天野は大学の正門を出ると、すぐさまタクシーを捕まえて乗り込んだ。

　前島も急いで天野の隣に座った。

　そう言うと深く座りこんで、黙って前を睨みつけた。

　前島は『病院』というフレーズに驚き、天野の横顔に尋ねた。

　天野は突然、話を変えた。

　
　突然の質問に驚きながらも、前島はおずおずと頷いた。
　

　思わぬところで師匠からの賛辞をもらった。

　天野は前を睨みつけたまま、吐き捨てるように言った。

　心底不快そうに顔を歪めている。

　タクシーは都内の街中を走っているが、天野は景色なんて興味がない。

　顔を歪めたまま言葉を続けた。

　前島が嬉しそうに声をあげた。

　涼太は数少ない天野の友人だ。

　幼馴染で親友とも呼べる間柄。

　この言葉に前島は驚き、さらに嬉しそうに顔を綻（ほころ）ばせた。

　ここまで天野はずっと前を睨んでいたが、初めて隣にいる前島に顔を向けた。

　かなり偉そうな物言いだったが、前島は屈託（くったく）のない笑顔を浮かべて頷いた。

　天野は満足気に頷き、再び前を睨みつけた。

　天野は静かに首を横に振り、また少し話題を変えた。

　運転手に指示を出しながら話を続ける。

　クソ野郎にしては随分謙虛な発言だ。
　天野は医学部の首席で、天才と呼ばれるに値するほどの頭脳を持っている。
　それを 「超越している」と言うのだ。
　いかに天野の兄が優秀なのか、前島はその言葉で理解した。

　天野はその言葉に「そうだな」と小さく笑った。

　前島は生唾をごくりと飲み込み、一番気になっていたことを尋ねた。

　天野はちらりと前島の顔を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。

　前島は「うひゃぁ」と呟き、熱くなってきた頬を押さえた。

　どうやら天才クソ野郎の兄とは、女子の理想が全て注ぎこまれた存在なのだなと、前島は感じた。

　
　やがてタクシーは神埼記念総合病院に到着した。
　
　場所は都内の一等地。
　高台にある大きな総合病院だ。
　

　タクシーを降りると、前島は感心して病院を眺めた。

　それは立派な病院だった。

　近代的で洗練されたデザイン。
　壁は白く清潔で輝いている。
　窓も鏡のように美しい。
　通りには沢山の樹木や花が植えられている。
　花壇の手入れも小まめにされており、色とりどりの花が咲き乱れている。
　周囲にはゴミひとつ落ちていない。
　

　天野は正面玄関を目指して歩き出した。

　前島は早足の天野を小走りで追いかける。

　正面玄関から中に入る。
　そこは高い吹き抜けのホールになっていた。
　きらびやかなステンドグラスから七色の光が差し込んでおり、病院とは思えないほどの豪華さだ。

　
　内装まで想像以上に美しい。
　ここまで豪華絢爛ごうかけんらんな病院は見たことがない。
　都内にある病院の中では、最上級の部類に入るだろう。
　

　
　神埼記念総合病院は入り口の病棟とは別に、3つの病棟が存在する。
　天野は南に位置する病棟へ向かった。
　
　時折すれ違う看護師が軽く会釈をしているが、天野が白衣を着ているからなのか、知り合いだからなのか、前島には判断がつかなかった。
　

　慣れた手つきでパネルを操作し、エレベーターに乗り込んだ。
　

　
　ガラス張りのエレベーターの中から、都内の景色が一望できる。
　高台に建てられているため、遠くまで見渡すことができるのだ。
　
　立地も良く開放感は抜群。
　
　この病院を利用しているのは政治家や一流のVIPなのだろうなと、前島は思った。
　
　
　エレベーターが4階に到着すると、天野はナースステーションへ向かった。
　何かをノートに記載すると、前島を連れて通路を進んだ。
　

　
　ひとつの扉の前で立ち止まった。
　

　天野はその声を無視して白衣を脱ぎ、くるくると丸めて片手に持った。

　動揺する前島を尻目に扉を開け放つ。

　天野は優しく声をかけた。

　それは前島が聞いたこともない、優しい声だった。

　天野の兄、勇一はベッドに横たわり、入り口をおぼろげに見つめた。

　前島はその姿に言葉を失った。

　白髪の坊主頭。

　うつろで焦点の合わない瞳。

　その中には前島はおろか、天野の姿さえ映っていない。

　無精髭が伸びた不潔な顔。

　口元は歪んでいる。

　唇の端には涎が溜まって泡となり白く乾いている。

　そして身体には白い拘束衣を装着させられていた。

　
　予想もしていなかった光景に、前島は入り口で呆然と立ち止まり、自らの口元を震えながら押さえた。
　
　突然、勇一が叫んだ。
　
　
　
　

　天野は後方を振り返り、静かに告げた。

　慌てて入り口を閉める。

　
　勇一は叫び声をあげ続けている。
　
　天野は優しく声をかけた。
　

　
　天野は振り返って前島を見つめた。
　
　そして悲しげに告げた。