退院予定の金曜日。


 天野は愛車の助手席に前島を乗せ、大学病院へ向かっていた。



 前島は天野と「2人きりのドライブ」かつ、初めての「助手席」ということもあり、とてもご満悦だ。

 ずっと鼻歌を奏でている。

 陽気な弟子の様子には気づかず、天野は美緒が行う手術のことを前島に語っていた。


天野勇二

美緒さんが行う角膜移植手術ってのは、かなりデリケートなものでな。

角膜自体には血液が流れていないため、拒絶反応が起こる可能性は低い。
だが、それでも2~3割の確率で拒絶反応が発生しちまう。
術後の処置や感染症、その他の病気を発症することだってある。

視力が健常者のように快復するのは稀なもんだよ。

前島悠子

へぇ、そうなんですか。
心配ですねぇ。


 解説に頷きながら、前島は天野の腕に絡みつく。


天野勇二

おい、運転中に抱きつくなよ。

……それでな、人工の角膜を移植させることもあるのさ。
驚いたことに自分の『歯』を角膜、つまり瞳にしちまう手術もある。
自らの身体を使うため拒絶反応が少なく、ドナーを待つ必要もないってワケだ。


 前島はふと思い出したように言った。


前島悠子

あ、師匠。
チョコありますよ。
食べます?

天野勇二

ああ、もらおう。

……この『歯』を用いる角膜手術は難しくてな。
欧州ではすでに定着しているが、日本では執刀できる医師が少ない。

まぁ、俺様がその分野に進めば、日本を代表する名医になっちまうんだろうなぁ。
クックックッ……。

前島悠子

師匠、はい。
ふぁーん。

天野勇二

なんでチョコを口移しで渡すんだよ。
食いづらいじゃねぇか。

……お前もしかして、さっきから話を聞いてないだろ。

前島悠子

聞いてますよ。
チョコ食べるんですよね。

天野勇二

やっぱり聞いてねぇじゃねぇか!


 前島は「いつまでもこの時間が続けばいいのに」と願っていたが、残念ながら大学病院の駐車場にて、短いドライブは終了した。

 

天野勇二

ついた。ここだ。

前島悠子

ここが大学病院ですか。
立派な病院ですね。

天野勇二

ああ、だがかなり高いんだ。
入院するのであれば、別の病院をお勧めするよ。


 天野は真っ直ぐに美緒の病室へ向かった。

 そして、美緒の病室の前でウロウロしていた土井を発見した。


天野勇二

よう土井、来たぜ。

土井健太

勇二くん、いいタイミングだよ。
ちょうど包帯を取でゅとこなんだ。

天野勇二

そうか。
間に合って良かったよ。

……ああ、土井よ。
紹介しよう。
俺様の弟子だ。
前島悠子だ。


 前島は営業用の純真無垢な笑顔を浮かべた。

 土井は仰天した。


土井健太

ま、前島さん、ってあの?
アイドデュの前島悠子さん?

前島悠子

はい!
アイドルの前島悠子です!
師匠の弟子をやってます!

土井健太

あ、ど、どうも。
土井健太です……。


 いきなりの芸能人の登場。

 土井は緊張し、ペコペコと頭を下げた。


土井健太

おではその、勇二くんとは中学が一緒だったんです。
前島さん、テデビで見たことあでぃます。

前島悠子

ありがとうございます!
いきなりで失礼だと思うんですけど、美緒さんの退院にご一緒しても構いませんか?


 土井は嬉しそうに微笑んだ。


土井健太

大歓迎です。
美緒さんも前島さんのファンなんです。
きっとうでしいと思います。

前島悠子

やったぁ!
ありがとうございます!


 天野がちょっと申し訳なさそうに言った。


天野勇二

すまんな。
ゲストを増やしてしまって。

土井健太

ううん。
気にしないでいいよ。
勇二くんの友達だもの。

天野勇二

前島は人見知りしない女だ。
美緒さんと色々な話もできるだろう、と思ってな。

土井健太

まさか勇二くんの友達に、芸能人がいでゅなんて、びっくでぃだよ。


 土井がそう言うと、ちょうど美緒の担当医が病室にやって来た。


 ついに包帯を取るのだ。


 美緒が世界を目にするのだ。


土井健太

先生、よどしくお願いします。


 土井が深々と頭を下げると、担当医は嬉しそうに言った。


担当医

今のところ拒否反応はありません。
これで美緒さんがしっかり目が見えれば、手術は大成功ですよ。


 天野は医師を見て満足気に頷いた。

 かなりのベテラン医師だ。

 この分野ではトップクラス。

 天野が安堵していると、前島が小声で話しかけてきた。


前島悠子

ねぇ師匠。
師匠の言う通り、土井さんはマトモな人ですね。
とても優しそうな人じゃないですか。

天野勇二

だろ?
俺様にもマトモな知り合いがいるのさ。
ブサイクだけどな。

前島悠子

うふふ……。
そうですね。
確かに爆弾岩みたいです。


 2人は土井の後に続いて病室に入った。


 医師が美緒に体の状態を尋ね、血液検査でも問題がなかったことを告げる。




 そして包帯をゆっくり外し始めた。




 土井は緊張のあまり汗をびっしょりかいている。


 天野と前島も無言で見つめる。


 医師は包帯を外すと、美緒の瞳に光をあてて、角膜の状態を調べる。


 ひとつ、小さく頷いた。


担当医

……うん。
もう大丈夫ですね。

森崎さん、どうですか?

見えますか?


 美緒はゆっくり周囲を見渡した。



森崎美緒

…………。



 病室の壁。

 白い天井。

 置かれた花。

 担当医の顔。


 それらを見つめると、嬉しそうに顔を綻ばせた。


森崎美緒

……はい!
見えます!

すごく綺麗……!
これが世界なんですね。
なんて素敵なんでしょう……。


 天野は驚いて美緒の顔を見つめた。


 くっきりとした二重の澄んだ瞳。

 他のパーツと見事に調和している。

 黄金比は完璧だ。

 目が開けば美人になるかもしれないと予感していたが、想像を遥かに越えていた。


看護師

森崎さん、鏡がありますよ。
ご自分の顔を見てみますか?


 看護師が手鏡を取り出した。


森崎美緒

わ、私の顔ですか?
はい。
み、見てみたいです。


 看護師から鏡を受け取る。

 美緒はゆっくり鏡を見つめた。

 そこに映るのは絶世の美女だ。


森崎美緒

こ、これが私の顔……。
本当に、私の顔なんですか……?

看護師

そうですよ。
とってもお綺麗です。

森崎美緒

綺麗?
び、美人なんですか?

看護師

はい。とても美人です。


 天野は軽く土井をこづいた。

 早く美緒のところに行け、という合図だ。

 何せ土井は感動のあまり硬直し、ボロボロと泣き出しているのだ。


天野勇二

ほら、土井。
いつまで泣いてやがる。
何か言ってやれよ。

土井健太

うん……。

ひっぐ……。

よかっだぁ……。

よかったよ……。


 美緒はその声を聞き、天野たちを見つめた。


 長身の泣きじゃくる醜い男。

 優しげな笑みを浮かべた天野。

 嬉しそうな前島の姿がある。


森崎美緒

け、健太さん……?


 美緒が呼んだ。

 土井が近づき、美緒の手を優しく握る。


土井健太

そうだよ。
おでが健太だよ。

美緒さん、本当によかった……。

見えでゅようになって、よかったね……。


 ほんの一瞬、美緒の顔が曇った。

 だがすぐに純真な笑顔に戻ると、優しく土井の顔に触れた。

 凹凸の感触を確かめる。

 嬉しそうに微笑んだ。


森崎美緒

本当だわ。
健太さんです。
ついに健太さんのお顔が見れました。
嬉しい……。
本当にありがとうございます。

土井健太

こでで、美しい世界が見ででゅね。

森崎美緒

はい……。
本当に嬉しい……。


 美緒は天野たちを眺めた。

 天野は優しげに美緒に語りかけた。


天野勇二

俺が勇二だ。
こんなツラをしてるんだよ。
俺の顔もよく見えるかい?

森崎美緒

はい。見えます。
あなたが勇二さんなんですね……。

天野勇二

今日はゲストとして、アイドルの前島悠子に来てもらった。
俺様の弟子なんだ。


 美緒はその声を聞くと、嬉しそうに前島を見つめた。


森崎美緒

ま、前島さん?
アイドルの前島悠子ちゃんですか!?


 前島は純真無垢な笑顔を浮かべ、美緒の前に立った。


前島悠子

はい、そうなんです!
突然お邪魔してしまいすみません。
前島悠子というものです!


 美緒は感激して前島の手をとった。


森崎美緒

ああ、本当に悠子ちゃんの声です!
いつもラジオで歌を聴かせていただきました。
私ファンなんです。
声も素敵なのに、とても可愛いお顔をしてるんですね。


 前島は笑顔を浮かべたまま首を横に振った。


前島悠子

いえいえ、美緒さんのほうがお綺麗ですよ。
すごくビックリしちゃいました。
こんなに美人な方だなんて知りませんでした。

森崎美緒

そうなんですか……?
美人なんですか?
へ、変な顔、してませんか?


 土井が涙を流しながら頷く。


土井健太

美緒さん、すごく美人だよ。
ほんとに美人さんだよ。

森崎美緒

そうですか……?


 美緒は鏡をもう一度見つめた。

 そこに、絶世の美女と呼べるほどの顔が映っている。

 美緒が嬉しそうに微笑むと、鏡の中の美女も同じ顔で微笑む。


 天野は少々複雑な気分でその横顔を見つめていた。



 美緒はそのまま退院することになった。


天野勇二

これは……。
結構な荷物の量だな。


 土井の車には沢山の荷物が積まれている。

 美緒の生活道具だ。


土井健太

うん。
このまま美緒さんを新居に招待すでゅんだ。

天野勇二

ほう、ついに同棲というワケか。

土井健太

よかっただ、勇二くんたちもおいでよ。

天野勇二

いいのか?
お熱い2人の仲を邪魔しちまうぜ。

土井健太

友達じゃないか。
お茶くだいだすよ。

天野勇二

そうか。
ならばお言葉に甘えるついでに、引越しを手伝ってやるよ。


 美緒の荷物を車に積んでいる間、美緒は前島と一緒に中庭を散歩させることにした。


 もう杖は必要ないのだ。

 自由気ままに歩くことができる。

 中庭の散歩程度ならば、リハビリにも最適だろう。


前島悠子

美緒さん、見えますか。
お花が咲いてますよ。

森崎美緒

うわぁ……。
素晴らしいですね。
お花って香りも素敵ですけど、見ても美しいものなのですね。


 中庭の緑。

 花や土。

 立ち並ぶ樹木。

 病院の建物さえも、美緒は美しいと感じている。


 前島は美緒の姿を眩しげに見つめた。


前島悠子

(素敵ですねぇ……。美緒さんが歩く中庭、まるで天国のようですねぇ)


 今の美緒は絶世の美女。

 しかも清楚なオーラを放つ美女だ。

 そんな女性が世界の全てを、愛おしく見つめている。

 その姿こそが美しいと、前島は思った。


森崎美緒

空はこんなに広いんですね。
雲ってあんな可愛い形なんですね。
これを芸術というのかしら。

……あ、痛いです。


 瞳を押さえてうずくまった。

 太陽をまともに見てしまい、目が痛んだのだ。

 美緒にとって初めての刺激だ。

 術後に強い光や、紫外線を受けることは宜しくない。


 前島は慌てて駆け寄った。 


前島悠子

ダメですよ。
太陽を見ちゃいけないって、先生が言ってましたよ。

森崎美緒

そうでした。
すっかり忘れてました。
太陽を見ると痛いんですね。

これが眩しい、という気持ち……。
素敵ですね。

前島悠子

うふふ。
美緒さん、何でも素敵に見えるんですね。

あっ、そうだ!


 前島は鞄からデジカメを取り出した。


前島悠子

せっかくの記念ですから、写真を撮りましょう!

森崎美緒

え、でも、私、変な顔してませんか?

前島悠子

してませんよ!
はい、チーズ!


 前島は美緒と一緒に写真を撮り始めた。

 撮影された自分を見る、というのも初めての経験だ。

 美緒はデジカメの画面を嬉しそうに覗き込む。


森崎美緒

わぁ、私です。
これが写真なんですか。
私の顔が映っていますね。

前島悠子

せっかくだから一緒に撮りましょう!

森崎美緒

はい!
悠子ちゃんと一緒なんて感激です!


 天野と土井は荷物を積み終えると、2人の楽しげな光景を見て感嘆のため息を吐いた。


天野勇二

美緒さん、楽しそうだな。
世界の全てが美しい、って顔をしてやがる。

土井健太

おで、あんなにうでしそうな美緒さんの顔を見でゅの初めてだ。

天野勇二

目が開いた美緒さんがあれほどの美人とは。
爆弾岩と美緒さん。
まさにこれこそ『美女と野獣』だな。

土井健太

でへへ……。
おでも、そう思う。


 トップアイドルの前島と美緒。

 どちらがアイドルか、と尋ねられたら迷ってしまうだろう。

 天野は念のため言っておいた。


天野勇二

土井よ、美緒さんはかなりの美人だ。
変な虫がつくぞ。

土井健太

変な虫?
どういうこと?

天野勇二

美緒さんの美しさに惹かれる男さ。
あれほどの美女だ。
言い寄る男は多い。

それに……。


 少し迷ったが、天野は言葉を続けた。


天野勇二

美緒さん自身が、自らの持つ 美貌びぼうに気づくだろう。
他のつまらない女と見た目を比べ、類まれな美しさを持っていたことを知る。
その時、美緒さんは抱いたことのない感情を手にするはずだ。
『自己愛』ってやつさ。

……心が離れないように、気をつけろ。


 土井は深く頷いて、純朴な笑みを浮かべた。


土井健太

大丈夫だよ。
もう長く付き合ってでゅし、おで、美緒さんを離さないように、すんごく頑張でゅよ。

天野勇二

ああ……。
それならいいんだ。
それならな。


 天野は小さく頷くと、前島たちに声をかけた。


天野勇二

おい、荷物を積み終わったぞ!
土井の新居までお邪魔しに行くぞ!




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つばこ

あけましておめでとうございます。
2016年も「天才クソ野郎の事件簿」をよろしくお願いいたします。
 
無事、美緒さんの瞳は開き、光を手にすることができました。
しかし、天野くんはどこか不穏なものを感じ取っているようです。
穏やかじゃないですね。
 
天才クソ野郎のテーマのひとつに「大切なものは目に見えるものではない」ということがあります。
美緒さんは目が見えなくとも、大切なものが見えていたはず。
でも、瞳が開いた時、その「大切なもの」は本当に「大切なもの」だったのか、問われることになってしまうのでしょう。
美緒さんは爆弾岩の顔を見て、なんて思ったのかなぁ……(´・ω・`)
 
さてさて、いつもオススメやコメント本当にありがとうございます!
お年玉を沢山貰ったら、双葉文庫から発売中の書籍版『天才クソ野郎の事件簿』でも買ってくださーい!(息を吐くように宣伝!2016年も元気に宣伝!)

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コメント 189件

  • 森久保

    初めて見る世界で顔面に優劣つけられるんだ????(伝われ)

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  • うささ

    二周目、この話がもう一度読みたくて戻ってきた。
    何度読んでもここからドキドキする…

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  • まこと

    爆弾岩見て曇ったー(TT)

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  • 太宰雅

    フラグが立った・・・。
    立ってほしくないフラグが立った・・・。

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  • ゆめおぼろ@天クソ/パステル

    めっちゃ不穏で続き読むのすんごく怖いけど

    星の王子様にする方法だから
    そこからまた土井君のサポートして、最後はハッピーエンドですよね??

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