渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ナイフで鉛筆を削る

2021年12月12日 | open

これはスケッチ等で絵を描く時に
使う豆肥後守。
超小型なので筆箱に入れておくと
便利。
今の時代、こうした銃刀法に抵触
しない小さな刃物でも軽犯罪法で
検挙される時代なので、筆箱に入
れては持ち歩けなくなった。
1980年代あたりでは、ポケット
に銃刀法に抵触しないナイフが
あっても、レターオープナーと
言えば職質した警察官も検挙は
全くしなかった。警視庁も神奈川
県警も埼玉県警も。
今は世の中が違う。
しかし、回転型の鉛筆削りでは
スケッチ用の鉛筆の芯は削れない。
任意の平たさや芯先形状を刃物で
成形しないと思うタッチの絵が描
けないからだ。スケッチだけでなく、
鉛筆での素描はそう。

ナイフで削った文字書き用のペン先。


こうした狙った通りの任意の削り方
などは、私の世代は誰でもできる。
チャッチャと削ってもこうしたシュッ
とした鉛筆の削りになる。小学生で
あっても、このような形状をすぐに
作り出す事ができた。


今の小学生では無理らしい。
小学生だけでなく、大人も50代半ば
以下の世代はできないらしい。
ある人のブログを見ていて、えー?
そうなんだ、と知った。
それは、鉛筆を削れます、というの
を動画でYouTubeにアップしている
人がいるらしい。
そのうち、「私、自転車に乗れます」
という動画がアップされる時代にな
るかも知れない。

最近、どうもオートバイに乗る人た
ちが異常なほどにド下手くそな人た
ちだらけになってきている。
これは1980年代とは雲泥の差として
現実にある。
思うに、多分だが、今の嘘教えの教習
とは別に、そのド下手くそな世代現象
は、小学生の時に自転車に乗りまくっ
ていろいろ出かけなかった世代のあた
りからなのではなかろうか。
家に閉じこもってファミコンやゲーム
ばかりやっていた世代。
身体を動かして外で遊ぶ事をやめた
世代。
長く日本人の中で外遊びをしていた
子ども時代を送った世代は、私より
ちょい後の世代までで、それ以降は
日本人の歴史に終止符を打った子ど
もたちばかりが今ド中年から壮年期
になって来ている。20代はそれに
続け、だ。
鉛筆も削れなければ、マッチのすり
方も知らない。レコードさえ見た事
も無いし(これは時代性ゆえいた仕方
ない。問題は知ろうとしない事)、
自転車に乗ってどこかに出かける事
を毎日していた子ども時代を持たな
い世代。
そりゃあ、オートバイなどまともに
乗れる道理がないなぁ、と思う。
もしかするとスキップや片足ケンケン
も出来ないかも知れない。
特定のスポーツは訓練するから出来
るとしても。

火熾しなどもできないから、だから
キャンプなどでの薪割りや着火が
珍しい物として今流行っているの
だろう。
これは温故知新で良い事かとは思
うが、最近始めたばかりなのに、
さもオーソリティーぶって聞きか
じりの解説をかましてる動画の多い
事、多い事。
なんだろなぁ、という映像が多い。

信じがたい話だが、現代の20代は
両手の指を滑らかに順繰りに折り曲
げたり伸ばしたりする事ができない
のだという。
指はグーパーしか出来ないらしい。
出来るのはピアノを幼い時から弾い
ていたり、ギターなどの楽器を弾く
若者たちだけのようだ。
だからこそスピナーのような意味
不明の手先遊びの器具が珍しくて
流行るのかも知れない。手の中の
指先でのペン回しなども勿論でき
ない。
第一、これまた信じがたいが、
現代の子はまともに走れない。
これは、小学生、中学生の短距離
走の年ごとの平均タイムをみれば
よく分かる。
私は50mは中2の14才の誕生日前で
5.8秒だった。5.9や6.0タイムは連
発。
5秒台は当時でも全国レベルなのだが、
これは国内でも足が速いほうの類で
あるので平均ではない。
だが、15年程前の中学生男女の平均
を知って愕然とした。
「走れない」のだ。
身体的な動かし方を知らないのだ
ろう。
刃物での鉛筆削りと同じで、やり
方を覚えれば、誰でも出来る事な
のに、その方法を知らないから出来
ない。また、知ろうともしない。

オートバイは乗り方が上手くなる
のか。
これはですね、乗り方を知れば
絶対に上手くなります。誰でも。
競技選手のレベルは特別な高度な
技術と思考力(これ大事)が必要と
なるのですが、一般的なレベルで
「上手」になることは確実にでき
ます。
ただし、それには条件が4つある。

 1.オートバイが大好きである事
 2.オートバイに乗る事が大好きで
  ある事
 3.正確な物事の判断をする認知力
  を備えている事
 4.気持ちが純粋である事

この4点さえあれば、誰でもオート
バイの運転はスイスイ出来ます。
世界チャンピオンのヤーノ・サーリ
ネンは歴史的な名言を残しました。
「ボウリングをやれる体力があれ
ばモーターサイクルには乗れる」

鉛筆を削る刃物の使い方も、世の
中の多くの事も、「やり方」を
知るか知らないか、知る気がある
か無いか、だけの事です。
私の世代は、たまたま刃物の使い
方をガキどもみんなが知っている
世代だったから箸を持つように鉛
筆が当たり前の事として削れる。
駆けっこも、やり方を知っている
から速く走れる。
自転車には小学生時代はみんな乗
りまくりだったから、動力付きの
モーターサイクルにミドルティーン
で移行しても、すんなりとバランス
感覚良く乗りこなせる。
私の世代でオートバイで立ちゴケ
などする人間はいません。ほぼ皆
無です。
コーナーもS字スラロームもスイ
スイと当たり前のようにこなすし、
「Uターンは難しい」などという
度外れた意味不明な認識を持つ人
などはいません。
1970年代の免許持ちでそういうの
がいたとしたら、それはモグリだ。
多分往時にはバンバン乗ってない
ペーパライダーで、最近ようやく
本当に実地でそっと乗り始めたの
では。

要するに何でも「やり方」です。
ノウハウ。
そして、これはどのスポーツでも
武道でもダンスでも描画でも楽器
演奏でもそうですが、真剣にまっ
すぐに無垢なピュアな気持ちで
真正面から向かえば、必ず人は
それが出来るようになります。
上掲の「4.」が一番大切。

出来るか出来ないかなどは、やり
方を知っているかどうかなだけな
んですよね。
これ、学校の勉強も上記の4項目が
多くはあてはまる。

唯一、出来ない物があります。
それは歌。
歌だけは学習や訓練の密度と表現
力は全く比例しない。
そして、「巧い」人が良い歌を歌う
のではない。
歌だけは持って生まれた才能でし
かない。
ボイトレをこなした人や声楽科を
出た人が人を感動させる歌を歌え
るかというと、全くそんな事はな
い。むしろ歌は「うまく歌おう」
とする人に良い歌を歌う人は少な
い。
だから、ボイトレのコーチの人が
歌う歌は特別感動巨編とかのケース
はほぼ無いでしょ?
歌は上手い下手ではないところに
根幹があるというのを見つめよう
とはしないから。
歌で人を感動させる人は、上掲の
「4.」の世界を持っている人たち
です。
あざとい技巧などは、聴く人が聴
けば即見抜かれる。
こればかりはいくら練習しても
良くはならない。
なぜならば、鉛筆削りやオートバイ
の乗り方のような「技術」では
ない世界に属するものだから。
基本的な技術は必要です。ピッチ
やリズム等の。これは楽器でも。
でも、楽器演奏は、電子プログラ
ムで音源作っても、人間が生演奏
する音には敵わないでしょ?
そこ。歌もそれ。
ミク音声に感動してる世代は感覚
が違うのかも知れませんが。

鉛筆削りや二輪乗りの系統。
これは絶対にサマになる程度には
誰でも上手くなります。
「4.」を持っているのならば。


この記事についてブログを書く
« 紅葉を見に行く | トップ | 横浜市で一番人気の区は »