渋谷しぶや駅の近く。

 雲ひとつない青空の下。

 ビルの屋上にある、オープンテラスの喫茶店。


 美緒はそこで、ひとりの人物と会っていた。


森崎美緒

……長野さん、本当にごめんなさい。


 そう言って封筒を差し出す。

 かつて長野が天野に手渡した金だ。

 長野は封筒の中を見つめ、呆れたように息を吐いた。


長野

……困るな。
僕は美緒さんに渡したんじゃない。
土井くんに渡したつもりだけど。

森崎美緒

そ、そうなんですけど……。

長野

もし返してくれるなら土井くん本人、もしくは彼の友達……なんて名前だったかな。
あの子から受け取るのが筋だと思うけど。

森崎美緒

は、はい……。
その、本当にごめんなさい……。


 美緒は恐縮しながら頭を下げる。

 そもそも恋愛経験の少ない娘だ。

 『別れ話』を切り出すなんて、これが人生で2回目。

 当然ながら慣れていない。


 長野は嫌そうに尋ねた。


長野

ねぇ美緒さん、正気かい?
本当に僕じゃなくて土井くんを選ぶのか?


 美緒は小さく頷いた。

 長野の眉間にはシワが寄っている。


長野

何故、あんな男を選ぶんだ?
せっかく君の瞳は見えるようになったのに。
もし恩義を感じているなら忘れたほうがいい。
同情心で一緒にいられても、土井くんは幸せになれないよ。

森崎美緒

同情ではありません。
身勝手だとは思いますが、しっかり自分自身で決めたことです。

長野

もう一度考え直すんだ。
こんなことを言いたくないけど、僕は土井くんにないものを十分に持っている。
君を幸せにする未来だってね。


 美緒は辛そうに俯いている。


長野

君は目が見えるようになり新しい価値観を手にした。
それに戸惑っているんだ。

君ほど世界が変わってしまえば、昔と今を同じようには比べられない。
何が正しいのか判断するのは難しいだろう。
気持ちが揺らぐのも理解できる。


 長野は必死に語りかける。


長野

だからこそ、昔のことを忘れるんだ。
盲目だった時の思い出なんて、今の君には必要ない。
土井くんは君に相応しい男じゃない。
彼を選ぶなんて君はどうかしてるよ。


 美緒は辛そうに口唇を噛み締めた。


 優しい口調だ。

 それでも言葉の端々に苛立ちが混じっている。

 そう言いたくなる長野の気持ちも、美緒は理解できた。


森崎美緒

……あの、長野さん、これを覚えてますか……?


 美緒は鞄の中からハンカチに包まれた何かを取り出した。

 それを見て、長野の顔がさらに歪む。


長野

そんな汚いもの……。
まだ持っていたのか。

森崎美緒

はい。
どうしても捨てられなくて。

長野

僕は『捨てろ』と言ったはずだ。
そんな汚いものを後生大事に持ち歩いて……。
さっぱり理解できない。


 美緒は静かにハンカチを広げた。

 中から『アスファルトの破片』が出てきた。

 おにぎり程度の大きさ。

 ボロボロに汚れた石だ。


森崎美緒

これを見る度に、思っていたんです……。


 美緒はじっと破片を見つめた。


森崎美緒

どうして、これが『青く輝く石』と呼べるのか。
ただの汚れた破片なのに、なぜ、青く輝くものなのか。
ずっとわかりませんでした。

でも、やっと、わかるようになった気がするんです。
不思議なほど強く、そう思えたんです。

それに気づいたら、私はどうしても、あの人を手放したくなかった……。
誰かに何を言われても、ののしられても、さげすまれても、失ってしまうことだけは嫌だと、そう思ったんです……。


 美緒の瞳から涙がこぼれる。

 美緒は深く頭を下げた。


森崎美緒

長野さん、本当にごめんなさい。
私は最低の女です。
きっと長野さんは私を幸せにしてくださると、心からそう思えます。

でも、私には見たいものがあります。
瞳に映る大切なものを幸せにしたいと、思うようになりました。

どうか私のことを忘れて、本当に素敵な方と巡りあってください。
本当に、ごめんなさい……。


 長野はじっと美緒の顔を睨みつける。

 心底嫌そうにため息を吐いた。


長野

……やめろ。
それ以上、『ごめん』とか『最低』だとか、自分で言うんじゃない。
君を責めたいのはフラれたこっちの方だ。
悲劇のヒロインを気取らないでくれ。

森崎美緒

は、はい。
すみません……。

長野

まったく呆れるね。
僕はあんなトロそうな男に劣るってことか……。


 長野は大きく息を吐いた。


長野

もう、いいや。
なんか冷めた。

美緒さん、ちゃんと眼科行きなよ。
僕より土井くんを選ぶなんて目がおかしいって。
いや、おかしいのは頭か。
美的感覚がおかしいんだ。
目だけじゃなくて、他にも障害があったんじゃないのか?


 美緒の頬がかぁっと赤くなる。

 それでも黙って言葉を受け止めた。

 怒る権利なんて自分には存在しない、と思っているようだ。



 長野は反応のない美緒の顔を見て、またため息を吐いた。


 そして最後の言葉を告げた。


長野

……まぁね、正直なことを言うと、勝ち目はないだろうと思っていたよ。

僕は君を見つけるのが遅かった……。

そして、土井くんのように君を見つけられたか、自信はないね。


 長野は爽やかな笑みを浮かべた。

 分厚い封筒と、伝票を手に取る。


長野

土井くんと、お幸せにね。


 長野は立ち上がった。


 美緒に背を向け軽く手を振る。


 もう振り返ることはなかった。


 美緒はその背中に、黙って頭を下げた。










 美緒の後方。

 オープンテラスの最奥。

 そこにキャップとサングラスで顔を隠した、2人の若者が座っていた。


佐伯涼太

……ふぅ。
行っちゃったね。


 耳からイヤホンを外し、涼太りょうたが安堵の息をもらした。

 目の前には天野の姿。

 こちらもイヤホンを耳から外している。


天野勇二

クックックッ……。
なかなかキザな男だ。
嫌いじゃないね。


 なぜか嬉しそうに不敵な笑みを浮かべている。


佐伯涼太

ねぇ勇二、危ない話になりそうだから『盗聴』しとけ……って言ったわりにはさ、至ってフツーの別れ話だったじゃん。
なんであんなの聞きたがったの?


 涼太は首を傾げている。


 天野から「気になる会話があるから盗聴する。サポートしろ」と命じられてオープンテラスの喫茶店に来たのだが、聞かされたのはただの別れ話だ。


 なぜ天野が気になったのか、涼太は理解できない。


天野勇二

ただの好奇心さ。
かなりかき回してしまったからな。
ここまで来たら最後まで見てやろうと思ったのさ。

佐伯涼太

何をかき回したのよ?
また『依頼』されたの?

天野勇二

そんなところだ。

佐伯涼太

それ、聞いてないんですけど。
なんで相棒の僕ちゃんに相談しないのさ。

天野勇二

今回は弟子が良い活躍をしてくれてな。
まぁ、それを差し引いても、お前に相談するつもりはなかったよ。


 涼太は不満気に口を尖らせた。


佐伯涼太

うげぇ、最近の勇二は冷たいなぁ。
全然僕ちゃんと遊んでくれないじゃん。
僕は寂しいよ。
出番がまるでナッシングだ。
前島ちゃんより役に立つと思うのになぁ。

天野勇二

ならば尋ねるが、お前、なぜ人には目がついていると思う?

佐伯涼太

はぁ?


 突然のクエスチョン。

 涼太は目を白黒させた。


佐伯涼太

なにそれ?
障害物や物を認識するためでしょ?

天野勇二

確かにそうだ。
だが、その『真理』は何だと思う?

佐伯涼太

シンリ?

……ははぁん。
そういうことか。


 涼太は納得して頷いた。

 このクソ野郎は、幼い頃から哲学的な討論ディスカッションが好きだった。

 よく付き合っていたがここは茶化してやろうと判断して、涼太はクネクネと身体を動かせた。


佐伯涼太

勇二先生!
そんなの決まってるじゃありませんか!
女の子の恍惚こうこつに染まる表情と、魅力的なボディラインを見るためだよ!
だから神様は僕に目を与えてくれたのさ!

ああ神様!
ありがとうございます!
おかげで色々な女の子とパコることが楽しめました!


 天野は苦笑して涼太を見つめた。


 涼太がそう言うなら、それでいいような気がする。


 不思議な男だ。


 天野はそんな涼太が嫌いじゃなかった。


佐伯涼太

……あっ、ていうか、あの娘行っちゃうよ。


 美緒が立ち上がった。

 店員に頭を下げ、しっかりとした足取りで店を出て行く。


佐伯涼太

ねぇねぇ、あの娘、ナンパしてもいいかな?

天野勇二

ダメだ。
あれは俺たちの『旧友』の女だぜ。

佐伯涼太

旧友? 誰それ?

天野勇二

さっきもアイツらが話していたじゃないか。
土井だよ。
あれは土井の女だ。

佐伯涼太

ああ、そんなこと言ってたね。
土井かぁ……。


 涼太は不思議そうに首を捻った。


佐伯涼太

うーん……。
土井くん……。
そんな名前の友達いたっけ?

天野勇二

いたよ。
中学の同級生だ。

佐伯涼太

中学?
おかしいなぁ。
僕は中学の同級生ならほとんど覚えてるんだけど。


 天野は舌打ちしながら告げた。


天野勇二

チッ……。
『爆弾岩』のことだよ。


 その言葉を聞いた瞬間、涼太の顔がピコーンと反応した。


佐伯涼太

爆弾岩か!
ああ、そういえば土井って名前だった!
顔面ゴツゴツのブサイクだった爆弾岩かぁ。
懐かしいねぇ。
そうかぁ、あの絶世の美女ちゃんは爆弾岩の女なのかぁ…………って、ええぇっ!?


 大声をあげて立ち上がる。

 周囲の客が驚いて涼太を見つめた。

 涼太は「あ、ごめんなさい」と呟きながら声のトーンを落とした。


佐伯涼太

う、う、嘘でしょ?
あの娘、めっちゃ美人だったじゃん。
なんで爆弾岩を選んだの?

天野勇二

知らねぇよ。
岩が好きなんじゃねぇのか。

佐伯涼太

なるほどねぇ。
現代のアイドルにはコケを愛するマニアな娘がいるからレアメタルが好きな娘がいてもおかしくない…………ワケないでしょ!


 オーバーなノリツッコミ。

 非常にやかましい。

 天野は呆れたように言った。


天野勇二

お前が何を言おうと、それが現実だ。
むしろ俺たちが盗聴していたのは、爆弾岩の女がイケメンセレブをバッサリ捨てる、という歴史的瞬間だ。
どうだ。見たいと願うのも自然だろう。

佐伯涼太

マジか……。
爆弾岩、あのイケメンに勝ったんだ。
やり手だったんだね。
寝技が得意とは知らなかったな……。


 涼太は思わず唸った。

 確かに先ほどの男はかなりのイケメン。

 身につけているものも一流だった。

 腕時計ひとつで新車が買えるだろう。


 天野は少し満足そうに言った。


天野勇二

まぁ、あの女も出会った頃は並以下の女だった。
俺様としては土井とお似合いとしか思えんな。

佐伯涼太

その言い方だと、勇二も絡んでいたんだね。
爆弾岩の恋のプロデュースをしてあげたってワケ?

天野勇二

そんなところだ。


 涼太は呆れたように「ヒュー」と口笛を吹いた。


佐伯涼太

おやおや、残虐非道なクソ野郎様も丸くなったね。
なんでそんなことしたの?
昼飯ランチを奢って貰ったの?

天野勇二

いや、そういえば……。
何も報酬らしき物を受け取っていないな。
これはいかん。
いつか野菜でも送らせるか。

佐伯涼太

ロハで依頼を受けたんだ。
『学園の事件屋』にしては珍しいねぇ。


 涼太はニヤニヤと品のない笑みを浮かべた。


佐伯涼太

さては勇二、爆弾岩と美女ちゃんの恋愛が、『真実の愛』であってほしいと願ったんでしょ?
勇二は案外ピュアでロマンチストな一面があるからね。
だから手助けしてあげたんだ。
どうよ、図星でしょ?


 天野はタバコを取り出すと、ニヤリと口唇を歪めた。


天野勇二

おいおい……。
俺様がそんなことを願うワケないだろう?
セレブなイケメンよりも、醜い爆弾岩に恋する女のほうが見ていて愉快じゃないか。
ただそれだけのことさ。

佐伯涼太

ふーん。本当かなぁ。
そんなことのために勇二が動くかなぁ。


 天野は「クックックッ」と悪い笑みを浮かべ、さり気なく話を逸らした。


天野勇二

それより、俺様が爆弾岩の恋をどのようにプロデュースしたのか、聞きたくないか?
どうやって爆弾岩があの女と出会い、別れ、そしてまた出会ったのか。


 涼太は苦笑しながらも、手をぽんと叩いた。


佐伯涼太

聞きたい!
教えてよ!
爆弾岩の恋愛、めっちゃ気になる!



 天野はタバコに火をつけ、ちらりと美緒が座っていたテーブルを眺めた。




 あの恋がどのような決着を迎えるのか、それは知らない。


 何かが起きたとしても、今度こそ2人だけの問題だ。


 それでもあの2人はどんな苦難も乗り越えて行くだろうと、天野は予感していた。




 タバコの煙を吐き出し、天野は偉そうに語り始めた。



天野勇二

……出会ったのは病院の中庭。

1人の女が『星の王子様』から貰った『青く輝く石』を落としてしまった。

全てはそこから始まったんだ……。



 空を見上げる。


 青空の彼方にひとつ、小さな星が流れたような気がした。









(おしまい)


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つばこ

ご愛読いただきありがとうございます。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
 
 
涼太「僕は寂しいよ。出番がまるでナッシングだ(´;ω;`)」
つばこ「しょうがねぇなぁ( ゚д゚)」
 
涼太くんファンの皆様、お待たせしました!
次回は最近さっぱり出番のなかったクソ野郎の『相棒』こと、佐伯涼太くんが『主役』となるエピソードを紹介します!
しかもガラっと雰囲気を変えます!
久々に『ミステリー』をやります!
『犯人当て』が楽しめる推理物です!
難易度の高くないパズラーをお届けしたいと思いますので、色々とお楽しみいただければ幸いです。
 
それでは来週火曜日、
『彼が上手に名探偵になる方法』
にて、お会いしましょう。
 
つばこでしたヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 290件

  • きょこ

    世紀末の詩?だよね。ラストが違うけど、オマージュだって表記しないといけないラインだと思う。

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  • 陰陽猫

    今回のエピソードは(明らかに)チャールズ・チャップリン監督の映画「街の灯(1932米)」が下敷きになっていますが、「盲目の少女が見える様になり、その後花屋になる」件(くだり)まで原典そのままなのは苦笑しました。(因みに)漫画家・赤塚不二夫さんも同映画を翻案、自作「おそ松くん」一エピソード「イヤミはひとり風の中」を描き(更に)近年、アニメ「おそ松さん」でもこれを採り上げて─と、全く大した生命力ですが、それだけ良く出来た話なのでしょう。正に神(ならぬ)チャップリンは偉大なり…。

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  • 慧緒霧

    涼太くんファン待ってましたっ!

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  • 麒麟です。Queen親衛隊

    長野さんどこまでもいい人説すごく好きです!!

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  • ねここ

    盗聴してるんかい!
    お蔭で、読者も別れ話を聞くことが出来ました(違う)
    …いい感じの別れ話に持っていった長野さん、すぐ又恋愛出来そうで、思ったより心配じゃない。

    土井さん美緒さん、今度こそお幸せに。二人がかつて育んだ純粋な感情を持ち続けられれば、きっと大丈夫…と思いたい。

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