1925年、男性の普通選挙が施行された。戦後の1945年には選挙法が改正され、女性が初めて選挙権を得た。以降、年齢制限をクリアすれば誰でも選挙に出られるようになった。しかし実際には、国政選挙の立候補者は政党や組織に推されるケースが多い。「地盤(支援組織)」「看板(知名度)」「かばん(資金)」がある2世、3世議員も目立つ。そんな中、10月の衆院選で、団体などから支援を受けることなく1人で立候補を決め、選挙に臨んだのが佐藤行俊さん(73)=石井町、無職。長年、天皇制廃止を訴える活動を1人で展開し、ちまたでは「天皇いらんおじさん」として知られる。過去には地元石井町の町議選や町長選にも立候補した。今回は徳島1区から出馬して落選したが、1808票を得た。佐藤さんはなぜ、落選する可能性が高い選挙に立候補するのだろうか。佐藤さんの自宅を訪ねて話を聞いた。

 玄関口で「選挙を振り返っての感想を聞きたい」との旨を伝えると、快く招き入れてくれた。中に入るとカウンターがあり、商店のような造り。「一時期、クリーニング屋をしようとしていたことがある。両親の勧めで」と佐藤さん。その両親は既に他界し、今は1人暮らしだ。

インタビューに応じる佐藤さん=石井町内の自宅

「僕の考えは浸透しない。世の中おかしくなっていると思う」

記者 衆院選での得票数は1808票。これをどう捉えていますか。

佐藤さん いろんな世論調査を見ると、天皇制廃止論者はだいたい7%ぐらいいる。しかし、今回、僕には(有効票198745票のうち)1%しか入っていない。廃止したらいいと思っている人はもっといると思う。選挙では自衛隊の廃止も訴えた。防衛のためであっても軍隊は持つべきではない。戦後、日本が経済発展したのも憲法9条があったからだ。軍隊を持たない方が経済の発展にはいい。また、軍備にかけているお金を福祉に回した方がいい。しかし、僕の考えは浸透しない。世の中、おかしくなっていると思う。天皇制については憲法14条に違反している。自衛隊は憲法9条に違反している。自衛隊は災害救助隊にしたらいい。

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 佐藤さんは39年間にわたって天皇制廃止を訴えるデモを1人で続けてきた。徳島駅前などでデモ中の佐藤さんを見掛けたことがある人もいるだろう。多くの場合はスカートを履き、自転車に乗っている。デモを続ける中で苦労もしているようだ。

 1987年8月23日付の徳島新聞朝刊の「読者の手紙」に、「ゼッケンデモに卑劣な暴力」と題された佐藤さんの投稿が掲載されている。投稿によると、徳島市の阿波踊り開催中の8月14日、午後7時すぎに市役所前演舞場出口で「天皇制廃止」のゼッケンを着けて演舞場の中をのぞきこんでいると、見知らぬ人にゼッケンをむしり取られ、頬を殴られ、腹を蹴飛ばされたという。佐藤さんは終始、無抵抗だったそうだ。

 1991年12月20日付の朝刊には「皇太子滞在中3度も拘束 石井の男性抗議 県警本部は否定」という見出しの記事が掲載されている。皇太子殿下が県内滞在中、警官に3回拘束されたとして、佐藤さんは抗議のために県警本部を訪れたが、県警は抗議を受け付けなかったことを伝える記事だ。

1991年12月20日付の徳島新聞

 電柱や信号機などに天皇制を批判する言葉を書いた段ボール紙をくくりつけるなどし、軽犯罪法違反などで拘留や罰金の刑事罰を受けたこともある。

 ここまでして訴えてきた天皇制への反対。この考えをなぜ、いつから持つようになったのだろうか。

記者 天皇制に疑問を持つようになったきっかけは。

佐藤さん 高校生のとき、「人生手帖」(文理書院)という月刊誌を読んでいた。二宮尊徳(一般には二宮金次郎として知られる)の思想などについて書いた雑誌だ。だから左翼的になったのだと思う。高校生の頃って、いろんなことを考えるでしょう。哲学的なこととか。その頃から僕は天皇制・自衛隊廃止論者で無神論者。20歳ぐらいのときには、家の仏壇を壊して位牌も捨てた。これに母は死ぬまで怒っていたけどね。

 佐藤さんの父は生前、大手損保会社の社員だった。各地へ転勤もあった。佐藤さんが名西高校生だった頃、父は兵庫県芦屋市に赴任。母と中学生だった妹は共に芦屋に引っ越したが、佐藤さんは高校の転入試験に落ち、石井町の家に1人で残ったという。高校の3年間、1人で暮らしながら本を読んで過ごした。このときに形づくられた思想が、その後の人生を方向付けた。また、佐藤さんは高校卒業後、ほとんど働いたことがないという。

佐藤さん宅の本棚の一部。天皇制に関する本が並ぶ。語学の本も多いのはさまざまな言語の速記術の研究をしているためだそうだ

佐藤さん 高校卒業後に親のコネで神戸の運送会社に2、3カ月勤めたけど、すぐにやめた。それからは働いていない。20歳の冬、京都の一燈園(いっとうえん)に入ろうとして行ったことがある。知ってますか、一燈園。思想家で政治家でもあった西田天香が設立した団体。皆で共同生活をしている。でも、僕が行ったら「体が弱そうだから、家でお掃除でもしておけば」と言われて追い返された。

記者 なぜ働かないのでしょう。

佐藤さん 仏教というのは働かないのよ。托鉢(たくはつ)する。僕は人々から托鉢するのではなく、親から托鉢するという考えをとった。働かず、質素に生きればいいんだ、と。ただの引きこもりかもしれないけどね。本を読んだり、投書したり、ぶらぶらしたりしてきた。働かないことについて、両親にはガミガミ言われていた。特に母親からは。ものすごいストレスだったけど、耐えて、耐えて。世間の荒波は嫌だから。父が死んでからは母と2人暮らし。生活費は2人で年間92万円だった。新聞もとらないで質素に暮らした。

記者 仏教の托鉢を実践しているということですね。でも、佐藤さんは無神論者だったのでは…。

佐藤さん 仏教というのは、そもそも無神論なのよ。

 「世間の荒波は嫌だ」という佐藤さん。しかし、選挙に出るというのは荒波に身を投じることではないだろうか。しかも、落選する可能性が極めて高いはずなのに。なぜ出るのだろう。

公示後、天皇制反対を訴える佐藤さん=10月22日、徳島駅前

「選挙に出て言いたいことを言うとすっきりする」

記者 選挙に出るって、結構な荒波に身を投じることですよね。

佐藤さん 言いたいことがあったからね。天皇制反対。武器を持つのは嫌だと訴えたかった。

記者 今回の衆院選で、県内の投票率は53・86%(小選挙区)。ほぼ半分の有権者しか投票に行かず、政治と人々との距離は広がっています。そんな中で佐藤さんはなぜ、政治を信じるんですか。

佐藤さん 投票率が低いのは、自分の考えと合致する政治家がいないからじゃないですか。僕だって投票したい政治家はいない。「天皇制と自衛隊をなくせ」と言う人はいないから。「9条を守れ」という人はいるけどね。それでも僕は投票には行っていた。選挙に出るのは言いたいことがあるから。選挙に出て、言いたいことを言うとすっきりする。

記者 選挙に出なくても自分の考えを主張する場はあるかと思います。選挙に出ると何か違うんですか。

佐藤さん ゼッケンデモを39年やっていても、何をしているのか理解してくれないままの人もいる。選挙で主張すると、なんで僕がデモを続けているかを分かってもらいやすくなる。今回も、スカートを履いてゼッケンデモをしている人が立候補したということを多くの人に知ってもらえた。

記者 落選すると分かっていて、なお選挙に出るというのは。

佐藤さん それはお金があるからです。母が他界し、まとまった遺産が手に入った。旅行にも行かないし、外食もしない。使い道がないんです。ほかに何の使い道があるんだろう。結婚する意思もないですし。

10月19日の公示日に、届け出を済ませた後に報道陣に自分の考えを述べる佐藤さん https://youtu.be/rcjpS_FBV8w

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 10月31日に投開票された衆院選の結果、徳島1区で当選した無所属の元職仁木博文氏は99474票を獲得した。野党共闘を目指す市民団体「オール徳島」の推薦を受け、野党支持層を固めたほか、保守層からも集票した。次点の自民党の前職後藤田正純氏は77398票、3位の維新の新人吉田知代氏は20065票で、二人とも比例四国ブロックで復活当選している。佐藤さんが獲得したのは1808票だった。

 2015年の石井町議選ではトップ当選者が獲得したのが1735票だったのに対し、佐藤さんに入ったのは54票だった。2019年の石井町長選では現職小林智仁氏と佐藤さんしか立候補せず、小林氏は11623票を獲得。佐藤さんに投じられたのは707票だった。

「ポスターに顔を出してもしようがないでしょう。顔の品評会じゃない」

記者 衆院選の選挙運動は1人でしたんでしょうか。

佐藤さん そう。ポスターは100カ所ぐらい貼ったんじゃないかな。石井町内と徳島市内だけ。ただ、石井町長選に出たときから、僕の意見に賛同してくれる夫婦がいて、その人たちが20カ所ぐらいにポスターを貼ってくれた。とにかく、ポスターをたくさん貼らないといけない。掲示板を見つけたら貼る、という感じ。ここ(石井町)から徳島まで自転車で行くときに貼りながら行っていた。

記者 佐藤さんのポスターは文章中心でしたね。

衆院選の立候補者のポスターを貼った掲示版。佐藤さんのポスターは左下=徳島市中徳島町

佐藤さん 顔を出してもしようがないでしょう。自分の意見を書いた方がいい。顔の品評会ではないんだから。僕は意見の方を重視した。

記者 政党や組織の後ろ盾がない人が選挙に出るときのハードルとは。

佐藤さん お金の問題だけだと思う。供託金さえあれば、出られる。すべきことは教えてくれるから誰でもできる。ただ、マスコミからの扱われ方には差が出るけど。今回も徳島1区の「主な候補者」として僕以外の3人だけを紹介した新聞もあったし、僕の放送時間だけ短く報じたテレビ局もあった。でも、僕みたいな立場の人が(選挙報道の扱いについて)訴訟をして勝ったことはない。裁判所は「報道の自由」があるという。政党に所属していないと、テレビに出ている有名人とかでない限り、いろんな面で不利ですね。

 佐藤さんが指摘する「供託金の壁」。供託金とは立候補する際に現金か国債で法務局に預けなければならないお金だ。選挙の種類によって額は異なり、一定の票数を獲得しないと没収される。衆院選小選挙区の場合は300万円が必要で、有効票の10分の1以上の得票がなければ没収となる。

 日本は選挙カーのレンタル代など選挙にかかる費用の一部を公費で負担する制度を導入していることから、売名のための立候補を防ぐことなどが目的とされている。しかし、日本の供託金の額は他国と比べて非常に高額だ。例えば、英国下院の場合は500ポンド(約7万6000円)。米国には供託金の制度はない。高額な日本の供託金は「選挙人の資格を財産によって差別してはならない」と定める憲法に反すると、国を相手取った訴訟も起こされてきたが、原告が敗訴している。

憲法44条「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。 但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない」

 また、佐藤さんは100カ所ぐらいの掲示板にポスターを貼ることができたというが、県選挙管理委員会によると、徳島1区の掲示板は全部で1297カ所。貼れたのは全掲示板の1割にも満たない。組織や団体のバックアップがないと、ポスター貼りすらままならない実態も浮かび上がる。有権者に一票を投じてもらうには「知ってもらう」ことがまず、条件。しかし、そのスタートラインになかなか立てないのが現実のようだ。

 佐藤さんは来夏の参院選に出るのか。聞くと、「うーん、出る確率は半分半分かな」という答えが返ってきた。