ、天才クソ野郎としては、な。

そもそも俺様は殺されそうになったんだぜ?
説教して当然じゃないか。
むしろ通報していない時点で、寛大な俺様に土下座して感謝すべきなんだ。

だが人として、そして兄としては最低かもしれん……。

前島悠子

ありゃま。
師匠ってばガチへこんでますね。


 前島は困ってしまった。


 天野は想像以上に落ち込んでいる。


 さすがにこれ以上イジめるのは悪いような気がしてきた。


 何とか天野の気分を盛り上げようと試みる。


前島悠子

……あっ、そうだ!
そんなことより師匠!
覚えてますか!?

天野勇二

あぁ? 何をだ?

前島悠子

『報酬』ですよ!
一緒に作戦を練った時に、私への報酬をお願いしましたよね!?

『チュッ♡』ですよ!

『チュッ♡』!!!


 さすが『流星クソ女』だ。


 天野の気分を盛り上げるついでに、自分の都合の良い方向へ話を持っていった。


 天野は力なく頷いた。


天野勇二

ああ……。
そんなこともあったな。

前島悠子

そうですよ!
今ください!
はい! どーぞ!
お願いします!


 頬を天野に向けてまぶたを閉じる。


 ワクワクしながらその時を待つ。


天野勇二

……ったく。
しょうがねぇなぁ。


 天野は前島の顎を持った。


 自分のほうに「ぐいっ」と向ける。


 そして口唇を近づけた。























天野勇二

……ほらよ。
これで満足か?





 前島の顎から手を離し、「スパァー」とタバコの煙を吐き出す。







 前島は瞼を閉じたまま、プルプルと震えていた。






 しばらく無言で硬直。






 やがて 「ズバシッ」と目を開くと、天野に詰め寄った。






前島悠子

し、し、師匠!

い、い、い、い、い、い、い、い、今!

唇に!

『チュッ♡』って!

しましたよね!?

天野勇二

ああ、したぞ?

前島悠子

し、したんですね!

本当にしたんですね!

夢を見てるワケじゃないですよね!

これ現実ですよね!?

天野勇二

はぁ?
何を言ってんだ?
寝ぼけてるのか?




 身体の震えが止まらない。



 胸の鼓動がとんでもないテンポで振動している。



 前島は一度深呼吸すると、自らの頬を「ぺちん」と叩いた。




前島悠子

……痛い!
夢じゃない!






 急にきた。



 それはあまりに急にきた。



 本来踏むべき様々なステップを全て飛び越えて、いきなりきた。







 前島は全身をガクガク揺らしながら叫んだ。


前島悠子

な、な、な、なんで!?

なんでですか!?

なんで 『チュッ♡』したんですか!?

天野勇二

なんでって……。
報酬だろ。

前島悠子

報酬は 『ほっぺ』ですよ!
師匠が 『チュッ♡』したところ、ちがう!

『ほっぺ』ちがう!

ここ 『ほっぺ』ちがう!

『ほっぺ』こっち!

天野勇二

ああ……。
そういえばそうだったな。



 前島はデレデレと顔を綻ばせて、天野の腕に抱きつき、甘えん坊の猫のようにじゃれつき始めた。



前島悠子

いやだぁ。
もう師匠ってばぁ。
唇にされたら困っちゃいますよぉ。
心の準備ってのがあるんですぅ。
不意打ちなんてダメじゃないですかぁ。

天野勇二

別にいいだろ。
そんな気分だったんだ。

前島悠子

いやだぁもう。
師匠はいつも最後に素っ気ないことばかり言って……







 前島の時が止まった。







前島悠子

……あれ?



 

 とても重要なことを、天野が言った気がした。


 だが、あまりの発言すぎて、前島の脳はその意味を認識できなかった。



前島悠子

……え? あれ?

え? えぇ?

おっ? えぇ!

え? うん? おお?



 前島が混乱に陥っていると、テラスに何人かの人間がやって来た。


 天野は驚いてその集団を見つめた。


天野勇二

……ねえさん!

それに如月!

わ、渡辺まで!?


 スーツ姿の沙織と如月だ。


 背後には執事の渡辺。


 渡辺は松葉杖を持っている。


如月沙織

勇二くん、こんにちは。
先日は申し訳ございませんでした。

如月正雄

やぁ勇二くん!
元気にしているかね!?


 沙織も如月も満面の笑みを浮かべている。


 天野は思わず立ち上がって構えた。


天野勇二

ど、どうしたんですか!?
なぜ大学に!?
しかも渡辺さん、足治ってないでしょ!


 渡辺は松葉杖を使い、必死の形相で階段を上がった。


 それも無理はない。


 天野に両太股を撃たれているのだ。


 渡辺は心底すまなそうに頭を下げた。


渡辺

天野様、先日はご無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした。

天野勇二

いや、まぁ……。
それは俺も、十分やり返したからいいけどさ……。


 天野は如月を睨みつけた。

 如月は上機嫌に笑っている。


 まさかここまで堂々と顔を出すとは。

 あれだけ「次に顔を見せれば殺す」と脅したのに。

 報復に来たのだろうか。


天野勇二

(まずい。今は拳銃を持ってない。だがメスがある。よし、先手必勝だ)


 天野が戦闘態勢に入ると、如月が嬉しそうに告げた。


如月正雄

勇二くん!
聞いてくれ!
沙織が、

『うちの会社で働きたい』

と言ってくれたんだよ!
それも新入社員としてだ!
しかも経営者になるための勉強をしたいと、自分から言ってくれたんだよ!


 天野は呆然と沙織を見つめた。

 上等だがリクルートスーツ姿だ。

 恥ずかしそうにはにかんでいる。


如月正雄

これも勇二くん、全て君のおかげだ。
私も久々に素直に説教を受けて、目からうろこが落ちた気分だった。
沙織には帝王学を一から学ばせ、立派な経営者にしてみせる。


 天野は戦闘態勢を解除した。

 苦笑しながら言った。


天野勇二

そ、そうなんだ……。

あはは……。

ねえさん、頑張ってね‥…。

如月沙織

はい、勇二くん。
それで、失礼な話かと思うんですが……。


 沙織はもじもじしながら天野の瞳を見つめた。


如月沙織

私が一人前になって、どこに出ても恥ずかしくない大人になったら……。

勇二くんを支えられるほどの人間になれたなら……。

また『お付き合い』を申し込んでも構いませんか?


 天野は「ぎょっ」として沙織と如月を睨みつけ、即座に叫んだ。



天野勇二

い、嫌だよ!
嫌だ!
却下だ!
絶対にお断りだ!
交際なんかしない!
殺されたくないって!



 如月は「がっはっは!」と豪快に笑うと、ガシッと天野の手を掴んだ。


如月正雄

勇二くん、今度は本心だ。

私も君のような立派な息子が欲しい。

是非とも沙織との交際、そして結婚をお願いしたい。


 天野は青ざめながら叫んだ。


天野勇二

なんだそりゃ!?
お前、この間まで俺を殺そうとしやがったくせに!

如月正雄

あっはっは!
確かにそうだな。
それも是非、水に流して欲しい。

天野勇二

水に流せだとぉ!?

ふざけてんのか!

俺様は水洗便所で流せるようなクソ野郎じゃねぇんだ!

そんな簡単に水で流せるかぁ!


 天野はテラスから逃げ出した。


 ようやく混乱から解放された前島が驚いて叫ぶ。


前島悠子

……はっ!

し、師匠!?
どこに行くんですか!

続きは!?
『チュッ♡』の続きはないんですか!?

何ならもう『婚姻届』にサインとかしますかッ!?

天野勇二

お前も黙れ!
続きなんかない!
結婚なんて御免だ!


 一気に階段を駆け下りる。


 キャンパスを走り抜ける。


 天野は力の限り叫び続けた。


天野勇二

嫌だ!
絶対に嫌だ!

結婚なんかしたくねぇ!

俺はまだ嫌だ!

嫌だと言ったら嫌なんだ!!!


 天野の悲鳴がキャンパスにいつまでも轟いていた。








(おしまい)


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つばこ

ご愛読いただきありがとうございました。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
 
無事、『天才クソ野郎の事件簿』は100話を迎えられました!
本当にありがとうございます!
全て読者の皆様のおかげです!
これからも宜しくお願いします!ヽ(○´3`)ノ ブチュゥゥゥ
 
 
さてさて、今回の天野くんにはある意味「史上最大の危機」が訪れましたが、次回も同じくらいの危機が訪れます。
むしろ次回こそ「真の史上最大の危機」かもしれません。ドキドキハラハラのサスペンスを楽しんでいただければ幸いです。
 
それでは来週火曜日、
『彼を上手に流出させる方法』
にて、お会いしましょう。
 
つばこでしたヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 483件

  • ゆう

    如月さん強いなと改めてwwwwww

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  • あらた

    この話の挿絵永遠と見てられますありがとうございます(^p^三^p^)ウフフフ
    美しい……美しい…

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  • メロンパンの皮欲しいです。

    涼太と優子の叫びエンドは大したことない場合が多いけど、勇二の叫びエンドは大抵厄介なオチになるから同情はするよ。同情するだけだけど

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  • モブB

    本編226話
    からの
    「特別長編 天才クソ野郎とアルカナの支配者」17話のコメント
    からの
    本編100話の読み返し(←今ここ)

    挿し絵あざす!

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  • rtkyusgt

    そんな気分だったんだ

    もう早く結婚してくれ♡

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