記録ID: 3780780
全員に公開
山滑走
白山
日程 | 2021年11月24日(水) [日帰り] |
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メンバー | , , その他メンバー1人 |
天候 | 終日雪と強風 |
アクセス |
利用交通機関
自転車
経路を調べる(Google Transit)
|
表示切替:
コースタイム [注]
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
コース状況/ 危険箇所等 | #自転車は百万貫の岩の手前までその先は別当出合までブーツラッセル #一本橋は雪が多くてスキーで辛うじて渡れた #石畳も雪が多くてスキーで登りあげる、その先はファツトでも急になると板の先端が出ない膝ラッセルの連続 #弥陀ヶ原から上部は20以上の暴風、ただし登りは追い風で問題なかった、下りはまともに風を受けるので吹きさらしでは時折体が飛ばされそうになるくらい強かった |
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装備
個人装備 | 僕とコーエーは地獄ゴーグル ガイド ダウンと装備は完璧 |
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写真
感想/記録
by YSHR
記録を残すに当たり
志半ばでこの世を旅立った髭ちゃんには心から哀悼の意を表します。
また残されたご家族の方々には心からお悔やみ申し上げます。
また搬送にご協力いただいた石川県警および福井県防災ヘリの関係者には心から感謝申し上げます。
事故が起きてとにかくご家族へ正確な状況報告と真実をお伝えすることを最優先とした。ご家族全員(奥様、お二人のお子息)がご理解ご納得いただけなければ記録は公にはできない。もちろん関係機関に報告することは当たり前、僕たちは事故後すぐに記録を作成して髭の死を無駄にしないためにも多くの登山者の一助となればと考えていた。先程通夜を終えご家族に報告書をお渡しして正確な記録を残すことにご理解を頂けた。是非公開して悲惨な事故を防いで欲しいとのお言葉を頂いた。
以下本文へ
それは一通のメッセージ着信から始まった。H君(通称髭魔人)が突然7年前に理由も告げず山仲間から去っていったお詫びのメッセージだった。髭とは9年前に残雪期の白山で知り合った。休みの水曜に先行する僕を猛追してきた屈強な男が彼だった。室堂で追い付いて一緒に山頂をピクリ湯の谷を周回した。
彼は自分のHPの読者で是非一度会いたいと思っていたらしく水曜を狙って白山にやってきた。パワフルな滑りと温和な性格ですぐに意気投合してその後毎週水曜になると限界に近い山行や自転車ロングライドを丸々2年間繰り返していた。
7年前能登一周ロングライドを機に突然僕たちから去っていった。あれだけ命がけで戦ってきたのに何も言わずに去るなんてあり得ない、正直もう二度と顔も見たくないと思ってすべての連絡ツールを削除して彼のことは忘れようと努めた。
メッセージには今年から本格的に山を再開して山の素晴らしさに目覚めたこと、できればもう一度山スキーにも同行したいと書かれていた。来る者拒まず去るもの追わず、会って当時去った理由を知りたくてウェルカムと返信して次の水曜にコーエーと予定していた白山スキー山行に来てみるかと誘ったら是非と返事が来た。
こうして11/24の水曜友の会に自分とコーエーと髭の三人メンバーで白山へ行くことになった。当日は寒気が入って荒れる予報ではあったがこの時期白山では当たり前で雪が降るなら大いに結構という感じだった。その先々週も白山で地獄を経験していた。
髭とは当時厳冬期の北海道や槍ヶ岳、立山を始め、敢えて嵐の白山を狙ってスキー山行に出かけることも多々あったのでその実力に全く心配はなかった。心配なのはブランクだけだった。
その日雪で白峰ゲートが閉じる可能性もあったので土木事務所に問い合わせをしたらまだ閉めないということで市ノ瀬を2時発と約束した。髭は少し早めに出るということだった。
深夜1時過ぎに白峰に着くと雪が降っていてまさかのゲートが閉じていた。髭はすでに2時間前に自転車で出ていた。ゲートから雪の舞う中チャリを漕いだが雪は徐々に増え百万貫1km手前で早くも歩きとなった。チャリデポから市ノ瀬まで6km僕たちはスキーだが髭はツボで進んでいた。ブーツまで沈む雪に髭は大変だろうと思った。さすがに市ノ瀬からはスキーで進んでいたが単独でのブーツラッセルはかなりきついと感じた。市ノ瀬からトレースがあっても僕たちは2時間以上もかかってようやく6時過ぎに別当出合に着いた。中には髭が元気そうに待っていた。7年ぶりの再会が嬉しかった。ただ当時と違いトレードマークの髭はなかった。僕たちより2時間前に出て1時間近く休憩舎で待っていたようだった。
一緒に別当出合を出て空白の7年間の話をした。去った理由は2年間で燃え尽きたのと子供の受験が重なって塾の送り迎えが増えたことが理由と教えてくれた。ならそう正直に言ってくれればいつでも待っていたのにと伝えた。歩きながら娘は医療関係へ就職し息子は某有名大学に進学して一段落したと言っていた。今年2月から本格的に山を再開して夏はかなり登りこんだと話していた。早月尾根も6時間で往復したらしい。
雪は多くてファットスキーでは膝下から膝まで潜りスキーの先端が出なくて苦労した。
ラッセルが大変で覗きで今日の白山はピクれないかもしれないと弱気になったが髭の復帰戦ということで三人で交代でラッセルを頑張った。髭も先頭に立っと全盛期を彷彿させる力強いラッセルだった。山をやめて体重も10k以上増えたが今年は精力的に山に出掛けて全盛期並みまで体を絞ったそうだ。水曜友の会にまた頼もしい仲間が増えたと内心嬉しかった。
甚之助小屋のタイムリミットを11時にしていたが10時半に着いて中で休憩して栄養補給と防寒態勢を整えた。ここから先はルート取りもむずくなるので自分が大概先頭でルートを切り開いたが皆も離れず付いてきてくれた。
エコーラインから先は視界もなく徐々に風は強くなっていく。弥陀ヶ原は白く視界は悪いが自分はGPSを見なくても室堂に進めるので問題ない、皆を先導した。室堂着1時、登頂の最終リミットは2時にしていたのでさらにペースを上げて山頂を目指した。風は20mを越し視界もないが幸い追い風で体が押されて問題なくほぼ三人離れず山頂で写真を撮る余裕があった。
奥社横で風を避け早くこの地獄から脱出したい一心で栄養補給もせずシールを剥いでブーツの金具を締めた。しかし髭だけは中々ブーツの金具が止められず素手になって奮闘していた。まずいと感じながらも最終的に滑りの準備は整った。髭のノーズガードは吐く息が凍り付いて大きな氷が垂れていたがその他特に大きな問題はなかった。
帰りのホワイトアウトは慣れた僕が先頭でルートを取り髭を挟んでコーエーをしんがりとした、コーエーには髭をしっかり頼むと伝えた。風は強いが地獄慣れしているのでいつものように15分もあれば室堂まで滑れると思った。
ホワイトアウト滑降は先頭は目標が無い為難しくて大変だが後続は目標が見えるのではるかに楽でただ先頭を信じて滑るだけである。ルートは安全第一で登山道経由で滑ることにした。皆各自GPSもあり登山道なら軌跡を見なくても仮に離れ離れになっても室堂に戻れると思った。
僕が先頭でGPSを確認しながら滑り出した。ターン毎に後ろを振り返り後続が付いてくるのを待った。数ターン目で振り返るとコーエーが転倒していて髭が待ってくれと合図をしていた。登山道は予想以上に風をまともに受けていたようで雪が飛ばされ石畳が出ていてスキーでは滑り辛かった。この時点で登山道は諦め石のない沢に入り風も避けようと考えた。
沢を目指してターンを切ったところで後続が見えなくなった。少し焦ったが後続を待とうと立ち止まるが後続が一向に見えず激しい暴風でじっとしてるのも辛かった。待てども後続は来なくてこの時点で逸れてしまい後続の二人は違うコースで室堂を目指したのだと思いとりあえず安全な室堂で待とうと滑走した。逸れた場所から室堂まではホワイトアウトでも滑って10分ほどで問題なかった。
室堂で振り返ると大鳥居がかすかに見える程度でほぼ視界がなかった。建物の陰に回り込んだが容赦なく舞ってくる風に叩かれじっと待つだけでも辛かった。かなり待っていたが風が強くて寒くて一向に姿が見えず、黒ボコの話もしていたので室堂に寄らず沢沿いに黒ボコ経由で下山したのかもしれないと考えた。
ゴーゴー暴風が唸る視界のない状況で互いがどこにいるか知るすべもなく携帯も使える状況ではなくただお互いを信じて下山するしかなかった。幸い室堂には冬季小屋もあるし後続は二人で行動しているだろうから問題ないだろうと考えた。
夕暮れまであと数時間、雪は降り続いており帰りは白峰まで下りラッセルも予想されたので後続が楽できるようにしっかりトレースを付けておこうと考えた。甚之助に寄るが後続が立ち寄った気配はなかった。
別当出合までさほど問題なくたどり着きコーエーに携帯をするが返信はなかった。別当出合からの林道は予想通りラッセルになり全く滑らなかった。もう少しで市ノ瀬というところでコーエーから携帯が入った。
涙声で2時間近く地獄の中で髭と室堂目指して頑張ったが髭が倒れ込んで動かなくなり意識も飛んでしまってどうすることもできず自分もの凍傷で危険な状況になったので泣く泣く髭と別れざるを得なかったと話していた。その時点でようやく甚之助まで降りてきたということだった。あの地獄の中動けなくなり倒れ込んでしまったらもうどうすることもできないと彼をかばった。ただコーエーが無事に帰還してくれることを祈った。
すぐに外界の仲間に簡単な経緯を伝え警察と髭の家族に連絡をとってほしいと依頼した。警察には直ぐに連絡は取れたようだが髭の奥さんとは連絡は取れなかった。
市ノ瀬から白峰まで長い道のりを髭がもう一度気力を振り絞り室堂の冬季小屋に避難してくれることを祈った。
真っ暗な白峰に着いたのは夜7時半、ゲートには救急車とパトカーが待機していた。救急車で詳しい事情を聞かれ体調不良はないかと尋ねられたが疲れているだけで問題ないと答えた。
何度かコーエーとは携帯で連絡をとっていたが無事に白峰まで下山してくれることを祈った。コーエーが着いたのは夜10時半、救急車でやはり体調に問題がないことを確認して二人で鶴来署に直行となり署内で別々に事情聴取を受けた。二人の聴取が終わったのはもう日が変わった深夜であった。
翌日髭の自宅にコーエーと二人で出向いて家族とお兄さんに詳しい状況説明をして最後に撮った山頂での髭の写真を手渡した。悪天候が暫く続く上警察も冬の白山は捜索活動もできないと言われたので、あとは自分たちでやるしかないと思い天気が回復する日曜に再度白山へ向かうと警察と家族には伝えた。
警察は二次遭難のリスクもあるので中止するように言われたが自分としては髭が冬季小屋にいる可能性も含めて自宅に戻るまでは毎週でも白山に通うつもりであった。
事故から4日後の日曜はあの日が嘘のように晴れ渡った。髭と別れたコーエーの軌跡を頼りに深夜白峰を出て白山へ向かった。室堂から一目散に軌跡ポイントに向かうと雪に埋もれた髭の姿があった。山頂から直線距離で400m、冬季小屋までわずかに300mの場所であった。視界が良ければ数分で室堂まで滑れただろう。
髭の両手にあったウィペットは転倒の影響で曲がっていた。少し顔の雪を払ったが辛くて顔を見ることはできなかった。スキーを外してショベルで体を完全に雪から出した。
現場の状況がわからなければヘリは飛ばせないと言われていたので、現場から警察に詳しい気象状況と緯度と経度を伝えあとはすぐにピックアップできるように態勢を整えた。
石川県側は雲があってヘリが飛べないということで福井から防災ヘリが来る段取りになった。そのため到着までかなり時間を要することになった。
流石に晴れていても山頂下は寒くてこの場にじっと2時間以上待つことは無理なので刺したスキーとストックに長いピンクリボンを何本もつけて目印として先に下山することにした。
市ノ瀬手前でヘリの音がようやく聞こえ無事ピックアップ作業は完了した。
一本のメッセージ着信から始まった7年ぶりの再会がこんな形で終わりを遂げるとは何とも辛くて仕方がない。
#髭は厳冬期の羊蹄で滑落しかけた僕を体当たりで止めて命を救ってくれた。
#厳冬期ワンディ立山初記録に挑戦した時もう無理と弱音を吐いた髭を鼓舞して共に頑張って登頂した。
#金沢から自転車で伊勢神宮を目指した時最後の向かい風を風除けになって引っ張ってくれた。
#自転車レースに負けた悔しさからリベンジで毎朝仕事前に奥獅子吼へヒルクライムして僕を負かした。
#白山大周回の山岳350kmは限界まで頑張り通した。
これから新たな山生活を共にできると期待していた矢先の事故、彼を思い出すと悲しくて涙が止まらない。 合掌
志半ばでこの世を旅立った髭ちゃんには心から哀悼の意を表します。
また残されたご家族の方々には心からお悔やみ申し上げます。
また搬送にご協力いただいた石川県警および福井県防災ヘリの関係者には心から感謝申し上げます。
事故が起きてとにかくご家族へ正確な状況報告と真実をお伝えすることを最優先とした。ご家族全員(奥様、お二人のお子息)がご理解ご納得いただけなければ記録は公にはできない。もちろん関係機関に報告することは当たり前、僕たちは事故後すぐに記録を作成して髭の死を無駄にしないためにも多くの登山者の一助となればと考えていた。先程通夜を終えご家族に報告書をお渡しして正確な記録を残すことにご理解を頂けた。是非公開して悲惨な事故を防いで欲しいとのお言葉を頂いた。
以下本文へ
それは一通のメッセージ着信から始まった。H君(通称髭魔人)が突然7年前に理由も告げず山仲間から去っていったお詫びのメッセージだった。髭とは9年前に残雪期の白山で知り合った。休みの水曜に先行する僕を猛追してきた屈強な男が彼だった。室堂で追い付いて一緒に山頂をピクリ湯の谷を周回した。
彼は自分のHPの読者で是非一度会いたいと思っていたらしく水曜を狙って白山にやってきた。パワフルな滑りと温和な性格ですぐに意気投合してその後毎週水曜になると限界に近い山行や自転車ロングライドを丸々2年間繰り返していた。
7年前能登一周ロングライドを機に突然僕たちから去っていった。あれだけ命がけで戦ってきたのに何も言わずに去るなんてあり得ない、正直もう二度と顔も見たくないと思ってすべての連絡ツールを削除して彼のことは忘れようと努めた。
メッセージには今年から本格的に山を再開して山の素晴らしさに目覚めたこと、できればもう一度山スキーにも同行したいと書かれていた。来る者拒まず去るもの追わず、会って当時去った理由を知りたくてウェルカムと返信して次の水曜にコーエーと予定していた白山スキー山行に来てみるかと誘ったら是非と返事が来た。
こうして11/24の水曜友の会に自分とコーエーと髭の三人メンバーで白山へ行くことになった。当日は寒気が入って荒れる予報ではあったがこの時期白山では当たり前で雪が降るなら大いに結構という感じだった。その先々週も白山で地獄を経験していた。
髭とは当時厳冬期の北海道や槍ヶ岳、立山を始め、敢えて嵐の白山を狙ってスキー山行に出かけることも多々あったのでその実力に全く心配はなかった。心配なのはブランクだけだった。
その日雪で白峰ゲートが閉じる可能性もあったので土木事務所に問い合わせをしたらまだ閉めないということで市ノ瀬を2時発と約束した。髭は少し早めに出るということだった。
深夜1時過ぎに白峰に着くと雪が降っていてまさかのゲートが閉じていた。髭はすでに2時間前に自転車で出ていた。ゲートから雪の舞う中チャリを漕いだが雪は徐々に増え百万貫1km手前で早くも歩きとなった。チャリデポから市ノ瀬まで6km僕たちはスキーだが髭はツボで進んでいた。ブーツまで沈む雪に髭は大変だろうと思った。さすがに市ノ瀬からはスキーで進んでいたが単独でのブーツラッセルはかなりきついと感じた。市ノ瀬からトレースがあっても僕たちは2時間以上もかかってようやく6時過ぎに別当出合に着いた。中には髭が元気そうに待っていた。7年ぶりの再会が嬉しかった。ただ当時と違いトレードマークの髭はなかった。僕たちより2時間前に出て1時間近く休憩舎で待っていたようだった。
一緒に別当出合を出て空白の7年間の話をした。去った理由は2年間で燃え尽きたのと子供の受験が重なって塾の送り迎えが増えたことが理由と教えてくれた。ならそう正直に言ってくれればいつでも待っていたのにと伝えた。歩きながら娘は医療関係へ就職し息子は某有名大学に進学して一段落したと言っていた。今年2月から本格的に山を再開して夏はかなり登りこんだと話していた。早月尾根も6時間で往復したらしい。
雪は多くてファットスキーでは膝下から膝まで潜りスキーの先端が出なくて苦労した。
ラッセルが大変で覗きで今日の白山はピクれないかもしれないと弱気になったが髭の復帰戦ということで三人で交代でラッセルを頑張った。髭も先頭に立っと全盛期を彷彿させる力強いラッセルだった。山をやめて体重も10k以上増えたが今年は精力的に山に出掛けて全盛期並みまで体を絞ったそうだ。水曜友の会にまた頼もしい仲間が増えたと内心嬉しかった。
甚之助小屋のタイムリミットを11時にしていたが10時半に着いて中で休憩して栄養補給と防寒態勢を整えた。ここから先はルート取りもむずくなるので自分が大概先頭でルートを切り開いたが皆も離れず付いてきてくれた。
エコーラインから先は視界もなく徐々に風は強くなっていく。弥陀ヶ原は白く視界は悪いが自分はGPSを見なくても室堂に進めるので問題ない、皆を先導した。室堂着1時、登頂の最終リミットは2時にしていたのでさらにペースを上げて山頂を目指した。風は20mを越し視界もないが幸い追い風で体が押されて問題なくほぼ三人離れず山頂で写真を撮る余裕があった。
奥社横で風を避け早くこの地獄から脱出したい一心で栄養補給もせずシールを剥いでブーツの金具を締めた。しかし髭だけは中々ブーツの金具が止められず素手になって奮闘していた。まずいと感じながらも最終的に滑りの準備は整った。髭のノーズガードは吐く息が凍り付いて大きな氷が垂れていたがその他特に大きな問題はなかった。
帰りのホワイトアウトは慣れた僕が先頭でルートを取り髭を挟んでコーエーをしんがりとした、コーエーには髭をしっかり頼むと伝えた。風は強いが地獄慣れしているのでいつものように15分もあれば室堂まで滑れると思った。
ホワイトアウト滑降は先頭は目標が無い為難しくて大変だが後続は目標が見えるのではるかに楽でただ先頭を信じて滑るだけである。ルートは安全第一で登山道経由で滑ることにした。皆各自GPSもあり登山道なら軌跡を見なくても仮に離れ離れになっても室堂に戻れると思った。
僕が先頭でGPSを確認しながら滑り出した。ターン毎に後ろを振り返り後続が付いてくるのを待った。数ターン目で振り返るとコーエーが転倒していて髭が待ってくれと合図をしていた。登山道は予想以上に風をまともに受けていたようで雪が飛ばされ石畳が出ていてスキーでは滑り辛かった。この時点で登山道は諦め石のない沢に入り風も避けようと考えた。
沢を目指してターンを切ったところで後続が見えなくなった。少し焦ったが後続を待とうと立ち止まるが後続が一向に見えず激しい暴風でじっとしてるのも辛かった。待てども後続は来なくてこの時点で逸れてしまい後続の二人は違うコースで室堂を目指したのだと思いとりあえず安全な室堂で待とうと滑走した。逸れた場所から室堂まではホワイトアウトでも滑って10分ほどで問題なかった。
室堂で振り返ると大鳥居がかすかに見える程度でほぼ視界がなかった。建物の陰に回り込んだが容赦なく舞ってくる風に叩かれじっと待つだけでも辛かった。かなり待っていたが風が強くて寒くて一向に姿が見えず、黒ボコの話もしていたので室堂に寄らず沢沿いに黒ボコ経由で下山したのかもしれないと考えた。
ゴーゴー暴風が唸る視界のない状況で互いがどこにいるか知るすべもなく携帯も使える状況ではなくただお互いを信じて下山するしかなかった。幸い室堂には冬季小屋もあるし後続は二人で行動しているだろうから問題ないだろうと考えた。
夕暮れまであと数時間、雪は降り続いており帰りは白峰まで下りラッセルも予想されたので後続が楽できるようにしっかりトレースを付けておこうと考えた。甚之助に寄るが後続が立ち寄った気配はなかった。
別当出合までさほど問題なくたどり着きコーエーに携帯をするが返信はなかった。別当出合からの林道は予想通りラッセルになり全く滑らなかった。もう少しで市ノ瀬というところでコーエーから携帯が入った。
涙声で2時間近く地獄の中で髭と室堂目指して頑張ったが髭が倒れ込んで動かなくなり意識も飛んでしまってどうすることもできず自分もの凍傷で危険な状況になったので泣く泣く髭と別れざるを得なかったと話していた。その時点でようやく甚之助まで降りてきたということだった。あの地獄の中動けなくなり倒れ込んでしまったらもうどうすることもできないと彼をかばった。ただコーエーが無事に帰還してくれることを祈った。
すぐに外界の仲間に簡単な経緯を伝え警察と髭の家族に連絡をとってほしいと依頼した。警察には直ぐに連絡は取れたようだが髭の奥さんとは連絡は取れなかった。
市ノ瀬から白峰まで長い道のりを髭がもう一度気力を振り絞り室堂の冬季小屋に避難してくれることを祈った。
真っ暗な白峰に着いたのは夜7時半、ゲートには救急車とパトカーが待機していた。救急車で詳しい事情を聞かれ体調不良はないかと尋ねられたが疲れているだけで問題ないと答えた。
何度かコーエーとは携帯で連絡をとっていたが無事に白峰まで下山してくれることを祈った。コーエーが着いたのは夜10時半、救急車でやはり体調に問題がないことを確認して二人で鶴来署に直行となり署内で別々に事情聴取を受けた。二人の聴取が終わったのはもう日が変わった深夜であった。
翌日髭の自宅にコーエーと二人で出向いて家族とお兄さんに詳しい状況説明をして最後に撮った山頂での髭の写真を手渡した。悪天候が暫く続く上警察も冬の白山は捜索活動もできないと言われたので、あとは自分たちでやるしかないと思い天気が回復する日曜に再度白山へ向かうと警察と家族には伝えた。
警察は二次遭難のリスクもあるので中止するように言われたが自分としては髭が冬季小屋にいる可能性も含めて自宅に戻るまでは毎週でも白山に通うつもりであった。
事故から4日後の日曜はあの日が嘘のように晴れ渡った。髭と別れたコーエーの軌跡を頼りに深夜白峰を出て白山へ向かった。室堂から一目散に軌跡ポイントに向かうと雪に埋もれた髭の姿があった。山頂から直線距離で400m、冬季小屋までわずかに300mの場所であった。視界が良ければ数分で室堂まで滑れただろう。
髭の両手にあったウィペットは転倒の影響で曲がっていた。少し顔の雪を払ったが辛くて顔を見ることはできなかった。スキーを外してショベルで体を完全に雪から出した。
現場の状況がわからなければヘリは飛ばせないと言われていたので、現場から警察に詳しい気象状況と緯度と経度を伝えあとはすぐにピックアップできるように態勢を整えた。
石川県側は雲があってヘリが飛べないということで福井から防災ヘリが来る段取りになった。そのため到着までかなり時間を要することになった。
流石に晴れていても山頂下は寒くてこの場にじっと2時間以上待つことは無理なので刺したスキーとストックに長いピンクリボンを何本もつけて目印として先に下山することにした。
市ノ瀬手前でヘリの音がようやく聞こえ無事ピックアップ作業は完了した。
一本のメッセージ着信から始まった7年ぶりの再会がこんな形で終わりを遂げるとは何とも辛くて仕方がない。
#髭は厳冬期の羊蹄で滑落しかけた僕を体当たりで止めて命を救ってくれた。
#厳冬期ワンディ立山初記録に挑戦した時もう無理と弱音を吐いた髭を鼓舞して共に頑張って登頂した。
#金沢から自転車で伊勢神宮を目指した時最後の向かい風を風除けになって引っ張ってくれた。
#自転車レースに負けた悔しさからリベンジで毎朝仕事前に奥獅子吼へヒルクライムして僕を負かした。
#白山大周回の山岳350kmは限界まで頑張り通した。
これから新たな山生活を共にできると期待していた矢先の事故、彼を思い出すと悲しくて涙が止まらない。 合掌
感想/記録
by route581
この度は皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしてしまい、誠に申し訳ありません。この記録が他山の石として今後の皆様、自分達の安全登山につながればと思い、事実を自分の目線で書いてみました。
以下本文です
金曜日の時点で24日水曜日にYSHR先生と二人で白山に行くことは決定していた。その後もう一人参加すると連絡があった。その時は髭魔人さんだとは言われなかったが、メールの内容から多分そうだろうとわかった。僕はまだご一緒したことはなかったが、ブログなどで活動は良く拝見していたので、同行できるということを楽しみにしていた。天気予報は雪で風が強いので不安はあったが、経験も積みたかったので計画は綿密に行う。最悪市ノ瀬から自転車になった時に、雨で濡れるといけないから雨対策などいろいろ考えたが、前日のライブカメラを見ると市ノ瀬では雪、百万貫岩でも雪が見えた。
YSHR先生が土木事務所に確認したところ、ゲートはまだ閉まらないから2時に市ノ瀬でいいだろうと連絡を受ける。念のため1時くらいにゲートに向かうと、手前のスノーシェッドで先生は支度をしていた。聞くとゲートは閉まっているという。慌てて支度する。市ノ瀬までは車で行けると思っていたので着替えは1セットしか持ってきていないが、雨は降っていないから濡れるとしたら汗なので別当までは濡れてもいいと考えていた。
1時30分白峰 風嵐ゲート出発
髭さんは前日の23時30分くらいに出発したということだった。必死で追いかけるも追いつかず、百万貫岩手前で自転車デポ、そこからはスキーハイク。髭さんは市ノ瀬までツボ足であったが、おそらくその時間帯はまだ雪が積もっていなくて、シャバ雪でシールを濡らしたくないという理由でツボ足だと推測したが、そのとおりだった。僕は少し濡らしてしまったが、市ノ瀬までは問題なく、別当からしばらくは団子に悩まされた。トレースはブーツラッセル程度で別当まで続いていた。天気は風が強いので月が見えたり、雪が降ったりと目まぐるしかった。
6時17分別当出合到着
別当出合に到着し、髭さんと合流する。ここで軽い自己紹介して先生と僕はこの先の支度を開始する。思っていた通り、汗をかいていたので防寒テムレスと長袖Tは着替えてデポ。インナー手袋に防寒テムレスを装着。支度が整って出発するころはすっかり明るくなっていた。ここでは髭さんも僕も雷の心配をしていた。予報では午前中は雷の危険度が高かった。
6時50分別当出合出発
橋には積雪があり、スキーのまま通過する。ワイヤーを持つ手がかじかんだが、渡りきってしばらく歩いていると元に戻ってきた。まず石畳を登りきるまでは先生が先頭、僕が真ん中、髭さんがしんがりで隊列を組んだ。
ラッセルは深く、急斜面ではトップがなかなか出なくて苦労することもあった。3人ともファットスキーでこの積雪ならスーパーファットでもよかったね、など話しながら進む。甚之助避難小屋まではだいたい10分から20分交代でラッセルを回した。別当覗を過ぎてしばらくまでは垂れ下がった枝や深いラッセルで難儀したが、小屋が近づくとラッセルは少しずつ軽くなってきた。時間的にはそれほど余裕はないが、ピークまでは行けそうだという気持ちが出てきた。
10時30分甚之助避難小屋到着 除雪、休憩、支度などで約30分滞在
小屋の入り口は雪で少し埋まっていたが除雪をすれば中に入れた。ここから先は風も厳しくなってくるので、出来る防寒はすべてここで行うことにした。厳冬期のバラクラバ、地獄ゴーグル、ビーコン電源オン、ガイド装着、ハードシェルジャケットの下にモンベルの化繊ダウンを着こんだ。今日はノースフェイスのビブを履いてきたので胸ポケットに地獄ゴーグルのバッテリーを入れた。ここまでのラッセルがきつかったので先頭になると暑く、背中には汗をかいていて不安はあったが、ダウンを着ると寒さはなくなった。インナー手袋はメッシュのものにし、蒸れないようにしようと考えた。髭さんはシールのテールがめくれていたが、ブラシを忘れていたようで、僕のブラシをお貸しして雪を落とした。
11時避難小屋出発
避難小屋を出て裏から直接南竜を目指した。先週より雪は増え、歩き易くなっていた。なるべく固いところを選んでルートを取り、南竜分岐あたりで先生が先頭になる。いつも行く沢筋ではなく一つ西側の沢に進んでいたので途中でトラバースして修正。このトラバースは藪が多く、枝につかまりながら登る事もあった。ここでまた髭さんのシールがめくれていたので修正する。いつもの沢はまだフラットではなく地形通りなので沢筋は固いが狭く急で、僕は途中から広いところにジグを切って登るルートにした。
12時 エコーラインの稜線に合流
エコーラインの稜線に登る頃には完全にホワイトアウトで視界は10~20mくらいだった。ここから僕が先頭でルートを取り、弥陀ヶ原に慎重に合流、弥陀ヶ原に着くと風はかなり強くなってきた。直接室堂を目指すルートを取ったが方角が違っていたようで先生が横に見えたので修正。ここから先生、髭さん、僕という隊列になった。
13時 室堂
室堂はそのまま通り過ぎて祈祷殿の左から山頂直下の吹き溜まり斜面に向かうルートをとる。視界がないので上を目指して登る。ハイマツが出ていたり、氷化斜面だったが、クトーは付けなくてもなんとか登ることは出来た。それまでは風はかなり強かったが吹き溜まり斜面に入ると風は全く吹かなかった。
13時40分 登頂
安全に稜線に回り込んで山頂を踏んだ。山頂の標柱付近は風が強いので写真を撮ったらすぐに奥宮脇に向かう。お参りを済ませ、風を避けて滑走準備。ブーツのパワーベルトを軽く締めていて、凍り付いていたのでガイドでは引っ張るのが困難だった。バックルを締めれば固定はされるのでベルトは締めずに滑走することにした。髭さんは(多分白山の暴風雪とは)「こんなんやったっけ」と言っていたのを覚えている。また、ブーツのタンを装着するのに時間がかかっていた。インナーグローブをはめていないのか、一瞬素手になることもあった。スキーのリーシュや、ザックのベルトのバックルを締める余裕がなかったのか、そのまま行こうとしていたが、先生に促され締める。
14時 下山開始
当初はいつも使っているルンゼに入る斜面に向かおうとしたが、ここ数日風が強く、雪が飛ばされ岩が先週よりも露出していたので、先生は困難と判断され夏道に向かう。夏道も風が強いので雪は飛ばされているが、道はしっかりしているのでゆっくり行けば何とかなると、僕もこの判断に疑問はなかった。始めは九十九折になっているので折れ曲がるところまで滑って止まって集まり、3人が離れないようにした。8ターン目に差し掛かり、先生が先に行かれ次は髭さんだったが、何かトラブルがあったのか動かなかった。先生の進んだ方向とは逆を向いていたので僕は逆だというゼスチャーをした。しかし止まったままだったので、ここで先生とははぐれてしまった。その時の視界は5mくらいしかなく、髭さんが進むのを待っている間に先生がどこに進んだか全くわからない状況になった。この時点で室堂まで降りれば先生とは合流できると考え、ここからは僕がGPSで確認しながら進むことを判断した。
14時13分 2人で行動開始
髭さんとはぐれてしまってはいけないので少し進んで待つということを繰り返した。来た道を戻るにはしばらく西側に進路をとらなければいけないが、この日は風速20mを越えていると思われ、押し戻されるくらいの強さだった。また沢状地形に入るまでは雪が飛ばされているので岩が露出していて避けながらルート取りしなければいけなかった。
14時40分 2600m地点登りのルートに合流
この頃には髭さんのサングラスは壊れたのか、紛失したのか、裸眼となっていた。風だけではなく氷のような雪が飛ばされてきているのでとても裸眼では行動出来ない。実際ゴーグルをずらしてみたが目を開けてはいられないくらいだった。髭さんはこの時から目が見えにくくなっていたのか転倒するようになり、ほんの数メートル進むのにも時間がかかるようになった。僕は大声で呼んで手を振り来るのをひたすら待った。登りのルートに合流すれば、風に背を向けて横滑りでも下に落ちていくだけなので方向転換を促したが、それもままならなかった。髭さんの眉毛付近は凍り付き、目を覆い隠していた。口元はフードが開いていて汗か息かはわからないが大きな氷がフードに貼りつき顔を覆っていた。これをみてかなり下山は困難な状況だと判断した。
15時40分 2530m地点
70m標高を落とすのに1時間かかった。すでに目は見えず、足の踏ん張りも効かなくなったということだった。なんとか脇を抱えて横滑りしたり、カニ歩きをしようと試みたが、踏ん張りがきかないため前に滑ったり、後ろに滑ったりして一緒に転倒を繰り返すようになった。ずっと大声で励ましたり呼んだりした。自力で起き上がるのが困難なのでストックをつかんでもらい起き上がっていたが、2530m地点からはそれも困難になってきた。とうとう横たわったままとなってしまった。
段々と意識がもうろうとしている様子で、目を見ると白目を向いたりするようになっていた。大声で呼びかけると反応してくれるが、全く動かなくなることもあった。その時にも体をゆすったり大声で呼び続けた。この時点でもう下山は不可能と判断した。意識がもうろうとしている中、「帰りたい」とささやかれるので「もちろんですよ、生きて帰りましょう!」と大声で励ましたりもした。せめて室堂まで行けば避難小屋もあるので何とかなるかもしれないと考えた。救助を要請しようと考え、ザックを下ろしスマホを出そうとするも、背面ファスナーは凍り付いていて開かない。ガイド手袋ではザックの上部からのファスナーからは狭くて取り出せないので、インナー手袋になってみたがとてもじゃないが我慢できなかった。すぐにガイド手袋を装着し、その場での救助要請は断念した。髭さんは何度も転倒していたのでザックで衣類がずり上がったのか、背中が出ていた。左足もブーツ付近のファスナーが開いてブーツの上は素肌が出ていた。インナーを着ていなかったのだろうか。ファスナーを締めたかったが凍り付いて締めることは出来なかった。顔は鼻の頭が白くなっていたので凍傷が進行しているのだと思った。頬や口の周りも赤く腫れているような感じだった。
16時30分 単独で下山を決断
何度も「起きてください!」と叫んで困っていると髭さんは「ごめん」とささやかれることもあった。こんな状況にあるのにそんな気持ちにさせて僕も謝らないで下さいと何度も言った。視界は相変わらず5m~10mくらいで、風は収まる気配もない。だんだんと指先の感覚もヤバいと感じるようになってきた。このままでは自分の命も危ないと判断し下山することを決断した。2530m地点には40分ほど滞在したことになる。この間に雪洞を掘るなど出来たかもしれないと後からは思うことは出来るが、その場では髭さんに付き添うだけで時間が過ぎた。また雪面状況は氷化斜面で雪が風に飛ばされハイマツも出ていたので雪洞を掘るにも困難だと思われる。
ホワイトアウトの中、下山開始。あたりはすでに暗くなり始めていた。GPSを見ながら慎重に下った。室堂を過ぎて弥陀ヶ原に向かうところまでは目標物もあったので順調に進めたが、2330mからはしばらく無木立で目標物もない。さらに暗くなるのも早く行き先は全くわからずGPSに頼るしかなかった。少し進んでは進路を修正することを何度か繰り返すと笹薮やシラビソが見えてきた。そこからはシラビソ沿いを目印に稜線を下るが、谷筋を過ぎるといけないのでその付近は慎重に進んだ。かなり暗くはなってきていたが、まだわかる範囲なのでライトはせずに滑る。
17時10分南竜分岐
登りで使った谷筋は使わずもう少し標高を落して藪が薄いところから南竜分岐に合流。かなり暗くはなってきていたが、樹林と雪原の区別はぼんやりわかる。そこからは甚之助に真っすぐ降りるだけなのでまだライトは付けなかった。さすがに凹凸が分からず何度か転倒。
17時25分 甚之助避難小屋到着
ここでライトを用意し、先生に連絡をする。髭さんが行動不能になり、別れて下山したと報告。栄養を取って避難小屋を後にしようとするも、ドアが上手く閉まらない。暗闇で焦っていたので、開けたまま帰りたいと思ったが雪が入り込んでしまうのでそれはしてはいけない。なぜ閉まらないか点検するとドアの角に雪が凍り付き貼りついてそれが詰まって閉まらなかった。ウィペットで削ってみると何とか閉まったので安堵。山頂でも体験したが、細かい粒子の雪は強風だとほんの数ミリの隙間でも進入してくる。山頂ではザックのファスナーの隙間から雪が入り込んでザックの中に溜まっていたし、甚之助避難小屋では、ドアの隙間から雪が中に侵入していて積もっていた。
17時45分暗闇下山開始
明るければなんてことない斜面も、暗闇だとどこに行けばいいか全くわからず、GPSで行き先を確認しながら行くしかなかった。先生の滑走痕も降雪か風で飛ばされ、わからない状態となっていた。1830mで登山道を外してしまい、しばらくトラバースで復帰を試みる。地形図では緩そうに見える斜面も雪壁となり、超えることは困難でどんどん深みにはまるだけだった。1810m地点で流石に厳しいと判断し、シールで登り返すことに決めた。シールはザックに入れていたので凍り付いていた。貼り付けて登っているうちに右側がベロっとはがれてしまい、ブラシでこすっても貼り付け不可能となった。降雪直後で夜なので蟻地獄のような斜面だった。シールはそのまま懐に仕舞って、片足で行けるところまで行こうと進むと、そこは登山道上だったので安堵した。もう片方も懐に入れ、今度は登山道を外さないように気をつけた。1800m以下はトレースも残るようになっていたので、GPSで確認しなくとも進むことが出来るようになってきた。19時30分中飯場を過ぎ、そのまま別当出合まで向かう。
20時 つり橋たもと
鉄骨にはまだ雪は残っているのでシールで渡ることにした。懐に入れていたおかげで粘着力は回復し、しっかりと貼りついてくれるようになった。横着しないでストックはザックに取りつけ、リーシュもしっかり留めた。これが正解で橋を渡っている最中に左足の板が外れ、リーシュだけで宙ぶらりんになってしまった。なんとか持ち上げ、再度板をしっかり履いて無事渡り終えることが出来た。次回からは板を履くときにはビンディングとブーツの雪や氷をしっかり除去し、完璧に固定されていることを確認しなければいけない。
20時20分別当出合休憩舎
デポした衣類を回収するのとシールを剥がすのに立ち寄る。ちょうどその時に大魔人さんから電話がかかってきた。無事に下山するようにと励まされ支度が整ったら下山する。
20時45分下山
夜なので板は良く走り、手漕ぎしなくても割と順調に進んでくれた。途中で何度か携帯に着信があったが、下っている最中だったので出れなかった。市ノ瀬手前でまたかかってきたので、出ると先生だった。警察が市ノ瀬に向かっているのでパトカーに乗せてもらってという内容だった。六万橋を渡って21時30分警察の方と合流した。パトカーで色々聞かれ、自転車のところで降ろしてもらい、ゲートまでは自走した。
22時20分白峰ゲートに帰還
すぐに救急車に乗り色々聞かれる。鶴来警察署で事情聴取のため、着替えてパトカーについていく車中で指先、特に右手の中指が痛かった。冷たいところから暖かいところになったので血流が回復しているのだろうと甘く考えていたが、警察で指を見ると先が紫色になっていたのでヤバいと感じた。その後1週間経った今でも右手の中指の先端は赤く、薬指も感覚がない状態で、人差し指、小指、左手の指先は軽くしびれたままとなっている。
事情聴取は深夜に及んだが、消防、警察、刑事の皆様は迅速に行動していただいたので本当に申し訳なく思った。刑事さんに至っては自宅まで来ていただいて、細かい位置情報を調べて頂いたので感謝しかないと思った。
翌日、髭さんの自宅に先生と訪問し、奥様、娘さん、髭さんのお兄様にこれまでの経緯と現在の状況を説明させていただいた。
僕は顔と指先に凍傷を負った程度で済んだ。夜間下山となってしまったが、怪我することもなく無事に下山することが出来て運がいいとしか言いようがない。
今回の行動不能の原因として色んな事が重なったと考える。山頂までは登ることは出来たが、下山の余力が残っていなかったのではないか。そこにトラブルで裸眼になってしまったことにより目の損傷、転倒でどんどん体力が奪われて行動不能に陥ってしまった。司法解剖の結果、死因は低体温症によるものだとお通夜で説明があった。
ブランクがあったにも関わらず、過去の経歴から今回の山行は大丈夫だろうと過信してしまったのではないだろうか。そのことから髭さんに余計なプレッシャーを与えてしまっていたのではないだろうか。さらに引き返すタイミングを失ってしまったのではないだろうか。室堂で引き返していれば結果は違っていたかもしれない。
下山後、もっと早く決断してスキーを外して上手く利用すれば室堂までは運べたんじゃないか、予備のゴーグルを持っていたらお貸しできたのに、サングラスをお貸しするだけでも状況は変わったんじゃないか、そんなことが頭の中にどんどん湧いてくるが時間を戻すことは出来ず、自責の念に囚われる。
明らかに髭さんが遅れる、または体調の変化がみられるなどすれば、引き返すことも検討出来たかもしれないが、今回はそれが見られなかった。無理をされていたのかもしれないが、それを見抜くことが出来なかった。
今回、一つだけ懸念したことがあった。別当出合で話しているときに地獄ゴーグルの話題になった。髭さんはもっていないということで、以前のオーバーグラスにノーズガードというスタイルだった。まだ地獄ゴーグルがなかった時代は先生もこのスタイルだったし、北海道の羅臼ではものすごい暴風雪を経験されたとのことだった。髭さんは、今までの白山の暴風雪では、この装備で大丈夫だったということを話されていたので、それなら大丈夫だろうと判断した。しかし実際にはサングラスが山頂直下では外れていたので、何らかのトラブルがあったと思われる。このことが最も悔やまれる点である。極限での装備は統一する必要があるのではないかと思った。
このような天候で山に入るなと言われてしまえばそれまでだけど、雪山ではさっきまで晴れていたのに数分後にはホワイトアウトという状況も何度か経験がある。そのような状況の時に、途中ではぐれてしまったとしても、あらかじめそうなった時にどこで落ち合うか、下山ルートは統一しておけば、要所でトレースを見つけたり、追いついたりできるのではないかと思った。
最後に髭さんのご冥福を心よりお祈りいたします。ご家族の皆様には心からお悔やみ申し上げます。救助に携わって頂いた石川県警、搬送にご協力いただいた福井県防災航空事務所の関係者の方々には深く感謝申し上げます。
別当出合での先生と髭さんの再会で、先生は本当にうれしそうでした。以前から髭さんの話題になることもしばしばあり、その時に何も言わずに去ったから「大魔人さんが今度会ったらぶっ飛ばすって言ってた」なんてことも冗談で言っていて、それを髭さんにもそのまま言っていて、一緒に笑いあっていたので、そういう間柄なんだなぁと思った。
ラッセルしている時も先生と髭さんは本当に楽しそうに会話していて、この機会に僕も参加出来て本当に嬉しかった。それが最初で最後だと思うと本当に悲しく思うが、髭さんとの山行は生涯忘れることはない。
以下本文です
金曜日の時点で24日水曜日にYSHR先生と二人で白山に行くことは決定していた。その後もう一人参加すると連絡があった。その時は髭魔人さんだとは言われなかったが、メールの内容から多分そうだろうとわかった。僕はまだご一緒したことはなかったが、ブログなどで活動は良く拝見していたので、同行できるということを楽しみにしていた。天気予報は雪で風が強いので不安はあったが、経験も積みたかったので計画は綿密に行う。最悪市ノ瀬から自転車になった時に、雨で濡れるといけないから雨対策などいろいろ考えたが、前日のライブカメラを見ると市ノ瀬では雪、百万貫岩でも雪が見えた。
YSHR先生が土木事務所に確認したところ、ゲートはまだ閉まらないから2時に市ノ瀬でいいだろうと連絡を受ける。念のため1時くらいにゲートに向かうと、手前のスノーシェッドで先生は支度をしていた。聞くとゲートは閉まっているという。慌てて支度する。市ノ瀬までは車で行けると思っていたので着替えは1セットしか持ってきていないが、雨は降っていないから濡れるとしたら汗なので別当までは濡れてもいいと考えていた。
1時30分白峰 風嵐ゲート出発
髭さんは前日の23時30分くらいに出発したということだった。必死で追いかけるも追いつかず、百万貫岩手前で自転車デポ、そこからはスキーハイク。髭さんは市ノ瀬までツボ足であったが、おそらくその時間帯はまだ雪が積もっていなくて、シャバ雪でシールを濡らしたくないという理由でツボ足だと推測したが、そのとおりだった。僕は少し濡らしてしまったが、市ノ瀬までは問題なく、別当からしばらくは団子に悩まされた。トレースはブーツラッセル程度で別当まで続いていた。天気は風が強いので月が見えたり、雪が降ったりと目まぐるしかった。
6時17分別当出合到着
別当出合に到着し、髭さんと合流する。ここで軽い自己紹介して先生と僕はこの先の支度を開始する。思っていた通り、汗をかいていたので防寒テムレスと長袖Tは着替えてデポ。インナー手袋に防寒テムレスを装着。支度が整って出発するころはすっかり明るくなっていた。ここでは髭さんも僕も雷の心配をしていた。予報では午前中は雷の危険度が高かった。
6時50分別当出合出発
橋には積雪があり、スキーのまま通過する。ワイヤーを持つ手がかじかんだが、渡りきってしばらく歩いていると元に戻ってきた。まず石畳を登りきるまでは先生が先頭、僕が真ん中、髭さんがしんがりで隊列を組んだ。
ラッセルは深く、急斜面ではトップがなかなか出なくて苦労することもあった。3人ともファットスキーでこの積雪ならスーパーファットでもよかったね、など話しながら進む。甚之助避難小屋まではだいたい10分から20分交代でラッセルを回した。別当覗を過ぎてしばらくまでは垂れ下がった枝や深いラッセルで難儀したが、小屋が近づくとラッセルは少しずつ軽くなってきた。時間的にはそれほど余裕はないが、ピークまでは行けそうだという気持ちが出てきた。
10時30分甚之助避難小屋到着 除雪、休憩、支度などで約30分滞在
小屋の入り口は雪で少し埋まっていたが除雪をすれば中に入れた。ここから先は風も厳しくなってくるので、出来る防寒はすべてここで行うことにした。厳冬期のバラクラバ、地獄ゴーグル、ビーコン電源オン、ガイド装着、ハードシェルジャケットの下にモンベルの化繊ダウンを着こんだ。今日はノースフェイスのビブを履いてきたので胸ポケットに地獄ゴーグルのバッテリーを入れた。ここまでのラッセルがきつかったので先頭になると暑く、背中には汗をかいていて不安はあったが、ダウンを着ると寒さはなくなった。インナー手袋はメッシュのものにし、蒸れないようにしようと考えた。髭さんはシールのテールがめくれていたが、ブラシを忘れていたようで、僕のブラシをお貸しして雪を落とした。
11時避難小屋出発
避難小屋を出て裏から直接南竜を目指した。先週より雪は増え、歩き易くなっていた。なるべく固いところを選んでルートを取り、南竜分岐あたりで先生が先頭になる。いつも行く沢筋ではなく一つ西側の沢に進んでいたので途中でトラバースして修正。このトラバースは藪が多く、枝につかまりながら登る事もあった。ここでまた髭さんのシールがめくれていたので修正する。いつもの沢はまだフラットではなく地形通りなので沢筋は固いが狭く急で、僕は途中から広いところにジグを切って登るルートにした。
12時 エコーラインの稜線に合流
エコーラインの稜線に登る頃には完全にホワイトアウトで視界は10~20mくらいだった。ここから僕が先頭でルートを取り、弥陀ヶ原に慎重に合流、弥陀ヶ原に着くと風はかなり強くなってきた。直接室堂を目指すルートを取ったが方角が違っていたようで先生が横に見えたので修正。ここから先生、髭さん、僕という隊列になった。
13時 室堂
室堂はそのまま通り過ぎて祈祷殿の左から山頂直下の吹き溜まり斜面に向かうルートをとる。視界がないので上を目指して登る。ハイマツが出ていたり、氷化斜面だったが、クトーは付けなくてもなんとか登ることは出来た。それまでは風はかなり強かったが吹き溜まり斜面に入ると風は全く吹かなかった。
13時40分 登頂
安全に稜線に回り込んで山頂を踏んだ。山頂の標柱付近は風が強いので写真を撮ったらすぐに奥宮脇に向かう。お参りを済ませ、風を避けて滑走準備。ブーツのパワーベルトを軽く締めていて、凍り付いていたのでガイドでは引っ張るのが困難だった。バックルを締めれば固定はされるのでベルトは締めずに滑走することにした。髭さんは(多分白山の暴風雪とは)「こんなんやったっけ」と言っていたのを覚えている。また、ブーツのタンを装着するのに時間がかかっていた。インナーグローブをはめていないのか、一瞬素手になることもあった。スキーのリーシュや、ザックのベルトのバックルを締める余裕がなかったのか、そのまま行こうとしていたが、先生に促され締める。
14時 下山開始
当初はいつも使っているルンゼに入る斜面に向かおうとしたが、ここ数日風が強く、雪が飛ばされ岩が先週よりも露出していたので、先生は困難と判断され夏道に向かう。夏道も風が強いので雪は飛ばされているが、道はしっかりしているのでゆっくり行けば何とかなると、僕もこの判断に疑問はなかった。始めは九十九折になっているので折れ曲がるところまで滑って止まって集まり、3人が離れないようにした。8ターン目に差し掛かり、先生が先に行かれ次は髭さんだったが、何かトラブルがあったのか動かなかった。先生の進んだ方向とは逆を向いていたので僕は逆だというゼスチャーをした。しかし止まったままだったので、ここで先生とははぐれてしまった。その時の視界は5mくらいしかなく、髭さんが進むのを待っている間に先生がどこに進んだか全くわからない状況になった。この時点で室堂まで降りれば先生とは合流できると考え、ここからは僕がGPSで確認しながら進むことを判断した。
14時13分 2人で行動開始
髭さんとはぐれてしまってはいけないので少し進んで待つということを繰り返した。来た道を戻るにはしばらく西側に進路をとらなければいけないが、この日は風速20mを越えていると思われ、押し戻されるくらいの強さだった。また沢状地形に入るまでは雪が飛ばされているので岩が露出していて避けながらルート取りしなければいけなかった。
14時40分 2600m地点登りのルートに合流
この頃には髭さんのサングラスは壊れたのか、紛失したのか、裸眼となっていた。風だけではなく氷のような雪が飛ばされてきているのでとても裸眼では行動出来ない。実際ゴーグルをずらしてみたが目を開けてはいられないくらいだった。髭さんはこの時から目が見えにくくなっていたのか転倒するようになり、ほんの数メートル進むのにも時間がかかるようになった。僕は大声で呼んで手を振り来るのをひたすら待った。登りのルートに合流すれば、風に背を向けて横滑りでも下に落ちていくだけなので方向転換を促したが、それもままならなかった。髭さんの眉毛付近は凍り付き、目を覆い隠していた。口元はフードが開いていて汗か息かはわからないが大きな氷がフードに貼りつき顔を覆っていた。これをみてかなり下山は困難な状況だと判断した。
15時40分 2530m地点
70m標高を落とすのに1時間かかった。すでに目は見えず、足の踏ん張りも効かなくなったということだった。なんとか脇を抱えて横滑りしたり、カニ歩きをしようと試みたが、踏ん張りがきかないため前に滑ったり、後ろに滑ったりして一緒に転倒を繰り返すようになった。ずっと大声で励ましたり呼んだりした。自力で起き上がるのが困難なのでストックをつかんでもらい起き上がっていたが、2530m地点からはそれも困難になってきた。とうとう横たわったままとなってしまった。
段々と意識がもうろうとしている様子で、目を見ると白目を向いたりするようになっていた。大声で呼びかけると反応してくれるが、全く動かなくなることもあった。その時にも体をゆすったり大声で呼び続けた。この時点でもう下山は不可能と判断した。意識がもうろうとしている中、「帰りたい」とささやかれるので「もちろんですよ、生きて帰りましょう!」と大声で励ましたりもした。せめて室堂まで行けば避難小屋もあるので何とかなるかもしれないと考えた。救助を要請しようと考え、ザックを下ろしスマホを出そうとするも、背面ファスナーは凍り付いていて開かない。ガイド手袋ではザックの上部からのファスナーからは狭くて取り出せないので、インナー手袋になってみたがとてもじゃないが我慢できなかった。すぐにガイド手袋を装着し、その場での救助要請は断念した。髭さんは何度も転倒していたのでザックで衣類がずり上がったのか、背中が出ていた。左足もブーツ付近のファスナーが開いてブーツの上は素肌が出ていた。インナーを着ていなかったのだろうか。ファスナーを締めたかったが凍り付いて締めることは出来なかった。顔は鼻の頭が白くなっていたので凍傷が進行しているのだと思った。頬や口の周りも赤く腫れているような感じだった。
16時30分 単独で下山を決断
何度も「起きてください!」と叫んで困っていると髭さんは「ごめん」とささやかれることもあった。こんな状況にあるのにそんな気持ちにさせて僕も謝らないで下さいと何度も言った。視界は相変わらず5m~10mくらいで、風は収まる気配もない。だんだんと指先の感覚もヤバいと感じるようになってきた。このままでは自分の命も危ないと判断し下山することを決断した。2530m地点には40分ほど滞在したことになる。この間に雪洞を掘るなど出来たかもしれないと後からは思うことは出来るが、その場では髭さんに付き添うだけで時間が過ぎた。また雪面状況は氷化斜面で雪が風に飛ばされハイマツも出ていたので雪洞を掘るにも困難だと思われる。
ホワイトアウトの中、下山開始。あたりはすでに暗くなり始めていた。GPSを見ながら慎重に下った。室堂を過ぎて弥陀ヶ原に向かうところまでは目標物もあったので順調に進めたが、2330mからはしばらく無木立で目標物もない。さらに暗くなるのも早く行き先は全くわからずGPSに頼るしかなかった。少し進んでは進路を修正することを何度か繰り返すと笹薮やシラビソが見えてきた。そこからはシラビソ沿いを目印に稜線を下るが、谷筋を過ぎるといけないのでその付近は慎重に進んだ。かなり暗くはなってきていたが、まだわかる範囲なのでライトはせずに滑る。
17時10分南竜分岐
登りで使った谷筋は使わずもう少し標高を落して藪が薄いところから南竜分岐に合流。かなり暗くはなってきていたが、樹林と雪原の区別はぼんやりわかる。そこからは甚之助に真っすぐ降りるだけなのでまだライトは付けなかった。さすがに凹凸が分からず何度か転倒。
17時25分 甚之助避難小屋到着
ここでライトを用意し、先生に連絡をする。髭さんが行動不能になり、別れて下山したと報告。栄養を取って避難小屋を後にしようとするも、ドアが上手く閉まらない。暗闇で焦っていたので、開けたまま帰りたいと思ったが雪が入り込んでしまうのでそれはしてはいけない。なぜ閉まらないか点検するとドアの角に雪が凍り付き貼りついてそれが詰まって閉まらなかった。ウィペットで削ってみると何とか閉まったので安堵。山頂でも体験したが、細かい粒子の雪は強風だとほんの数ミリの隙間でも進入してくる。山頂ではザックのファスナーの隙間から雪が入り込んでザックの中に溜まっていたし、甚之助避難小屋では、ドアの隙間から雪が中に侵入していて積もっていた。
17時45分暗闇下山開始
明るければなんてことない斜面も、暗闇だとどこに行けばいいか全くわからず、GPSで行き先を確認しながら行くしかなかった。先生の滑走痕も降雪か風で飛ばされ、わからない状態となっていた。1830mで登山道を外してしまい、しばらくトラバースで復帰を試みる。地形図では緩そうに見える斜面も雪壁となり、超えることは困難でどんどん深みにはまるだけだった。1810m地点で流石に厳しいと判断し、シールで登り返すことに決めた。シールはザックに入れていたので凍り付いていた。貼り付けて登っているうちに右側がベロっとはがれてしまい、ブラシでこすっても貼り付け不可能となった。降雪直後で夜なので蟻地獄のような斜面だった。シールはそのまま懐に仕舞って、片足で行けるところまで行こうと進むと、そこは登山道上だったので安堵した。もう片方も懐に入れ、今度は登山道を外さないように気をつけた。1800m以下はトレースも残るようになっていたので、GPSで確認しなくとも進むことが出来るようになってきた。19時30分中飯場を過ぎ、そのまま別当出合まで向かう。
20時 つり橋たもと
鉄骨にはまだ雪は残っているのでシールで渡ることにした。懐に入れていたおかげで粘着力は回復し、しっかりと貼りついてくれるようになった。横着しないでストックはザックに取りつけ、リーシュもしっかり留めた。これが正解で橋を渡っている最中に左足の板が外れ、リーシュだけで宙ぶらりんになってしまった。なんとか持ち上げ、再度板をしっかり履いて無事渡り終えることが出来た。次回からは板を履くときにはビンディングとブーツの雪や氷をしっかり除去し、完璧に固定されていることを確認しなければいけない。
20時20分別当出合休憩舎
デポした衣類を回収するのとシールを剥がすのに立ち寄る。ちょうどその時に大魔人さんから電話がかかってきた。無事に下山するようにと励まされ支度が整ったら下山する。
20時45分下山
夜なので板は良く走り、手漕ぎしなくても割と順調に進んでくれた。途中で何度か携帯に着信があったが、下っている最中だったので出れなかった。市ノ瀬手前でまたかかってきたので、出ると先生だった。警察が市ノ瀬に向かっているのでパトカーに乗せてもらってという内容だった。六万橋を渡って21時30分警察の方と合流した。パトカーで色々聞かれ、自転車のところで降ろしてもらい、ゲートまでは自走した。
22時20分白峰ゲートに帰還
すぐに救急車に乗り色々聞かれる。鶴来警察署で事情聴取のため、着替えてパトカーについていく車中で指先、特に右手の中指が痛かった。冷たいところから暖かいところになったので血流が回復しているのだろうと甘く考えていたが、警察で指を見ると先が紫色になっていたのでヤバいと感じた。その後1週間経った今でも右手の中指の先端は赤く、薬指も感覚がない状態で、人差し指、小指、左手の指先は軽くしびれたままとなっている。
事情聴取は深夜に及んだが、消防、警察、刑事の皆様は迅速に行動していただいたので本当に申し訳なく思った。刑事さんに至っては自宅まで来ていただいて、細かい位置情報を調べて頂いたので感謝しかないと思った。
翌日、髭さんの自宅に先生と訪問し、奥様、娘さん、髭さんのお兄様にこれまでの経緯と現在の状況を説明させていただいた。
僕は顔と指先に凍傷を負った程度で済んだ。夜間下山となってしまったが、怪我することもなく無事に下山することが出来て運がいいとしか言いようがない。
今回の行動不能の原因として色んな事が重なったと考える。山頂までは登ることは出来たが、下山の余力が残っていなかったのではないか。そこにトラブルで裸眼になってしまったことにより目の損傷、転倒でどんどん体力が奪われて行動不能に陥ってしまった。司法解剖の結果、死因は低体温症によるものだとお通夜で説明があった。
ブランクがあったにも関わらず、過去の経歴から今回の山行は大丈夫だろうと過信してしまったのではないだろうか。そのことから髭さんに余計なプレッシャーを与えてしまっていたのではないだろうか。さらに引き返すタイミングを失ってしまったのではないだろうか。室堂で引き返していれば結果は違っていたかもしれない。
下山後、もっと早く決断してスキーを外して上手く利用すれば室堂までは運べたんじゃないか、予備のゴーグルを持っていたらお貸しできたのに、サングラスをお貸しするだけでも状況は変わったんじゃないか、そんなことが頭の中にどんどん湧いてくるが時間を戻すことは出来ず、自責の念に囚われる。
明らかに髭さんが遅れる、または体調の変化がみられるなどすれば、引き返すことも検討出来たかもしれないが、今回はそれが見られなかった。無理をされていたのかもしれないが、それを見抜くことが出来なかった。
今回、一つだけ懸念したことがあった。別当出合で話しているときに地獄ゴーグルの話題になった。髭さんはもっていないということで、以前のオーバーグラスにノーズガードというスタイルだった。まだ地獄ゴーグルがなかった時代は先生もこのスタイルだったし、北海道の羅臼ではものすごい暴風雪を経験されたとのことだった。髭さんは、今までの白山の暴風雪では、この装備で大丈夫だったということを話されていたので、それなら大丈夫だろうと判断した。しかし実際にはサングラスが山頂直下では外れていたので、何らかのトラブルがあったと思われる。このことが最も悔やまれる点である。極限での装備は統一する必要があるのではないかと思った。
このような天候で山に入るなと言われてしまえばそれまでだけど、雪山ではさっきまで晴れていたのに数分後にはホワイトアウトという状況も何度か経験がある。そのような状況の時に、途中ではぐれてしまったとしても、あらかじめそうなった時にどこで落ち合うか、下山ルートは統一しておけば、要所でトレースを見つけたり、追いついたりできるのではないかと思った。
最後に髭さんのご冥福を心よりお祈りいたします。ご家族の皆様には心からお悔やみ申し上げます。救助に携わって頂いた石川県警、搬送にご協力いただいた福井県防災航空事務所の関係者の方々には深く感謝申し上げます。
別当出合での先生と髭さんの再会で、先生は本当にうれしそうでした。以前から髭さんの話題になることもしばしばあり、その時に何も言わずに去ったから「大魔人さんが今度会ったらぶっ飛ばすって言ってた」なんてことも冗談で言っていて、それを髭さんにもそのまま言っていて、一緒に笑いあっていたので、そういう間柄なんだなぁと思った。
ラッセルしている時も先生と髭さんは本当に楽しそうに会話していて、この機会に僕も参加出来て本当に嬉しかった。それが最初で最後だと思うと本当に悲しく思うが、髭さんとの山行は生涯忘れることはない。
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