「Z世代」と「昭和の若者」
都市部のインテリ層やリベラル層の声が実態よりもはるかに大きく反映される言論空間であるSNS(あるいはSNSの声を取材して記事を作るウェブメディア)では、「10代〜20代の若年層の有権者がもっとも関心を持っているのは『ジェンダー平等』や『政治的ただしさ』『気候変動』といったテーマである」という説が、論をまたず揺るぎないものとなっていた。*2
だが先述したように、統計的にみれば、たとえ若年層でも景気対策や安全保障や新型コロナウイルス対策の方がよほど優先度の高いテーマだったのである。
ネットやSNSで「投票に行こう! 私たちの声で政治を変えよう! ジェンダー平等、気候変動問題は私たち将来世代にとって大きな課題だ! 古い政治を変えよう! 声を届けよう!」と主張していた若者たちもたしかにいた。だがかれらは実際には「若者の代表」ではなく「社会的・経済的に恵まれた環境で高い教育を受け、日々の生活に余裕のある、SNSでの情報発信に熱心な若者の代表」だった。
10代20代をピックアップすると、他の年代にくらべれば「ジェンダー平等」の関心度は相対的にいくらか高い。しかしながら、それはかれらがZ世代ならではの人権感覚・価値観のアップデートがなされているゆえではない。まだかれらが、上の世代にくらべて「ひとりの生活者」としての泥臭いリアルに直面しておらず、社会的責任を多く負っていないがゆえだ。
断っておくが、それが「よくない」ということではない。逆だ。現実から遊離した机上の空論を戦わせることができるのは、青春時代のすばらしい特権である。年を取って30代にもなれば、否応なしに地に足をつけて人生を歩まなければならないライフステージにさしかかり、そうした壮大な夢物語は自然と萎んでいって、等身大の生活の方に視点がスケールダウンしてしまう。
いつの時代もそれが繰り返されてきた。大学時代まで共産主義革命の夢を見ていた昭和の若者たちも、卒業後には企業社会に入り「大人の一員」になっていった。かつての「共産主義革命の夢」が、令和には「ジェンダー論」や「気候変動」に代わっただけだ。
目先のしみったれた「生活」の問題を棚上げして、人類全体、もっといえば地球規模の壮大な夢を語れるのは若者の特権だ。10代20代では他の世代にくらべて少しばかりジェンダー平等や気候変動問題に関心が高いのは、社会がまだまだ余裕があり、健全な証拠だろう。むしろ若者から「若者の自殺対策」「若者の孤立問題」などが選挙の争点として大真面目に挙がるようになれば、その時こそこの国は終わりだ。