その日の夕方。

 

 天野は歌舞伎町の喫茶店に、新井と林を呼び出した。


新井浩司

すんません、天野さん……。
お待たせしました……。


 新井と林は20分遅れてやって来た。
 天野はこの時点でイライラしていた。

天野勇二

遅い。この俺様を20分も待たせやがって。
お前、時間にルーズな癖をなんとかしろ。

新井浩司

す、すんません……。
あまりに飲みすぎて、酒がぜんぜん抜けなくて……。


 新井は青白い顔をしている。

 一方、天野はすでに平然としていた。


天野勇二

飲み方が甘いんだよ。

新井浩司

いや、天野さん、
スゴすぎっす……。
正直、まいりました……。


 天野はひとつ舌打ちすると、隣に立つ林に尋ねた。


天野勇二

おい林よ、俺様はお前の売り掛けをチャラにしてやったんだぞ?
10万円の借金を消してやったんだ。
礼はないのか?


 林は慌てて頭を下げた。


林菜摘

えっと、は、はい!
あ、ありがとうございます……。

天野勇二

はぁ……。
ダメだお前ら。
全然ダメだ。


 呆れたように首を横に振る。
 心底残念そうに言った。

天野勇二

お前ら、その態度は何だ?
売り掛けをチャラにしてやったというのに、感謝の気持ちが全く伝ってこない。
俺様は残念だ。
今から店に行き、チャラの話はなかったことにしよう。
給料も5000円程度は貰えるはずだ。


 新井は慌てて土下座した。


新井浩司

すみません!
本当にありがとうございます!
本当に感謝してます!


 林もその隣に並んで土下座した。


林菜摘

天野さん!
ありがとうございました!


 互いに ひたいを床にこすりつけている。
 しっかりとした土下座だ。
 喫茶店にいる客たちは、驚いて2人の姿を眺めている。

 天野は偉そうに頷いた。

天野勇二

そうだ。その姿勢だ。
お前ら頭が高いんだよ。
100万って金額がいくらかわかってんのか?
100万だぞ?
それを一晩でチャラにしてやった俺様に敬意を払え。
俺様は時間に遅れるヤツと、身分をわきまえないヤツが嫌いなんだ。
死ぬまで俺様に感謝しろ。

新井浩司

は、はい!!!
マジでありがとうございます!


 天野は土下座する2人を見て、少し気が晴れた。


天野勇二

よし。戻れ。


 2人はまだ土下座している。


天野勇二

も・ど・れ!!


 2人は慌てて席に戻った。

 天野はコーヒーを一口含むと、新井を睨みつけながら言った。

天野勇二

新井よ、俺様はホストなんて、一度もやったことがなかったよ。


 新井は驚き、あんぐりと口を開けた。


新井浩司

……マ、マジっすか!?
あんなに完璧だったじゃないすか!

天野勇二

マジだ。
それでも俺様は、1日であれだけの売上を出した。
まぁ、太客を捕まえ、財布の紐を緩めてやっただけの話だがな。


 天野はギロリと新井を睨みつける。

天野勇二

ところが……。
お前は俺様の忠告を無視して、とんでもない太客をあっさりスルーしやがった。
覚えているな?


 新井はおずおずと頷いた。


天野勇二

お前は「見かけ」だけでしか物事を見ていない。
だからホストとして半人前なんだ。
そしてお前は、あの太客を俺様と同じように満足させられたと思うか?


 新井はゆっくり首を横に振った。


天野勇二

そうだろう?
店のドンペリを空にするまでは飲ませられまい。
これが東京が持つ 真の暗闇なのさ。


 天野はニタリと嫌な笑みを浮かべた。


天野勇二

この街には俺様のように、お前が一生かかっても敵わないヤツがいる。

ただのババアにしか見えないくせに、ドンペリを空にする財布を持っているヤツがいる……。

この歌舞伎町って街は、そんなヤツらから金を巻き上げる場所なんだ。
それを理解できないヤツが生きていける街じゃない。
そんなに東京は甘くないんだよ。


 新井は黙って天野の言葉を聞いていた。


天野勇二

このままホストを続けていても、闇の中でもがき続けるだけだ。
お前は闇の中で生きるための器を持っちゃいない。
人はそれぞれ器の大きさが決まっている。
無理やり広げて、手に届かないものを掴もうとしても、無駄なことさ。


 天野は新井の顔を覗き込んだ。

 怯える新井の瞳目掛けて、叩きつけるように言葉を吐いた。


天野勇二

いいか新井……。

この街には、お前程度の器の、クソガキがいる場所はないんだよ。


 新井は拳をぎゅっと握りしめた。

 悔しさのあまり涙が滲んでいる。

 林はその新井の腕を抱き、横顔を見つめている。



天野勇二

……だが。



 天野はタバコに火をつけ、煙を吐き出した。



天野勇二

俺には、甘いみかんを作ることはできない。



 新井は「はっ」として天野を見上げた。


天野勇二

お前は甘いみかんを作ることができる。そして。


 天野は指先を偉そうに翻した。

 林の顔を指さす。


天野勇二

お前みたいな器の小さい男を、 膨大ぼうだいな借金を背負ってでも、振り向かせたいと願った女がいる。


 林はぎゅっと新井の腕を掴んだ。

 涙目で新井の瞳を見つめている。

 半人前だったホストの瞳だけを、見つめている。

新井浩司

なっちゃん……。


 天野は指をパチリと鳴らし、新井の顔を気障ったらしく指さした。


天野勇二

お前は闇の中で無様にもがきながらも、掌に『小さな光』を掴んでいた。
その光を持って、闇の中へ飛び込み続けるのか?
闇の中に投げ捨てて、光を消してしまうのか?

違うだろ?

お前はその小さな光を持って太陽の下に帰るんだ。
満天の空の下で、その光をもっと大きくさせるんだ。
そうじゃないのか?
それより価値のあることが、この街にあるのか?


 新井は黙って手のひらを見つめた。


天野勇二

お前は言ったな。
『東京で何も見つけてない』と。
もうお前は見つけているんだよ。
闇の中じゃ見えなかった光が、今だったら見えるはずだ。

どうだ?
お前にとって、それより輝く光が存在するのか?
それが林じゃ満足できないってのか?


 新井の瞳から涙がこぼれた。

 必死に首を横に振る。


新井浩司

満足っす……。

自分はデカいものばっか見てました……。

自分には向いてないって、自分がなりたかったものじゃないって、ホントはわかってたのに……。


 天野は半眼で新井を睨みつけた。


天野勇二

お前、それ本心か?

新井浩司

ほ、本心っす。

天野勇二

それなら隣の女に、言うべきことがあるんじゃないのか?



 新井はしばらく泣いていた。


 何かを決心したように、小さく頷く。


 袖口で乱暴に涙を拭う。


 そして、林に向き直った。



新井浩司

……なっちゃん。
俺は東京でハンパものだった、情けないヤツだ。

林菜摘

そんなことない。
浩ちゃんは頑張ってたよ。


 林はハンカチで新井の頬を拭いた。


新井浩司

いや、天野さんの言う通りだ。
俺は俺にしか、できないことがあった。
なのに東京で、できもしないことを探してた。


 新井は純朴じゅんぼくな笑みを浮かべた。


新井浩司

なぁ、なっちゃん……。
愛媛の故郷ふるさとはマジ田舎で、なっちゃんの欲しがるようなものは、売ってないかもしれない。

林菜摘

私は浩ちゃんがいれば、それでいいよ。
それ以外に欲しいものなんて、何もないよ。

新井浩司

そっか……。
なっちゃん、
ありがとう……。


 新井は林の手を優しく握った。


新井浩司

俺と一緒に、愛媛まで来てくれないか。
俺はみかん農家で、つまらない男だけど、そんなみかん農家の嫁になってくれないか?


 林は力強く頷いた。


林菜摘

うん、行くよ。
浩ちゃんのお嫁さんになれるなら、どこでも行くよ。

新井浩司

なっちゃん……。
ありがとう……。


 2人は泣きながら抱き合った。

 喫茶店に2人の泣き声だけが響く。

 天野はタバコを吸いながら、その姿を静かに見つめていた。





 やがて、新井が天野に向き直った。

新井浩司

天野さん……。
ありがとうございます。
天野さんのおかげで、大事なものを見失わずにすみました。

俺、東京に出てきて良かったです。
なっちゃんに会えて、天野さんに会えて、初めてそう思うことができました。


 天野は小さく唇を歪めると、どこか優しげに言った。


天野勇二

良かったな。
闇の中でもがいたことは無駄じゃなかった。
お前は幸せ者だよ。

新井浩司

はい……。
マジで天野さんのおかげっす……。


 林も天野に向き直り、深々と頭を下げた。


林菜摘

天野さん、何から何まで、本当にありがとうございます。

天野勇二

お前も甘いみかんを作れ。
良い嫁になり、そして……


 天野は偉そうに自らを指さした。


天野勇二

この俺様を満足させるみかんを作れ。


 林がコクコクと頷く。

 新井は力強く拳を握った。


新井浩司

作ってみせます!
なっちゃんと一緒に、天野さんが満足できるみかんを作るっす!


 天野は満足気に頷いた。


天野勇二

そうだ。
俺はそれを聞きたかった。


 こうして歌舞伎町から、1人のホストが愛媛のみかん畑に帰ることになった。




 天気は晴れ。秋空はどこまでも高い。

 天野は空を眺めながら、いつものテラス席でのんびりパンを食べている。

 そこに弟子である前島がやって来た。

前島悠子

し、師匠!!!

天野勇二

ああ、なんだ、前島か。

前島悠子

こ、これが師匠の金髪!
超カッコイイじゃないですか!
すごく似合ってます!

天野勇二

そうか?
すぐに黒に戻すぞ。
週末までには戻す。

前島悠子

いやぁ、師匠の黒髪も好きですけど、金髪もイケてますねぇ。
やっぱり男前だと何でも似合うんですね。

天野勇二

まぁな。


 前島はスマホを取り出して、写真を見せつけた。


前島悠子

これ、涼太さんが送ってくれたんです。


 ホストになった時の記念写真だ。

 『龍』『光』がふてぶてしい笑みを浮かべている。


前島悠子

ズルいじゃないですか。
どうして私をホストクラブに誘ってくれなかったんですか?

天野勇二

お前、大した給料を貰ってないんだろ?
学生相手にふんだくるのは、俺様の美学に反する。

前島悠子

何を言ってるんですか!
私は天下のアイドル様ですよ?
あぁ、ホストの師匠に接客されたかったぁ……。
もうやらないんですか?

天野勇二

もう、やらん。


 前島はがっくりして机に突っ伏した。


前島悠子

あっ、そうだ!


 何かを思い出したようにスマホを持ち、天野の隣に並ぶ。

 ピロリーン、とシャッター音が鳴った。


前島悠子

貴重なホスト師匠とのツーショット!
いただきました!


 嬉しそうにスマホを眺める。
 せっかくだから壁紙にしよう、いや印刷して部屋に飾るのも悪くないな、そんなことを考えているようだ。

佐伯涼太

あれ?
前島さんじゃん?


 そこに涼太がやって来た。

 大きなダンボールを持っている。


前島悠子

あー!!!
涼太さんも本当に金髪だ!

佐伯涼太

うぷぷ、どうよ?
僕ちゃん結構、
イケてるでしょ?

前島悠子

似合ってます!
涼太さんチャラいからピッタリです!

佐伯涼太

でしょ?
僕は顔立ちが派手だからさぁ、こっちのがウケがいいんだよねぇ。
しばらくこれでいこうかなぁー。


 天野は涼太が持っている大きなダンボールに目をやった。


天野勇二

なんだ?
その大げさな荷物は。

佐伯涼太

愛媛からの産地直送品だよ。


 中には大量のみかんが入っていた。


天野勇二

おお、来たか。
待ちわびたぞ。

佐伯涼太

新井くんからの手紙も入ってたよ。
林さんと一緒に頑張ってるみたい。
結婚式に来て欲しいって。
勇二には仲人なこうどもお願いしたいってさ。

天野勇二

愛媛なんて遠いところに行ってられるか。
感謝の気持ちにみかんを送れ、と返してくれ。

佐伯涼太

あはは。わかったよ。


 天野たちは早速みかんを食べ始めた。


前島悠子

うわぁ、甘いですねぇ。
果肉がゼリーのようにプルンプルンですね。

天野勇二

それは『紅マドンナ』だからな。
1個1000円もする愛媛が産んだみかんの傑作だ。
味わって食えよ。


 天野たちは新井のみかんに舌鼓したつづみをうった。


佐伯涼太

……ねぇ、勇二。


 涼太がみかんを頬張りながら言った。


佐伯涼太

前から言おうと思ってたけど、あれは卑怯じゃん。
僕は自力でキャッチしたのにさ。

天野勇二

ほう、やはり気づいたか。

佐伯涼太

そりゃそうだよ。
気づくのがフツーだって。


 天野はみかんを口に放り込み、不敵な笑みを浮かべた。


天野勇二

医者の奥様方マダムには、夜遊びを好む連中が多くてな。
その中でも特にホスト好きの連中に、歌舞伎町の良い店を紹介してやったのさ。

しかも、医療界期待の天才、おまけにイケメンの御曹司おんぞうしが1日ホストをやる……。

それだけの餌をばら撒いただけだよ。
あんな金、あの連中にとっちゃいつもより安いぐらいだ。
何せ一番高い酒がゴールドだぜ?
しけた店だよ。

佐伯涼太

どうせなら事前に言ってくれれば良かったのに。

天野勇二

敵をだますなら味方から、ってな。
俺様の常套じょうとう手段さ。


 前島は嬉しそうに天野を見つめた。


前島悠子

相変わらず師匠はやり方が汚いですねぇ。
勉強になります。


 涼太は呆れながら言った。


佐伯涼太

しかしさぁ、何でホストなんかやる気になったの?
勇二、その手の連中は嫌いじゃん。
心が動かされることでもあったの?

天野勇二

ああ、あった。
新井の実家を尋ねたら『みかん農家』だと言うじゃないか。


 天野は新しいみかんを取りながら言った。


天野勇二

俺、みかんが好きなんだ。


 みかんを頬張りながらタバコに火をつける。

 

 ゆっくり煙を吐き出し、空を見上げた。




 

 

 涼太も前島も、天野の次の言葉を待っていた。

 

 天野はそんな2人を不思議そうに眺める。


天野勇二

……どうした?

佐伯涼太

いやいやいや……。


 涼太がツッコミを入れた。


佐伯涼太

みかんが好き、の後は?

天野勇二

何もないぜ。

佐伯涼太

ええぇ!?


 涼太は慌てて天野に詰め寄った。


佐伯涼太

何かあるでしょ!?
土下座する姿に心打たれた、とか。
瞳に情熱と見込みがあった、とか。
2人の真摯しんしな態度に心動かされた、とか。

天野勇二

何でいちいち土下座するヤツの頼みごとを聞かなきゃならないんだよ。
こっちは慈善ボランティア団体じゃないんだ。
土下座なんか俺様にしてみれば、ごくごく当たり前の行為だ。
俺様は産地直送のみかんが食えそうだと思ったからやっただけだよ。

佐伯涼太

そ、それだけなの?

天野勇二

そうだ。


 天野はみかんを手に取り、太陽に透かせてみた。


 みかんが陽の光を遮る。


 まるでみかん自身が太陽として輝いている、そんなようにも見える。


 天野は恍惚こうこつの笑みを浮かべた。


天野勇二

みかんは素晴らしい。
オレンジ色の果実。
太陽の光を放つ果実だ。
皮を剥いても果肉が輝きを放ち、甘さと程よい酸味が俺様を震わせる……。


前島、どうせ余るから持っていって構わんぞ。

前島悠子

わぁ、ありがとうございます。


 前島は鞄にみかんを入れ始めた。

 涼太は髪をかきむしって叫ぶ。


佐伯涼太

マジで!?
マジで言ってんの!?


なにそれ!?!?

たかが『みかん』のために、あんな苦労したっての!?


 天野は涼太をたしなめた。


天野勇二

みかんを馬鹿にするな。
みかんに失礼だ。
みかんは愛媛の心。
農家の愛をみしめろ。

佐伯涼太

なんだそりゃ!
ワケわかんないこと言わないで!
なんでみかんを食べるためだけに、ホストやんなきゃいけないのよッ!?
みかんなんてさ、スーパーとか八百屋さんで買えばいいじゃんかよぉぉ!!!


 今日も涼太がテラスでえている。

 至極しごく当然なことを叫んでいる。

 天野と前島は涼太を無視して、のんびりと甘いみかんを頬張っていた。






(おしまい)

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16,339

つばこ

ご愛読いただきありがとうございます。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
 

みかんは八百屋さんで買えばいいじゃん(いいじゃん)
 

さて、次回の天才クソ野郎ですが、すっかり秋めいた季節感を無視して、
 
『天野くん&前島ちゃん&まきりんの楽しいグアム旅行☆ポロリもあるよ!』
 
をお届けします(∩´∀`)∩ワーイ
やっぱり皆さんに「前島ちゃんたちの水着姿を見て欲しいな」と思いました!
天野くんも腹筋を出したりしてるのでお楽しみに(*´Д`)ハァハァ
時系列が前後することになりますが、まぁ、それはそれとして許していただければ幸いです。
天野くんたちのゆるーいバカンスにご期待ください!
 
それでは今週土曜日、
『彼が上手にグアムでバカンスする方法』
にてお会いしましょう!
 
つばこでしたヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 389件

  • 麒麟です。Queen親衛隊

    そっか、マダムたちがあんな服を着ていたのは天野くんの仕業かww

    新井に太客を見定める力がないと思い込ませるための。

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  • ピカルディの3度

    愛媛の紅マドンナ、実在するんだね
    ちょっと食べてみたい…

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  • ИДЙ

    可愛いトコあるじゃねぇか…www

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  • るいま

    紅マドンナの為なら仕方ない…美味しいもんね

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  • 越後屋みつえもん

    みかんさま様

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