天野勇二

(クソッ! コイツらこれが目的だったな! 夕飯なんてブラフだ! 俺様を女と見合いさせるつもりだったのか!)




 と気づいた天野は、母親と妹たちの「交際しなさいよ」攻撃から、やんわり逃げ続けた。


天野勇二

フッ、俺は忙しいんだ。
交際なんて考えられないな。

天野桃子

だけどね、あなたもそういう相手を考えてもいい年なのよ。

天野勇二

あっはっは。
まだ俺は学生じゃないか。
交際なんて遠い世界の話さ。

天野胡桃

でも私のクラスにはカップルがいるよ?
ちい兄ちゃんだって早くないよ。

天野勇二

あっはっはっはっはっは。
胡桃よ、俺をそこらの中学生ガキと一緒にするんじゃない。


 天野は女性と交際するつもりはない。


 いくら溺愛できあいしている胡桃の願いだとしてもノーサンキューだ。


天野勇二

いいか、俺は忙しい。
医学生ってのは忙しい。
とにかく忙しいったら忙しいんだ。


 しつこいほどに「忙しい」を連呼。


 際どい質問が飛んで来れば、キンピラを口の中に大量に放り込む。


 時にはトイレにも避難。


 天野はのらりくらりと逃げ続けた。


天野桃子

はぁ……。
いい勇二?
しっかり聞きなさい。


 桃子は真剣な表情で告げた。


天野桃子

あなたは卒業したら医者になるのよ。
そうしたらまともな出会いなんて滅多に訪れないの。
今のうちにしっかり身を固めておきなさい。
あなたには『金目当ての打算的な女』なんて選んでほしくないのよ。


 妹たちも続く。


天野桃香

そうだよ。
ちい兄の奥さんは私たちの『お義姉ねえさん』になるんだから。
変な女は嫌だもんね。

天野胡桃

うんうん。
胡桃はね、沙織さんみたいに素敵なお義姉さんがほしいなぁ。






天野勇二

あのなぁ……。

さっきから俺ばかり説得しているが、こういうのは当人たちの問題だろう?
沙織ねえさんの気持ちはどうなんだよ?


 そう言いながらお茶を飲み、全員の顔つきを見る。



 そして気づいた。



 全員の顔には「そっちはもう話が済んでる」と書いてある。



 天野は思わず沙織を凝視した。


天野勇二

……沙織ねえさん?
お、俺と付き合いたいの?


 沙織の頬が赤くなる。

 照れくさそうに頷いた。


如月沙織

……ダメでしょうか?
勇二くんの写真を見せていただいて、素敵だなぁ、と思っていたんです。

天野桃子

沙織さんはあなたを気に入ってくれたのよ。
だからこの場を設けたの。
キサラギ製薬のお嬢様だなんて、これ以上ないほどの女性じゃない。


 天野は小さく舌打ちをした。


天野勇二

ふぅん……。
医師と製薬会社の人間の結婚ねぇ。
うまくいったケースがどこかにあったのかねぇ?

天野桃子

うぐっ……。


 桃子が気まずそうに顔を伏せる。


 口うるさい母親を黙らせると、天野は沙織に向き直った。


天野勇二

沙織ねえさん、悪いんだけど今の俺は忙しい。
寂しい思いをするだけだ。
俺と付き合うのはやめたほうが無難だよ。


 沙織は恥ずかしそうにはにかんだ。


如月沙織

私としても、いきなりこんなところで「OK」して貰えるとは思ってません。
恋人候補として考えてくれませんか?


 天野はあっさり首を横に振った。


天野勇二

却下だな。
悪いけど『キープ』みたいなことはしたくない。
沙織ねえさんの貴重な時間を潰すだけだ。

それに俺は沙織ねえさんに見合うような人間ではない。
大学じゃ誰もが俺を『クソ野郎』と呼んでいる。
性格の悪い男なんだよ。


 胡桃が口を挟んできた。


天野胡桃

『天才クソ野郎』でしょ。
ちい兄ちゃん、実はすごく優しいって言われてるよ。

天野勇二

おい胡桃…‥。
誰もそんなこと言わないさ。

天野胡桃

ううん。
ちい兄ちゃん、昔からすごく優しかった。
いつも私とお姉ちゃんを守ってくれた。
自慢のお兄ちゃんだもん。


 桃香も嬉しそうに挙手し、沙織に語りかけた。


天野桃香

お父さんもお母さんも忙しくて帰ってくるのが遅かったから、いつもちい兄が私たちの面倒を見てくれたの。
私たちのご飯を作ったり、掃除や洗濯をしたり……。
それでいて学校の成績はいつもトップだったんだよ。

如月沙織

わぁ……。
勇二くんって、本当に凄いんですねぇ……。


 天野は困ってしまった。


 確かに昔の天野は優秀な兄だった。

 長男は勉強一筋。

 両親は仕事熱心で、家庭を省みることが少なかった。

 天野が妹たちを守らないと、家族が成り立たなかった。



天野勇二

(だが、それも中学の時までの話だ……)



 中学生の時。

 兄の変化がきっかけだった。

 その時から、天野は『良い兄』ではいられなくなったのだ。



 天野はひとつ咳払いをすると、肩をすくめながら言った。


天野勇二

とにかく……。
俺は褒められるような人間ではない。
誰かと付き合うつもりも、ない。


 会話を締めくくろうとしたが、沙織は意外にも食い下がった。


如月沙織

勇二くん、ダメですか?
友達からでもいいんです。
私にもっと勇二くんのことを教えてください。

天野勇二

いやいや……。
沙織ねえさんが何を気に入ったのか知らないが、本性を知れば幻滅するだけだ。
絶対に俺と関わらないほうがいい。
沙織ねえさんにはもっと相応しい男がいるよ。


 沙織はブンブンと首を横に振った。


如月沙織

いいえ。
勇二くんの瞳、とっても素敵です。

それに自分のためではなく、私のことを思って断っています。
そんな優しい勇二くんと、もっとお近づきになりたいんです。


 桃子がたしなめるように言った。


天野桃子

ねぇ勇二、ここまで言ってくださるのよ?
しかもキサラギ製薬のお嬢様じゃない。
何が不満だって言うの?


 天野はじろりと母親を睨んだ。


天野勇二

しつこいな。
さては俺の交際を利用してキサラギ製薬に転職するつもりか?

いや、そうか。
沙織ねえさんと結婚すれば、俺がキサラギ製薬を継ぐかもしれない。
母さんの『野心』を考えると、キサラギ製薬を手に入れたいとでも企んでいるのか。

天野桃子

あのねぇ……。
あなたって子は……。


 桃子は呆れてしまった。


天野桃子

この世界で子供が『玉の輿』に乗れて喜ばない親はいないのよ。
私は乗られるくらいなら乗ってほしいの。
それにそもそもの問題として、沙織さんはあなたをとても気に入っているのよ。


 胡桃も母親を援護する。


天野胡桃

そうだよ!
沙織さんがここまで頼んでるのに酷いよ!
女の敵だ!
胡桃はもうちい兄ちゃんに料理作ってあげないから!


 天野は本当に困ってしまった。

 周囲を見渡せば女しかいない。


 文字通りの四面楚歌しめんそかだ。


天野勇二

(まいったな……。俺は恋すらしたことないってのによ……)


 ため息を吐き、腕組みをしながら思案する。


天野勇二

(俺様の心は イカれている。恐らく『ゆう兄』のことが関係しているんだ。しかし、この場でそのことを言えば……)


 天野は嫌そうに首を振った。


 そのことを言えば、空気はとても悪くなるだろう。


 妹たちは泣き出すかもしれない。


 天野も口に出すほど子供ではない。


天野勇二

(しかし、仮に 『付き合う』とでも言えば、真剣に交際をしないとこの女たちは許さないだろう……。クソッ……。これはまいったな……)



 天野は諦めて沙織に告げた。



天野勇二

……沙織ねえさん。
正直に言うよ。
俺は女性と真剣に交際したことがないんだ。

天野桃香

えぇっ!?


 桃子と桃香と胡桃は仰天して天野を見つめた。


 中学時代はモテまくっていた男だ。


 浮き名を数多く流していた。


天野桃香

マ、マジで!?
ちい兄、女の子を家に連れてきたこともあったじゃん!
あれ遊びだったの!?


…………あっ。


 桃香が思わず口走った。


 沙織の前だということを思い出し、慌てて口元を押さえる。


 天野は桃香を優しく見つめながらも、はっきりと沙織に告げた。


天野勇二

まぁ、そうなんだ。
だから 『友達』としての付き合いになる。
それ以上は俺の人生に存在しないんだ。
それで勘弁してくれるかな?


 沙織は嬉しそうに頷いた。


如月沙織

はい!
それでも構いません!
宜しくお願いします!


 胡桃が嬉しそうに叫ぶ。


天野胡桃

やったぁ!!!
カップル成立!
ヒューヒュー!
早く連絡先を交換して!


 天野は「もうどうにでもなれ」と思いながら、沙織と連絡先を交換した。


 アドレスをしっかり登録したのを確かめると、桃子が言った。


天野桃子

それじゃ勇二、今日は車かバイクで来てるんでしょ?
沙織さんを送りなさい。

天野桃香

そうだよ!
ちゃんとお嬢様をお送りして!

天野胡桃

うんうん!
送ってあげて!


 天野はうんざりしてきた。


 友達の関係が始まったので 「お2人でごゆっくり」という流れだ。


天野勇二

(まずいな。車で来てしまったぞ。沙織ねえさんと何を話せばいいんだ……)


 天野は頭を抱えた。


 素っ気ない態度をとれば、沙織から妹たちの耳に入るだろう。


 沙織の好感度なんか上げたくもないが、妹たちには嫌われたくない。


天野勇二

はぁ……。
ったくしょうがねぇ……。

沙織ねえさん、送るよ。
家はどこなの?

如月沙織

ありがとうございます。
田園調布なんです。

天野勇二

ふぅん。
お嬢様はいいところに住んでるね。


 実家を後にして、沙織をエスコートする。


 ツイてないことに、この日は愛車で来てしまった。


 基本的に天野はキレイ好きだ。


 愛車の中では禁煙を徹底し、常に清潔であるように心がけている。


如月沙織

素敵な車なんですね。


 案の定、沙織は車内を見て天野を褒めた。


天野勇二

そんなことないさ。
沙織ねえさんはリムジンとか乗ってるんじゃないの?

如月沙織

リムジンだなんて、特別なパーティの時だけです。


 本当に乗ってるのかよ、大したお嬢様だぜ、と思いながら天野は車を走らせた。


天野勇二

沙織ねえさんは、よく天野の家に行くの?


 沈黙で包まれない程度に会話を振る。


如月沙織

お仕事の関係でお母様と再会しまして。
それ以来、時々お呼ばれしています。
妹さんたちと過ごせるのがとても楽しくて……。
まるで本当のお姉さんになった気分です。


 沙織は嬉しそうに笑った。


 天野は「じゃあ、俺のことも弟みたいに見てくれよ」と思いながら尋ねた。


天野勇二

沙織ねえさんには兄妹がいないの?

如月沙織

いないんです。
一人っ子なんです。

天野勇二

羨ましいな。
俺は4人兄妹だから、いつも一人っ子の家庭に憧れてた。

如月沙織

あら、一人っ子は寂しいんですよ。

天野勇二

ふぅん。
あまり想像できないな。

如月沙織

あれだけ可愛い妹さんがいるなんて、勇二くんはとても恵まれてます。
私は広いお家にいつも1人で、話し相手もいなかったんですから。

天野勇二

まぁ、それは確かに寂しいかもね。

如月沙織

だから子供は絶対に2人以上欲しいんです。

沢山の子供たちと家で過ごしながら勇二くんの帰りを待つ……。

そんなことを考えるのは、ちょっと気が早いですよね。


 照れくさそうに頬を染めている。


 天野はその横顔を眺めながら思った。


天野勇二

(はぁ……。重い。沙織ねえさんは重すぎる)


 キサラギ製薬の一人娘。


 結婚するとなれば「婿入むこいり」は必須だ。


 今の話にしても、沙織は「専業主婦となり実家で暮らしたい」と主張しているようなものだ。


天野勇二

(それだけじゃない。沙織ねえさんは恐らく 『処女』だ……)


 天才であるためなのか、父親が産婦人科を経営している影響なのか、天野は女性を見ただけで『処女』か『非処女』か見破ってしまう特殊能力センサーを持っている。


 天野の見立ててでは、沙織は『処女』だった。


天野勇二

(これでは28歳までマトモに男女交際をしていたのか怪しい。これに『キサラギのお嬢様』というオプションが加わるのか……。何もかもが重すぎる……)


 ため息を吐きながらも、天野は会話を円滑に盛り上げた。


 どうせドライブの結果は沙織を通して妹たちに伝わる。


 気乗りしなかったが、少し気を利かせることにした。


天野勇二

ねえさん、この先に夜景が見える高台があるんだ。
寄っていく?


 天野はもう「ねえさん」と呼ぶことにした。


 自分は『弟的ポジション』であることをアピールしているのだ。


如月沙織

いいですね。
寄ってみたいです。

天野勇二

じゃあ、行こうか。


 天野は高台に車を停めると、公園まで沙織を連れて行った。


 それほど眺めの良い公園ではない。


 都内の夜景なんて、ビルかタワーにでも登らないと大したことはない。


如月沙織

うわぁ……。
綺麗ですねぇ。


 それでも沙織は嬉しそうだ。


 大したことのない景色に見惚れている。


天野勇二

ねえさんはもっと美しい景色を見てきたでしょ?

如月沙織

そうですねぇ。
自然ならナイアガラやマチュピチュやウユニ塩湖。
人工的なものでしたらモンサンミッシェルやドバイの夜景などが素敵でした。


 天野は苦笑するしかなかった。


 沙織は「会話のレベルを下げる」ということを知らない。


 自らのブルジョワ感覚が普通で、他人も同様だと思っているお嬢様なのだ。


天野勇二

へぇ、ドバイか。
綺麗なんだろうね。

如月沙織

すごく綺麗なんですよ。
是非一度行かれてみてください。


 沙織は「コンビニでお茶でも買ってきたら」ぐらいのノリで語っている。


天野勇二

ああ、是非とも行ってみたいね。

如月沙織

……もう一度、私も勇二くんと一緒に行きたいな。


 沙織の手が、天野の手と重なる。


 天野は「まずい」と感じた。


天野勇二

ねえさんとね。
ねえさんと一緒にか。
うん、ねえさんと行けたら、そうだね。
ねえさんなら楽しそうだ。
俺とねえさんか。
海外はね、色々と心配だけど、ねえさんがいるなら安心だな。
ねえさんだもんな。
俺のねえさん、だもんな。
ねぇ、ねえさん。


 天野は「ねえさん」を連呼しながら、心の中で深くため息を吐いた。






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つばこ

天野家……。
恐ろしい一家ですね……。
犯罪者をメスで切り裂き、あっさり骨を折り、時には硫酸を浴びせ、拳銃だって躊躇なくぶっ放す天野くんが、何と手も足も出ないとは……。
 
どんな天才にも弱点があるものですが、天野くんの場合はこの辺りがウィークポイントになるようです。
まぁ、そんなところが可愛らしいなと、感じていただければ嬉しいです(´∀`*)ウフフ
 
次回は皆様お待ちかねの前島悠子ちゃんが登場します。(ついでに涼太くんも登場します)
弟子たちが絡み、よりややこしくなる三角関係(?)にご注目ください!
 
それではいつもオススメやコメント、本当にありがとうございますヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 299件

  • ももぱか

    わーほんとだ。ちょっと違う。

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  • rtkyusgt

    自分のこと客観的に見れなさそう。

    とりあえず、勇二には悠子がいるんだ。
    だから君とは付き合えないんだ!

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  • ピカルディの3度

    沙織さん、悪気は一切無いんだろうな
    世間の価値観に疎いだけで、自慢してるつもりで話してる訳でもない
    でもだからといって、違和感を無理して押し殺して付き合う義務が周囲の人にある訳じゃないよね

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  • みと@第3艦橋OLD


    最後のねえさんラッシュwww

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  • まこと

    天野くんのピンチ!
    壊れたステレオみたいに “ねえさん” 連呼しはじめたwww

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