※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。


 その日、天野あまのは銀座にいた。


 坂上理恵子さかがみりえこが経営するスナックに向かうためだ。


坂上理恵子

いらっしゃいませ……。
ああ、勇二くん。

天野勇二

よう坂上、来たぜ。


 坂上は天野の小学校の同級生。

 先日開催された同窓会にて、10年ぶりに再会していた。

(詳しくは 『彼女に上手にさよならを伝える方法』にて)



 坂上のスナックは広い店ではない。

 カウンターに椅子が6つだけ。

 スナックよりもバーと呼んだ方がしっくりくる。

 それでも場所は銀座の一等地だ。

 相当な資金がなければ、店を構えることなんて出来ない。

坂上理恵子

ごめんね。
急に呼び出して。

天野勇二

いや、ちょうど飲みたい気分だった。
いいタイミングだったよ。


 天野はそう言って、ギムレットを頼んだ。

天野勇二

電話でも聞いたが、何かを俺に頼みたいんだって?

坂上理恵子

うん、前に涼太りょうたくんと一緒の時に言ってたじゃない。
事件屋みたいなことをしてるって。
困ったことがあれば言えって。

天野勇二

そんなこともあったな。

坂上理恵子

だからね、お願いしたいことがあるのよ。


 坂上は切れ長の瞳を細め、天野を真正面から見つめている。

 作り物のように美しい顔だ。

 小学生の頃の坂上は「花より団子」という表現がピッタリで、肉団子のように丸々太った女子だった。

 それが今は「しな」を作って色気のある視線を飛ばしている。

 時は恐ろしいほどに人を変えるなと、天野は感心していた。

天野勇二

どんな頼みなんだ?

坂上理恵子

ちょっと待ってね。


 坂上は店の奥に引っ込むと、ひとりの幼子を連れてきた。

 女の子だ。

 腕に大きなクマのぬいぐるみを抱いている。


坂上理恵子

こちら勇二さん。
自己紹介しなさい。


 女の子はコクンと頷くと、じっと天野を見上げた。


女の子

さかがみちえ、です。
4さいです。


 天野は驚いて坂上と、その娘を見つめた。


天野勇二

お、おい……。
これ、お前の娘か?


 坂上は照れ臭そうに笑った。


坂上理恵子

そうよ。
ちえちゃん、よく挨拶できましたね。
いい子ね。


 天野は呆然と母になっていた坂上を見つめた。


天野勇二

お前、娘がいたのか……。
結婚してるのか?

坂上理恵子

もう離婚したわ。
ヤクザのチンピラだったのよ。


 平然と言葉を続ける。


坂上理恵子

まだ私も10代だったし、ダイエットに成功して調子に乗ってたの。
子供ができちゃって結婚。
旦那の暴力が発覚。
離婚してシングルマザー。
よくある話よ。

天野勇二

そうか……。
苦労してるな。


 天野は坂上の娘と目線を合わせ、自己紹介した。


天野勇二

勇二だ。
君のお母さんとは古くからの友達なんだ。
よろしくな。


 手を伸ばし握手する。

 坂上の娘はおずおずと手を握り、にんまりと笑った。

 天野は坂上の娘を持ち上げて、隣の椅子に座らせた。

坂上理恵子

珍しいわね。
この子が初対面なのに笑うなんて。

天野勇二

そうなのか。
どんな字を書くんだ?

坂上理恵子

千の恵み、と書いて『千恵ちえ』よ。
沢山恵まれることが訪れるように願ったの。


 千恵はクマのぬいぐるみを大事そうに抱え、天野を興味深そうに見上げている。


天野勇二

千恵ちゃん、そのクマさんには名前があるのかい?

坂上千恵

うん。

天野勇二

お兄ちゃんに教えてよ。

坂上千恵

『くまちゃん』っていうの。

天野勇二

そうか、可愛い名前だね。


 天野が褒めると、千恵はにんまりと無邪気な笑顔をほころばせた。


 その様子を見て、坂上は嬉しそうに笑った。


坂上理恵子

小さくても女ね。
顔が良い男にはすぐ懐くのかしら。
いつもはお客さんが来ても、挨拶もしないで奥に引っ込んじゃうのよ。

天野勇二

まだ幼いからな。
大人が怖いんだろう。


 坂上は千恵を見ながら天野に懇願こんがんした。


坂上理恵子

勇二くん、お願い。
この子を預かってくれないかしら?

天野勇二

なんだと?


 天野は驚いて坂上を見つめ返した。


天野勇二

俺はベビーシッターじゃないぜ。
専門の業者に頼んだらどうだ。


 坂上は悲しそうに目を伏せた。


坂上理恵子

元旦那が家に来て、千恵を 寄越よこせって暴れるの。
親権は私にあるんだけど、もう困っちゃって……。
1日だけでいいから預かってくれないかしら?
実は今晩、店にも家にも来るって脅されてるのよ。


 天野は冷静に首を振った。


天野勇二

ダメだ。
それじゃその場しのぎにしかならない。
警察には言ったのか?

坂上理恵子

何度も相談してるわ。
裁判所からも接近禁止令は出てるんだけど、それも無視して千恵に近づくの。
私はいいんだけど、千恵のことが心配で……。


 天野はジンを舐めながら言った。


天野勇二

……何だったら、俺がブチのめすか?

坂上理恵子

それで済む相手じゃないのよ……。
もうヤクザの中堅。
勇二くんを巻き込みたくはない。

天野勇二

なるほど……。
それは厄介だ。


 相手が極道であっても、天野という 殺戮さつりく兵器にかかれば叩き潰すことは容易い。

 問題はその後だ。

 生半可に潰しても、極道は引き下がらない。

 下手に手を出せば、坂上たちに火の粉が振りかかるだろう。


天野勇二

実家はどうだ?
預けられないのか?


 坂上は悲しそうに俯いた。


坂上理恵子

もう両親は他界したわ。
身寄りもないの。

天野勇二

そうか……。
失礼なことを訊いたな。


 天野はちらりと千恵を見つめた。

 千恵はクマのぬいぐるみを抱え、何かお喋りをしている。

 ひとり遊びには慣れている様子だ。

 その姿がどこか悲しかった。

天野勇二

……1日だけ預かるのは、別に問題ない。


 ため息を吐きながら坂上を見上げる。


天野勇二

だが、根本的解決には第三者の力が必要だ。
もしくはどこまでも逃げるしかない。
この店を手放し、遠くの土地に逃げるのも難しいんだろう?


 坂上は黙って頷いた。

 

天野勇二

ならば、仕方ないな。


 天野は千恵に向かい直った。


 頭を撫でながら優しく尋ねる。


天野勇二

千恵ちゃん、今晩はお兄ちゃんの家でお泊まりしようか?


 千恵は「うん」と頷いた。


 天野は再び坂上を見て尋ねた。


天野勇二

坂上、正直に言ってくれ。
今の『パトロン』は何と言っている?


 パトロンとは後援者や支援者のこと。

 主に財政支援をする人物だ。

 水商売の世界では、『愛人契約を結んでお金を援助する人物』というイメージが強い。

 若い坂上が銀座で店を構えるには、それなりの支援がなければやっていけない。



 坂上は悲しそうに告げた。

坂上理恵子

今のパトロンには妻子がいるの……。
子供までは面倒見れない、って言われてるわ。


 天野はじっと坂上の目を睨みつけた。


 恐ろしいことに、この男は相手の目を見て、ある程度の心理を読んでしまう。


 天野は坂上が「何かを隠しているな」と感じた。


天野勇二

正直に話してくれ。
何か裏に潜んでいる気がする。
何か悩みを抱えてないか?


 坂上は視線を逸らした。


坂上理恵子

何も、なにもないわ……。

天野勇二

坂上、隠し事はよくない。


 その時、何かが天野の袖を引っ張った。


 千恵だ。


 潤んだ瞳を見開き、天野をじっと見上げている。


坂上千恵

ママをいじめないで。


 天野は千恵に向き直ると、柔らかく笑いかけた。


天野勇二

ママをいじめてないよ。
君は優しい子だね。
優しい子にはご褒美があるんだ。

坂上千恵

そうなの?

天野勇二

そうだよ。
神様が千恵ちゃんにくれるのさ。


 千恵の耳元に手を伸ばす。

 何かを握るように手を動かす。


天野勇二

ほら、ご褒美だ。


 天野は千恵の前で、手を広げた。

 手のひらからアメ玉がひとつ、ひょっこりと顔を出した。

坂上千恵

わぁ! すごい!
くれるの?

天野勇二

ああ、千恵ちゃんに神様がくれたんだ。


 千恵は嬉しそうにアメ玉を口に放りこんだ。

 坂上はその様子を見て笑った。

坂上理恵子

相変わらずね。
子供の扱い方がうまいんだから。

天野勇二

まぁ、環境のせいさ。


 天野は小さく息を吐くと、念を押すように言葉を続けた。


天野勇二

坂上よ、秘密を話したくないなら別に構わない。
だが、何かが起きた時は、全てを知っていなければ力になれない。
わかったな。

坂上理恵子

うん……。
わかってる。
全てを話せる時が来たら話すわ。

天野勇二

それでいい。


 天野は頷いて千恵に声をかけた。


天野勇二

それじゃ千恵ちゃん。
お兄ちゃんの家に行こう。

坂上千恵

うん。


 千恵は飴玉を口の中で転がし、無邪気に頷いている。

 他人の家に泊まるというのに、それほど抵抗が感じられない。

 こうした状況に慣れているのだろう、と天野は感じた。


坂上理恵子

勇二くん。
ホントにありがとう。
ここに千恵の着替えが入ってるわ。


 小さなリュックを受け取り、天野は軽やかに笑ってみせた。

天野勇二

明日、またこの時間に連れてくるよ。

坂上理恵子

うん、待ってる。


 天野は千恵を連れて店を出た。


 

 何となく、この件は大事になる嫌な予感がしていた。




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つばこ

どうも、つばこです。
 
_人人人人人人人人人人人人_
> クソ野郎書籍化決定! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
 
2015年12月に『天才クソ野郎の事件簿』が書籍化されることになりました!
これも皆様のおかげでございます。
本当にありがとうございます!!!
 
文庫版はcomicoノベル形式ではなく、一般書籍と同じ形になります。
完全新作の書き下ろし短編も収録される予定なので、色々とお楽しみいただければ幸いです。
詳細はまた続報をお待ちくださいヽ(*´∀`*)ノ.+゚
 
さて、今回の『ベビーシッター編』では、『さよなら編』に登場した天野くんの同級生、坂上さんが再登場しております。(27話~30話あたりに登場しています)
坂上さんの依頼がどんな事件に発展するのか……ご期待ください!!!
 
ではでは、いつもオススメやコメント本当にありがとうございます(∩´∀`)∩

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コメント 284件

  • 螢★剣の王国★ゴ太郎先生

    今日のクソ野郎はクソ野郎じゃない!!(´;ω;`)

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  • まこと

    クソ野郎が!クソ野郎がすげぇ優しく微笑んでやがる!マジか!

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  • メル子

    天野君…めちゃめちゃいいお兄さんじゃないか…

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  • 綾夏

    天野が子供に優しい、だ、と………!!
    なつかれてるし!
    子供の扱いうまいし!

    「環境のせいさ」
    環境ってーーー!?
    どういう環境なんですか気になる!!

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  • イオ

    大事件の予感か…もう893の事務所潰しても驚かないです。はい!

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