YASUHIRO の 独り言
山と医療の本音トーク
12月9日(木)
頭の中で事故を検証している。どうして防げなかったのか、どうしたら良かったのか、以前白山北部縦走路で仲間の一人が逸れてしまい遭難してしまった。七倉山頂で待っていたがすぐ後ろを歩いていたはずなのに山頂に来ないそうこうしている内に大荒れになり視界はなくなり暴風ホワイトアウトになった。山頂は地獄なので風のない少し下がった場所で待っていたがやってくる気配はない。とても捜索できる状況ではなく視界がなく自分も雪庇から落ちそうになった。雪山経験も豊富なのでどこかでビバークしているか、室堂へ引き返したと判断せざるを得なかった。実は七倉と全く違う沢に入り込んでいて合流できるはずはなかった。GPSを持っていたのに見ていなかったのが原因だった。
この時は明らかに甚之助から体力不足で待つことが多くなり仲間から引き返すようにアドバイスされていたが引き返さなくて無理したのが原因だった。このときの反省から体力不足が明らかで僕たちのペースに合わなくなれば安全な場所で絶対引き返させることに決めた。
しかし今回のように山頂まで同じペースで登れた場合は難しい、強い精神力と体力は備わっているはずではあったが多分帰りの体力が残っていなかったのか?それは見抜けなかった。ただ登りの強風とガスの中、僕はいつものことで装備は完璧なので全く不安なく山頂を目指したがサングラスのみで地獄ゴーグルを持っていない髭は登らせるべきではなかったと反省した。登りは追い風なので問題はなかったが帰りは向かい風になることまで考える余裕はなかった。
地獄ゴーグルがなければ室堂の冬季小屋で待っててくれと言うべきだったかもしれない、ただ一人じっと1時間も寒い中で待たせることが良かったかどうかはわからない。動いていれば体は温かいが止まれば途端に冷えてくる。登山をする前から装備を確認すべきだったか?ただ地獄ゴーグルを彼は持っていなかった。じゃ最初から来ないほうが良いと言うべきだったか?その日の天候は山に行かなければわからない、まあ色々なことを考えるがどうしたら良かったのかは今も答えは出ない。
12月8日(水)
今日は夜明け前からコーエーと二人でまだ残されている髭の自転車の回収作業を行った。先日回収に行ったがワイヤーでガードレールに結ばれていたのでご自宅から鍵をお預かりして雪が本格的に積もる前に回収作業を行わなければならなかった。高価なMTBなので息子さんが是非使用していただければと思った。
白峰ゲートから自転車で市ノ瀬手前のデポまで走りワイヤーを外してチャリを漕ぎながら回収MTBを転がしてきた。一度バランスを崩してコーエーは大転倒して痛い目にあったが交代で転がして無事白峰に到着、僕の車に乗せてご自宅まで届け早朝なので玄関先で手を合わせて無事帰宅の途に着いた。
現場に残されたスキーやストックそして自転車と全て回収作業を終えようやく少し心は落ち着いた。コーエーの凍傷は無事回復に向かっていて良かった。あの状況でよく2時間も耐えて1度の凍傷ですんだのが奇跡としか思えない、しっかりとした装備で固めていたことが良かった。もし少しでも装備不備があればコーエーも危険だった。事故後紫色に変色した指を見た時はマジで心配になった。
コーエーは何度か地獄体験を経験済みなので良かったがもし経験を積む前のコーエーならあの状況での生還は危うかったと思う。日頃からコーエーには限界の閾値を上げておけばそれが自信になり本当に地獄に遭遇した時も慌てないで確かな行動ができると話していた。晴れの日しか山には行かないから自分は大丈夫ということは絶対ない。雪山の状況は分単位で変化する。いざという時に落ち着いて行動できるかどうかは日頃の訓練がモノを言う。
事故現場から見る室堂、わずかこの距離がスキーでも行けないくらい状況は厳しかった
12月7日(火)
先日の白山は深夜0時半にスタートしたがゲートには車が一台ありすでに先行者のトレースがあった。何百回という白山の雪山登山の中でも自分の先に先行者のトレースを見たのは本当に初めてだった。主は自分の子供よりも遥かに若い学生二人パーティだった。1時間先に出ていたようだが別当出合にはほぼ同じ頃に着いたらしい、彼らは軒下で僕は休憩舎で休んでいたから会うことはなかった。
この先一本橋は雪が積もって難儀するし石畳はかなり高度な技術が必要だし、お手並み拝見ということで休憩舎では30分以上休憩してのんびりスタートした。かなり先を行ったことだろうと期待していたが一本橋は無事通過していたが石畳は登るというよりただもがいていた。メットをザックの後ろに付けていたのでちゃんと被るようにとアドバイスした。石畳でスリップして滑落して頭を打っと大怪我するからである。聞くと初山スキーと言う。いきなり冬の白山か?驚いて甚之助までにしときとアドバイスした。
彼らはすぐに敗退したようだが深夜23時半に出るそのガッツには敬服した。山スキーは体力はもちろんだが技術と経験が大きくものを言う。それを身に付けるまでには長い時間を要するがもし経験豊富な人と同行すればすぐに上達する。こういうモチの高い若者はぜひ同行して色々なことを教えてあげたいと思う反面、そのリスクの大きさからもう新たな同行者とは行くことは二度と無いという気持ちもある。
山スキーほど素晴らしい世界はないが、これほど怖い世界もない。
弥陀ヶ原のシュカブラ
12月6日(月)
昨日の白山は名前の通り真っ白であった。雪も格段に増えたおかげで山頂から別当出合まで1時間程度で降りてこられた。穏やかな一日で風もなく作業をしていれば室堂ではウインドブレーカーも手袋もいらないくらいだった。山は天候次第で天国にも地獄にもなる、そういう場所である。
毎日が完全燃焼できる日々を過ごしたい、人生は長いようで短い