「豊かな日本」を知らない若者たち
素晴らしかった好景気の時代から「失われたn年(いわゆるロスト・ジェネレーション)」という、どん底の不況へのジェットコースター的な滑落を肌感覚で知っているのは、1990年代から2000年代に若年期を生きた現在の30代や40代までだ。この「かつての若者たち」からすれば、ついこないだまであったはずの「在りし日の栄光」を懐かしみながら、現状の社会との落差に苦しみ、ついには「諦念」を抱いて生きる――といった一連の流れはありえる。古市憲寿が2011年に書いたベストセラー『絶望の国の幸福な若者たち』は、2000年代の若者たちのまさにそのような機序を言語化したものだ。当時の若者たちにとっては、「日本がすばらしかった時代」はつい先日のことであり、いくばくかのリアリティーが残されていた。
だが、現在の若者たちは、かつての「輝かしい時代」にはそもそも生まれてすらいない。中高年層の感覚では1980年代後半から90年代初頭はつい最近であるように思えるかもしれないが、いまの若者は1990年代後半から2000年生まれなどである。
言うまでもないが、かれらは好景気だった時代など知りようもない。ひと回りふた回り上の先輩(リーマンショック世代、氷河期世代)に尋ねても「いや、昔から景気はずっと悪かったよ」と言われる。現在の若者たちは、いまの社会をただ「ありのまま」に受け入れているだけだ。かつてこの国に存在していたはずの「なにか」を期待しているわけではない。
かれらにとってこの国の社会とは、物心ついた瞬間から《すでに》そういうものだったから「昔と比べて不満だ」などと比較することもできない。それが表面的・統計的(あるいは年長者たちの目)には「若者たちは満足している(不満を持っていない)」ように見える。ただそれだけのことだ。失われたn年があまりに長かったのだ。若者たちの年齢を超えてしまうほど続いたこの国の長期低迷は、若者たちに「諦め」ではなく「現実とはもとより、そういうものだ」という感覚をもたらした。