現実の方がクソゲーだ
「親ガチャ」とは、「あなたの人生は、あなたの努力で動かせる部分はとても少ない」というエビデンスがひたすらに詰み上がってきた、現代社会のひとつの「結果」でしかない。これがにわかに流行ったからといって、なにか邪な考えが若者の間で蔓延しているとか、若者が努力をしなくなったとか、そういったことはない。「親ガチャ」という言葉は、単に「すでにあった答え」をキャッチ―に表現したものでしかないからだ。
あえて「ガチャ」というワーディングが選ばれたのは、現代の多くの若者たちが好んでプレイする実際のソーシャルゲームであれば、目ぼしいアイテムが出なければゲームを初期化してもういちど最初のガチャを引き直す「リセットマラソン(通称リセマラ)」が大抵はできるのに、現実は一回きりのガチャでやり直しがきかないため、「現実の方がクソゲーだ」という風刺的なニュアンスも込められているだろう。
そしてなにより、これまで自明の真実として美談的に語られてきた「能力=努力」という根拠薄弱な神話によって、特権的なエリート階層の人びとは代々にわたって肥え太り、一方で多くの名もなき人びとの苦境や困窮はひたすらに無効化(自己責任化)されてきた。努力や責任といった言葉を、社会的再分配を拒否するための方便としてきたことに対する壮大な「バックラッシュ」が、「親ガチャ」というワードの流行の背景にはある。
このワードや、これが流行してしまったことそれ自体を好ましく思うか否かは別として、このワードが示唆する「白け」の雰囲気と、さらにその深淵にある「抗議」の声には、私たちは少なくとも耳を傾ける必要はあるのだろう。
*1 AERAdot.「数学は87%、IQは66%、収入は59%が遺伝の影響! 驚きの最新研究結果とは」(2019年7月28日)
*2 東京大学「(第68回)学生生活実態調査報告書」
*3 HRB blog「親が東大卒のとき、子供が東大に合格する確率」
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