kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

非効率であることを目的とする日本のシステム

日本のシステムは可能な限り複雑で煩雑であることを目指します。ですから業務効率化等は全く馴染まないのです。

 

日本では込み入った何段階もの手続きによって、そこから利益を抜き、民衆の動きを制御するようになっています。生産者や消費者からの集金マシンであると同時に、巨大な監視・統制システムとしての機能を持っています。

 

例えば一般人が何かを始めたいと思うと「それならばこの資格が必要です」「まずは指定の場所で講習を受けてください」「この書類を書いて提出してください、不備があれば呼び出します」「この日に試験があるので受けてください」「合格率は決まっていて、それ以上は合格させません」「資格を取ったら指定の団体に所属する必要があります」「仕事が欲しければここに行って、この書類を用意し手続きをして登録をしてください」「資格の更新には手数料と所定の手続きが必要です」といった具合に言われます。

 

このように些細な事をしようとするだけで幾つもの手続きが必要になって、そこで利用者はお金と時間を奪われる仕掛けになっています。「何かを作ること」「何かをすること」は重要ではなく、そういう事をしようとする人達から、いかに金を徴収するかという事で成り立っている社会なのです。

 

また、銀行から一般人がまとまった額を出金したり送金することは厳しく制限されています。どうしてもというのなら平日の営業時間に支店に行き、窓口で煩雑な手続きや押印、写真入身分証の提示を求められチェックを受け手数料までとられた上に長時間待たなければなりません。

ほとんど冗談かと思うような非効率性ですが、カネは基本的にお上のものであり愚民共が好き勝手に使えるものではないのです。老人が大金を引き出そうとすると警察に通報され詐欺被害を防いだ美談として報道されます。庶民には高利で借りさせるか、リボ払いのカードでも使わせるべきなのです。お上にとって見れば、上納金は馬鹿であることの代償です。

高速道路料金や通信料金のように、物理的な移動はもちろん、情報の移動にも、様々な目に見えない「税金」がかけられています。

 

非効率であっても現状のままが良いというのは、一般の人でも基本的に同じです。どこかの企業のIT部門を想像してみます。大抵のIT部門は花形どころか出世から見放された役立たずや中途採用で成り立っています。

上がIT化を進めろと予算を与えると、やりたくはないのですが、何かをしなければいけなくなります。評判のパッケージを導入することにしてベンダーに丸投げしますが、現場は業務が変わることに必死で抵抗し、その結果、業務の進め方も、ユーザーインターフェースも、前とほとんど変わらないものが出来上がります。

不具合が出ればIT部門もエンドユーザーも、こんな面倒な事に巻き込んだベンダーに対して烈火のごとく怒り狂います。

 

さらに、一から作り上げる巨大なシステムになると悲惨なことになります。末端の作業者はもちろん何をやっているのか分かりません。複数のベンダー、数え切れないほどの下請け、プロジェクトマネージャーを始めとする膨大な数のチームリーダーやライン管理者が複雑に絡み合っていますが、全体像を明確に把握している者は一人も居ません。

ユーザーは何をやりたいのか分かっておらず、度重なる仕様変更が発生します。発注者の都合に合わせたスケジュールを引きますが納期は遅れます。その結果、発注者と受注者は訴訟合戦を繰り広げます。

何のためのシステムか分からない、利用者にもどういう利便性があるのかさっぱり分からない、さらにトラブル続きで皆が争いあっている、そうしている間にカネと労力と時間が、そしてしばしば命が消えていく、日本中でこのような状況が繰り返されています。

 

これとは別にゲームや、機器等に組み込むプログラムは、限られた性能や容量の中でどうしても効率的なアルゴリズムを考えなければいけないのですが、組み込み系のソフトは、今でもハードウェアの付属品のような扱いです。道路や通信のインフラと同じで、機械が新しくなれば速くなるだろう、その度にもう一度最初から作り直せば良いという程度の扱いなのです。

 

こうしてみると、日本では「新しいことを始める」のはまるで罪悪であるかのようです。そんな余計な事をする人達にはペナルティが用意されています。

それによって経済や社会が停滞しようと一向に構わないのです。どのみち彼らは広告やカネで一斉に動く人達なので、何かをせずにはいられず、その領域でまた法を整備すれば良いのです。こうして見ると日本がITを用いた効率化から程遠い世界であることが分かります。成果ではなく、どれ程手間をかけたかが評価されるのです。

 

このような仕組みもあり、意識するしないは別にして、現在の日本では自分より弱き者を見つけてそこから搾取するしか生きる術はありません。このシステムに組み込まれている以上、システムの一番下に位置する弱者は建前と本音の両方を満たすことを求められ、法と理不尽な暴力の両方に耐えねばならないのです。

人々は何故自分がいつもイライラしているのかを理解していませんが、自分より弱い者をいたぶり搾取することで楽になることだけは知っています。

 

日本人の良いところは権利意識が希薄で、新しいものを生み出さない事でした。ですからこのようなシステムが出来たのは当然であり、閉じられた世界で小さな政府が機能し、人々が大したことをしないでいる限りは、ある意味平和だったのです。