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VOGUE Japan編集部

Thanks, and See You Again

2年8ヶ月ぶりのお久しぶりです。kosoです。


最近の衝撃的な話題といえば、やはりVirgil Ablohの急逝ですよね。彼の功績については既に様々なところで語られていますが、個人的に思っているのは、こちらの一連のTweetで書いたような内容でして、端的にはストリートとラグジュアリーの間に、(いわゆるモードの解釈を介することなく)直通する大きな風穴をあけた点かなと。さらに、Tweetでも触れたとおり、Virgil Abloh/Louis Vuittonだけではなく、一方にはDemna Gvasalia/Balenciagaがおり、出自こそ違えどストリートからふたつの系統で、ラグジュアリー/ストリート/モードの関係性を大きく揺るがす動きが、同時代的に起こっていたことにも、大きな意味があるのだろうな、ということでした。 

 

Virgil AblohとDemna Gvasalia 

このふたりは、モードのヒエラルキーでの承認をある程度確かなものとした後に、ラグジュアリーメゾンのクリエイティヴ・ディレクターに就任するという起用パターンとは明らかに異なっていたのも、ひとつ大きなポイントなのではないかと思います。


印象論的側面が強い話にはなるのですが、AblohのOff-Whiteにせよ、GvasaliaのVetementsにせよ、このふたりがモメンタムを得ていく過程には、従来のモードのヒエラルキーを意識的にハックしつつ、外部のストリートの(市場としての)パワーを背景に、モードのヒエラルキー内でも一定の承認を余儀なくさせたような雰囲気が強かったように感じます。ふたりは、このようなモードのヒエラルキー内での承認を利用しながら、そのヒエラルキーを中抜きにするような形で、ラグジュアリー側のヒエラルキーのトップにいきなり躍り出たというのが、最初に書いた「直通」という意味合いではあります。


加えて、わかりやく革新的なのはVirgil Ablohで、だからこそRaf SimonsのVirgil Ablohに対する否定的なコメントのような、反発も受けやすい(しやすい)のだろうと思いますが、クチュール/クラフトマンシップを用いたプロダクト指向という手法を取るDemna Gvasaliaの方が、(Marigielaの延長という意味も含めて)が影響の深度はあるのかもしれないというのも、思うところではあります。最近のDemnaと呼べ宣言は謎ですが。 


モードとラグジュアリーのヒエラルキーは違い、クラフトとクラフトマンシップは違い、などなど書き出すとまた長くなりそうですし、そこまでの準備がまだないので、このあたりにしておきますが、こういった話題もまたどこかで継続的に書き溜めていくとよいのかなとは、考えている次第です(いつもの書く書く詐欺)。


やっぱりCelineは最高というお話

などなどVirgil Ablohの早すぎる死を嘆いていたところに、2022SSのウィメンズの発表を引っぱりまくっていたHedi SlimaneのCelineのコレクションが満を持して公開されたのは、なんというか個人的には一筋の光のようでした。

WWDの"parade of perfectly styled outfits, a calculated mash-up of bourgeois tailoring and varsity casualness — with a soupçon of streetwear cool"という評以上の何もいらないのではというくらい、完璧に洗練された内容で、Celineに来てからのHedi Slimaneの編集力は本当に異常だなと改めて思い知らされたコレクションでした。

パンデミックの収束後も、この完璧なイメージコントロールが可能な映像のみ、かつ実際のシーズンの立ち上がりに近いタイミングでの発表というスタイルを継続して、ファッション・ウィークに戻ってこないのではという気すらするのですが、どうなのでしょうか。ともかく映像がよすぎて繰り返し眺めているうちに、BGMで使われているCanの"Vitamin C"が頭にこびりついてしまい、本当にビタミンCが失われそうな恐怖に苛まれています。


Virgil Ablohのあとは… 

ちなみに、Virgil AblohのLouis Vuittonの後継については、当然色々な予測や憶測がとびかっているようで、Kanye Westの名前まで挙がっていたりしますが(なったとしても意外というわけでもない)、個人的にはHypebeastの書きぶりがしっくりくる感じでした。あと候補として加えるなら、Marine Serreあたりかなとか。1月に発表予定の2022FWは、Virgil Ablohのもとで95%は完成しているそうなので、問題は6月の2023SSからということにはなり、そのあたりのスケジュール感も踏まえつつ、どのタイミングで決まるかなというのが気になるところですね。


ご挨拶

と、急に色々書いてどうしたのかと思われそうですが、VOGUE Blogが12月16日の10:00をもってサービス終了とのことで、最後のご挨拶に参った次第でございます。 私がお声がけをいただき参加したのは、2013年の8月からでしたので、リニューアルも挟みながら8年余りの長い期間、枠をいただいていたことになります。


私に期待されていたことは、いわゆるファッションやビューティの世界で活躍しておられるブロガーの方々とは違った切り口で、ラグジュアリーやファッションの世界で起こっている出来事をご紹介していくことかなとは思っておりましたので、ビジネス面の話題なども折り込みながら、毎週のニュースのラップアップを中心にお届けするスタイルで、書き始めていたように思います(リニューアル前のエントリは残っていないので、すべてを覚えているわけではないのですが)。 


ただ個人的な事情もあり、毎週継続していくための時間をとることがなかなか難しく、VOGUEのオーディエンスのみなさんにとって需要のありそうな内容を模索し試行錯誤していくということもままならないまま、特にリニューアル後は、投稿頻度も年に一度あるかないかという状況になってしまい、最終的にせっかくお声がけいただいた編集部の方々のご期待に適うような形にできなかったことは、ずっと申し訳なく感じていると同時に、心残りな部分でもありました。 


とはいえ、こうして久しぶりにつらつらと書き記してみるとそれはそれでおもしろく、一文が長くなる癖はTwitter中心で書いていても変わらないなあというのは、ちょっとした発見ではありました。 書く書く詐欺みたいなことは、ここ数年続いているのですが、なんとなく隔週のニュースレター的なものならサステナブルかつ自分の書くテーマ的にも合っているかしら、といったことはぼんやりと思ったりしております。個人のブログもいい加減、手を入れるか移設するかしたいなと考えているので、VOGUE Blogでのエントリは、そのタイミングで移したりするかもしれません。 


ということで、これまで一度でも読んでくださったみなさん、そして編集部のみなさん、改めてありがとうございました。またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。


koso


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VOGUE Japan編集部

koso
koso

News addictionなfashion observer。

Hedi Slimane Has a Plan for Celine

お久しぶりです。kosoです。気がついたら5ヶ月ぶりのエントリになるのですが、その間にRaf SimonsがCalvin Kleinと決別したり、Karl Lagerfeldが亡くなったりと大きな出来事がいくつかあり、このふたつの件についてはそう遠からずなにかしらこの場で書いてみようとは考えてはいるのですが、今回はショーが行われたばかりのCelineの最新のコレクションを通じて、改めてHedi Slimaneについて思ったところを書いてみようかと。先日発表された2019年秋冬のコレクションの内容は、外形的には様々なメディアのレヴューで書かれているとおり、創業デザイナーであるCéline Vipianaが活躍していた1970年代から80年代にかけての”bourgeois French girl”のワードローブをコンテンポラリーにアレンジした内容です。明確なデザイン上のシグニチャーを持たないCelineというブランドにとって、ほぼ唯一といっていいイメージがこのブルジョワ的スタイルであり、Vipiana以降のデザイナーたちが多かれ少なかれ依拠したのもこのイメージでした。1998年にVipianaが亡くなった後を受けたMichael Korsは、彼特有のアメリカ的ジェットセットなスタイルをミックスし、ブランドに新しい風を吹き込み、Louis VuittonのMarc JacobsやChristian DiorのJohn Gallianoと並び初期のLVMHのスターデザイナーシステムの一翼を担いました。ただ当時は親会社であるLVMHの注力度合いも高くなかったこともあってか、モメンタムは長くは続かず、Korsは2004年にCelineを去ります。後任となったRoberto Menichettiは、2シーズンのショートリリーフになってしまいましたが、彼の出自であるテーラリングとイタリア的グラマーを取り入れた素晴らしいコレクションを見せました。続くIvana Omazicに時代は、よりフェミニンなテイストを強めながら、手堅くモダンなイメージをキープし、次のPhoebe Philoへとつないでいくことになります。2008年に就任したPhiloは、モダンでミニマルな贅沢さを湛えたブルジョワ的イメージを基底に持ったデザインを見せつつ、バッグをはじめとするアクセサリーのマーチャンダイジングの巧みさ、そしてなにより自身を起点にしながら時代の空気を敏感に汲み取りコレクションに反映させていく優れた感性で、最終的にはどこかアーティーな雰囲気をもった「(知的な)女性による女性のためのワードローブ」というポジションを築き、Celineをビジネス面でも成功に導いていったことは、ご存知のとおりです。作り手と彼女が希求する女性のイメージが浮かぶPhoebe Philoデザイナーを得て初めて、Celineというブランドは「ブルジョワ」という一般名詞を超えたシグニチャーと時代における先端性(コンテンポラリーなレリバンシーとかトレンディネスという言い方の方が的確なのかもしれないですが)を獲得したと言ってもよいかもしれません。ただ、このCeline=Phoebe Philoというデザイナーと一体化したブランドの在り方が、前回のエントリで触れたような、多くのメディアのレヴューで見られたHedi Slimaneの新しいCelineへの強い拒否感の原因であるわけで、この新しい「シグニチャー」が本当にブランド固有のアイデンティティとして昇華されていたのか、言い換えればひとりのデザイナーを超えて継続可能なものだったのかというのは、もう少し議論されてもよいポイントなのではないでしょうか。むしろその点において、一見デザインにおける強烈なシグニチャーなスタイルを持つHedi Slimaneの方が、ブランドやメゾンを次につなぐ役割をより有効に果たしているのではないかというのが、私が考えていることだったりします。改めてHedi Slimaneのスタイルについてまずは簡単にHedi Slimaneの経歴を振り返ってみます。Slimaneが最初に注目を集めたのは、1996年のYves Saint Laurent Rive Gaucheのメンズのディレクター就任です。Yves Saint Laurentでは、1997年秋冬から2000年秋冬までの7シーズンを手掛けましたが、メゾンが現在のKeringに買収されたことを受け退任。そして2001年にChristian Diorに移ってDior Hommeを立ち上げ、大成功を収めます。このDior Hommeでのスタイルが、「スキニー」と「ロック」というふたつのキーワードによって、Slimaneのデザインのシグニチャーなスタイルとして広く流布しているのですが、あまりにも単純に型に嵌められた扱いをされていることが多いように感じるので、私なりに少し分解して整理してみようかと。まずDior Hommeで確立し、Slimaneのつくるルックの最もわかりやすい特徴として挙げられるようになったのがスキニールックです。その原型は、Yves Saint Laurentでの最後のコレクションに見ることができるのですが、スキニーであることが本質なではなく、端的にボクシーなシルエットとして特徴を捉えた方が、Kris Van Asscheが引き継いだ後のDior Hommeや、SlimaneのSaint LaurentのCelineでのコレクションも含めて見た場合、より適切なのではないでしょうか。細さ具合(というのも妙な表現ですが)は、メゾンやコレクションにより意外と幅があるのですが、レクタングルなフレームは基本的に変わらない部分だと思います。次に「ロック」という言葉で括られがちなテイストですが、彼のコミュニティやコネクションのある側面のイメージに、直截に結びつけて語られているように感じています。Slimaneによるコレクションが、音楽にとどまらなず、その時々に彼が見つめているカルチャーのとあるシーンを体現したものであるとすると、まずはデニムだったりテーラードだったりレザージャケットだったり様々なアクセサリだったりといったアイテムの構成があり、それらを彼特有のユースでグラマーなテクスチャーで仕上げ、スタイリングした印象を、Slimane界隈のつながりとの共起でざっくり「ロック」っぽいという枠に収めているというのが実態なのではないかなと思う次第です。Hedi Slimaneのデザインがカルト的な熱狂を生む理由も、マーチャンダイジング(アイテム構成)とラストタッチ(テクスチャーとスタイリング)の組み合わせの巧みさにあると言えます。マーチャンダイジングに関しては、シーズナルなコレクションとは別に、売上とブランドのイメージの根幹となるベーシックなアイテムをパーマネント的に展開し積み上げていくバランス感覚も、Slimaneの優れた点のひとつです。こうしたデザインを軸にしつつ、キャンペーンやストアデザインを含めたトータルなブランドイメージと世界観を強固に構築するディレクション能力の高さも、既に語り尽くされている感はありますが、彼を他のデザイナーから際立たせている特徴ですね。Dior Hommeの場合は、Slimaneがほぼ創業デザイナーと同じ立場で始めているので、彼独自の美学をダイレクトに反映した形でシグニチャーなデザインが組み上げられていった一方、Saint Laurentでは、メゾンが最も革新的だった1960年代半ばから70年にかけてのアーカイヴからエッセンスを抽出してSlimaneのタッチを加え蘇らせ、ブランドのスタンダートを再定義し大きな成功を収めました。Dior HommeでもSaint Laurentでも、Slimaneはまずショック・セラピー的な方法で直近の履歴をリセットし、メゾンのコア・バリューを彼のタッチで示しながら、並行してビジネス的にもデザイン的にも本人の在任期間を超えて継続し得るイメージとマーチャンダイジングのプラットフォームを構築していったと言えるのではないかと思います。だからこそ、Slimaneの後を受けたKris Van AsscheやAnthony Vaccarelloは、大きなリスクを冒すことなく、Slimaneの築いたプラットフォームに乗りながら、それぞれのデザイナーが得意とする方法でメゾンのモダナイズを進めればよいという状況が実現できているのではないでしょうか。Dior HommeではVan Asscheでほぼ10年この路線で継続できたわけですし、就任して3年に差しかかろうとしているVaccarelloのSaint Laurentもビジネスは順調です。Dior HommeはKim Jonesを迎えてから、Dior Menとなり、デザインでもよりウィメンズと空気感を同じくする形でリニューアルが進んでいる印象ですが、SlimaneがDior Hommeを始めた当時のウィメンズのデザイナーは誰あろうJohn Gallianoでしたから、その点はさすがに時代かな、と。そしてこれらのことから言えるのは、Slimane自身にしか実現できない要素は、わかりやすいスキニーなルックやアイテム構成ではなく、ラストタッチにこそあり、彼がメゾンを去るとビジネス面での安定は担保されていたとしても、カルト的熱狂は消える理由もここにありそうです。少し話が逸れるのですが、先日亡くなったKarl LagerfeldとHedi Slimaneのメゾンにおける役割は、メゾンのバリューをプラットフォームとして整え、次につないでいくという点では相違なく、応用可能なシグニチャーなラストタッチによるショック・セラピーが使えるHedi Slimaneはそれを短期間で実現できるという差に過ぎないのではと、このエントリを書きながら思ったりもしましたが、それはまた別の機会にでも気が向いたら触れてみようかと思います。そしてCelineの2019年秋冬コレクションについて最新のCelineのウィメンズの2019年秋冬のコレクションを受けて、昨年9月の春夏と比較して大きな方向転換とするメディアのレヴューが多く見られましたが、これは春夏で批判的だった人々の我田引水的な面が強いように感じた次第です。9月の春夏、1月のメンズの秋冬、今回のウィメンズの秋冬と並べてみれば、段階的な調整の結果と言えますし、直近のSlimaneのコレクションとしては、Saint Laurentの2016年のプレ・フォールにリファレンスを見ることも可能です。端的には、驚くような外形的な変化ではなく、基本的にはこれまでのSlimaneのデザインから著しく逸脱しない範囲という印象です。もちろんDior HommeやSaint Laurentでの主だったシルエットに較べれば、細くないことは事実ですが、そもそも前述のとおり、ボクシーだったりレクタングルだったりという彼のルックの本質的な特徴は維持されていますし、なによりシルエットの印象に変化があったとしても、これがSlimaneによるコレクションだと一見して理解できるのは、そこに彼らしいアイテムのテクスチャーとスタイリングのラストタッチがあるからです。Celineにおいても、Slimaneがやろうとしていることは、Dior HommeやSaint Laurentでやってきたことと大きくは変わず、それはメゾンのコア・バリューを彼のシグニチャーなタッチを加えることでコンテンポラリーな形で改めて提示し、継続可能なプラットフォームを作り上げていくことに他ならないということが、改めて証明されたのが今回のコレクションのではないかと思いました。今回も所要なメディアやジャーナリストのレヴューはひととおり眺めてみたのですが、一番おもしろかったのは、Christina Binkleyの一連のTweetでした。I knew it. The Hedi Slimane haters have turned an about face with his second Celine collection. Happens every time with him - he shocks everyone and then they adjust. It’s #fashion .Now we know the Celine woman has a sexy rebellious night life (first collection, which also reminded us who created the YSL we know today) and that she’s a well-organized feminine power woman by day. Now she will evolve...このTweetに続けて読んでみるとよいのは、Robin Givhanによるレヴューの最後の一文かもしれません。次にSlimaneがどういうコレクションを見せるかはまだわからないですよねという。Slimane gave his audience classics for fall. These clothes weren’t born and nurtured in these times, but they can thrive in them. The only question is whether Slimane will let them.そして驚いたのは、Slimaneの仇敵ともいえるCathy Horynがレヴューを書いていたこと。Christina BinkleyのTweetにあったようなSlimaneの「プラン」をショーで使われていたEmbrasse Moiの”J'ai un Plan”と結びつけてみたりという書きぶりはもちろんですが、Slimaneの現在のデザイナーの在り方として実は究めてコンサバティヴであることを指摘しているこの箇所にすごい納得したり。ちゃんとLVMHの戦略的も勘案しながら語れるあたりも含めて。The show demonstrated for me several things. One is that Slimane can offer clothes that aren’t cruelly restrictive in the fit, as they often were at YSL. A lot of the blazers, coats, and dresses would look great on women of various body types and ages. Another thing is that it might be sane — and good business — for a luxury brand nowadays to put some distance between itself and the mass of brands on the scene. Many of them use the same approach to design — that is, they manipulate familiar forms. Let’s take a classic wool car coat and hyperextend the collar or add weird flaps to the pockets. Let’s grab a puffed sleeve from a 17th-century Dutch painting or a bit of snowflake lace from an Italian portrait, and rework them as a “modern” shirt — with a fat modern price tag to boot.Slimane, by contrast, simply offered the luxe car coat, in camel with dark buttons. And he literally finished up with an exclamation point: a sleek black evening trouser suit with a sparkly black shell. Whatever the style, his approach is straightforward, without hidden meanings or dark references to politics, and in today’s world that can seem a virtue.This is not to suggest that it’s honest or pure. Those skirts and print dresses are not too far from styles shown in Celine ads in the ’70s, though the fabrics and proportions have been updated. There is a calculation here, not just of brand history but of business and the role Celine will play in the Paris luxury universe. There’s a significantly underdeveloped space between Chloé and Hermès — and an opportunity, as the chiefs at LVMH know, to move into rival Hermès’ conservative turf, minus the horses and saddles.もうひとつ。Slimaneの出自や手法への理解という意味では、Sarah Mowerもさすがだなと。In our time of so much fashion, this was Slimane’s moment to iterate, and reiterate, his version of French fashion from a time of nonfashion—a niche of Parisian upper- and middle-class style that he must have understood from being a boy growing up in France. In a way it was exactly what Slimane has always done—taking the subject of a seam of preexisting street style and drilling into it for all it’s worth.If that came as a surprise—this counter-counterculture turn from a designer known for his deep obsession with youth style tribes—it was worked through with all the singular focus and conviction that is Slimane’s known methodology. From beginning to end, it was an exercise in imprinting essentially two looks on the consciousness of his audience in the black box tent—and on the world beyond. There were culottes and variations on silk ladylike dresses, or the skinny jeans, high boots, and jacket combo that simultaneously made up the other side of the bourgeois French girl’s wardrobe throughout the ’70s and ’80s.というわけで、若干最後尻切れになっていることは自覚しつつ、どんだけHedi Slimane好きなんだよ(別にそういうわけではないのですが)という内容にまたなってしまったのですが、今後がますます楽しみなHedi SlimaneによるCelineの2019年秋冬のコレクションでした。

Hedi Slimane, Saint Laurent, Celine, Paris

またまたお久しぶりです。kosoです。9月にNew Yorkからスタートしたウィメンズの2019年の春夏のコレクション発表も、主だった都市のスケジュールは終了し、東京もようやく秋らしい雰囲気になってきた今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。ウォッチャーとしては、コレクションウィークで一番気になるのは、やはりビッグメゾンの新デザイナー動向。ウィメンズに先立って6月に行われたメンズのコレクションウィークでは、Virgil AblohによるLouis VuittonとKim JonesによるDior Men'sというふたつの大きなメゾンの新しいデザイナーによるデビューショーが注目を集めました。ウィメンズでも、同様にデザイナー交替という点では、Wes GordonによるCarolina Herreraのランウェイデビューや、CourrègesやMuglerの新デザイナーによるコレクション、Yiqing Yinが手がけるPoiretのリバイバルなどがありましたが、やはり注目されたのはRiccardo TisciによるBurberryと、Hedi SlimaneによるCeline。中でもSlimaneによるCelineは、既に多くのメディアで取り上げられているように、案の定の賛否両論という状況で、コレクションウィークが終わってからも反響が続いています。この反応自体は、SlimaneがYves Saint LaurentをSaint Laurentにリブランドして復帰した、2012年の春夏コレクションの際に起こったことから予想できたことではあり、ジャーナリストや批評家による批判からSlimaneの反論という流れは、当時の経緯をそのままなぞっているといってもよいもの。表面的な部分でひとつ違う点があるとすれば、Slimaneとの不仲で知られるCathy Horynが、今回はそもそも評を書いていないことくらいでしょうか。その分Slimaneの反論も、6年前に比べると苛烈ではない印象です。ここからCelineのさらなるビジネスの急拡大という部分まで、SlimaneのSaint Laurentでのストーリーの再現となるかどうかは、今後の実績を待つしかないのですが、Slimaneのコレクションへの反応は、メゾンを引き継いだ状況やここ数年の世の中の動向も反映しながら、Saint Laurentのデビュー時と比較して、多様な構成になっているとも言えます。ただ中には、単純な二項対立にはめようとする姿勢が目についたり、Hedi Slimaneというデザイナーやそのスタンスの微妙な変化を無視した評、端的に雑な世相との関連付けなど、どうしても個人的にひとこと言いたくなるような内容が少なくない印象でした。ということで、ここでは今回のコレクション発表の少し前に公開されたLe FigaroのHedi Slimaneへのインタビューを軸に、Anthony Vaccarelloによる現在のSaint Laurentの仕事を見て改めてわかるSlimaneのYves Saint LaurentとPierre Bergéへの思いや、今後のSlimaneのCelineを見ていくうえで重要になりそうなParisへの視線を、少し探ってみようかと思います。Hedi SlimaneのCelineへの批判は妥当か?Hedi Slimaneへの反応のうち、従来からの彼のファンが基本的には肯定的であることにあまり触れる必要もないと思うので、否定的意見が当てはまるかという点を少し見ていこうかと。今回見られたHedi Slimaneへの批判は、その表れ方や組み合わせは色々あるのですが、大きく分けると以下のような要素に分解はできると思います。Phoebe Philoのデザインから大きく変わった多様性に関する世の中の変化に対応していないメゾンのアイデンティティを無視あるいは毀損しているHedi Slimaneのスキニーなルックが現在の若い層に受け入れられないHedi Slimane自身のデザインが変わり映えしないSaint Laurentとの違いがない1.については、単にPhoebe Philoのデザインが好きだったということであれば好みの話以上ではないのですが、「"知的で自立した大人の女性による"知的で自立した大人の女性が自分で選んで着ることができる服」への喪失感、という要素が大きいように見えるのがややこしいところです。これが、2.の批判にもつながっていくことになります。アメリカの主要メディアのファッションジャーナリストのVanessa FriedmanやRobin Givhan、Tim Blanks、Lou Stoppardらのコメントにはフェミニズム的な視点が色濃く出ています。一方でフランスのメディアはここまでの批判はなく、先に挙げたアングロサクソン的な視点との反応の違いが際立っている点に関しては、こちらの記事の見解も興味深いものでした。いずれにしても、前任者がPhiloという女性デザイナーであったことが非常に大きな要素になっていそうなので、言いたくなる部分は理解はできるのですが、(セクシュアリティの指向と関係なく)男性であるHedi Slimaneでは、そもそも成し得ないことについての批判のように感じてしまう部分が少なからずありました。多様性に関しては、ショーで歩いたモデルの人種面についても、Lou Stoppardが言及しています。実は、Saint Laurent時代より白人以外のモデルは増えているのですが、Slimaneが意識的であるかどうかはよくわからないところ。また他のデザイナーとの比較にあまり意味はないのですが、Raf SimonsもDior時代にしばしば同じような批判を受けていました。彼が現在チーフ・クリエイティヴ・オフィサーを務めるCalvin Kleinのランウェイショーで起用されるモデルの人種は、Diorの頃よりは多様になっているものの、単にブランドの位置づけに沿った打ち出しをしているのに過ぎないのかもしれません。いずれにしても、この比率なら適正ということを決められるわけではなく、Hedi Slimaneが殊更そういった批判を受けるべき内容だったのかについては、判断が難しいのではないでしょうか。3.のCelineというメゾンのアイデンティティについては、前述の1.と2.の主張を補強するための意味合いが強く、本質的ではないように思いました。そもそも我々がCelineにとって抱いているイメージのほとんどは、Phoebe Philoがつくりあげたもので、そこにメゾンのファウンダーのCéline Vipianaとの関連が強くあったようには感じません。Philo自身も、Celineのクリエイティヴ・ディレクターを引き受けるにあたり、明確なメゾンのDNAやコードが存在しないため、自由にイメージを構築できることを利点として挙げていたように記憶しています。Slimaneのコレクションを批判するにあたって、Celineというメゾンのアイデンティティを根拠にするのは、Phoebeのデザインをより高く評価したいという思惑に依る部分が大きく、それ自体には大きな意味はないのかなと感じます。4.については、WWDジャパンに若い層の「ファッションの主流は今、ヒップホップにある」「カニエ・ウェストを敬愛し、Tシャツとスニーカーを好む若者からは、ともすればロック自体が前時代的と受け取られかねない」という不思議な評があったので、一応取り上げてみました。ヒップホップ自体がポップカルチャーのメインストリームの一部となった現在、そのアーティストこそが新しいロックスターであり、ポップアーティストです。そうした中では、ヒップホップアーティストや彼らのファッションスタイルも「ダボダボ」などという、いかにもな古いひとつのイメージの枠にとどまるものではありません。またHedi Slimaneが表現してきた「ロック」を音楽ジャンル全体に拡大解釈して論じている点も違和感があります。Slimaneのデザインの若い層への受容と人気が広がるかどうか未知数な点はありますが、雑過ぎる議論は有害無益なのではと思った次第でした。なぜ「Hedi Slimane」というブランドという疑問も見かけましたが、それに対する答えはFinancial TimesのJo Elisonも触れているとおり、これだけデザイナーの交替が頻繁に起きる中でもありますし、またこれまでのSlimaneの行動パターンからも想定されるように、「そんな継続性に疑義のあるブランドに多額の投資をすることはできない」という非常に単純な理由だと思います。LVMHやKeringのようなコングロマリットにしてみれば、ゼロからブランドを立ち上げるよりも既にある程度のインフラが整っているメゾンに実績のあるデザイナーを投入して拡大する方が効率的であることはいうまでもありません。Tom FordとDominico de Soleのように、自らオーナーとして立ち上げて経営し続ける意図があるかどうか、が大前提になりますよね。大筋に関しては、Hedi SlimaneはHedi Slimaneの仕事をした、彼の起用の段階でこうしたコレクションは想定できていたのだから、多様性への評価を含めて、あとは売上がついてくるかどうかを含めて、最終的には親会社であるLVMHが起用の成否の責を負う、という構図になると思います。Slimaneへの批判は色々理由をつけることはできても、やはり感情的な要素が大きいのではと。そしてその反応は、社会で起こっていることそのままであり、ファッションが社会の鏡であるということを改めて明らかにしているという点でも、自然なものだとは思います。またいわゆる「フィービー・ロス」についても、私も彼女のデザインを素晴らしいと思っていたひとりなので、共感はするのですが。Hedi Slimaneに変化はないのか?ここからは、「Hedi Slimane自身のデザインが変わり映えしない」「Saint Laurentとの違いがない」について少し考えてみようかと。ただここでの主眼は、ひとつひとつのコレクションやルックやアイテムについて細かく検証していくというよりは、Slimaneが表現しようとしているものが、少しずつ変わってきているのではないかという話になります。まずは後者の「Saint Laurentとの違いがない」という点について。結論からいってしまえば、デザイナーがAnthony Vaccarelloになってから2年近く経ち、いまのSaint LaurentはHedi Slimaneの時代とは内容はまったく異なるものになっていることは、実際のコレクションを見れば明確です。メンズは、T MagazineのAlexander Furyの記事にもあるとおり、経験のないVacarrelloが深く関わっているわけではないようで、Slimane時代にはあったフォーカスされた視点が消えて、雰囲気だけSlimaneの様式をなぞったような精細を欠く内容が続いています。ウィメンズは、Vaccarelloがシグニチャー時代から得意とするセクシーでグラマーでエッジーなテイストを、Saint Laurentの持つ一面であるHelmut Newton的な要素に接続し、Slimaneの構築した現在のSaint Laurentのショーやヴィジュアルの雰囲気も巧く残しながらスムースな移行を進めており、こちらは既に一定の成功を収めつつあると評価して間違いないでしょう。アーカイヴのコラージュを軸にコレクションを組み立ててみたりと、全般にシグニチャーなモチーフやヴィジュアルイメージを援用して、デザインをモダナイズするのがVaccarelloの手法といえるのではないでしょうか。"For me the image of Saint Laurent is sometimes more important than the collection"という彼の言葉にも、それがよく表れているのではないかと思います。一方でHedi Slimaneの手法は、その真逆と言えるのではというのが私の考えです。私は、2012年のSlimaneによるSaint Laurentのデビューコレクションが発表されたとき、その内容に失望したひとたちが何をSlimaneのコレクションに期待していたのか、しばらくわからずもやもやしていたのですが、次の2013年の秋冬のコレクションを見たときに、なんとなく理解ができた気がしたのでした。それは、期待されていたものは「Saint Laurentの姿をしたHedi Slimaneであり、Hedi Slimaneの姿をしたSaint Laurentではなかった」のだなということです。ほとんど意味がわからないことかもしれないのですが、Hedi Slimane的な美学でSaint Laurentのエレガンスを破綻なく更新することではなく、Yves Saint Laurentの精神性を現在に蘇らせたのがSlimaneのSaint Laurentであり、それは外見上のコレクションのルックやアイテムではなく、時代をみつめる彼の視線とその体現の手法そのものだったということなのではないかと。さらにここからは、私の妄想という感じになってきてしまうのですが、Slimaneの過去のインタビューをいくつか読んできて感じたことは、以前も書いたとおり、Hedi Slimaneは自身を、Yves Saint Laurentのデザイナーとしての後継者ではなく、Saint Laurentの精神を乗せて次代につなげるプラットフォームをPierre Bergéから受け継ぐ立場として、位置付けていたのではないかと思うに至りました。そしてそれはいま、Saint Laurentという枠を超えて、"Paris"という街が体現しているものとフランスのファッションのマインドセットを、彼なりの視点で受け継いでいこうとしていると感じたのが、最近のLe Figaroのインタビューなのでした。A couturier is someone who expresses themselves genuinely through their feelings. Each have their way to tell about their time.The way I see fashion has always been influenced by a certain classicism, and couture's legacy, Paris' spirit, where I was born, where I grew up, day and night.I found my style more than 20 years ago. Unless it's the other way around. It passes through a line, a stroke, an appearance, a silhouette that I've obsessively pursued ever since then, and that defines who I am. It belongs to me, and in return, I am compelled to it.Consistency, long term accuracy, this is what is meaningful to me. I am committed to the integrity of this route. It will perpetuate at Celine. It's a lifelong story. The idea is not to derogate from my style, from what made me. I also defend a French fashion mindset, that is almost official, linked to my youth, to what I was taught, to the people I have met, Yves Saint Laurent and Pierre Bergé, when I first started, in my years at Dior.今回のCelineでのデビューコレクションでも、(Slimaneにしては細くないなという第一印象を除けば)Saint Laurent時代よりもLA経由ではなくよりParisを感じさせる内容だったと思いますし。あとは、Saint Laurentでやりきれなかった大きなことが、もしかするとクチュールなのかなと、こちらで書いたことと逆のことをいまは思っていたりもします。このあたりのコメントも、Hedi Slimaneを理解するうえでは端的な回答かなと思うので、ご紹介しておきます。ジャーナリスト的な視点であったり、モデルへの視線とか、昔から変わっていないですけど、ずっと他のデザイナーを先どりしている姿勢ですよね。I wanted to be a journalist, and the entirety of my work consists in documenting my time, be it with pictures or with fashion. At Celine I come back to my classic perception of the job from my start, 20 years ago, without any nostalgia. I have this tradition in me. Everything I do and everything I am.The photographic portrait always precedes the fashion that I create. I'm not sensitive to beauty but to energy and personality. Now, I have girls and boys that come every day to try out new models: they are our partners. I admire them and their presence is crucial. The casting is key to everything. Couturiers are nothing without their models. I see them as artists.Youth is gracefulness, freedom of speech, and recklessness.All the youths of the world are different and yet similar. No matter the time in history, they are pure energy, exaltation, and emotion, living the fast life.Hedi Slimane自身の見ているものと感じているものに変化の兆しが見られることは確かだと思えますし、それは既にCelineのコレクションにも反映されているのではないかというのが、ひとまずの私の感想ではあります。最後に一応お断りしておくと、わたくし自身はVaccarelloのデビュー時からのファンでして、現在のSaint Laurentもウィメンズに関しては彼以上の適役はいないだろうと思っています。ほんとに。
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