山と友情

山における友情というものは下界のそれとは随分異なる。つまり命を懸けた友情なの
である。当然絆も大変強く,下界の打算的な安い友情とは訳が違う。自分ももしかし
たら命を落とすかも知れないがそれでも友を助けなければならないと言うある意味で
極限の友情がそこには存在する。

その証の一つとして冬山に入る場合はお互いに電波発信機なるものを身に付けて山に
入る。万が一雪崩れに遭遇してどちらかが雪に埋まった時もう一方は発信に切り替え
て受信になっている相手の位置を即座に特定するのである。雪に埋まれば命を救うた
めには10分以内に掘り出さなくては窒息死する危険がある。当然掘り出すためのスコッ
プも必要なので冬山では必ずお互い携行している。

岩登りを行う場合でもお互いにザイルで結びあっているわけだからもしどちらかが墜
落すれば自分も巻き込まれてしまう可能性があるわけで,ザイルで二人の命が結ばれ
ているというまさに命を懸けた友情となる。

冬山にパートナーと二人で入る場合この人のためなら自分の命を懸けても良い。逆に
この人なら命がけで自分を救ってくれるだろうと言う信頼感がなければ絶対山に同行
すべきではないと考えている。実際一度切りや数度の山行を共にしてもう二度とこの
人とは山に行きたくないと思うことが何度もあった。単独行が多いのもそうした理由
からであった。いい加減なパートナーと組むと相手どころか自分の命をも危険にさら
してしまう事がよくあるのである。

集団登山で遭難事故が起きて犠牲者が出る場合,そのほとんどがいい加減な随行者や
リーダーと共にした例が多いのである。最近流行っている旅行業者が行う山行ツアー
はその典型例である。随行者は命がけで参加者の身を守ることは決してしない。自分
だけ安全なところに避難して遭難者をほったらかして救助隊だけを呼ぶ場合がほとん
どである。

また自分の友に本当の友情があるかどうかみてみたければ冬山に同行するのが一番手っ
取り早い。ある意味で極限状態の冬山では人間の本性がさらけ出されるからである。
厳しいギリギリの自然条件の下で自分を犠牲にしても相手を思いやる気持ちを持ち合
わせているかどうかその真価があらわになるのである。

残念ながら医療のつき合いの中でそのような真の友を得られることは難しいかも知れ
ない。しかし山の世界に入ってみるとそのような友人が数多くいる。山とは不思議な
世界である。

厳冬期五竜山頂

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