楽しい時間は過ぎ去り、夜になってしまった。

 

 結局、買い物から食事代まで、全て奥田の財布から捻出された。

 

 

メグにゃん

じゃあ、
私とマユちゃんは一緒に帰るね。

 

 表参道の駅でデートはおしまい。

 天野たちは2人を見送ることにした。

 

天野勇二

ああ、今日は楽しかったよ。
色々とありがとな。

 

 メグにゃんはさり気なく天野に近づいた。

 小声でささやく。

 

メグにゃん

……ねぇ、私はひとり暮らしだし、もうちょっと遅くなっても大丈夫だよ。
どうせなら天野くん、家に来る?

天野勇二

遠慮しとくよ。
奥田のこともあるしね。

メグにゃん

寂しいなぁ。
まだ帰りたくないよ……。
カンちゃんのことなんて、どうでもいいじゃん……。

 

 メグにゃんはほほを膨らませた。

 どこかいじけた表情だ。

 天野ほど好条件が揃ったイケメンはなかなか存在しない。

 もっと親しい仲になりたいのだろう。

 

 天野は「それも当然だな。さすが俺様だ」と思いながら言った。

 

天野勇二

俺はメグちゃんとの関係を大切にしたいんだ。この続きは、2人きりのデートの時に取っておきたいな。
……ダメかな?

 

 天野は甘い笑顔を浮かべた。

 好条件の揃ったイケメンに甘い笑顔で「ダメかな?」と訊かれれば、返す言葉はひとつしかない。

 

メグにゃん

……ダメじゃない。
寂しいけど、嬉しいな。

天野勇二

ありがとう。
メグちゃんはいい子だね。

 

 天野は満足気に微笑んだ。

 その微笑みにメグにゃんは魅了され、頬を染めている。

 裏に隠された黒い笑顔には気づいていない。

 もう天野はメグにゃんと再会するつもりなんて無いのだが、そんなことに気づけるはずもない。

 本当に可哀想な女の子だ。

 

 

 天野は奥田とマユにゃんの様子を眺めた。

 

 2人の距離は縮まっただろうか。

 1歩だけでも前進しただろうか。

 まぁ、ここまでやれば後は当人たちの問題だろう。

 

マユにゃん

ねぇ、カンちゃん。

 

 マユにゃんがスマートフォンを差し出した。

 

マユにゃん

連絡先、交換しよ?

奥田和彦

え?
で、でも、メイドさんとの交換は禁止だって……。

 

 マユにゃんはゆっくり首を横に振った。

 

マユにゃん

今はメイドじゃないよ。
友達じゃん。

奥田和彦

と、ともだち……!!!

 

 奥田は感動のあまり硬直した。

 

天野勇二

……ケータイ。

 

 天野が小声で囁くと、慌てて奥田は携帯電話を取り出した。

 

マユにゃん

カンちゃんのガラケー、
すごく古いんだね。
あちこちボロボロ。

奥田和彦

う、うん。
買った時から、
一度も変えてないから。

マユにゃん

あ、これ赤外線機能ついてない。
アプリも使えないじゃん。
しょうがないなぁ。

 

 マユにゃんは奥田の携帯電話を取り上げ、自ら連絡先を登録した。

 

マユにゃん

はい。

 
 入力が終わると奥田に携帯電話を戻す。
 奥田は画面を見て首をかしげた。


奥田和彦

あれ? マユじゃない……?

 

 

 画面には見知らぬ女性の名前、携帯番号、メールアドレスが表示されている。

 

マユにゃん

長島香澄ながしまかすみ
それが私の本名なの。
香澄って、気軽に呼んで。

奥田和彦

か、かすみちゃん……?

 

 奥田は携帯電話の画面と、マユにゃんを見比べ呆然としている。

 脳が展開に追いついていない様子だ。

 

長島香澄

……あのねカンちゃん、
聞いて欲しいことがあるの。

 

 マユにゃんは小さく深呼吸をすると、静かに口を開いた。

 

長島香澄

私、『メイドにゃんにゃん』。
もう辞めようと思うんだ。

 

 マユにゃんは衝撃の告白を始めた。

 

奥田和彦

え、えええぇっ!?
そ、そんな……。
どうしてぇ!?

 

 奥田は衝撃を受けて今にも倒れそうだ。

 

長島香澄

あのね、たった1人のメイドさんになりたいって、思っちゃったの。

 

 マユにゃんは真摯しんしな眼差しで奥田を見つめた。

 

 

 

 

長島香澄

私だけの『ご主人様』になってくれますか?

 

 

 

奥田和彦

あ、あああ………
ああぁあああああ……
ああああ、ああぁあぁぁ………

 

 

 奥田の脳はあまりの展開に停止してしまった。

 

 その顔を見て、マユにゃんは照れ臭そうに微笑んだ。

 

 お互いの頬はバラ色に染まっていた。

 

 

長島香澄

まずは機種変しよ?
せっかくだからカンちゃんと私、同じスマートフォンにしようよ。

 

 奇跡だ。

 俺は今、奇跡を見ている。

 天野はそう感じた。

 メグにゃんはぎゅっと天野の手を握りしめている。

 恐らく同じことを思っているのだろう。

 

奥田和彦

ううう、うん……。
き、きききき機種変、するお……。

長島香澄

やったぁ!
じゃあ後でメールするね!
またね! いこ、メグちゃん!

メグにゃん

う、うん! またね天野くん!

 

 2人は表参道の駅に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

天野勇二

……お、奥田!

 

 我に返った天野が奥田の肩を揺さぶる。

 

天野勇二

おい! 天才イベリコ!
やったじゃないか!
これは奇跡だ!
今俺たちは奇跡に遭遇そうぐうしたぞ!
それもただの奇跡じゃない!
100年に1度あるかないかの奇跡だ!
イベリコが、たった1人のご主人様になったんだ!

 

 天野は興奮のあまり叫んだ。

 奥田の携帯電話を持つ手も、ぷるぷると震えている。

 

奥田和彦

ボ、ボクが、
マユにゃんのご主人様……。
たったひとりだけの……!!!

 

 奥田の瞳から「ドババッ」と涙があふれた。

 天野の顔を見上げて叫ぶ。

 

奥田和彦

天野くん!

天野勇二

イベリコ!

 
 2人は激しく抱き合った。
 表参道の街灯が、静かにひとつの奇跡を照らしていた。
 
 
 
 

 

 Wデートからしばらく経った日。

 天野は学生食堂の2階テラス席で食パンを頬張り、コーヒーを飲んでいた。

 隣には弟子である前島の姿もある。

 

前島悠子

うーん。
このレポート、難しいですねぇ。

 

 チラチラッと天野を見上げる。

 

前島悠子

誰か書いてくれないかなー。
せめて教えてくれないかなー。
こんな時、天才的な頭脳を持つ医学部首席の先輩が近くにいたらなぁー。

 

 天野は舌打ちしながら前島を睨みつけた。

 

天野勇二

おい弟子よ、俺様にそんな安いレポートを書かせる気か。

前島悠子

いいじゃないですか。
師匠には軽い仕事のはずです。

天野勇二

軽すぎて話にならんな。

前島悠子

じゃあ、うどん奢りますよ。
事件屋に依頼しますってば。

天野勇二

残念だが、俺様は法に触れることはやらんのだ。

前島悠子

……ちぇっ。
師匠ってばケチンボです。
師匠の価値観はイマイチよくわかりません。

 

 前島がボヤいていると、テラスの階段から足音が聴こえた。

 

奥田和彦

やぁ、天野くん。久しぶりだね。

 

 天野は驚いて訪問者を見つめた。

 

天野勇二

ほう? 奥田じゃないか。
大学に顔を出すとは珍しいな。

奥田和彦

えへへ。
ちょっと天野くんに会いたくてさ。
お邪魔してもいいかな?

天野勇二

もちろんだ。
お前の顔を見るのも、
『表参道の奇跡』以来か。
何だか遠い昔の出来事のように感じるな。

 

 この日の奥田は、ストリート系のカジュアルな服を身にまとっていた。

 

天野勇二

アル◯ーニはもう止めたのか?

奥田和彦

うん。
香澄ちゃんがね、こっちのほうが好みだって言うから。

 

 奥田はデレデレと頬を赤らめた。

 

天野勇二

その後も順調なようだな。

奥田和彦

天野くんのおかげだよ。
本当に感謝してる。

 

 奥田は少し痩せており、大人びた印象をかもし出している。

 天野は「こいつ童貞を捨てたな」と感じた。

 

前島悠子

師匠のお知り合いですか?
紹介してくださいよ。

 

 前島が興味深そうに天野の腕を突いた。

 

天野勇二

ああ、こいつは奥田だ。
かつては『天才ブタ野郎』と呼ばれていた医学部のOBさ。

前島悠子

へぇ、師匠の先輩ですか。
初めまして! 前島悠子です!
天才クソ野郎の弟子です!

 

 奥田は驚きながら前島を見つめた。

 

奥田和彦

あ、天野くんの弟子?
相変わらず変わったことしてるね。

天野勇二

見所のある小娘でな。
それより俺様に用事なのか?

奥田和彦

うん。香澄ちゃんのことで、相談があったんだ。

 

 基本的に奥田はアイドルに興味がない。

 前島のことなんて知らない。

 前島は少々不満気に口をとがらせていたが、天野も奥田もあっさり無視していた。

 

天野勇二

相談だと?
何かトラブルでも起きたのか?

 

 奥田は黙って鞄から封筒を取り出した。

 天野に向かって差し出す。

 天野は封筒を一瞥いちべつすると、呆れたように笑った。

 

天野勇二

おい、嘘だろ?
俺様をからかっているのか?

奥田和彦

いや、嘘じゃないんだ。

 

 天野は封筒を取り上げ、中身に目を通した。

 

 

 

天野勇二

……嘘だろ?

奥田和彦

嘘じゃないんだってば。天野くんに 仲人なこうどをお願いしたいんだ。

 

 

 それは結婚式の招待状だった。

 奥田和彦と長島香澄の名前が記入されている。

 天野は仰天して叫んだ。

 

 

天野勇二

結婚!
最も縁がなかったはずのお前が!
同期で一番に結婚するだと!
しかもこの俺様が仲人か!?

奥田和彦

天野くん、それだけじゃないんだ。

天野勇二

ま、まだ何かあるのか。
これ以上の衝撃は存在しないぞ。

 

 奥田はもじもじとすまなそうに言った。

 

奥田和彦

ボクの家がさ、総合病院をやってるのは知ってるよね?

天野勇二

ああ、知っている。

奥田和彦

それなりに大きいんだけど、全ての科を揃えている訳じゃないんだ。
だからね、天野くんに良いところを紹介して欲しいなぁ、と思ったんだよ。

 

 

 

 

 天野を更なる衝撃が襲った。

 

 

 

 

天野勇二

お、おおおお奥田……。

ままままさか、お前……

まさか……!!!

奥田和彦

さすが天野くん。
もう理解したみたいだね

天野勇二

嘘だろ!?

奥田和彦

だから嘘じゃないって。
良い産婦人科のクリニックを紹介して欲しいんだ。

 

 

 

 天野はあまりの衝撃にガタガタと体が震えた。

 

 ただの結婚ではない。

 

 デキ婚だ。

 

 

 

天野勇二

お前!
イベリコの分際で!
できちゃった結婚だと!?

 

 

 あまりの大声に前島が耳を押さえた。

 

前島悠子

し、師匠!
落ち着いてください!
何の罪もない椅子が転がってます!

 

 

 天野は何度か深呼吸をして、テラスに転がっていた椅子を拾った。

 

 興奮のあまり蹴り飛ばしていたようだ。

 

 椅子を元の場所に置き、震えながら腰掛ける。

 

 

 

天野勇二

……いいだろう。
とびきり設備の良いクリニックを紹介しよう。

奥田和彦

ありがとう!
天野くんのところなら安心だよ!

 

 奥田は安堵して息を吐いた。

 

前島悠子

奥田先輩は結婚するんですかぁ!
おめでとうございます!

奥田和彦

ありがとう。
こんなに早くするつもりじゃなかったんだけどね。

前島悠子

授かり婚ならしょうがないですよ。
私も先輩の花嫁さん見たいなぁ。

奥田和彦

天野くんのお弟子さんなら、
席ぐらい用意しなくちゃね。

前島悠子

えっ!? いいんですか!?
やったぁ!
是非ともお願いします!!!

 

 前島と奥田は無邪気に喜んでいる。

 天野は呆然としながら呟いた。

 

天野勇二

メイド喫茶の娘と、お前みたいなブタ野郎が結婚か……。
そんな夢みたいな物語も存在するんだな……。

奥田和彦

これも全て天野くんこと、
『天才クソ野郎』のおかげだよ。

天野勇二

フッ、そうだな。

 

 天野は偉そうに両手を翻した。

 パチリと指先を鳴らす。

 お得意の気障ったらしいジェスチャーだ。

 

天野勇二

この天才クソ野郎にかかれば、
全てうまくいくのさ。

 

 

 

 

 

 

 いつもの台詞が決まった気がしない。

 

 目の前の出来事に現実感がなさ過ぎるからだ。

 

 

 

 

 

 

天野勇二

……なぁ、奥田。

奥田和彦

どうしたの?

 

 天野は再び立ち上がった。

 

天野勇二

やっぱり嘘だろ!?

奥田和彦

あはは、嘘じゃないんだってば。

天野勇二

嘘だッ!!!

 

 頭をかきむしりながら叫ぶ。

 

天野勇二

嘘だ! 嘘に決まってる!
お前が結婚なんてありえない!

前島悠子

師匠は疑り深いですねぇ。
奥田先輩に失礼ですよ。
結婚したっていいじゃないですか。
祝福してあげましょうよ。

天野勇二

黙れ!
コイツはブタ野郎なんだぞ!
どこだ!?
どこにカメラを隠しやがった!?

奥田和彦

ドッキリじゃないよ。
本当だってば。

 

 木漏れ日の心地良いテラスで、天野はいつまでも「嘘だ!」と叫び続けていた。

 

 

 

 

(おしまい)

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つばこ

ご愛読いただきありがとうございます。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
 
 
先日、つばこの誕生日を祝うコメントを沢山いただき、本当にありがとうございます!
何度も読み返してニヤニヤしてます(*´ェ`*)ポッ
一生分のおめでとうを頂いた気分です!
そして、誕生日が近かった皆さん、おめでとうございまーーす!!!!(∩´∀`)∩
 
さてさて、今回はかなりコミカルなエピソードを紹介しましたので、次は趣向をガラッと変えて「ミステリー」をお送りしたいと思います。
天野くんはちょっとした謎に挑みます。
クソ野郎ならではの「推理」と「謎解き」を楽しんでいただければ嬉しいです!
 
それでは今週土曜日、
『彼女を上手に密室で殺す方法』
にてお会いしましょう!
 
つばこでしたヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 501件

  • 田中

    奥田明らかに前島さんのこと知らないんだもんな笑
    弟子なら席くらい用意してあげるよとかオタクのくせになんて世間知らずな笑

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  • ひろろ

    150話以上後のハングオーバー編でまさかあんなことになるとはこの時は思いもよらなかったであろう奥田……

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  • あっちゃん

    漫画からきました!!続き気になってきたら同じような人一杯いたww
    ってか
    マジか!!!
    奇跡!!笑

    まゆニャン、いや、かすみちゃん!裏があるんじゃって疑って悪かったーーー!!
    これまた、漫画の続き気になるやん〜!

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  • ИДЙ

    漫画の続きがど---------しても気になって来ちゃったら…
    同士が沢山いたwww

    いやもう本当におめでとう!!!
    幸せなお話でした♡♡♡

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  • なち

    漫画からきました…
    最後までマユにゃんを信じきれなかった自分がツラい…
    奥田ほんといいやつだもんな…そうだよな…

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