NRCの進級試験
NRCの過酷な進級試験に挑戦するフロイドとイデアの話。
CP要素はありません。
息抜きで書いた雑なもんです
色々注意
なんでも許せる人向け
捏造多め
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「雑魚じゃありませんように雑魚じゃありませんように雑魚じゃありませんように……」
フロイドは汗をかいていた。
白いボックスの中に突っ込んだ手は手汗でびしょ濡れになっていて、指先は過敏になっている。足の裏にも汗をかき、心臓はピンポン球みたいに落ち着かない。
なんせ今から引くクジは、彼の進級がかかっているのだ。
留年は許されない。
親に殺されるから。
フロイドは多くの人間がそうするように、フ、と息を吐いてから。思い切ってクジのカードを引いた。
そしてバクバク心臓を言わせながら、引いたカードをテーブルに出し。ソッと裏返して…。
目を見開き。
「!ッッシャアアァッ!!」
勝利の歓声を上げた。
カードには、「Idia Shroud」と書いてあったのだ。
この瞬間、フロイドのペアはイデア・シュラウドに決まった。
「あー、チョー緊張したァ…」
彼は勝ち誇った顔でドサッとソファに座り、額を押さえて長いため息をついた。
素晴らしい結果だ。
まさか寮長を引き当てるとは思わなかった。今日ほど自分の強運に感謝したことはない。きっとこれ以上良いカードはないだろう。
このクジでの当たりは、強者を引くこと。
イデア・シュラウドは間違いなく強者であり大当たりのカードだ。
宝くじで5億円を当てるような幸運である。
フロイドはカードにキスをして、これでオレの進級は確定だと安堵した。
そうして5分ほど待っていると。
白くて四角くてソファとボックスしかないこの部屋の前に、イデアが立った。
フロイドは彼がドアの前に来たことを知って目を輝かせる。どうやって迎えようかと。
「強キャラでありますように強キャラでありますように強キャラでありますように逃げちゃダメだ逃げちゃダメだスリザリンは嫌だスリザリンは嫌だ…」
イデアは部屋の前に立って、頭が痛くなるような緊張を胸の中で揉みながらブツブツ唱えていた。
このドアの向こうにはランダムで決められたペアの人間が居る。彼はこの先に待っている人物が陽キャだろうがなんだろうが全く構わなかった。一蓮托生、ペアの相手とは命運を共にする相手だが、もはや性格の相性など何の関係もない。
ただ強い男であればそれで良い。
だって進級がかかっているのだ。
もし留年したらイデアはマシンを没収するとお母さんから言われているので、もう本当に必死だったのだ。とにかく足手まといとペアを組むのだけはごめんだった。
だからイデアはやっと覚悟を決め、深呼吸をしてから。
頼むぞ拙者のガチャ運…と本気で神に願ってから、ドアを開けた。
そして。
「先輩♡」
部屋の中に立っていたペアの相手。
命運を共にする男が、フロイド・リーチと知って。
「アイエーッ。フロイド氏ーーッッ!」
イデアの真っ青な顔は信じられないくらい明るくなり、足は羽のように軽くなり。
彼は思い切りフロイドに抱きついて「ヨッシャアアァァアSSRウゥッ」と分厚い胸板へ叫んだのであった。フロイドもフロイドで彼の体をバクンと食うように長い腕で抱きしめ、「ウェーーイ」と喜色ばんだ声を出すのである。
「勝った!勝った!やった!」
「ウェーーイホタルイカ先輩イェーーイ」
「ウェーーイフロイド氏ウェーーイ勝ち確〜〜ッ」
2人は抱き合ったままピョンピョン飛んでその場で回り、何回もハイタッチをして互いの存在を大喜びした。
普段なら…イデアなんてフロイドが苦手で苦手で仕方なかったし、彼が半径5メートル以内に近づいたら「ピイッ」と悲鳴を上げて身を守る虫みたいな体勢をとるのに。
今は状況が全く違うから、フロイドにくすぐられても「やめれし!やめれし!」と柔和にキャッキャと笑っていられた。
何故ってイデアは大当たりを引いたのだ。
全校生徒数百名を超えるこの学校で強い男を引く確率は本当に低い。
その中でたった7人の寮長を引く等まず不可能であり、ならば副寮長レベルの実力者を引くのもほとんど無理だ。
そんな中イデアは副寮長レベルの実力者を引いたのだ。
フロイド・リーチはそういうカードだ。
彼は強く、賢く、絶対に足手まといにならない。気分屋であるのがたまにキズだが、そんなもの何の個性もない何の役にも立たない男を引くより何千倍もマシであり、その程度問題にすらならない。
つまりこの2人は寮長と副寮長レベルの実力者で構成された最強のデックであり、ペアだった。
誰もが羨ましがるようなカードが揃ったのだ。
だからイデアは大はしゃぎして、フロイドと自撮りまでしてマジカメに「神回」と載せる有様だったのである。
「いや〜勝ったねぇコレ。え?オレで良かった?」
「良いに決まってるでござるよ〜フロイド氏以外最早考えられぬ笑 チェンジなしで」
「え〜なんか不安だったぁオレ。え、足引っ張っちゃったらごめんねぇ?」
「ないない!むしろボキで良かったんですか?逆に足引っ張る希ガス」
「ないないないない!ホタルイカ先輩で良かったぁ〜」
2人は自分が足を引っ張るなんて考えてすらいないのに、テンションが上がり過ぎて謙遜し、嬉しそうにキャイキャイお互いを持ち上げて笑い合った。
この時は暖かく幸せだった。
無敵のバディだと思えたのだ。
この時は、まだ。
【これが一体なんのペアなのか、以下解説】
NRC進級実技試験。
どの魔法学校にも進級試験というものは存在するが、NRCの試験は少々特殊であった。
他のハイスクールであれば大抵は「F難度の魔法を習得すること」であったり、「ユニーク魔法を得ること」など、マそんな感じの話なのだが。
NRCの試験はランダムで選ばれる2人1組のペアで仮想世界に旅立ち、そこでミッションを果たすというものだった。
その仮想世界もランダムで選ばれ、大抵は凄まじく過酷だ。
危険な猛獣巣食うエルブレンの森にて少女を助けるミッションだったり、砂漠地帯でS級モンスターの首を取るクエストだったり、孤島にあるカルト教団に閉じ込められたり、さまざまである。
つまり魔法の技術だけでなく、精神力と身体能力、知力と適応能力、運と判断能力、人間力、その全てが試されるのだ。
この仮想世界での試験は全て映像で記録され、成績が付けられると共に就職活動にも大いに役立つ。ここで素晴らしい成績を収めれば将来は約束されるのだ。
だからこそ誰と組むかが鍵になる。
弱者は強者と組みたがり、強者も強者と組みたがる。ランダム故に争いはないが、ランダムだからこそこの時期は全員が神経質になるのであった。
フロイドとイデアが大はしゃぎしているのはこういうことだった。
このテストで弱者と組むことより不幸なことはないからだ。
さてバディが決まれば、あとは仮想世界のクジ引き。これも少々特殊である。
決めるのは「ジャンル/世界/追加設定/難易度/ミッション/期間」。
これをくじ引きで決める。
ジャンルとは、文字通りその仮想世界のジャンルである。「近未来」であったり、「ディストピア」であったり、「監視社会」であったり、「ノスタルジー」であったり、様々だ。
マァその世界の雰囲気と考えればわかりやすい。
次に「世界」。
世界は仮想世界のステージである。
「砂漠地帯」「ジャングル」「孤島」「宇宙」「街」…これも様々だ。
引いて嬉しいクジはない。
どんなに良さそうな世界を引いても、ジャンルや難易度が悪ければどれだけでも嫌な世界に化けるからだ。
次に「追加設定」。
これは試験を受ける生徒に付けられるものだ。
「幼児化」「言語剥奪」「方向音痴」「視力低下」「欠損」「食糧難」など、ハンデが課せられる。
例えばアリスのカードをクジで引けば、体が小さくなったり大きくなったりする。死神のカードを引けば、どちらかが仮想世界の中で必ず死ぬことになる。
そういうものだ。デバフに近いもの。
次に「難易度」。
この試験は難易度さえもクジで決める。
ウサギのカードであればイージー、白鳥のカードはノーマル。
蛇はハード、狐はベリーハード、カメレオンは「?」。
カメレオンのカードは難易度が設定されておらず、選択肢を間違えたりミッションをクリアできずにダラダラとその世界にいればだんだんと悪くなっていくもの。しかし良くなっていく場合もあり、良くも悪くもあるカードなのである。
次に「ミッション」。
これは先刻説明した通り、その仮想世界でのクリア条件である。モンスターを殺したり、少女を救ったり、施設を破壊したり、様々である。
これについては説明不要かと思われる。
最後に「期間」。
これは仮想世界に滞在できる期間のことである。「〜日までにミッションを達成せよ」ということだ。
最悪なのは最短の三日。
ミッションと難易度が難しければ、三日でクリアすることなど不可能だ。けれど三日しかその仮想世界に居られないので、なんとかその間に成し遂げるしかない。
最悪のカードである。
良いのは1ヶ月。それだけあれば大抵上等とされ、生徒たちはそのカードが出ることを願っているのだ。
そしてもっと最悪なのは半年以上のカード。
仮想世界から出られる条件はミッションのクリアか、期日が来るかのの二つしかない。
つまりミッションがクリアできなければ、半年以上その世界に居なければならないことになるのだ。
仮想世界であるため、現実では一日しか経っていないが…脳内ではキッチリ半年を過ごすことになるので。これはちょっと絶対に引きたくないカードだ。
難易度が優しいのであれば構わないが。
というわけで、以上の「ジャンル/世界/追加設定/難易度/ミッション/期間」をバディと共にクジで引くことになる。
それはバディを決めてから二日後に引くことになっていて、それまでの二日間は大抵バディと共に過ごす男が多い。
全てのクジを引き終われば、15日後の朝8時に試験が開始される。
バディごとに指定された番号のソファに座り、鏡の中に入る。そしてミッションをクリアするか期間を終えるかのどちらかで鏡から出て、各自部屋に戻り…三日後に合否を聞くのだ。
それがNRC進級実技試験である。
【解説終了】
「マァぶっちゃけ?何が出ても我々ならパスできる気がしますが。狐(ベリーハード)が出ても問題なし?言うて敵なしでおま。デュフ」
「アハ、次のクジ引きまでやることないねぇ。どうする?一緒に過ごすぅ?」
「いや好きにしてもろて。別になんの準備も必要ないかと思われ」
「マァそっかぁ。あー良かったぁクジ運強くてぇ♡」
2人はキャッキャウフフと部屋を出て、手を繋いでブンブン振りながら廊下を歩いた。
廊下にはペア決めが終わった男達がすでに出てきていて、絶望している者、歓声を上げている者、なんとかお互いに励まし合っている者達が居た。
そんな少年達はイデアとフロイドが仲良さげに手を繋いでいるのを見て…。
なんだよあれ、チートじゃねぇか!と目を見開いた。
寮長と副寮長クラスのペアだと。そんなの不公平だろうが。なんだあの最強ペア、ふざけんな…という視線が付き纏い、フロイドとイデアはその視線を気持ちよさそうに浴びて歩いた。
どうだオレの相棒はスゲェだろという顔で。
「次のクジ楽しみだねぇ♡」
「ですな。マ期間さえそこまで短くなければ問題ないし?一週間あれば余裕っすわ。ワンチャン最短クリアもあり」
イデアは手をヒラっと振って笑った。
まともに初めて彼の顔を見たフロイドはイデアの美麗な横顔に一瞬見惚れてから、目を細める。
「じゃ、ここでバイバイする?」
「ん。2日後にまた」
「オッケェ。楽しみにしてる」
「ばいばーい」
「じゃーねー!♡」
くじ引き会場入口、2人はニコニコしながら女の子みたいに手を振って別れた。
大抵はその日からお互いのことを知ろうとしたり、親睦を深めようとしてバディと行動するものだが。
余裕だろうと思った2人はそんなことをする必要もないので、あっさりキャッキャとお別れして各自の寮に戻った。一応連絡先は交換しておいたので、何かあればこれで問題ない。
フロイドは軽い足取りで周囲の絶望している少年たちを横目に見て、ご苦労なことだなぁとニコニコオクタヴィネル寮へ帰っていくのだった。
■
「…本当に羨ましい…」
「えへ。可哀想〜♡」
ジェイドは凄まじく深いため息をついた。
彼のバディは最悪だったのだ。
一年生のクリクリ坊主、その上魔法の才能も大してなし、おまけに学年最下位の学力といった一番引きたくないカードを引いてしまった。
その男は副寮長である実力者のジェイドとペアになれて喜んでいたが、ジェイドは世を儚んでため息ばかりの毎日だ。
ジェイドもその男と次のくじ引きまで側にいようとは思わなかった。どうせ相手のことを知っても役に立たないとわかっているからだ。
『余計なことだけはしないでください。僕を助けようとはしないでください。絶望だけはさせないでください』と釘を打っておいたので、あとはもう全部自分でやるしかない。
「難易度ウサちゃん(イージー)かもしんないじゃん。大丈夫だってぇ」
「僕が留年したら次は貴方が副寮長ですよ」
「はは。やめてよ」
フロイドは彼が落としたハットをパフ!と被せてやり、目尻を小指で掻きながら「来年もジェイドだって」と甘ったるい声で言った。
ジェイドはクルッと一瞬白目をむいて見せ、目を逸らしてから虫を払うみたいに手をヒラヒラさせて去って行く。よっぽど最悪なペアだったのだろう。
可哀想なことだ。
…もっと可哀想なのはエース・トラッポラだが。
彼はくじ引きで、マレウス・ドラコニアを引いてしまったのだ。
最強のカードだが、同時に最悪だった。
アレからエースはずっと胸の辺りをギュッと握りしめ、浅い呼吸で死にそうになっている。足を引っ張ったら殺される。目があっても殺される。話しかけたら殺される。
肯定しても否定しても殺される。
そう言ってお粥すら喉を通らない有様、気の毒なことだ。
アズールは大した実績はないが中堅どころ程度の男は捕まえたので、先日からその男とピッタリくっついてずっと話し合っている…マァそういう人間の方が多い。
バディと共に居ないヤツは、よっぽど余裕なヤツか、よっぽど絶望してるヤツかだ。
どこを見回しても2人組で行動している。
そしてやっぱり、どこを見回してもイデアとフロイドほど完璧なペアはなかった。
周囲からは散々羨ましがられ、教師にも「ハードモードであることを祈るよ」と言われた。
因みに小エビは魔法も使えないし女の子なので、クルーウェルとペアを組んでワンダーランドの有名な観光地へ行くそうだ。
ただの遠足である。レポートをきちんと提出すればクリアだそうで、結構なことだ。
「お菓子何持ってこうかな」とニコニコうふうふ嬉しそうに言っていたので、フロイドにもニコニコが移って「楽しんでね」と頭を撫でてあげた。
イデアもイデアで一応フロイドのデータを頭に叩き込んだが、見れば見るほどフロイド・リーチに穴はなかった。
魔法もメンタルも身体能力も申し分ない上、彼は人魚だ。なれば水中ステージですら問題ない。
もし部屋に閉じ込められて水が流し込まれて窒息しかかっても、彼がいればなんの問題もないだろう。
孤島で食糧難になっても魚を取ってこられるし、鼻も効く上悪魔的なまでの勘の良さもある。もし気分が優れなくて動かなければ自分がカバーすれば良いし。
調べても素晴らしい相手だということしか分からなかったイデアは、「参っちゃったな笑」と頭を掻くことしかしていない。周囲から来る恨みのチャットが今は気持ち良くて仕方なく、恋をしているみたいに毎日が楽しい。
マァベリーハードを引いてしまい長期戦になった場合、何を喋って良いのか全く分からないのが少し不安なくらいだ。
いや、なんて贅沢な悩みなんだろう。
まさか進級試験に向けての憂いが「会話続くかな…?😅💦」だけだなんて。
「なんか…手土産的なの持ってくか…?」
何が好きなのか全く分からんが、明日のくじ引きの日によろしくお願いしますケーキくらい持って行った方が良いだろうか。
今のうちに好感度を稼いでおいた方が長期戦の時上手く転ぶ気がする。イデアは何の悩みがないことが逆に悩みになって、そんな余計なことまで考えるようになった。
「オルト〜。オルト」
「なぁに兄さん」
「フロイド氏に差し入れくらいしようと思うのだが…陽キャが喜ぶものってなんだと思う?冷えピタとか寝る時のあったかアイマスクじゃないことだけは分かる…アレは原稿のお供セットだから…」
「フロイド・リーチさんかぁ。歯応えのあるものが好きって言ってたけど…差し入れ持ってくの?兄さん優しいね」
「へへ…打算です…」
歯応えのあるもの。
イデアはフーンと思いつつ、まだあげるかどうか決まっていないのに、カタカタPCでコレかと思うものをサーチし始めた。そして良いと思われるケーキを見つけ、自分も食べてみたかったので。取り敢えず何も考えずに2つ注文して、三十分後に届いた自分のものを開封。
彼が選んだものはザクザクした食感のチョコレートケーキだった。クリームの中に硬くて甘いチョコの破片が入っていて、口の中で砕きながら食べるものだった。見た目もおしゃれだし美味い。ので、イデアは取り敢えずこれを持っていこうと思った。
紙袋もダンボールの中に入っていたので、ケーキは冷やしておいて、明日袋の中に突っ込んであげようと。
とにかくクジ引きまではすることがない。
「ンま」
イデアはたった一切れのケーキをちんたらいつまでも咀嚼しながら、カリカリこめかみのあたりをかきながらスン、と鼻をひとつすする。
もし追加設定が言語剥奪だったら2人の間で暗号でも作っておこう、なんてぼんやり考えながら。
■
「先輩。こっちこっち〜♡」
「アッ。あっ、乙ッス乙ッス。いやスイマセン迷いましたわ。会場複雑すぎん?」
「案内図見てねえの?」
「いや拙者マップ把握苦手ゆえ…申し訳ナス…」
クジ引き当日。
進級試験の為に建てられた白く巨大な施設にてイデアは迷っていた。皆バディと共に指定されたそれぞれのクジ引き部屋に入って行くのを横目に「あれ?どこだっけ」と焦りながら歩いていると、フロイドから電話が来たので。
「どこ?どこ?」「だからC-450だって。二階。先輩どこ?」「一階。待って、エレベーター乗る」と電話をしながらウロウロ彷徨い、やっと部屋の近くに到着したのである。
彼と目が合った瞬間電話は切って、早足でフロイドの元へ行った。
フロイドは眠そうに何度もあくびをしながら、C-450と書かれたホワイトのドアにパスワードを打ち込んで先に入って行く。
その部屋には六つの赤いボックスがテーブルに並んでいて、監視カメラが部屋の四隅に付けられていた。
ソファなどの什器は無く、一切の不正ができないように徹底されている。
一つのボックスの中に入っているカードは5百枚。つまり仮想世界だけでも種類が500通りあるのだ。
「ねぇ、これもう引いていいのかな」
「や、時間になったらアナウンスかかるらしいんで、それまで待つみたいスね」
「ふーん。どれから引く?」
「世界からで」
「ン、オレ何でもいーやぁ。どうせだったら狐出れば良いのにぃ。イージーとかつまんねぇし」
「いやイージーかノーマルに越したことないでしょ…長引くの面倒。…あ、そ、そだ。あのさ」
「ん?」
「これ。えっと…あげる」
「んぇ?なーにぃ?」
「ケーキ」
「ケーキ?」
「いやなんか?その、い、一応バディだし?手土産的な…差し入れ的な…」
「え!なぁに。そんなの持ってきたのぉ。かあいいねぇ〜」
「ギッ」
アナウンスが鳴るまで。
2人はそんな風にほんわか過ごしていた。
別室では全員が貧乏揺すりして不安げに過ごしているというのに、この部屋だけは温度が高い。フロイドは貰うなりケーキを開けて食べ、「ンマ。なにこれどこの?」と床にあぐらをかいてダラダラし始め、イデアは立ったまま「え?知らん…すまん…」とズボンのポケットの中に突っ込んだ手をもそもそ動かしていた。
ちょっと落ち着かないのだ。
先日はテンションが上がりすぎて普通に会話できたが、今はちょっと素面に近いので。距離感を改めて図りかねているのだ。
「!」
「お、」
そのまま五分経てば。
ポン、と放送が鳴った。
「クジを引いてください」と、100年前から変わらないガビガビのアナウンスが流れて、ブツッと切れる。もう引いて構わないのだろう。
フロイドはこれを聴いて楽しそうに勢いよく立ち上がり、「んじゃオレから〜」と嬉しそうにボックスに向かった。
「世界から?」
「ウン」
まず仮想世界から決めることにした。
2人は改めてちょっとドキドキしながら、どんな場所になるだろうと期待する。フロイドは「んー」と言いながら「世界」と書かれたボックスに手を突っ込んでガサガサ中をいじった。イデアは隣に立ってテーブルに片手をつき、「アーぬるぬるしてきた」と顔を渋くしかめる。
「ん。決ーめた。コレ!」
フロイドは一枚のカードを掴み、バシン!と裏返してテーブルの上に出した。
イデアとフロイドはパッと顔を合わせ、「どうする?めくる?」と素早く会話する。
「全部引いてからめくってく?」
「あー、うん。うん、そうしてクレメンス。ドキドキしてきたから」
「いいよぉ」
そういうことにした。
2人は全てのボックスから一枚ずつカードを引き、裏返しにしたままテーブルに並べた。世界/ジャンル/ミッション/追加設定/難易度/期間の順に。
出揃えば、あとはめくるだけだ。
赤いカードを前に2人は並び、「よしめくろ」とどちらかが言って、フロイドが世界のカードに触れた。
「いくよ〜。ドン!」
パチン、とめくってテーブルに出すと。
世界のカードには、黒い檻の絵が描かれていた。2人はコレを見てすぐに顔を見合わせ、「監獄だ!」と少年らしい声で同時に言う。
2人が行く仮想世界は監獄だった。
砂漠とかジャングルじゃない。文明社会であることに安堵して、思わずハイタッチする。
「よし、よし。良いカード来た。走り回る系じゃない助かった」
「あは、人いるってことは話早いねぇ。やったんじゃん?」
監獄のカード。
これは良いカードだった。
一番嫌なのは無人の世界である。食糧調達に困るし、人がいないということは情報が少ないため、自分の足で歩いてその仮想世界のことを調べなければならない。
けれど監獄ならば雨風を凌げるし、食事も出てくるし、分からないことは周囲の囚人に聞けば良い。檻の中だが悪くないカードだ。
「よし、次ジャンル」
「オッケェ。ハイドン!」
「っ、え、みどり?緑ってなんだっけ。…あっ、ホラーだ。キタコレディストピア飯神回避!」
「ホラー?あれ?ホラーって赤じゃなかったっけ。これサイコホラーじゃね?」
「あ。そうだ」
「怖いおじさんとか出てくるってこと?」
「多分。人怖系ですな」
「アハ、じゃー怖いおじさんシメる係オレやる〜」
「頼もし〜」
2人はキャッキャとはしゃいだ。
ジャンルはサイコホラー。
もし「ディストピア」が出てくれば、監獄内の食事は味気ないものになったろう。サプリとかよくわからない固形物とか人工肉とかで腹を満たすことになっていた。
しかしジャンルがサイコホラーならば食事は多分問題ない。SFでもないから、その世界の面倒な常識を学ぶ必要もないだろう。
限りなく現世に近い設定になること間違いなし。
イデアだけならば怖いおじさんに立ち向かうのは難しかったが、こっちには怖いヤクザが味方にいるので問題ない。本当にフロイドと組めて良かったと、イデアはホクホク思って何度も頷いた。
「ってことはミッションは…あ、やっぱり脱獄だ」
「ショーシャンクだぁ!楽しくなってきたかも」
「プリズンブレイクやないけ…神展開杉…いやアガってきましたなこれ」
イデアはカードを横に滑らせてから弾くようにめくり、「脱獄」と書かれたカードを見て満面の笑みになった。
サイコホラー、監獄、脱獄。テンションが上がる三つが揃った。これは楽しみだ。
この進級試験、最早ゲーム感覚で挑めるだろう。
…マ、しかしここからが問題だ。追加設定が最悪であれば難易度が跳ね上がるからだ。
アリスのカードだけはなんとか避けたい。小さな体で脱獄は難しいしから。
2人は嬉しい気持ちと緊張する心でドキドキしながら。イデアが代表して、「追加設定」のカードを弾くように開いた。
どうか視力低下や身体能力低下のデバフではありませんように…と祈りつつ、2人はカードを覗き込み…。
「…ジョーカーッ?」
「うっっわ。最悪…」
カードに道化師が描かれているのを見て、「アーーー」と高い声を上げた。
ジョーカーのカードを引き当ててしまったのだ。
「いや、…いやマァ、なんとか大丈夫。契約書書けば良いんだし」
「確かに。いやこれちょ…やめてほしいなこの段階で」
「大丈夫だって。対策立てとこうよ」
フロイドはドンドンとイデアの背中を叩き、背中に手をくっつけたまま首を傾けた。
ジョーカーとは、裏切り者のカードである。
仮想世界の中でバディを裏切れば自分だけクリアできる局面が出てくるというカード。
嫌なカードだ。
足手まといと組んでいればジョーカーのカードは素晴らしいカードだが、強者同士が組んだ場合は最悪。
いつ相手に裏切られるか分からない状況に追い込まれるからだ。
だから、フロイドは「大丈夫」と言いながら苦く目を細めた。
イデアは桁違いに賢い男だ。もし彼がフロイドを本気で裏切ろうとすれば、フロイドは見抜くこともできずに蹴落とされるだろう。
イデアもイデアで苦い顔をする。フロイドは口が上手いし演技達者だ。彼が本気で騙そうとしてくれば、イデアはきっと騙される気がしたから。
2人はちょっと微妙な空気になったが、「裏切らないように契約書書いとこう」というフロイドの案を通すことにして、気を取り直す。
マァなんとかなるだろう、と取り敢えず楽観した顔を作って。
「じゃあ行くよ。難易度…」
「うわージョーカー来たからなぁ。ベリーハードちょっとキツいかもぉ…」
「せめてハードであって欲しみ…カメレオンだけは嫌だ…」
「んー、マァいけるよ。狐でもなんとか…対策しときゃ大丈夫だって」
少し弱気になったが。
フロイドがカードを少し絞ってから、パチンとめくった。イデアは狐とカメレオンだけは勘弁してくれと願いつつ、そのカードを覗き込んで。
「……え?」
「…ファ?」
2人は硬直した。
一瞬硬直して、カードに釘付けになって、フロイドは「えっ?」ともう一度素っ頓狂な声を出した。
「え。えっ。えっ。えっ?」
フロイドはパニックになってカードをひっくり返したり元に戻したりして、「え?」と最後に一つ言ってイデアをチラッと見た。イデアは顔を真っ白にして無表情になっており、蝋人形みたいに固まったままだった。
だってそのカードに書かれていた動物は、
「ウルフ…」
引き当てたのは黒い狼のカード。
フロイドが茫然とそう言った瞬間、学園中に「アゥー…オ」と狼の遠吠えが放送でかかった。
これは100年前から変わらない仕様。
誰かが狼を引き当てると、この声が学園中に響くことになっているのだ。
イデアはこの放送を聞いた瞬間、やっとビクッとして…カードから目を逸らし、目を見開いたまま床を見つめた。
この部屋以外の学園の生徒たちは、試験会場にて狼の遠吠えを聞いて「ウルフだ!誰が引いたんだ!?」「ウルフ!ウルフだよ、どっかのペアが引いた!」と目を見開いて口々に捲し立てていた。
「嘘だろ?15年ぶりだ!」
「うわー、可哀想に…」
「ウルフってほんとにあったんだ」
少年たちは興奮気味に試験会場にて話し合っている。そのザワメキはまだ部屋の中にいるイデア達には届かなかった。
2人はただ顔面蒼白で立ち竦んでいるだけなのだ。
ウルフ。
これは難易度:マスターを指すカードだった。
或いはルナティック、或いはノーフューチャー、エキスパートよりもっと上、ナイトメアモード。
つまり最悪だった。
狐のベリーハードがかわゆく見えるほど。
どれだけ最悪かといえば、このカードは難易度が高過ぎて10年に一度しか出ない。その上500枚ある難易度のカードのうち1枚しか入っていないので、まず出ることはないと言われる幻のカードだった。
寮長が2人組んでもクリアできるかどうか分からない。NRCの大魔法士である教師が2人組んでやっとクリアできる代物だ。
…ジョーカーとウルフが揃った。
裏切り者と狼が手札に来てしまったのだ、この時の2人の絶望は果てしないものだった。
「…………」
イデアは心の底から青ざめ、それから…震える手で、「期間」のカードに触れた。
ノーフューチャーカードが二枚揃ったのはわかった。もうそれは分かったから、期間が知りたかった。きっとこれはもうクリアできない。
どんなに強かろうと無理だ。
ならば期間。過酷な環境に身を置くことがわかったなら、どれだけの時間そこに居なければいけないのかが知りたかった。
最早彼は3日であることを願っている。
どうせクリアできないなら、地獄の監獄に居るのはなるべく短い時間であって欲しい。訳も分からないうちにさっさと目覚めて、留年した方がまだマシだと思って…冷たい指先でカードを横に滑らせ、カラン、とテーブルに開いて置いた。
すると、
「──ギャハハハハハハハ!!」
「あーーー。あー、ははははは。あははははは。終わったンゴ。アハアハアハアハ」
「アッハッハッハッ。ハハハハ」
期間は、1年だった。
フロイドとイデアはこれを見た瞬間火が付いたように笑った。笑うしかなかったのである。
最悪のカードが出そろった。
監獄/サイコホラー/ジョーカー/ウルフ/一年/クリア条件、脱獄。
挑戦者:イデア・シュラウド/フロイド・リーチ。
NRC史上類を見ない恐怖のデックが揃ったのである。フロイドは大爆笑して座り込み、ゲラゲラ大笑いして床に顔を伏せた。イデアもテーブルに両手をつき、頭もついて笑った。
もうだめだ。終わりだ。
なんて引きの強さだ!…
2人はついさっきまで余裕綽綽だったのに、みんなに羨ましがられていたのに。
あまりの絶望の為に上手く意気消沈することもできず、暫くそうして声を絡め、カラフルな哄笑を部屋に響かせていた。トグロを巻く2人の笑い声は壁を打って反響し、頭が痛くなるようである。
そうして暫く笑ってから、だんだんと笑い声が止んでいき。だんだんと頭が冴えてきて、重たくなってきて…カタン、とイデアが床に座った。
それを合図に部屋は人間がいるとは思えないほど静まり返る。
ビシッとした沈黙の中、2人は笑い顔のまま黙り込み、やがて無表情になって…項垂れて顔を覆い、最後に寄りかかり合って目を閉じた。
戦争の終結を知った戦地の兵士みたいに脱力して、互いに体重を掛け合って暫くそうしていたのだ。
進級はまず不可能、どころか懲役1年。
精神はどんなに強くとも崩壊するだろう。
更に、相手を裏切れば自分だけはクリアして現実世界に戻ってこれる。
地獄に追加して、騙し合いのゲームになってしまった。
それにウルフはデータが少な過ぎて、一体どれだけの地獄模様なのかすらも分からない。予想不可能、対策すらできない。
しかしだからと言って〝テスト対策〟をしないわけにはいかない。
だってなんの準備もせずに挑むなんて自殺行為だ。狼の群れがいる森の中に入らなければならない時、どうせ死ぬと分かっていても拳銃くらいは欲しい。そういうものだ。
「………」
「………」
2人は虚ろな目で互いを見てから、ノロノロと立ち上がって部屋を出た。
廊下には様々な男がいた。
喜び合っているもの、絶望しているもの、笑う声、泣き声…。
2人はその中を、俯いてヨロヨロ歩いた。
イデアは深くフードをかぶって、フロイドは深くハットを被って死刑台の歩行を続ける。
以前のように歩幅広く、靴音を高く鳴らしては歩けなかった。
「…だ。大丈夫。クエストクリアできないからって進級できないわけじゃない…」
「………」
イデアは冷たい唇で言った。
フロイドは無言で頷いた。
もし脱獄できなくても、健闘次第では進級できる可能性もあるのだ。どれだけ足掻いたかで成績を付けられるので、もうそれだけが頼みの綱だ。
「対策しよう。こうなったら15日でできるだけやるだけ…だし」
先輩だからか、兄貴だからか、イデアはなんとかフォローに回っていた。自分に言い聞かせているようにも聞こえるが。
フロイドはまた無言で頷いて、ピアスをチャリっと揺らすだけだった。
「…ムショでヤクに逃げるなよ。生きてたいだろ…」
外に出ればイデアの青い火が風に揺れ、フロイドを包むように膨れ上がって燃えた。
フロイドはそのティファニーブルーの炎の中、グッと前を見て目を細めた。
「…裏切ンなよ」
「キミこそ…」
「死ぬなよ」
「キミこそ」
低い声だった。
2人はそのままNRCの大図書館へヨロヨロと歩いていき。15日後の試験に向けてテスト対策をしに行くのであった。
■
体を鍛える男が多い。
進級試験の仮想世界は大抵サバイバルが多いので、泳ぐ練習をしたり、壁を登る練習をしたり、食べられる草花を調べる少年が多かった。
というより、9割がそうだ。
皆グラウンドやジムに通って体を仕上げにいく。
それ以外は有利な魔法を習得するか、卒業生からある程度情報を仕入れるか。一部は船の操縦の仕方や車の運転の仕方を学んだりするが、それほど必死ではない。
だって試験まで15日。
やれることなんてたかが知れているから。
ので、「世界:巨大都市、ジャンル:ゾンビ、ミッション:研究施設破壊、難易度:ノーマル、追加設定:デビル(中毒/堕落のカード。殺害したゾンビの肉を一度食べると体が快楽に支配され、廃人になる)期間:2ヶ月」のカードを引いたジェイドはテスト対策である射撃の訓練を終え、疲れた体をさすりながら歩いていた。
彼のバディは未だ銃の扱いに慣れぬようで、まだ訓練場にいる。
一足先に休憩をしようとした彼は、その前に少し調べたいことがあったのを思い出して大図書室に向かい…。
「、」
驚いた。
大図書室はいつも通り静かだ。
チラホラ人が居て、蝋燭が浮いていて、足音と咳払いだけが聞こえる。
その中で。
図書室の隅、フロイドとイデアが向かい合って座っていた。彼らはテーブルの上に顔が見えなくなるまで資料と本と書類を積み上げ、冷えピタを貼って目を充血させたまま何かを読み耽っていた。
イデアはPC画面を見ながら左手で何かをメモに猛然と書き込んでおり、(手元は一切見ていない)フロイドは何かの資料を読み漁りながら、イデアの書いたメモを時折奪うようにテーブルの上を滑らせて自分の元に手繰り寄せて読んでいる。
2人はブツブツと誰に聞かせるでもない独り言を口の中で呟きながらこれを続けていた。
…異様な光景である。何をしているのかはサッパリ分からないが、何か情報を驚異的なスピードで吸収しているのはなんとなく分かった。
「!」
すると突然、フロイドが青ざめた顔でバタン!と本を勢いよく閉じた。
周囲はその大きな音に驚いて彼を見る。
フロイドはしかしイデアを見ていて、充血した目で強くまばたきをしてから、
「仮眠」
と物凄くかすれた声で言った。
咳払いして喉の調子を整えることもなかった。
「許可。15分」
イデアは一切フロイドを見ず、親指の爪を噛みながらPC画面を見つめて言った。
フロイドはコレを聞いた途端、背中にあるOFFのスイッチを押されたみたいにガクンと派手にぶっ倒れて、撃ち殺されたように寝始めたのである。
その拍子に椅子も倒れたから、凄い音が鳴った。テーブルから書類が何枚か落ち、ソレがヒラハラ揺れてジェイドの足元までやって来た。
「……?」
ジェイドはかがみ、床に落ちた書類を見た。
それは実在する刑務所の見取り図である。
エルヴレン刑務所、詳細は省くが、かなり治安の悪い国の刑務所だ。床に散った書類は全て刑務所の見取り図で、フロイドはコレを全て暗記していたのだとわかる。
床に落ちているだけでも随分な量だ。
ジェイドは老婆心でコレを拾い集めてやり、テーブルに置いてやった…が。そこで彼は息を飲む。
テーブルの上には何百枚と似たような刑務所の見取り図が堆く積まれていた。実在する刑務所だけでなく、もうすでに取り壊されたものや、漫画や映画、ゲームなどに出てくる刑務所の見取り図全てが積まれている。
「…コレを全部…」
フロイドは床に大の字になり、倒れた椅子に左足を引っ掛けて眠っていた。
彼はこの大量の情報を吸収していたらしい。
無論彼が暗記していたのはこれだけではなく、見取り図はほんの一部だったが。
「ごめ、ちょ、フロイド氏。5分泣いて良し?」
イデアが急に言った。
振り返れば、イデアはジェイドを必死な目で見上げている。よく分からないが、ジェイドをフロイドだと間違えているのだろう。
疲れ過ぎていて見分けがついていないのだ。
床にいるフロイドを認識できていない。
ジェイドは「あ、」と思い。少し困ってから、
「…い、いいよぉ」
と、フロイドの真似をしてみる。
するとイデアは安堵した顔をして、黙って5分をタイマーでセットし。
「うううぅ"う〜…ッ」
顔をグシャッ!と歪めて、ゴツン、と額をテーブルに落として本気で泣き始めたのだ。
「グズッ。ズビッ。ヒック」と涙をボロボロ落とし、顔を隠して背中を震わせる。追い詰められた人間の泣き方だ。
ジェイドは一体なぜこの2人が追い詰められているのか分からなかった。
最強のペアの筈なのに、ここまでテスト対策をする意味が分からない。
…そういえばウルフが出たらしいが、まさか…とジェイドは眉を潜めたが。いや、きっと追加設定が最悪だったのだろうと首を傾けるだけに留めておいた。
学園は今誰がウルフを引き当てたのかと噂が飛び交っている。
絶望してるアイツか?それともあの泣いてるヤツか?と皆が嬉しそうに推測しているが、正体は掴めていない。
オレがウルフを引いたと笑いながら言っていたヤツも居たが、真偽は定かではないし…。
「…大丈夫ぅ?えっと…ダイオウイカ先輩」
「グズッ。ほ、ホタルイカ、せんぱい、だし」
「あ。ホタルイカ先輩。大丈夫ぅ?」
「ううぅ。ううっ。ひっく。うう。死にたい。グズッ。死にたい。死にたい…」
ジェイドはなんとなくフロイドのフリをしてイデアを慰めてみた。イデアはテーブルに顔をくっつけたままゆっくりと首を振り、尚も過呼吸寸前になるまで号泣していたが。
ビビビッ、とタイマーが鳴ると。
突然仮面が剥がれたみたいな無表情にフッと戻り、顔を上げ。何事もなかったかのように作業を始めたのであった。
余韻でまだ涙を流しながらも。
しゃくり上げることなく。
「、…」
何かが乗り移ったみたいだった。
イデアは泣いていたことなんて一切忘れたみたいにガタガタキーボードを軋ませ、資料をめくりながら何かを調べる作業に取りかかり始めるのである。
ジェイドはゾッとした。
…これは2人の間で取り決めた〝号泣休憩〟である。作業中に追い詰められると突然叫びたくなったり泣きたくなったりするのは人間の常である。だからこそ2人は5分〜10分の間はその為の休憩をとって良いとしていた。
ただし、終われば即刻作業に戻るとして。
フロイドは最初この号泣休憩の提案をイデアからされて笑っていたが、彼は既にこれをもう3回取っている。
「3分泣いていい?」と言って3分間本気で泣き、3分経てば何事もなかったように作業に戻る。そういうことが頻繁に起きる現場なのだ。
ジェイドが異質なこの状況に眉を潜めていると、タイマーがまた鳴った。
するとフロイドがスッと、今まで床にしゃがんでいたみたいに軽やかに体を起こした。椅子に座って資料を見ながらブツブツ何か呟き始める。眠っていた余韻は、一切なかった。
このノンストップのブラック会社作業は2人だからできることだ。
天才イデア・シュラウドの無尽蔵な集中力/鬼才フロイド・リーチの悪魔的なまでのセンスの良さがこの歯車を止めない。
流石のフロイドも「飽きた」とは言えない。
飽きもしない。だって絶対絶命だから。
それに向かい側に座っている相棒を信頼しているから手は抜かない。同時に自分も信頼されていると分かっているからだ。
この稀代の天才の足を引っ張れない。
それがあるから水分不足の脳みそをフル回転させてイデアのスピードに追いつこうとしている。
フロイドは天才だが、やはりイデア・シュラウドの脳には追い付くのがやっとなので。気分が萎える訳もなかったのだ。
IQがここまで違う人間と仕事をしたことがないから、少し楽しかったのだろう。息切れしているしノックアウト寸前だが。
「パンク」
「外付けハードディスク」
「アハ。いねぇよ…」
「アンダースコア小カッココロン数字の3カギカッコ閉じスペースゼット小カッコ閉じアンダースコア」
2人は突然よく分からない会話をし、そしてまた黙る。ジェイドは今の記号を頭の中で並べて、
_(:3」z)_という顔文字を組み立ててからちょっと笑いそうになった。
イデアは今顔文字を口頭で言ったのだ。
何か言おうと思ったが、2人の作業を止めるわけにはいかないので。黙って彼は引き下がる。
そして入り口まで歩いてから、また振り返った。
遠くから見てこそ2人の異常性は目立っている。大図書室内であれほど本気でテスト対策をしている少年は1人もいなかったから。
この角度から見ると2人は積まれた書類と本のせいで顔が見えなくなっている。それ程高く積まれているのだ。
ジェイドはこれに少し触発され、自分も真面目にテスト対策をしようとバディを小突き行くことにした。
廊下に出れば、疲労困憊の男たちが灰色の顔をして世界恐慌に苦しめられる失業者の足取りを見せている。
テストまであと12日。
あと12日間は、この光景が当たり前になるのである。
「なあ」
「………」
「おい。リーチ弟。シュラウド」
「………」
「もういいんだ。もういいから」
「………」
「………」
「もういいから…」
それから5日経った。
フロイドとイデアは、アレから何も変わっていない。
〝何も〟である。
体勢も、服装も、やっていることも。
…いや、2人にとって変動はあった。
イデアがなんとか昔ウルフを引き当てたことがある卒業生を突き止めたので、取材をすることができた。
1人は、「仮想世界:宇宙、ジャンル:パニック、ミッション:エイリアン討伐、追加設定:ペスト、難易度:ウルフ、期間:3ヶ月」。
話だけでも聞かせてくれと言えば、その男は笑いながら…
『話。話だって?なんの話をするんだ。アレはオレがハイスクール時代に見たただの悪夢だよ。カラフルでめちゃくちゃで、目がチカチカするから…サングラスはつけて行ったほうがいい』
と笑ったのだ。
そして、
『バディと親睦なんて深めても無駄だ。引き裂かれるし、個人プレイになるんだから。仲良く連携なんておもしろい冗談だな…』
電話口の黒っぽいボソボソした声が語るのは嫌なことばかりだった。ハードモード、フォックスのカードならまだバディと引き裂かれることはない。けれどウルフはバディと引き裂かれる運命なのだそうだ。
〝本当に上手くやらないと〟確実に裏切られる。
『その上お前たち、ジョーカーを引いたんだろ?』
絶望的だよ。
棄権しろ。
姿の見えない男が言ったのはそれだけだった。
フロイドとイデアは疲れ切った目を合わせ、ありがとうと呟いて電話を切った。
次にかけた男は、「仮想世界:魔女裁判、ジャンル:ミステリ、ミッション:4人の魔女の発見、追加設定:盲目、難易度:ウルフ、期間:一週間」である。オドオドした印象の声で、水っぽい咳ばかりしている気弱な男だった。
『な、何がなんだか。追加設定で盲目を引いたから…僕は目が見えなかったし、相棒はどこに行っちゃったのかも分からないし。どんどん人が拐われて、みんな殺された。音だけが頼りだったけど、なんの音かもほとんどわからなかったし。あんなのどうしろって言うんだ。とにかく、めちゃくちゃだった。秩序がないんだ。ミッションなんてクリアする暇ない。ただ生きるのに精一杯で…』
電話越しでも、ひっきりなしに汗を拭っているのが分かった。彼からは何も得られなかった。
次は「仮想世界:ブラックサーカス、ジャンル:スプラッタ、ミッション:団長の殺害、追加設定:飢餓、難易度:ウルフ、期間:20日」。
その男は捕まっていたので、フロイドとイデアは刑務所まで行って面会したのだ。
面会室、ガラス越しの男は屈託なく笑っていて、スキンヘッドで顔全部にタトゥーが入っていた。
ずっと何かをくちゃくちゃ噛んでいたのが、多分ガムではないことだけしかわからなかった。
『こんにちは、お嬢さんたち』
大柄の男は嬉しそうに喋った。
その男は夢でも見ているような顔付きで、フロイドは一瞬で「コイツ、10人じゃ効かないくらい殺してるな」と察することができた。
『神秘的な体験だった。面白いことしかなかったよ。サーカスは玩具箱みたいで、オレの相棒は痛くて死んだ。団長に殺されたんだよ。オレ病みつきになっちゃって…同じ場所探してたんだけど、なかったから…』
彼は進級試験を終えてNRCを卒業してから、ブラックサーカスを作ったのだそうで、団長になったそうだ。
頭の良い男だったから「簡単だった」と喋った。屈託なく笑っていて、後半では優しい印象すら覚えたくらいだ。
それが手口なのだろう。その男と喋っていると何かとても楽しいことが始まるような、ついて行けば面白い景色が見られるような気分になるのだ。
それに褒めるのも話すのも上手で、イデアは彼に好印象を抱いてしまった。フロイドは逆に皮膚がピリピリするほど警戒しっぱなしで、ほとんど喋らずにイデアの肩をずっと掴んでいた。
前のめりになって話を聞くな!と無言で伝えていたのだ。
『それで、キミたちはウルフを引いちゃったんだね?…オレから忠告できることは、そうだな…。よく聞けよ、一度しか言えない』
男はグッと前のめりになって、声を潜めた。
イデアは「は、はい」と言って同じように前のめりになった。が、フロイドがその瞬間立ちあがり、イデアの腕を掴んで「もういいや。ありがと」と素早く言って面会室を出て行ってしまったのだ。
イデアは「ファッ!?な、なにすんのさ」と驚いてフロイドの顔を見上げたが、フロイドは全身に鳥肌を立てて拒絶反応を起こしながら首を振った。
『全部嘘だよ』
『は?…』
『アイツ、ブラックサーカスなんて作ってない。強姦と連続殺人で捕まったんだよ。ゲイでさ、ホタルイカ先輩みたいなキレーな男の子大好き。罪状調べてねーの?』
『えっ』
『ガラス越しで良かったねぇ。じゃなきゃ目ん玉切られてレイプされて殺されてたよ』
男の言葉は全部デタラメだったのだ。
イデアは全く気が付かなかったから、それを聞いてゾッとした。フロイドはイデアの腕を掴んで歩きながら、片目を細めて苦い顔を作る。それは物凄く大人っぽい顔だった。
『でも次はガラス越しじゃない。オレら、あんな奴らがたくさん居るとこで一年過ごさなきゃ…』
良い勉強になった。
フロイドは額をさすりながら喉の奥らへんで笑う。絶望の笑いだった。イデアはそれを聞いて、物凄く眩しいライトを当てられたみたいに目をギュッと細め、俯いて大仰なため息をつくのである。
『…キ、キミ、なんで分かるの?同族だから?』
『…オイ。気を付けて喋れよ』
『ヒッ。アッ、ウィッス。スマセン』
収穫ゼロ。
それどころか鼻持ちならない男達と会話して頭痛のタネを増やしただけだった。
分かったことは、思ってたより何倍も最悪ということのみ。
だからイデアとフロイドは再び資料の山に頭を埋め、大図書室にて目を擦っていたのだ。
周囲の男達が体を鍛えたり、バディと励ましあったりする中。2人は極限状態に居て、怖くて冷たい夜を過ごしていた。
ジェイドがあの時見た姿から、2人の姿勢は一切変わっていない。一つ変わったのは資料と本の山が増えたということだけ。
教師達は彼らがウルフを引いたことを当然知っていた。
まさかこんなことになるとはと、流石に先生達は面白がったが。イデアとフロイドはきっと投げ出して諦めて引きこもってるか、鼻を垂らして布団をかぶっているだろうと笑っていたのに。
2人は諦めていなかった。
それどころか寝食を忘れてテスト対策をしており、鬼気迫る勢いだ。
最初は床から起き上がれないくらい職員室で笑って「早く泣き顔が見たい」と言っていたクルーウェルも、大図書室の2人を見て心境が変わった。嘲笑う心は色を変え、途端に同情が湧き起こったのだ。
それ程2人は追い詰められていたのである。
だからクルーウェルは、「なんとか期間を半年に減らしてやるから」と言いに来た。
来たのだが。
「………」
「………」
2人はクルーウェルがまるで見えていない・聞こえていないみたいに作業の手を止めなかった。
否、本当に見えていないし聞こえていないのだ。
集中し過ぎて、というわけではない。
2人はテスト対策をするうちに、そういう生き物になってしまったのだ。
「おい、リーチ弟」
「やめたほうがいいですよ」
「は?」
「何言っても聞こえないんですよ。この2人」
それでも話しかけていると、図書委員が走ってきてそう言った。
彼が言うには、今2人は、お互いの声しか聞こえないのだそう。フロイドはイデアの声にしか反応できないし、イデアもフロイドの声にしか反応できない。それ以外脳が遮断してしまっているのだ。
余計な情報を一切入れないようにしている。
「───フロイド氏」
「……」
「作った。覚えて」
「キー。クルル」
「違う。読み書きも話すのも全部」
「カララっ、ギリ」
「そうそう」
図書委員が言った通り、フロイドはイデアに話しかけられた時のみ返事(時折人魚語で。思い出したように英語で)をする。そして渡された紙を見て、ブツブツ何か呟き始めるのだ。
イデアは人魚語をマスターしたらしく、なんの問題もなく話していた。どのバディよりもバディの形ができている。
「ギューッ、カヤ」
「は?見れば分かるでしょ。頭が悪いキミのために物凄く単純にしたのに。これ以上どうすればいいの?バカのために時間使いたくないんですが?」
「あ?」
「アッスイマセン、ちょっとイライラしてて、スマセ、アッ、怒らないでもろて、翻訳させて頂きます…」
「3分以内」
「にゃーん…」
2人は互いの空気を掴んだのか、脈絡なく喧嘩をしたり突然何かジョークを言って笑ったりとしていた。イデアがメモを書き、ペンがかすれてインキが出なくなれば。イデアの事なんて全く見ていなかったのに、フロイドがノールックで黙ってペンを彼に投げる。イデアはそれをノールックでキャッチし、またメモを書き始める。
逆にフロイドが背もたれに寄りかかれば、イデアがノールックで目薬を投げる。フロイドはそれをキャッチして目薬をさしてため息をつく。
それは同じ脳味噌を使っているみたいだった。
互いの思考をトレースし過ぎてこうなったのだが、側で見ているとよくわからない。
「聞こえてないのか?」
クルーウェルは片手をテーブルについて、ため息まじりに言った。思ったより優しい声が出て自分でも驚く。
フロイドとイデアは本当に聞こえていないようだった。わざと無視している感じではない。多分頭を叩けば、ビックリした顔でこちらを見るのだろう。
資料をあさりに来た周囲の少年たちも、必ず2人を見ながらそばを通りすがる。
それくらい見ていて面白いものだったからだ。
…という感じで、無言で作業をしている2人を「どうしたものかな」とクルーウェルが座って眺めていると。
「ギャーーーーッッッ」
「っぅお」
ずっと背中を丸めて黙っていたイデアが、突然叫んだ。脈絡のない大絶叫である。
クルーウェルはあんまりビックリしてガタンと椅子を鳴らしたが、その音すらもかき消すような爆音だった。
「そうか。わかった、分かったよ。遅れてごめん」
イデアは言った。言いながらテーブルの上に膝をつき、四つ足で向かい側にいるフロイドの元へ行く。腕で積み上げられた本や書類を左右にバサバサかき分けながら進むのだ。
フロイドは顔を上げ、近付くイデアを見てニヤッと笑った。
そして全く動揺せず、「何がわかったの?──」と低い声で言ってから咳払いをし、「面白いこと?」とゆっくり言う。
イデアは構わずフロイドの顔を両手で包むようにガシッと掴み、「ウルフは黒い玩具箱だったんだ」と一気にトーンを変えて言った。
「!…」
クルーウェルはこれを聞いてサッと顔色を変えた。
イデアの言った言葉が、その通り的中していたからだ。
「黒い玩具箱だったんだよ。ウルフの世界観はあれを元に作られてる。ブラックサーカスも宇宙も魔女裁判も監獄も黒い玩具箱の中に全部入ってる、監獄は確か第五巻だ」
「…なんで気付いたのお?」
「聞き込みしたでござろ。その時だよ…。皆カラフルだとか、ゴチャゴチャしてるだとか、玩具箱みたいだったって言ってた。それ以外にも全部洗ったけど、やっぱりそうだ。あってる、黒いウルフは玩具箱のマークだよ…」
「このゲームの監督は?」
「モーガンで間違いない。つながった、キミの言った通りだった!」
…黒い玩具箱とは、1974年、ララクのアスターキーの街で発行された本のことだ。
文字は大きく、子供向けとのことだが。内容は複雑怪奇でどこまでもダークだった。
作者は牢獄でこれを書き、出版されてからスグに発売停止になった。
だからほとんど情報はないし、黒い玩具箱シリーズの存在を知っている人間自体ほとんどいない幻の本なのだ。
検索したって出てこない。
なのに彼らはそれを見事的中させた。
その通りだ。難易度:ウルフの試験は、全て黒い玩具箱がモデルになっている。
これを当てた生徒は一人もいなかったのに。
「玩具箱、実はもうウミウマくんに頼んでんの。不安だったけど確信した。やっぱそうなんだ」
「そうだよ。キミは天才だ!」
「ッアハハ」
「ハハハ」
「ハハハハハハ」
「ハハハハハハ」
2人は互いの顔を見たまま笑った。
するとフロイドがガンッ、とテーブルの上に片足を乗せて上り、立ち上がってイデアの手を取った。一気にテンションが上がった、というより。長期間断崖絶壁にいた為テンションが壊れているようだ。
2人は大笑いしながらテーブルの上でワルツを踊った。フロイドが魔法で空間を震わせて音楽をかけ、イデアが積んでいた資料を全て浮かせてテーブルにあったものをきれいさっぱり退かす。
「アハハハハ」
「ハハハハハ」
互いに目を閉じてしまうまで笑って、長いテーブルの上で踊る2人を、クルーウェルは口を半開きにして見つめていた。
イデアの髪がドレスみたいにブワッと広がるのを眺めて、「わ…」と間抜けな声を出す。
大図書室の中の全員がその光景を見ていた。全員口を開けて、彼らを眺めている。
屏風の柄みたいに華やかだったからだ。
宙に浮いていた資料や本は全て宙を浮遊し、元あった場所に戻っていく。
踊り終わればイデアとフロイドはサディスティックな笑い声を立てから、目をキラキラさせて互いの胸板の辺りを見た。宝物を見つけた子供みたいな目だった。
「…テスト範囲が分かった」
「内容知ってる?」
「知らんけど」
「全部暗記しよ。12巻まで」
「黒い玩具箱は仕掛けがあるって話だよ。誰も解けたことがないって」
「じゃ先輩が解いてよ。暗記はオレがやる。見取り図も書くから、そっちに集中して」
2人はこの場の誰にも理解できない/聞いたことがない言語でボソボソ喋り、ストン、と床に降りた。
そしてお互いの顔をチラッと見る。
フロイドは苦く、音を出さずに笑った。イデアはバサッとフードを被る。
そのまま2人は、大図書室を後にした。
その姿は悔しいくらい格好良くて…クルーウェルは、「たかがテスト対策でなんであんなに格好いいんだろ」とちょっと引いた顔をして眺めていた。
アイツら、進級できないとお母さんに怒られるからそれが怖くて頑張ってるだけなのに。
■
【試験当日】
会場には覚悟を決めた少年たちが座っていた。
棄権した者も多い。それほど過酷であるからだ。
巨大な四角い真っ白な試験会場は、2人がけのソファが大量に並んでいる。そこにバディごとに座り、試験開始時間を待つのだ。
前に巨大な黒い鏡が壁にかけてあり、そこに続く七段ほどの階段がある。
教師に名前を呼ばれた者は相棒と2人でその階段を登り、鏡の中に入って仮想世界へと飛ぶのだ。
クリアした者は同じようにその鏡から出て来て、階段を降りて教師に進級合格の指輪を貰う。
そういう仕組みになっているのだ。
エースは涙目でマレウスの隣に座り、呼吸を浅くさせて周囲を落ち着き無く見回していた。
周囲の少年たちの装いはさすがにそれぞれ違っていた。仮想世界に合わせてサバイバル向きの格好をしていたり、その世界にすぐ馴染めるように煌びやかなスーツを着ている少年もいる。
中でもジェイドと一年生のチャッピーくんは目立っていた。
ジェイドは全身真っ黒、サバイバルゲームみたいな服を着ている。プロテクターやらライフルマグポーチやらタクティカルベストやらモールモジュラーホルスターやらニーパッドやらをごちゃごちゃつけていて、アサルトライフルを手入れしている。
確かジェイドの試験内容は巨大都市:ゾンビパニックだったはず。だからあれ程の重装備なのだろう。持ち込むアイテムは自由だ。なるべく魔法を温存するために銃火器を所持しての挑戦らしい。
しかしジェイドの隣に座っているチャッピーくんはTシャツにジャージだった。そしてクシクシ苦しそうに泣いていて、顔は真っ青である。
何故ここまで装備の差があるのだろうか…と思っていれば、そばにいたジェイドの友達が「なんでコイツに武器持たせてやんないの?」と嬉しそうに聞いた。
ジェイドはそれを聞いて手入れする手を止め、パチッと目を開いて彼を見て。
「彼はエサです。それ以外で役に立たない。」
と、チャッピーくんを顎で指して言った。
そしてまた作業に戻るのである。
チャッピーくんは首輪をつけられ、リードをジェイドが持っているので逃げられない様子。
エースは「ひ…」と青ざめて目を渋く歪めた。
そうなのだ。
相棒を組む時力の差があり過ぎると、こういう風に力のある者が弱者を生贄に使うこともある。
チャッピーくんはきっと進級できないだろう。ジェイドは本気だ。だってさっきからニコリともしない。
役立たずとバディを組むなど人魚にはあり得ない話なのだ。苛烈な生存競争を続けた彼にとっては屈辱的なわけで、よく見れば青筋すら浮いている。
かわゆい女が相棒であれば「僕が守りますよ」とニコニコしていただろうが。
「可哀想に…」
誰かがヘラヘラしながら言った。
それはレオナだった。
レオナはTシャツとズボン、ラフな格好で着替えとマジカルペンしか持っていない。
強いて挙げるならスタバのフラペチーノを飲んでる程度。
その隣にはバディの黒い狐のお兄さんが座っていて、彼は真っ黒な私服を着て真っ黒なマスクを付けて、チェーンソーを持っていた。
彼らが行く仮想世界は確か廃遊園地。ジャンルはスプラッタだ。
難易度はベリーハード、嫌なカードが揃っている。けれど2人は余裕綽綽であり、ドッカリソファに座っていた。
「はは…は…ぁー、あはは…。いいねぇ。バディに恵まれてる。オレもチャッピーくんが良かったなぁ…」
「ハ。羨ましいならテメェが餌になれよ」
ライオンと狐はヘラヘラ笑っている。
エースはマレウスに話しかけられないようになるべくちまこくなりながら、嫌な学校に来ちゃったなと思って目をしょぼしょぼさせていた。
すると。
ドアが開いて、遅れたらしいフロイドとイデアがやって来た。2人の格好はオレンジ色の囚人服である。
制服を支給されたのか、とエースは思う。
仮想世界によっては服装を自由にして良い場合と、指定される場合がある。決められる場合は学校側から制服を支給され、着用が義務付けられているのだ。
イデアとフロイドはよく目立つその格好でチンタラ歩き、開いているソファにドサっと座った。
きっと仮想世界が監獄なのだろう。
「似合いすぎだろ…」
フロイドの友達が思わず噴き出して言った。
エースだって隣にマレウスがいなければ手を叩いて笑っていただろう。
フロイドもイデアも囚人服があんまりしっくり来ているのだ。いつか捕まりそうだとは思っていたが、まさかここで着るとは。
2人は黙っているが、自然と周りは注目している。
なんせイデアとフロイドはゴールドカード、つまりこの試験会場で最も強いペアだからだ。
彼らが組んだと知らなかった男達も身を乗り出したり振り返ったりして2人を見ていた。
けれど2人はくっ付いて座り、イデアがフロイドに何か耳打ちをしている。イデアの高い鼻が時折フロイドの髪をかするのが見えるのだ。
どちらも目線を下に向けていて、フロイドは時折頷いたり、逆に自分もイデアの耳に唇を寄せてボツボツ低い声で喋っている。
何を喋っているのか気になったが、流石に邪魔はできなくて誰も聞こうとしなかった。
ゴールドカードのテーブルだけが静かで、あの2人だけがクラシックだったのだ。
いつになく真剣だ。
どちらも気まぐれな天才だから噛み合わないとエースは思っていたが…気まぐれ同士が本気を出すとああいう感じになるんだなと思う。
互いの空気を掴んで無意識に互いをコントロールしている。イデアはフロイドの思考をトレースして法則をつかんで。フロイドは感覚で。
『揃ったな駄犬ども』
「!」
周りに気を取られていると、試験開始時間になった。
全員がフッと前を見た。フロイドはイデアの左腕をガシッとつかんで彼の腕時計を覗き込み、(何故か自分の時計は見ない。特に理由はない。無理に理由をつけるとすれば、懐いているから)それから前を見た。イデアは人形みたいにされるがままで、前を見てから辛そうに目を閉じて背もたれに寄り掛かった。
一番前にクルーウェルが立ち、マイクを片手にたっている。試験開始宣言だろう。
『現時刻をもって、進級試験を開始する。棄権する愚か者は居ないか?…居ないようだ。まずは良し。では、改めて試験の概要と注意点を説明…したいところだが面倒臭いからやめる。プリントのワクワク便りに書いてあるし貴様らも頭に入っているだろう。分からないなら分からないまま仮想世界で死ね。オレはそれを見て笑うために今日は良い酒をおろしたから。学園長と呑むことになっている。ね、学園長』
『はい!楽しみですねぇ』
「横着すんな!」
「お前がホストだろ!こういうところでいちいち面倒臭がるから家庭で亀裂が入るんだぞ」
「アイツ絶対部屋汚いだろ」
「デイヴィス離婚調停中って本当?」
『ビークワイエット!次許可なく発言したら貴様らの学費でジェット機買うぞ』
今の発言は全て上級生である。
一年生はまだクルーウェルが怖くてあんな風にヤジを飛ばせないので沈黙していた。
『では開始。今から順に名前を呼ぶ、呼ばれた者は前に出るように。オレが行けと言ったら鏡の中に入れ。行かない者は趣味で血が出るまで鞭でぶっ叩くからな。なるべく誰も行かないことをオレは願っている。この日のために新しい鞭を買ったもんだから。』
「もんだから。じゃないんだよ」
「デイヴィス浮かれてるね。今日愛人に会えるのかな?」
「お母さんに作ってもらったお弁当が好きなおかずばっかりだったんじゃない?」
「かわいい〜」
「デイヴィスかわいいよーッ」
『やかましい。話しかけるな。友達だと思われるだろう』
「誰も思わねえよ」
クルーウェルは三年生からはアイドル扱いだった。慣れている三年生はクルーウェルが前に出てくるとキャッキャとはしゃぐようになっている。今沈黙している一年生も、きっと三年生になれば同じようにからかうのだろう。
『始めよう。レオナ・キングスカラー。チャッキー・ブギーマン。前へ』
いよいよ始まった。
呼ばれた2人は互いの顔をチラッと見てから、よっこいせ、と立ち上がる。
そして全員の視線を受けながら真ん中を歩き、階段の前に並んで立った。
周囲は「うわ、一発目だ」「キングスカラーさんだぞ」と一瞬騒めくが、スグに黙った。
何故なら、2人が並んだ瞬間会場の照明が緩やかに暗くなっていったからだ。
完全な闇に包まれれば、窓のないここでは輪郭すら見えなくなる。
「お、」
瞬間、カンッ!と左右に並んだ2人にそれぞれスポットライトが当てられた。ピクニックにでも行くかのような格好をしたレオナと、人殺しにでも行くかのような格好をした狐のお兄さんがキラキラと照らされた。
一年生はザワザワとそれを見つめ、上級生は慣れた顔でこれを眺めている。
こちら側からは2人の背中しか見えない。
どちらも鏡を見つめているからだ。
「っあ、わ」
途端、会場内にちょうしっ外れのテーマパークのBGMが流れる。音は古くて錆びついており、ジジッというノイズが時折入った。
聞いているだけで胸が悪くなるような・不気味な音楽である。元はワクワクする音楽なのだろうが、古くなれば、嫌な予感となって鳥肌が立つ。
『世界:廃遊園地』
機械的な女のアナウンスが、どこからともなく流れた。抑揚のない平坦な声である。
きっと音声合成だろう。
その声が流れた途端、黒かった鏡にフッと暗い遊園地が映った。巨大な鏡はスクリーンの役目も果たしているようで、世界の紹介も兼ねているのだ。
鏡には誰もいない遊園地の監視カメラ映像が映っていた。メリーゴーランドを斜め上から映している画面。荒っぽい画面で、モノクロの映像だ。画面下に日付と時間が白字で表示されている。
その映像が15秒続き、次は無人のチケット売り場。次は観覧車。次は売店。次はジェットコースター乗り場。
パッ、パッ、パッとモノクロのカメラ映像が流れて、未だちょうしっ外れのBGMは鳴り響いている。
『ジャンル:スプラッタ』
女の声がした。
その瞬間、遊園地の監視カメラにピエロが映った。斜め上からの視点であるから、ピエロがこちらに背中を向けて闇の中を歩いているのがよく見える。彼は片手に麻袋を持っていて、それを重たそうにズル、ズルッ、と引きずっていた。
別の映像になれば、空中ブランコに泣き叫ぶ女をくくり付けている豚の仮面を被った男が映る。次に、遊園地の中を泣きながら逃げている少年が一瞬カメラに映る。次に、売店に逃げ込んで陳列棚の後ろに身を潜める女と、入口からゆっくり入ってくる熊の着ぐるみが映る。次に、スキップをしている白い女が映る。
『難易度:フォックス』
鏡へ続く階段の左右にボボボッ、と赤い火の玉が出現した。これはきっと狐火だろう。
難易度はベリーハードなのだ。
エースはグッと喉をつまらせてそれを見つめる。最悪だ。あんな世界に行くなんて。
自分じゃなくて本当によかった。
『ミッション:キラーの殲滅。生存者の救出・保護』
言えば、キラーの写真がパッと映った。
1人目はピエロ。2人目に豚の仮面の男。
3人目に熊の着ぐるみ。4人目に白いワンピースを着た女。5人目に緑色のエプロンを付け、風船を持った男。6人目にレザーフェイスの画面を被った男。
そして生存者の写真。
生存者は女子供が多く、全部で15人だった。
『追加設定:足りない頭』
エースはこれを聞いて、ウワッという顔をした。足りない頭とは、記憶の欠落のことである。つまり生存者が何人なのか、キラーが何人なのか分からなくなる。遊園地のマップも記憶できない。時間が経てば経つほど記憶はどんどん無くなっていき、最終的には自分の名前も役目も忘れてしまう。
最悪のカードだ。
『期間:20日。朝は来ない』
フッと鏡が遊園地を遠くから映す。
巨大な遊園地は霧が立ち込めていて、全てがモノクロだった。
レオナは首を回し、余裕綽綽目を細めていた。
隣に立つ狐のお兄さんは黙ってヴィーッ、ドッドッドッ、とチェーンソーのスターターグリップを引いてエンジンを始動させる。
『レオナ・キングスカラー。チャッキー・ブギーマン。進級試験開始』
クルーウェルが言った。
すると鏡は遊園地の入り口の姿に変わり、巨大な門となる。そこから霧が立ち込めるのだ。
レオナはフッと笑って歩き出そうとし…しかし。急にピタッと止まって俯くと。
「え"っくし!」
爆発したみたいなくしゃみをした。
狐のお兄さんがビックリして立ち止まれば、レオナは「ワリ」と言って鼻をすする。
狐のお兄さんは笑ってレオナを見ずに軽く手を振り、「いいよいいよ」というジェスチャーをした。2人はそのままちょっとヘラヘラして階段を上がり、フッと門の向こうへ入って行けば…鏡が真っ黒になり、2人が消えた。
「………」
会場内は沈黙に包まれた。
2人は最悪なカードを引いたのにリラックスしていて、むしろ楽しんでいた様子。
しかし一年生諸君は完全に震え上がってしまい、黙りこくって相棒に寄り添っている。
オレ達もこんな風にあの世界に入っていくのかと…。
『次。ルーク・ハント。シャネル・エドガール。前へ』
エースはビクッとした。
やっぱりこのまま続くのだ、と分かったから。いつ呼ばれるか分からない状況に心臓がドキドキして、嫌な味が口に広がる。落ち着きがなくなって、足の裏に汗をかいた。
弓を持ったルークと、ナイフを持った金髪で長髪の男がスポットライトの下に立った。
どちらも大きな鞄を持っている。当然の装備だ。食糧や武器などのサバイバル道具が入っているのだろう。
『世界:バベルの塔』
女がアナウンスした。
すると黒い鏡がやはりスクリーンの代わりをし、天まで届く巨大な塔が映される。
頂上は雲の向こう、晴天を突くブラウンの塔であった。
その塔の中に、緑色の肌をした奇妙な人間達が列を成して入って行く。葬列みたいに青ざめた顔だった。
紫色の雨が降っていて、子供の鳴く声が聞こえる。
ゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえた。
ミミズが踏み潰されて死ぬ音も。
『ジャンル:シュールレアリスム』
暗い塔の中が映された。
床は茶色い砂が剥き出しになっていて、壁には無数の穴が開いている。見たこともない生物の骨や化石が砂に半分埋まったり、壁から飛び出したりしていた。
別の場所が映されればそこはプラネタリウムである。天井から逆さまに巨大な水色の赤ん坊が顔をのぞかせていて、星を食べているのが見えた。赤ん坊の目玉は時計になっていて、8時を指している。
階が上に上がれば壁が海になっており、小さなピンク色のゾウが泳いでいる。部屋の真ん中に天秤を持った女が立っていて、口からヴァイオリンと同じ音を出していた。
『難易度:バード』
つまりノーマルだ。
鏡から白い鳥の大群がバサバサ出てきて、会場内を飛び回って囀った。
『ミッション:登頂』
頂上へ辿り着けということだろう。
普通に登っても大変そうだが、訳の分からない部屋や階ばかりだ。ノーマルと言えどこれは過酷だろう。体力勝負と謎解き要素が多分に含まれている。
パッと頂上が映されたが、雲の上の最上階には何もなかった。ただ丸い屋上に、緑色の人間達が列を成して身投げしているだけだ。
緑の人々は塔に入り、登れば身を投げる。これを繰り返しているらしい。
『追加設定:バベルの塔』
「!」
女が言った。
バベルとは、言語が未知のものに変わるカード。相棒と言葉でのコミュニケーションが取れなくなるカードだ。
けれどエースはこれを聞いて周囲を見回した。周囲も同じように辺りを見廻し、「ダブルカードだ」「ダブルカード?羨ましい…」「ツーペアだよ」とヒソヒソ話し合っている。
そうなのだ。仮想世界はバベルの塔、そして追加設定もバベルの塔。同じカードが二枚揃った。
これをダブルカード、もしくはツーペアと呼び、この場合難易度を示す動物がプレイヤーの所有物となる。
2人の難易度はバードなので、鳥を扱えるというわけだ。故に天井すれすれを滑空していた大きな鷲とフクロウが降りてきて、鷲はルークの肩に、フクロウはシャネルの肩に止まった。
この鳥は視界共有ができる。使い方としては、鳥を先に飛ばして上空から様子を確認させ、視界を共有して先の状況がどうなっているかを見ることができるのだ。
だからルークとシャネルは、先に何があるのか不安なら鳥を先に飛ばして状況を確認すれば良い。強力な味方がついたのだ。
ダブルカードは全員が欲しいカードである。
『期間:4ヶ月』
女が言い切れば、鏡はバベルの塔の入り口に姿を変える。
いよいよ2人が入るのだ。
『ではルーク・ハント。シャネル・エドガール。試験開始』
クルーウェルが言った。
2人は互いの顔をチラッと見て、手話で何か会話をしてからちょっと笑って階段を登った。
ルークは帽子を脱ぎ、前髪をかき上げて帽子をかぶり直して前のめりになり、フッと鏡の中に入る。
2人のテスト対策は言語剥奪を克服すること。
手話を習得することで会話を可能にしたのだろう。
「…………」
2人が鏡の中に消えた。
鏡は真っ黒に戻る。
『次。ジャミル・バイパー、コモン・デスアダー。前へ』
エースはハーッとため息をつき、水を飲んだ。
緊張で体が痛い。
三年生同士のペアはポップコーンを食べている奴もいたが、エースにとっては信じられなかった。何故あぁも余裕でいられるのだろう。
仮想世界と言っても、あの世界では死んでも現実では死なないと言っても、怪我をすれば痛いし走れば息が切れる。ほとんど現実世界と何も変わらないのに。
『世界:地底隔離空間』
今のうちに食事をしておいた方がいいのは分かっているが、緊張し過ぎて喉を通らない。
血がキリキリするのだ。
一年生はみんな青い顔をして貧乏揺すりをしている。二年生は必死でこの間に今やれることをやっていて、三年生は寝ている少年や携帯をいじっている男が多い。
三年目の余裕は、流石に違う。
『ジャンル:ダークファンタジー』
隣に座っているマレウスも腕を組んでうとうと船を漕いでいた。目がトロンとしていて、少しも話を聞いていない。
「ギッ」
と思えば、寝てしまったらしい。
マレウスの頭がエースの肩にトン、と乗った。顔は俯いているのでツノはギリギリぶつからなかったが、目の前にある。
マレウス・ドラコニアが自分の肩で寝ている状況が信じられなくて、エースは短い悲鳴を上げて体を硬らせた。
『難易度:スネーク』
アズールはあくびを連発していて、カリムは反対にドキドキしながら「慣れないな」なんてバディに向かって小声で話している。
ヴィルやリドルも眠っているところを見るに、きっとこの時間は少しでも休んで備えた方が良いのだろうということが分かった。
エースも先輩から「寝るか飯食え」と言われたけれど、今はそれどころではない。
『ミッション:悪魔の追放』
クソ、NRCなんか来るんじゃなかった。
涙目でそう思っていると、隣のソファに座っていたケイトが「食べときな」と小声で言いながらクラッシュゼリーを差し出してきた。
これなら喉を通ると思ったのだろう。優しい先輩だ。エースはマレウスを起こさないようにソーっと手を出し、「すません」と涙声で言う。
『追加設定:ジャッジ』
オエっと声がした。
緊張で吐いたやつが出たのだ。
よくあることらしい、誰もその方向を見なかった。けれどみんなが同情した。
かわいそうに、きっとアイツは狐のカードを引いたんだ、と。
『期間:3ヶ月』
2人が地底世界に中に入り、鏡が暗くなる。
エースはドキドキドキドキして、呼ばれるかも、呼ばれるかもと心臓を固くしていたが。
『次、イデア・シュラウド。フロイド・リーチ。前へ』
その時、ゴールドカードが呼ばれたのであった。
ずっと後ろで何かを話していた2人。
フロイドがピクッと眉を動かし、イデアの肩に自分の肩をぶつけながら立ち上がった。「行こうぜ」という仕草だ。
イデアは一瞬俯いてから、スーッと息を吸い込みつつ前を向いて立ち上がる。
「分かってるよな?」
「わかってる」
互いに呟いて、2人は歩き出した。
注目度の高い2人だ。最短クリアが約束されている2人。携帯をいじっていたやつもフッと顔を上げた。ウトウトしていたヤツも目を開ける。
「アベンジャーズペアだ」「囚人服?」「制服支給型だ」「リーチとシュラウドかよ」…少年達が指を指して話していた。
学園の有名人が組むとこういうことになるのだ。
イデアとフロイドは何も持っていなかった。魔法で持ち物を消しているのか、それとも本当に何も持っていないのかは分からない。
「シュラウド様、頑張って」
スポットライトの下に向かう最中、列の中のちまこい少年がイデアに小声で声をかけた。あれはイグニハイドの寮長大好きっ子の1人である。イデアはその方向を見ずに頷いた。見ていればイデアは色んな子に「頑張れ」「応援してます」と声をかけられている。
「リーチ先輩、寮長を守ってね」
ちまこい子がフロイドに言った。
フロイドはコレに喉の深いところでクッと笑って、「愛されてんね?♡」とイデアの背中に息を吹きかけるように言った。
寮長とはこういうものである。
2人がスポットライトの下にそれぞれ並んだ。
フロイドは俯いていた。イデアはポケットに手を突っ込んで鏡を見ていた。
頭身が高いので、長い影が伸びている。
『世界:監獄』
女が言った。
黒い鏡にまず映ったのは、囚人服を着たフロイドのマグショットである。
フロイドは虚な目をしてこちらを見ていて、嫌な気分になる薄ら笑いを浮かべていた。
「ストーリー付き?」
「だな。ほら、監獄だから…」
生徒達がこそこそ話した。
どうやらあの2人にはストーリーがついているらしい。エースはよく分からなかったが、黙っていれば、ただ設定を読み上げるだけだった女の声が語り始めたのである。
『1942年12月6日、ララク、アスターキーの街で起こったフロイド・リーチによる連続殺人事件。発覚したのは、地下に監禁されていた男の証言からだった』
画面に、今より大人びたフロイドが手錠をかけられてパトカーに乗り込む姿が映った。雪の降るアスターキーの冬である。
『オレは、オレはあの地下でヤツが殺した死体を食わされてた。死体処理のために使われてたんだ…』
変な太り方をして、頬がこけて青ざめた男が貧乏揺すりをしながら喋っている。逃げられないように足は切られていた。車椅子に座っていて、目は充血している。
三日に分けて1人の人間を食わされた。それが7年も続いたんだ。アイツは悪魔だ、とその男がボソボソ喋っている映像が流れた。
『フロイド・リーチは何も話さない。アイツはオレ達を面白がってる。取り調べをする時、必ず先にアイツは言うんだ。こんにちは、今日は何が分かったの?…』
刑事が忙しく歩き回りながら喋っている映像。
そして手錠をかけられたフロイドが、取り調べ室にして薄ら笑いを浮かべて沈黙しているカット。
フロイドはどうやら完全に黙秘を貫いているようだった。怖い目をしている男達の前、親が運転している車の後部座席に座っている子供の顔をして、緩やかに瞬きを繰り返している。
黙秘をしている理由はひとつ。
世間が一体どこまでフロイドの罪を暴くか、そして自分には一体どんな罪状が付くのか。自分にはどんな物語を作られるのか。それだけ。
だから、
『お前が殺したな』
と言われれば、
『ふぅん』
と笑う。
認めろと言われれば首を傾けて黙るだけ。
彼は一切自白もしなければ、否認もしなかった。
『ヤツは分かってるだけで18人殺してる。死体は全部地下室の男の腹の中だ』
証拠は揃っている。
裁判を起こせばいつでも死刑にできる。
動機は分からない。殺された被害者に脈絡はないように見えた。快楽殺人か、依頼されたのか。単独犯か否かも分からなかった。
稀代の凶悪犯は吠えることも泣くこともせずに笑うだけ。
画面に映ったフロイドは、検察から暴力を受けたのか…鼻血を出して手錠をかけられた手でタバコを持ち、血と煙を唇から出して深く笑っていた。喉を鳴らす無声音の笑い声だった。
『シリアルキラー、フロイド・リーチによる事件は大きく報道され、全土を震撼させた。この「赤レンガ人食い連続監禁殺人事件」は広く知られることとなり、「アスターキーの屠殺者」「地下室の怪魚」の異名を取る。死刑判決が下されても、彼が真実を語ることはなかった。謎は謎のまま殺された』
フロイドが護送車に乗せられ、刑務所に連行される映像が流れる。彼は拘束され、項垂れて下を向き、口笛を吹いていた。夜の女王アリアである。
それに合わせて会場に魔笛、「夜の女王アリア」が流れた。
『1943年5月19日。輝石の国、アランギャルロ州のエメラルドシティで起こったイデア・シュラウドによる怪事件…』
画面が切り替わり、イデア・シュラウドのマグショットが映った。大人びた彼がカメラのフラッシュを焚かれながら、夜のエメラルドシティの中で警察に連行されるシーンも映る。
「う。おえ」
エースは緊張している最中に、イデアの怪事件を見てさらにグロッキーになった。
もう最悪だ。誰がメガホンを握ってるんだ。子供の教育に悪過ぎるだろ、いい加減にしろよ。
思いつつ、殴られたイデアが拘置所の床に倒れ、ギザギザの歯を血で濡らして笑っている映像を虚な目で見た。
『この月のワルツ殺人事件により、「エメラルドシティの狼男」の異名を取る』
画面の向こうのイデアが、満月に向かって「アゥー…」と狼の遠吠えの真似事をして、笑いながらパトカーに乗せられた。
スポットライトの下、フロイドがイデアをサッと見た。イデアもフロイドを見た。
照明を浴びた彼らの目は意味もなく輝いている。
2人の美男子がそうして、互いを見た瞬間だった。
『難易度:ウルフ。ノーフューチャー』
女が言った。
するとカンッ、と点滅する赤いライトが付き、会場が真っ赤に染まった。
続け様にガーッ、ガーッ、ガーッと爆音のサイレンが鳴る。誰かがオーマイガッと叫び、エースは耳を塞いで目を見開いた。
「ウルフ!アイツらが引いたんだ」
「マジか、ヤバイ、ゴールドカードがウルフだ!」
会場が一気に騒ついた。
中には立ち上がっているやつも居る。
15年ぶりのウルフをこの目で見られるとは思わなかったのだ。クリアした者は、まだ1人もいない。
眠っていたリドルが立ち上がり、「なに!?なんだい…」と周囲を見廻し。スクリーンを見て、「ウルフ…?」と赤い眉を潜めた。
フロイドとイデアは動かず、互いを見ているばかりだった。
赤いランプは点滅しているから、暗くなったり赤くなったりする会場の中、2人だけが静かに見つめ合っている。
すると鏡から頭のないスーツの男たち4人が出てきて、階段を機械的に降り、2人はフロイドに、2人はイデアに、手錠をかけた。
この手錠をかけたガチャンと言う音と共に、サイレンが止み、赤いランプが消える。
二つのスポットライトのみになり、場内は沈黙に包まれた。
『ジャンル:サイコホラー』
画面に看守らしき男が映った。
その男の後ろには椅子が並び、その椅子に縛り付けられた囚人が虚な笑みをこちら側に向けている。
囚人への虐待だ。
カメラに向かって笑えと指示をされているのだろう。囚人たちの体は二目と見れない姿にされていた。
『ミッション:脱獄』
檻を揺さぶる囚人。
狭い独房で頭を打ち付ける男。
理由もなく射殺される女。強制労働、海に囲まれた監獄。
『追加設定:ジョーカー』
画面にジョーカーのカードが映された。
裏切り者のカードだ。
エースは耳を塞いだ手をそろそろ下げ、画面を見ながら…2人のどちらかがどちらかを裏切るんだ、と思った。
だってウルフだ。
生き残るのも大変なステージの上、精神は破壊されること間違いなし。相手を裏切れば出られるなら、確実に自分は裏切るだろう。
目的は脱獄じゃなくなる。
嘘をついた者が勝つようにできてる。
これはイデア・シュラウドとフロイド・リーチの、騙し合いのゲームだ。
天才と鬼才の潰し合いになる。
『期間:一年』
鏡に、スポットライトの下に立つ2人の顔が映った。互いを見つめる2人だ。
腹の探り合いをしているのか、何かを伝えようとしているのか、警戒しているのかは定かじゃない。
「…あは」
フロイドが右の口角だけを上げて笑った。
イデアは笑わなかった。
2人はそれきりフッと互いを見るのをやめて、前に向き直る。
鏡は監獄の入り口を映した。
吹雪らしく、降っている雪が会場の中にまで鏡から飛び出している。冷気が鏡の中から漂い、一番後ろの席にいるエースまで寒くなった。
「裏切ンなよ」
「キミこそ」
「死ぬなよ」
「キミこそ」
言い合った。
2人はそのまま黙って、もう二度と互いを見ることはなく。同時に、手錠をかけられたまま階段を登っていった。
雪の降る監獄の入り口へ、頭のないスーツの男たちに連行されて連れて行かれるのだ。
フッ、と、2人の姿が消えた。
雪は消え、冷気は止み、鏡の中は黒くなる。
あとはなにも残らない。
『えー、次。ラギー・ブッチ。デュース・スペード。前へ』
余韻の抜けないまま、次の挑戦者が呼ばれた。
棄権すればよかった、と誰かが言う。
多分それは全員の思いだった。
エースは思う。何故一年生と二年生でここまで精神年齢や魔法の格が違うのだろうと。
きっとそれは、この進級試験を突破したからだ。
もしイデアとフロイドがウルフをクリアして、明日の朝鏡から出てくるのであれば…きっともっと化け物になって帰ってくるのだろうなと、マイクの前に立つクルーウェルは鏡を見つめながら思うのだった。
切
こういう話が読みたいな〜っていう設定をザッと書きました
これは話というよりネタ帳に近いですね
こういう設定があれば映画みたいなシチュエーションに推しを突っ込めるのになーと思って書きました
誰か続き書いてください
私は書きたくないです