近年「大人のいじめ」が深刻な問題になっている。

厚生労働省の統計によると、「いじめ・嫌がらせ」に関する労働相談が、ここ10年で2倍に激増。

労働問題に取り組むNPO法人「POSSE(ポッセ)」を立ち上げ、膨大な数の「いじめ・嫌がらせ」に関する相談を受けてきた坂倉昇平氏がその実態を、近著『大人のいじめ』(講談社現代新書)をもとに解説します。

ある介護施設を襲った「改革の波」

60代のHさんは、サービス付き高齢者住宅で働き始めて2年目の嘱託介護士だ。この施設は、首都圏に約20施設を展開する医療法人が運営し、約100人の高齢者が居住している。デイサービスや定期巡回、訪問介護なども行われる大規模な施設だ。Hさんは、週5日、一日8時間のフルタイムで、日中の勤務と泊まりがけの深夜勤務のシフトを、両方担当しながら働いていた。

この年、それまで年間数百万円の赤字を出していた経営を立て直すべく、新たな支配人(施設長)が就任した。新支配人は、黒字に転換すべく、様々な改革を断行することになる。しかし、それは、Hさんたちに対するいじめの始まりだった。

いじめの「助走」となる、施設の「改革」から説明していこう。

支配人が、まず手をつけたのは介護備品の「節約」だった。介護の必需品である手袋やマスクは、それまで施設の経費で購入し、職員は自由に使えていた。しかし、それが一日1枚に制限され、手袋の種類も薄い安価なものに変更された。

職員は、排泄介助や掃除をした後も同じものを使い回すか、自腹で購入したものを使うしかなくなった。Hさんは、仕方なく自分で買い足して使用した。

しばらくすると、手袋やマスクの支給自体がなくなってしまった。なんと、必要になったときに、入居者に購入させる仕組みになったのだ。手袋が必要になると、入居者に「買ってください」と頼ませ、その分は入居者に負担させるのだ。これで手袋、マスク代のカットに「成功」した。

次に、週2回とただでさえ少なかった入浴を、認知症や会話のできない入居者は週1回に制限した。

入居者の食事代の水増しも横行しており、実際の食費より高い食事代が徴収されていた入居者が何名もいたことが発覚した。差額が3万円にのぼる入居者もいた。気づいた入居者が支配人に問いただすと、「私は知らない。計算を間違えたのはこの人」と副支配人に責任を押し付け、開き直った。

さらに、1年以上入院していて、施設にいなかった入居者の食事代まで引き落とされていた。部屋に残していた羽毛布団などの高価な私物は、なぜか紛失していた。

1年で30名が退職

職員の残業代も削られた。「今月は給与の支払いが多かったから、20万円の赤字が出た」「残業は控えるように」と支配人から通知があり、遠回しに「残業代はつけるな」との圧力がかけられた。

しかし、業務量が減るわけではない。非正規雇用のHさんも、一日30分程度の未払い残業をしていた。正社員の中には、朝の9時から夜23~24時まで働きながら、残業代をもらえていない人や、夜勤の後さらに24時間続けて「未払い」で働く人まで現れた。

残業代以外の賃金も誤魔化された。低賃金に苦しむ介護職員のため、国が補助している給付金も、支払われる額が月によって異なり、そのまま給付されていないことは明らかだった。固定で支給されていた交通費すら払われない月もあった。

支配人が経理も兼ねていたため、このような不正会計による「節約」が自由にできたようだ。ある日、経理担当の事務職員が雇われたが、わずか1日で退職してしまった。次に雇われた経理担当も2ヵ月で辞めた。支配人の圧力と不正会計が背景にあるのは間違いない。

他の職員も続々と退職し、支配人就任後のたった1年で、職員のおよそ半数に及ぶ約30名が職場を去った。支配人は大量離職による人手不足を受け、「これまでの2~3倍の仕事をしなさい」と残った職員たちに要求した。掃除の手が回らなくなり、施設は汚れが目立つようになっていった。しかし、人件費を大幅に削減しながらも、辛うじて施設の運営はできていたため、これも「効率化」の「成功」として支配人の「功績」となった。

さらに、この年は新型コロナウイルスの感染拡大があり、支配人は職員に、「コロナに感染したら、会社が訴訟する」と脅した。

感染対策のため、朝・昼・夜の3回、入居者全員に対する安否確認の業務が増えた。入居者の部屋を一つずつ訪ねて、夜の就寝の挨拶と朝の挨拶、体温測定を行うのだ。もし部屋にいなかったら何度も訪ねて確認する。夜と朝は、夜勤の職員しかおらず、たった2人で約100人の入居者を見回ることになった。

アルコールで手すりなどを拭く作業も必要になり、身体的な負担は増した。業務がますます過酷になるなか、それでもHさんは入居者に迷惑はかけられないと、サービスの質が劣化しないよう努めていた。

しかし、そうしたなかでHさんへのいじめが始まってしまう。詳しくは【後編】「60代の介護士が絶望…「介護施設の支配人」から受けた「幼稚すぎる“大人のいじめ”」」でお伝えする。