こんにちは。アイオー安楽です。
Twitterのトレンドで、「櫻井翔 大炎上」というトピックが流れてきました。
何事かと思って見てみると、日テレの「News Zero」で櫻井翔が行ったインタビューが、元日本兵の方に失礼なのではないか、という点で炎上しているようです。
炎上に関しての概要は、下記の記事をご参照ください。
私は、この記事に掲載されている櫻井翔へのバッシングを見て、強い違和感がありました。
上記のサイトに取り上げられていたコメントは、次のようなものです。
《こんなに浅はかだったとは残念すぎる。私の好きだった櫻井翔は違う人だったのかと思ってしまう…》
《その質問はないと思います。世界中の軍人にしてはいけない質問です》
《最悪でした。元搭乗員の方々が若くしてお国のためにと信じて戦ったからこそ、今の平和な日本があるのに。今まで苦しくて80年語らなかった方にあの質問は失礼だし残酷です》
《どうかインタビューを受けた方が気になさらないように。櫻井翔とスタッフは一生反省しろ》
《櫻井さんの質問は他の言い方ができたはず。話してくれていることへの感謝や敬意を感じない》
《いつから報道番組はアイドル崩れやお笑い、タレントをキャスターとして使うようになったのだろう。ニュースとワイドショーの区別がつかなくなっている》
《キャスターである以上、ジャニーズだとか人柄だとかは関係ない。発したその言葉で物事を世に伝えるのが仕事。櫻井の発言について、「彼も勉強できる」「いつもは殺すなんてワード言わない」などとファンが言うのはお門違い》
《櫻井くんの質問が悔しくてなかなか眠れなかった。大叔父は赤紙1枚で戦争に取られた。愛する奥さんを残して死ぬしかなかった。遺骨ひとつ残らない。戦争なのだからアメリカ兵を殺したかもしれない。もし生き残ったとして、そのことをあんな軽く聞かれたら心底軽蔑する》
引用:https://johnnys.jocee.jp/user/baniko/277afe8eb34c6ad5f65e
私は大学で、太平洋戦争の研究を2年ほどしていました。
そこで、今回櫻井翔がインタビューしていたような、実際に戦争に参加した人のインタビューや、体験談もかなりの数を読んでいたので、世間一般の方よりは少しだけその辺りの知識があると思います。
その上で、櫻井翔をバッシングしている人たちの指摘は、どこか腑に落ちない部分があると感じました。
そこで、自分の考えをまとめるためにも、この記事を書いている次第です。
私は大学で少し太平洋戦争に関してかじっていただけの一般人のため、あくまでも素人の一意見として読んで頂ければと思います。
それでは、櫻井翔の炎上してしまった発言について、考えてみます。
アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?という質問の仕方について
今回、真珠湾攻撃に参加した元日本兵の吉岡さんに対して、櫻井翔が「アメリカ兵を殺してしまった感覚は?」という質問を投げかけます。
この後、吉岡さんは言葉を詰まらせ、次のような発言をします。
「……私は『航空母艦と戦艦を沈めてこい』という命令を受けているんですね。……『人を殺してこい』ってことは聞いてないです。従って、命令どおりの仕事をしたんだ。もちろん人が乗っかっていることはよくわかっていますけど、しかし、その環境というのは私も同じ条件です」
このやり取りの発端となる、櫻井翔の「アメリカ兵を殺してしまった感覚は?」という、質問の仕方に批判が集まっています。
私は、このやり取りは非常に意味のある会話だったと思います。
「殺してしまったという感覚は?」という質問に対して、吉岡さんは「命令を遂行しただけ」と、真っ向から返答する事を避けています。
この返答は、「人を殺してしまった」という意識があった上で、それを明示する事を避けた回答です。
つまり、「人を殺した意識はあるけど、自分の口から言いたくない」という事です。
この、「人を殺した意識」は、太平洋戦争を扱う文学作品や、戦争に参加した方の精神分析などで取り上げられる事があるテーマです。
しかし、日本では「日本兵が戦地で殺された意識」はよく取り上げられても、「日本兵が人を殺した」という点に関しては、あまり焦点が当てられません。
数少ない元日本兵の方から、そういった「加害意識」を引き出そうとした櫻井翔の質問は、意味のある質問だったと思います。
「加害意識」というと、「それは自虐史観だ」と言い出す方もいますが、ここでは歴史の見方ではなく、「加害意識を持つ日本兵がいる」という事実について述べています。
この意識は、「日本がアメリカやその他の国に対して加害者である」という意味ではなく、「1人の人間が他人の命を奪ってしまった」というレベルでの「加害意識」です。
そのため、この加害意識は、アメリカ兵が日本兵に対しても感じているはずです。
あくまでも個人間レベルでの意識です。
「人を殺してしまった」という意識
戦争では、平時では許されない「殺人」という行いが、一定条件の元、正当化・義務化されます。
そのために、兵士は敵国の兵士を殺すために、肉体的にも精神的にも鍛えられます。
しかし、いくら敵国の相手が目の前にあって、「やらないと自分がやられる」という状況でも、人を殺す事に抵抗がある人もいます。
また、実際に敵兵を殺す際には、無我夢中でも、後になって「自分は1人の人間の命を奪ってしまったのだ」と感じる人もいます。
戦争に参加した小説家の大岡昇平は、『レイテ島戦記』や、『野火』で、そういった兵士の苦悩を描きました。
ここでも、上記に述べたように、「敵国の兵士」ではなく、「1人の人間」を殺す事について、苦悩する様子が描かれます。
そして、『野火』の登場人物である、「田村」は「敵国の兵士を殺害する常識」と「1人の人間を殺めてしまった事実」の間でどうにか折り合いをつけようとし、やがて統合失調症のような精神状態となってしまいます。
このような、戦地での加害意識から、PTSDや精神病になってしまった元兵士が沢山いる事は、非常に沢山いる事が分かっています。
この事については、中村江里さんの「戦争とトラウマ」という書籍に詳しく書かれています。
「戦争とトラウマ」でも書かれているように、長い間、戦争を経験した多くの日本兵が、精神疾患を患っている事は公にはされてきませんでした。
これは、当時PSDTのような病名が存在していなかったことや、「勇敢に戦ってきた英雄」が精神を病んでいる事を真っ向から受け止めるのが、難しかった当時の情勢があります。
勿論、戦争で精神を病んでしまった人全員が、「加害意識」に起因している訳ではありません。しかし、確実に無視できない数のそういった状況の人達がいます。
現在、終戦からかなり時間が経ってしまっている事も相まって、そういった加害者と苦しんだ人がいる事実が届きにくくなっています。
そのような、普段、語られる事のない「加害意識」を引き出そうとした点で、櫻井翔はインタビュアーとして優秀ですし、あえてあのような言い方をしたのだと思います。
お国のために戦った日本兵
櫻井翔を批判するコメントの中には、「お国のために戦った元日本兵にそんな事を質問するのは失礼だ。彼らが命をかけて戦ってくれたおかげで、今の私達の生活がある」という趣旨のものが多いです。
私は、これらの意見に対しても疑問があります。
恐らく、こういった意見を言う人たちは、「すべての日本兵が国のために必死で戦地で戦って、勇敢に散っていった。彼らが必死に抵抗してくれたおかげで日本は侵略されずにすみ、今のような生活がある」という幻想を抱いているのだと思います。
太平洋戦争では、およそ200万人の日本兵が亡くなっています。その6割が病死や餓死です。
敵と戦う事もなく、食糧不足や貧相な装備のせいでほとんどの兵士がのたれ死んでいるのです。
これらは、侵略してくるアメリカ軍ではなく、日本の杜撰な軍部の作戦の賜物です。
最初は次々と敵国の領地を占領していきましたが、終戦間際は本当に酷いものです。
この様子は、藤原彰の『飢死した英霊たち』に詳細に描かれています。
そして、「必死に戦ってくれた日本兵のおかげで今の生活がある」という認識にも、違和感を持ちます。
戦後、日本が急激に成長できたのは、戦後のアメリカによる統治と、朝鮮特需による影響が大きいです。
たまたま、アメリカがいい感じに日本を統治してくれて、たまたま朝鮮戦争による特需で一気に経済復興・経済成長できただけだと私は思っています。
というわけで、櫻井翔のインタビューに対するバッシングについて、考えてみました。
ご質問や事実訂正がありましたら、コメント欄にお願いします。
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