ARIA T.S.A. RE:GHOST? 作:かまぼこ大明神
アオイからの依頼を遂行した──その翌日。
「なんとか遅刻せずに済んだな」
安っぽい腕時計を確認し、ほっとため息をつく。
待ち合わせに指定した、女子寮の前の温室。
このやたらとデカいビニールハウスは、手入れが行き届いている割には人気がない。ん、逆か?
ともかく、ここは人とこっそり会うにはうってつけの場所なのだ。
「理子」
バラ園の奥へ進むと、丸テーブルと椅子が設置された空間に出る。
メールで呼び出しておいた通り、理子はそこで待っていた。
理子は1人で? いいや、付き人と2人で。ある意味想定通りの顔ぶれだ。
「あ、キーくん」
品のいいカップをソーサーに置きながら、理子が手を振る。
どうやらコーヒータイムだったらしい。
「相変わらずの改造制服だな」
理子の格好を見た、素直な感想だ。
徹底的に改造されたこいつの制服は、ほとんど原型を留めていない。
「……それ、メイド服か?」
というかその制服、午前中は着てなかったよな。
わざわざ戻って着替えたのか?
「これは武偵高の女子制服、クラロリ風アレンジだよ! キーくんいい加減ロリータの種類くらい覚えようよぉ……」
「きっぱりと断る。ったく、お前はいったい何着制服持ってるんだ」
そう言われて素直に制服の種類を指折り数え始めた理子は一旦置き……。
「ここにいるってことは、今日は休みだったのか」
俺はもう1人の方を向く。2日連続で会うのは珍しいので、少し気になったのだ。
「……ん、まあな」
カップにコーヒーを注ぐアオイの装いは、白いシャツに黒のベスト。こっちも給仕服風に改造された制服だ。
なかなか様になっているが、当人のセンスとは思えない。あくまでも理子の趣味に付き合わされた形なんだろう。
「たまの休みに猫探しとお茶会か?」
「ま、こういう非番の過ごし方も存外悪くないぞ」
慣れた手つきでショートケーキを箱から取り出すアオイの顔には、付き合わされていることに対する悪い感情は見られない。まあ、殆ど真顔なわけだが。
理子とアオイの2人は、武偵校では良くも悪くも有名な組み合わせだ。特にアオイの方は狙撃科のレキとも仲が良いとかで、知ってる連中から妙な勘ぐりを受けてるからな……。
どこか他人事に感じられないというか、まあそんなところだ。
「──ってなわけで、理子の改造制服はそんな感じなのだぁ!」
話もそこそこに、アオイはケーキを理子の前に置く。
するとどうやら改造制服の内訳について語っていたらしい理子が話を区切り、配膳されたケーキにデザートフォークを入れ──
「いただきまーす! はむっ──ん〜〜っ! おいしー!」
一切れ口に入れると、途端に頬に手を当てて悶え始める。本当に忙しいやつだな。
「ま、これなら朝に並んだ甲斐はあったか」
「並んだ? 朝にか?」
「11時に並べられて先着11名限定。いやー、激レアチーズケーキの異名に恥じない激戦だったぜ」
……なるほどな。
噂じゃアオイも卒業に必要な単位を既に獲得してるとかしてないとか。
本人が何も言わないんで不確かな情報だが、この分だと本当かそれに近い状況らしい。
同じく単位の悩みがないアリアといい、どれだけ数をこなせばそうなるのやら。
「ほんと、お前ほど不思議の塊みたいなやつはそうそういないよなぁ……」
知れば知るほど謎が深まる男だとしみじみ思う。
「それは買いかぶりすぎってもんだ。世界はお前が思っている以上に広大だぜ、ずっとな」
いやいや。少なくともこの学校にいて、お前がコーヒーを淹れるのが上手いってことを知ってるのはここにいる人間──俺や理子くらいなもんだろ。
いっそアリアが俺の部屋に襲撃してきたその日にいてほしかったくらいだ。それだけ話もややこしくなりそうだが。
「本物の不思議が見たけりゃ、東京湾に潜ってアトランティスでも探しに行くんだな」
わかっちゃいるが、こいつが言うとあまり冗談に聞こえないな……。
真冬のオホーツク海でも平気な顔して泳いでそうだ。
「……まあいいか。おい理子、本題に入るからこっち向け。いいか、ここでのことはアリアには秘密だぞ」
「むぐむぐ……──うー! らじゃー!」
理子がフォーク片手に敬礼? するのを後目に、俺は鞄からやや大きめな紙袋をひとつ取り出して手渡す。
「むむむっ! うっわぁ〜!」
受け取った紙袋を鼻息荒くびりびりと破くと、理子は中のゲームを確認して声を上げた。
「"しろくろっ!"と"妹ゴス"と"めたもる"だよぉ!」
「あ、ああ……?」
嬉しそうにアオイに見せているが、中身は全て理子が見た目年齢のせいで買えなかったというR15指定のギャルゲーだ。
それはもう購入の際に色々なものを犠牲にしたが、俺もなりふり構ってられないしな。
2人で解決する事件は最初の1件だけの約束だが、あのアリアがそれで済ませるはずがない。
俺はとにかく、事が起こるまでにそれ相応の対策を練る必要があるのだ。
「あ……これと、これはいらない。理子はこーいうの、キライなの」
不満げな顔をした理子が寄越してきたのは"妹ゴス"の2と3、どちらも正当な続編だ。
いや、返されても処分に困るんだが。これを俺にどうしろと?
「なんでだよ。これ、他と同じようなヤツだろ?」
「ちがう。『2』とか『3』なんて、蔑称。個々の作品に対する侮辱。イヤな呼び方」
……またわけのわからんことを。
「ねー?」
「かもな」
アオイも珍しく苦笑しつつ、コーヒーに茶色っぽいクリームを混ぜながら曖昧に同意した。
わからん。が、こいつらの間でなにかしら通ずるところがあるんだろう。
「……まあ、とにかく。それならこの続編以外のゲームをくれてやる。その代わり、こないだ依頼した通りアリアについて調査したことをきっちり話せよ?」
「あい!」
アホ面で返事をするなアホ面で……。
「よし、ならとっととしろ。俺はトイレに行くフリして小窓からベルトのワイヤー使って脱出して来たんだ。アリアにバレて捕捉されるのは時間の問題なんだからな」
いつの間にか出されていた折りたたみ椅子に腰掛けると、紙コップにコーヒーが注がれていた。
「ねーねー、キーくんはアリアのお尻に敷かれてるの? カノジョなんだからプロフィールくらい直接訊けばいーのに」
理子は誰もが認めるバカ──ただアオイ曰く皆が言うほどの馬鹿じゃないらしいが、ともかくバカだ。俺だってバカだと思っている。
ただこのバカ、バカだが情報収集に関しては群を抜いている。ノゾキ、盗聴に盗撮、ハッキング等。これだけで武偵ランクAという地位を獲得した、言うなれば現代の情報怪盗なのだ。
「カノジョじゃねぇよ。ってか、直接訊け云々をお前が言うのか?」
「あーあー、聞こえなーい……」
ちなみにそんな理子に初めて盗聴なんかではなく、直接話を訊くという真っ当な手段を取らせたのがそこのアオイだったりする。
「あーうー……でもでも、2人は完全にデキてるって噂だよ? 朝キンジとアリアが腕を組んで出てきたっていうんで、アリアファンクラブの男子が"キンジ殺す!"って大騒ぎになってるんだもん。がおー!」
「指でツノ作らんでいい」
なんでそんなことに……って、ああ。昨日の朝か!
あれは腹を空かせて朝ごはんだなんだとごねるアリアに引っ付かれてただけだっての!
「ねぇねぇ、どこまでしたの?!」
「どこまでって?」
「えっちいこと」
「ぶふっ──するか! バカ!」
「んもう、汚いなぁ……嘘つきなって、健全な若い男女の癖にぃ〜」
理子が茶々を入れてくるのに対応していると、吹き出したコーヒーは知らぬ間にアオイが拭き取っていた。
「……お前はいつも話をそっち方向に飛躍させる。悪い癖だぞ」
「ちぇー……」
「それより本題だ。アリアの情報……そうだな、まず強襲科での評価を教えろ」
「はーい。んとね……まずランクだけど、アオくんと同じSだったね。アオくんもそうだけど、2年生でSって、片手で数えられるくらいしかいないんだよ」
まあ、そんな気はしてた。俺たち現2年の世代は同期のアオイで感覚が若干麻痺してるが、身のこなしからしてアリアはアリアで相当ヤバい奴なのだ。
「理子よりちびっ子なのに、徒手格闘も上手くてね? 流派はボクシングから関節技までなんでもありの……えっと、ばー……ば──……ばーりつぅ? うー、アオくぅん!」
「……ああ? あー、それならバーリ・トゥードだな多分。まさになんでもありって意味だぜ」
「そうそうそれそれ! それ使えるの。バリツって言い方もするみたい」
体育倉庫で投げ飛ばされた苦い記憶が蘇る。
ヒステリアモードの俺がああも綺麗にぶん投げられたのは、あれで2度目だ。1度目は……うんまあ。
身体能力が底上げされた状態でも受身を取るので精一杯だった技。それがあんな小柄な体から繰り出されたものだと考えると、今更ながら背筋が凍る気分だ。
「拳銃とナイフは、もう天才の領域。どっちも二刀流。両利きなんだよ、あの子」
「それは知ってる」
「じゃあ、2つ名も知ってる?」
「……いや」
2つ名といえば、そこでしれっとバラの世話をはじめたやつの死にたがりも2つ名扱いになるのか?
挨拶がわりに死ね死ね言い合う強襲科で"本物"や"残機制"と呼ばれる男。死にたがりのアオイってのは、誰でも知ってるわけだが。
「双剣双銃のアリア」
──カドラ。
妙な笑みを浮かべ、理子は指を4本立てた。
二丁拳銃や二刀流を、武偵用語では英語のダブルにちなんでダブラと呼ぶ。
なんでまあ、恐らくクアトロから来てる2つ名なんだろう。4つの武器を持ってる武偵だぞってことだ。
「笑っちゃうよね。双剣双銃だってさ」
「笑いどころがよくわからないんだが……まあいい。他には……そうだな、アリアの武偵としての活動についても知りたい。アイツにはどんな実績がある?」
「あ、それならすごい情報があるよ」
コーヒーを一口飲み、理子は話し始めた。
「今は休職してるみたいだけど、アリアは14歳の頃からロンドンの武偵局武偵としてヨーロッパ各地で活動しててね……」
そこまで言ったところで一拍置く。静かな空間に水を撒く音がやけに響いている。
「……その間、1度も犯罪者を逃がしたことがないんだって」
「逃がしたことが……──ない? 1度も?」
「狙った相手を全員捕まえてるんだよ。99回連続、それもたった1度の強襲でね?」
「…………」
「わー、すっごーい! っね?」
シリアスな雰囲気から一転して、理子は茶化すような口調に戻るが笑えない。
基本、武偵側に犯罪者の逮捕が仕事として降りてくる場合、警察の手に負えないような連中の相手をさせられるのがよくある話だ。
「はは、なんだそれ……」
厄介な捕物を任務として引き受けた武偵は、執念深く犯人の追跡を続け、そうしてしつこく追い続けた後に強襲──逮捕へと持ち込むものなのだが。
それをアリアのやつは99回連続一発逮捕だ?
どんなバケモノだよ──ってか、そんなやつに狙われてたのか俺は。
「あー……そうだ、他に体質とかなにかないか?」
「うーんとね。お父さんがイギリス人とのハーフなんだよ」
「てことはクォーターか」
道理で。合点がいった。
そりゃあ容姿も名前も、ちょっと日本人離れしてるわけだ。
「そう。で、イギリスの方の家がミドルネームの『H』家なんだよね。すっごく高名な一族らしいよ。おばあちゃんなんて、Dameの称号を持ってるんだって」
「『H』家? でいむ?」
「イギリスの王家が授与する称号だよ。叙勲された男性はSir、女性はDameなの」
「おいおい、ってことはなんだ。あいつ貴族なのか?」
「そうだよ。リアル貴族。でも、アリアは『H』家の人たちとは上手くいってないらしいんだよね。だから家の名前を言いたがらないんだよ。理子は知っちゃってるけどー、あの一族はちょっとねぇー」
「教えろ。ゲームやったろ」
「理子は親の七光りとか大っ嫌いなんだよぉ。まあ、イギリスのサイトでもググればアタリぐらいは付くんじゃない?」
簡単に言ってくれるが、俺だってそうできたら苦労しない。
「俺、英語ダメなんだよ」
「がんばれやー!」
そう言う理子の手が盛大に空振り、俺の背中ではなく手首に直撃。
と、嫌な音と共に着けていた時計が地面に叩き落とされてしまった。
「う゛……壊れてるな」
「うぁあー!? ごっ、ごめぇーん!」
金属バンドが壊れて外れてしまった時計を見て、理子が手をわちゃわちゃとさせながらテンパる。
「あー……まあ、別に安物だからいいよ。台場で1980円で買ったやつだ」
「ダメ! 修理させて! 依頼人の持ち物を壊したなんていったら、理子の信頼に関わっちゃうから!」
そんなことを述べながら、理子は俺の手からもぎ取った腕時計をそそくさと胸の間に入れてしまう。
咄嗟に目を逸らすが、間が悪く見えてしまった──その、でかいのが。
「うん? キンジ? 他には?」
「……あ、いや、もうそのくらいでいい」
こんなことでヒステリアモードになりかけている事実にちょっとした自己嫌悪に陥りつつ。
見てしまったことがバレたら面倒なことになるという思いもあって、ここらで話を切り上げることにする。
「じゃあ、アオイも邪魔したな。コーヒーご馳走さん」
「おう、気にすんな。遠山も大変だな」
「はは……。今しばらくの辛抱ってとこだろ」
コーヒーを飲み干して立ち上がり、アオイと言葉を交わしながら足早に温室を後にする。
「ま、頑張りたまえよ。親愛なるワトソンくん?」
帰り際にアオイがそんなことを言っていた……ような気がした。焦っていたんで最後の方はあまりよく聞き取れなかったが。
キンジが去った温室で、2人きりの茶会は思いの外静かに続けられている。
……いや、ひょっとすると自分が緊張してそう錯覚しているだけなのかもしれない。
普段なら心地好く感じられる温室の静けさも、今だけは胸が締め付けられるようにつらかった。
「アオくんさ」
「……あん?」
ゲームのパッケージを眺めるふりをしながら、ぽつりと呟く。
「真面目な話、さ」
酷く強ばった自分の声色に驚きながらも、理子は意を決してアオイに問いかける。
「──どこまで知ってるの?」
敵か、味方か……。その返答次第では──この場で事を起こさなければならない。
「いや、知らねぇよ。なんにも」
器用にラテアートを描きつつ、先の問いかけに短く返答したアオイに、理子は顔を上げてじぃっと視線を向ける。なにも見逃さない、そのつもりで。
なにも知らないというのは、どうであれ無理のある話だ。アオイは去り際のキンジに頑張れワトソンと──あの話の流れで、軽口を装いながらもはっきりとそう告げている。
言った後の本人は、今のは失言でしたとでも言いたげな様子だったが。要するにそういうことなのだ。
「……うん、わかったよ」
入試当初から一般校の出身とは思えない成績を残しているアオイに、かの組織が、そして理子自身が興味を持たないはずがない。
そして実際アオイのことは、本人から警告されるよりも先に粗方の調べがついていた。
出生、経歴、素行。その全てが綺麗だった。あれだけ目を引く存在でありながら、暁アオイという人物の過去は、あまりにも当たり障りなく完璧で整いすぎていた。
足跡は真っ直ぐ引かれ、寄り道すらしていない。必要でないものを全て削ぎ落としたような情報以外に出てくるものはなにもなく、念の為に組織から出された尾行も全てまかれた。
他でもない、理子自身も探りを入れているのがバレて危うい橋を渡らされたことがある。
結果的に組織への報復行為はなかった。理子もアオイ本人に敵意がなく、むしろ自分は友好的に受け入れられ、こうして交流を続けている。
自分を抱き込むつもりかと最初は警戒したが、アオイからの好意に打算や思惑は一切なかった。
少なくともここにいる間は、2人ともどこにでもいる普通の学生だった。
しかし、今度は決定的だった。はっきりとした。
アオイの背後にはなにか巨大な、別の組織がある。
そして、自分が偶然聞いてしまった彼の呟きは──。
「全部、知ってるんだね」
「…………」
確信を持って告げるが、アオイはなにも答えない。
言葉の代わりに、アオイは理子を見つめ返した。
「でもわかんないんだ。どうして黙っててくれてるんだろうって」
深みのある美しいアンバーの瞳。そこに映った自分の姿に、つい目を逸らしてしまう。
アオイと真っ向から目を合わせるのは、今の自分にはできそうにない。ただ、怖かった。
「もし知ってたとしてもだ」
完成間近だったラテアートを崩しながら、アオイがひっそりと言葉を紡ぐ。
「ネタバレしたんじゃ理子が楽しめない──じゃ、駄目か?」
アオイは自分の秘密を知っている、知った上で黙っている。
いつから知っていたのかまではわからないが、長ければ1年もの間そうしていたことになるだろう。
だが、そうすることでアオイになんの利益があるというのか。むしろデメリットでしかないはずなのに。
秘密を餌に自分を利用するにしても、なんのリアクションもないままというのはおかしい。
「でもそれって、アオくんにはなぁんにも利がないよ?」
だが、そう言いつつ頭のどこかで期待を寄せる自分がいるのも事実だ。
軽率だと警鐘を鳴らす自分を押し潰すかのように、アオイを信じたいと想いを寄せる自分が日増しに大きくなっている。
裏表のないアオイの気遣いや真心にあてられて、とうとう頭がおかしくなったかと思わないでもない。
アオイがひっそりと零した独り言に、どこか自分を重ねてしまっていることも否めない。
誰かが聞いているとは思わなかったのだろう。あの時のアオイの声は、とても悔しそうだった。
ため息と共に落ち出た、酷く疲れきったような声。恐らく人前では絶対に出さないような声だ。
『オリジナルの背中すら見えてこない』
オリジナルとはなんだろう? アオイの組織と関係があるのか、彼とどんな繋がりがあるのか。ふとした瞬間にぼんやりと考えていた。
そのオリジナルとやらが、組織が、ひょっとしたらアオイにとっての壁なのではないか。それはまるで──。
「そりゃあ、俺からごちゃごちゃ言うこともできるだろうさ。……ただ」
「ただ?」
そんな自分をよそにアオイは、ティースプーンを忙しなく回しながら、重い重い口を開く。まるで言葉を絞り出しているようで、どこか拙いが、だからこそ本当の言葉だと信じられた。
「俺はお前の、峰理子の邪魔をしたくない」
「──っ!」
全てを知っていながら──と、心臓が跳ね上がる。
理子と、まだそう呼んでくれるのか。
ただの峰理子として、自分を見てくれているのか。
やはりアオイは自分と同じで──。
「綺麗事重ねるより、感情論。案外そんなものじゃねえの──実際はさ」
それは、もうこの話はやめにしようと、有耶無耶にしようとしているかのような物言いだった。
あまりこれ以上深く掘り下げられるのを嫌っているかのような、強引な話の切り上げ方でもある。
「……そっか」
けれど理子には、アオイが本気でそう考えているように感じられた。
アオイは本気で、心の底から自分を応援してくれているのだ。
綺麗事を重ねるよりも感情を前に出して、アオイ自身がどう思っているのかを最優先した言葉をぶつけてくれたのだと。
「一緒にやってもいいが、それじゃお前も納得しないだろ?」
ああ、その通りだ。自由は自分の手で掴み取る。理子はそう決めていた。
たしかに自分のそばにアオイがいてくれれば、頼もしいことこの上ないだろう。
だがそれではダメだ。それでは自分が祖父を、アルセーヌ・リュパンを超えたことにはならない。
「うん。……うん、そうだね……そうだよ」
それにアオイが勝手に動いて別組織のいざこざに首を突っ込めば、きっと彼の組織はいい顔をしないだろう。
自分が借りを作るだけで済むならばそれでいいが、恐らくしわ寄せのほとんどはアオイに降り掛かるはずだ。
組織からどのような活動を命じられているのかわからない以上、へたにアオイの手をわずらわせることはできない。
「アオくんは、理子の味方?」
「…………」
返事の代わりに、ことりと自分の前に置かれたのは淹れたての一杯。驚く程に苦くない、コーヒーとも言えないただただ甘いだけの一杯。
あくまでコーヒーという体裁を保ちながら、その中身は驚く程に甘く、苦味のない存在。言葉はなくとも、その一杯がアオイの心の内を雄弁に語ってくれていた。
「んふふー、そっかそっかぁ」
「あ、おい……」
さすがに恥ずかしくなったのか、こっそりカップを戻そうとしているアオイよりも先に手に取る。
1度その気にさせておいて、やっぱりナシだなんてそうはさせない。
なんだ、結局彼は最初からずっと自分の味方でいてくれていたのだ。溢れかえりそうな心に懸命に蓋をしながら、理子はアオイの想いを一息に飲み干す。
ミルクと砂糖と、クリームいっぱいの──きっとそれだけじゃない、甘い甘い一杯。
それがなぜだか、とても美味しく感じられた。……この時だけは。
数時間後──。
「うぇぇん……晩御飯が食べられないよぅ……」
「……悪かったって」
胃もたれで晩御飯が食べられないと嘆く理子と、その横でパンと簡素なカップスープを購入するアオイの姿がどこかのコンビニで確認されたという。
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