サイゾーとジモコロの編集長対談|メディア乱立時代を生き抜くライター・編集者のキャリアの築き方
目次
『サイゾー』岩崎さんと『ジモコロ』柿次郎さんが「編集長」になるまで
ライティング力や編集力を伸ばすにはどうすればいいのか? しっかりとした生活基盤を作っていくために必要なことは? ウェブや紙のメディアを取り巻く環境が急速に変化する中で、ライター・編集者として「上を目指す」ためには何が必要なのか?
トークイベントに登壇したのは、紙媒体からは1999年の創刊以来厳しい出版不況を乗り越えてきた月刊誌の雄『サイゾー』の岩崎貴久編集長、ウェブメディアからはSNSで時に万単位の反響を引き起こす新進気鋭の『ジモコロ』の徳谷柿次郎編集長。自身の経験などを交えながら「編集論」を展開した。
【登壇者プロフィール】
宮脇:それではまず、『サイゾー』編集長の岩崎さんから、編集長になるまでのキャリアについてのご紹介をお願いします。
岩崎:僕は大学を卒業して、まず編集プロダクションに就職しました。その後、転職して、もともとサイゾーを発行していたインフォバーンのサイゾー編集部に配属になって。そこから諸事情がありまして、インフォバーンから株式会社サイゾーが独立して、そのタイミングで編集長に就任しました。僕が3代目です。
宮脇:初代編集長がこばへん(註:小林弘人さん)で、2代目がいびへん(揖斐憲さん)。揖斐さんは長かったですよね。
岩崎:はい、7年ぐらいやっていたんじゃないかな。
宮脇:私も創刊当初から数年、サイゾーでライターをしていました。ちょうど担当編集者が同い年の揖斐さんだったんです。
岩崎:ですよね。編集長の仕事って、端から見ても大変そうだから、「嫌だな」って思ってたんですけど(笑)。
宮脇:揖斐さんはジャニーズをイジるのが好きっていう、ちょっとおかしな人なんですけど。
岩崎:反ジャニーズの源流を作った人ですよね。 他にも(怒られそうなことは)たくさんありますが。
宮脇:岩崎さんに「もっと詳細なプロフィールをください」と依頼したら、これ以上は無理だって頑なに断られたんですよ。これは身を守るために?
岩崎:(苦笑)。いや、本当にこれくらいしかないんです。
宮脇:サイゾー編集部に入ってからは、サイゾー一筋ですか?
岩崎:ムック本を制作したり、Webを立ち上げたりはしていたのですが、まあ、メインはサイゾーですね。
宮脇:では、次は『ジモコロ』編集長の柿次郎、お願いします。
柿次郎:僕はバーグハンバーグバーグという会社に所属していまして、そこのメディア事業部の部長という肩書きも一応あるのですが、今はメインで『ジモコロ』というローカルメディアの編集長をさせてもらっています。
経歴としては、26歳の終わりに上京して、ここにいる宮脇さんに運良く拾ってもらいました。有限会社ノオトで2年半ぐらい勤務して、そのあとバーグハンバーグバーグに転職した流れですね。
宮脇:今回、テーマをちょっと大げさな感じで「這い上がる方法」みたいにしたのですが、特に柿次郎について言うと、編集経験が最初はなかったんですよね。
柿次郎:無(む)です。松屋や新聞配達のアルバイトしかしていなかったので。
宮脇:柿次郎は当時大阪に住んでいて、オモコロというメディアで執筆をしていました。東京で一度会ったことがあるので、私が大阪に行ったときに、ちょっと暇になって電話したんですよ。「難波にいるんだけど、お茶でもどう? 今どこ?」と聞いたら……十三(じゅうそう)だったっけ。
柿次郎:そうですね。難波からはそこそこ離れているのですが。
宮脇:それで、「じゃあバイバイ」ってなるかと思ったんだけど、無理してバイト中に抜けて来てくれて、それが縁になったというか。
柿次郎:店のレジを閉めないといけない時間だったんですけど、宮脇さんが大阪にいるというのはチャンスだと思って、スタッフの中で一番権力のあるおばちゃんに「チャンスやから行かせてくれ!」って頼み込んで。こっそり職場を抜けて会いに行ったという。今思えば、あの瞬間が人生の分かれ道だった気がしますね。
宮脇:そういえば昨年11月、柿次郎の生い立ちを取材した記事がバズっていましたよね。
柿次郎:ありがたいことに。CAREERHACKというメディアのインタビュー記事なのですが、10代の環境は親父がパチンコにはまって、ヤミ金で借金漬けみたいな感じでした。10日で5割、トゴっていう『闇金ウシジマくん』の世界みたいな利率で。結局、道路挟んだ向かい側のマンションに夜逃げをしました。木を隠すなら森。それと同じで夜逃げをするなら向かいのマンションって覚えておいてください。
そこから数年経った頃、バーグハンバーグバーグの社長であるシモダに「東京に来い」って引っ張ってもらって、その後大阪でお茶した縁もあってノオトに入社できたという経緯ですね。2年半、ノオトで編集の基礎を習い、その後バーグハンバーグバーグに転職して、企画とかディレクターとかそっち方面の仕事をメインにしています。
宮脇:それで今はウェブメディアの編集長をしているので、「これは“這い上がった”」と言ってもいいのではないかと思うんです。
柿次郎:経験も才能も何もなかった状態から、いろんな人たちに助けられて今がある、という感じなんですけど。
宮脇:そこで、紙媒体の編集長としては岩崎さんをお呼びして、このイベントを企画した次第です。
岩崎:僕は宮脇さんの依頼を断れなかっただけですね。
柿次郎:それは僕もそうです。
宮脇:(笑)。サイゾーとジモコロはそれぞれメディアの成り立ちから性質までいろいろと違うと思うので、その辺りも交えながらトークを展開していければいいなと思っています。
第二新卒で編プロに! 額面20万の給料に「世の中おかしいな」
宮脇:まずは編集業界に入ったきっかけを教えてください。岩崎さんはまず編プロに入社されたんですよね。
岩崎:大学3年生のときにアメリカに留学していたんです。1年ぶりぐらいに帰ってきたら、友だちがみんなスーツを着て就職活動をしていて。浦島太郎のような感覚でした。まだ40単位残ってる、みたいな状態で。
ぼーっと就職活動みたいなことをやっていて、4年生の途中から花屋のアルバイトをしていました。当時の友だちが、朝日新聞の三行広告を担当している編集プロダクションにいて、そこに応募して受かったのがきっかけです。ですから、編集業界というよりは出版業界ですね。
宮脇:そこには何年ぐらい在籍していたのですか?
岩崎:大体 6~7年ぐらいでしょうか。もうあまり覚えていないんですよ。本当に忙しくて。当時の出版業界の編プロの中でも、群を抜いて厳しかったと思います。これだけ働いて給料が額面20万って見たときに、世の中おかしいな、って……(笑)。
宮脇:「1週間くらい帰れない」なんて普通にありましたもんね。
岩崎:最高で2週間でしたね。
柿次郎:ニューヨーク行けますね、往復で。
宮脇:その後、インフォバーンに転職されて、さっきのプロフィールにつながるってことですよね。入口は編プロで、そこから編集長に上り詰めた、と。では、柿次郎はどうですか?
柿次郎:きっかけは21、2歳の頃に個人サイトをはじめたことです。日本のヒップホップが大好きで、アルバムのレビューを月に30~40本くらい書いて載せていました。それを見た『ミュージック・マガジン』というコアな雑誌の編集長から「うちでアルバム・レビューを書きませんか」とメールをもらって、そこで初めて夢ができました。
それまで「松屋」と「新聞配達」と「ヤミ金」しか脳内メーカーにないような状態だったのですが、それから興味を持って、23歳のときに日本語ラップ専門のウェブマガジンを立ち上げました。結局、業界の怖い人に圧力をかけられて潰されてしまったんですけど。
岩崎:ほう、何があったんですか?
柿次郎:いや、この話はこれ以上は(笑)。
で、そこから本当にライターになりたいと思って、オモコロというメディアでお手伝いしたりとか、名刺を作って売り込みしたりとか。音楽ライターの道を目指していた大阪時代はあまり目立った活動ができていないので、東京に来てからですね。ノオトに入って、イチから学んだというのが、ざっくりとした経緯になります。
宮脇:個人サイトは何年ぐらいやっていましたか?
柿次郎: うーん。トータルで10年以上やってたんじゃないですかね。ホームページビルダーというソフトで更新したり、ブログに乗り換えたり、いろいろやってました。
宮脇:2003年の冬くらいにニフティがブログサービス(ココログ)を開始しているけど、柿次郎が書き始めたのは2001年あたりかな。ココログより前ですよね?
柿次郎:そうですね。アルバムレビューを書き始めたのはその頃だったような。言われてみれば確かに、個人サイトを運営している人自体も少なかったかもしれない。ニッチなジャンルの音楽だったのもあって、趣味の延長線上で継続していたというか。
宮脇:オモコロのライターさん、そういう人が多いですよね。
柿次郎:そうですね。本当に友だちがいなくて、パソコンが友だちみたいなメンバーです(笑)。最近ウェブアーカイブで自分のブログを調べてみたら、2年間、毎月50本くらい記事を書いていて。
宮脇:そんなに!?
柿次郎:日本のヒップホップ以外にも、アルバムとか映画とか、本とかマンガとか。それしかやることがなかったんでしょうね。
宮脇:それで、ミュージック・マガジンの編集長の目に止まった、と。たまたま見つけたのか、探して見つかったのか、何か聞いていますか?
柿次郎:ジャンル自体がニッチなので、関連するキーワードで検索したら、だいたい僕のサイトがヒットするみたいな状況でしたから。
宮脇:当時はブルーオーシャンだったんですね。インターネットもGoogleが登場してすぐくらいのタイミングだし。
「自称編集長」でも、編集長というものになってみたかった
宮脇:ここで気になるのが、どのような経緯で編集長にまでなったのかですね。岩崎さんは第二新卒で編プロに入って、柿次郎は……上京時点ではシモダさんも、雇うつもりで東京に呼んだわけではないですよね?
柿次郎:全然違いますね。無職のまま30万円だけ持ってきて、家の契約で20万、残りの10万で32型のテレビを買っちゃったんです(笑)。シモダにはいまだに「あれは考えられない」とネタにされます。何のために上京したのかわからないって、よく言われましたね。
宮脇:ノオトからバーグに移ってジモコロの編集長になるわけですが、編集長は何かきっかけがあってなったのですか? 最初は広報をしていませんでしたっけ?
柿次郎:基本、何でもやる社風なんですよね。バーグは現在社員が12人なんですけど、当時4人目で入社したこともあって、「仕事は自分で作れ」という状況だったので、雑誌『ぴあ』のコーナーを連載化したり、ウェブサイトのいわゆるディレクションをしたり、経理に営業に……。
あとは雑用です。トイレットペーパーを買ってくる、とか。本当にお母さんみたいなポジションから、会社の成長にあわせて自分の仕事を作ってきました。幅広くなんでもやっていたのですが、2014年の終わりに、今のジモコロにつながる提案の機会があって。
宮脇:クライアントは人材派遣業のアイデムさんでしたっけ。
柿次郎:はい。僕がメインの担当になって、代理店さんと一緒に提案したんですけど、メディアにしたのは自主提案というか、こちら側から「その予算で年間通して運用するようなメディアをやりませんか」って流れで。僕は「地方に遊びに行きたい」という一心で、ジモコロのコンセプトを練って、提案したら通ったという。
今までバーグハンバーグバーグでは、外部メディアの編集長をやることはなかったんですよ。ただ全体の一部のコンテンツを作っているだけだったので。「“自称編集長”やっていいですか?」って社内で相談して、「じゃあ、いいよ」って。
宮脇:“自称編集長”というのは、編集部が自分だけなのに、提案が通ってメディアができたから、じゃあ自分が編集長やるしかない、ということですか?
柿次郎:それもありますし、編集長を名乗った方が本気になれるじゃないですか。自分で企画を考えて、どういうライターに書いてもらうか決めて、そのために予算をやりくりして、という仕事が編集長だと思っていたので。まあ、なってみると考え方も変わったので、あのとき自称しておいてよかったです。
宮脇:昔の雑誌には、個人で始めて、編集長になって、大きくなったら編集部員を入れる、というパターンもあったのですが、それのウェブバージョンという印象ですよね。しかも、それを会社員としてやっている。
岩崎:出版業界ではよくある話でしたね。
宮脇:ただ、インディーズの雑誌ってド貧乏な編集部ばかりでしたけどね。だって、上手く行かない限りはお金が入ってこないから。ジモコロは最初からスポンサーがいるから、しっかり予算をもらって、いいコンテンツが制作できますよね。
柿次郎:そうです、なんでもできるんです。アイデムさんとは「地元と仕事」っていうコンセプトでメディアを立ち上げたので、例えば「アジア旅行に行きたい!」という希望でもOKをもらえる。
もちろん、ただ遊びに行くわけじゃなくて、最近はアジア圏内の観光客が増えているので、日本と引っ掛けることもできる。こうやって、企画はいくらでも作れるんです。モチベーションは不純な動機というか、自分の好奇心を満たすことに置いているので。
宮脇:岩崎さんは同じ編集長として、今の話をどう思いますか?
岩崎:うらやましくてしょうがないですよね。僕は決してジャニーズのタレントは嫌いでもないのに、心を痛めながら、時に彼らのスキャンダル記事を作っているので。ただ、それでジャニーズ事務所、引いては芸能界の歪な構造が健全化されることが一番の願いですよ。
宮脇:(笑)。岩崎さんはどんな経緯で編集長になったんですか?
岩崎:いや、普通ですよ。デスクになって、副編集長になって、編集長になった。みんな辞めちゃうので、いつの間にか自分が一番古株になっている、という。
宮脇:そう考えると二人は対照的ですよね。片や編集長を自称していきなりなって、片やずっと在籍して順番に上がったという。
編集者は記事を作る仕事、編集長は雑誌を作る仕事
宮脇:編集長ってどういう仕事をしているのか、紙とウェブ、それぞれに聞いてみたいと思います。まず、岩崎さんからお願いします。
岩崎:普通の商社やメーカーで営業とかやっている人から、「編集者って、どんな仕事してるの」って聞かれることは多いですね。作っている雑誌のジャンルにもよるでしょうが、基本的に編集者は「記事と誌面を作る仕事」と答えています。自分で取材して書いてもいいし、写真を撮ってもいい。レイアウトまでやっちゃう人もいる。ともあれ、とにかく紙面を作るということが仕事。それが編集長になると、雑誌を作るのが仕事になる。もっと言えば、広告営業もやるし、出版営業もやるし、書店にも印刷所にも行く。つまり「雑誌に関わる作業全般をやりながら、雑誌というコンテンツをお金に変えていく仕事」かなと思います。
宮脇:柿次郎はどうですか? 編集長としてウェブではどんな仕事をしているのか、教えてください。
柿次郎:「ウェブのオウンドメディアの編集長」という前提にはなってしまうのですが、クライアントとのやりとりは僕が前に立ってやっています。企画を立案して、「こんなのやっていいですか」と確認する作業とか、あと、ジモコロは月に12~15本くらい記事を更新していて、その7割くらいは自分が企画を立ててライターにお願いをして、取材同行もしています。写真も僕が撮って、レタッチまでしています。逆に原稿はガッツリと編集してないですね。
あと、記事タイトルは一番時間を掛けています。それに画像ですね。SNSでシェアされる画像制作を社内のデザイナーにお願いするというような、おしりの部分もきっちり。だからホントに一から十までやっている気がします。
岩崎:記事の公開とか更新とかは誰がやるんですか?
柿次郎:だいたい僕ですね。
岩崎:CMSは何を使ってますか?
柿次郎:はてなブログです。すごく楽というか、使いやすいCMSで。
岩崎:そうなんだ。うちのウェブはMTとWordPressだなー。
宮脇:編集長の業務からCMSまで話題にできるのが、イマドキの編集長なのかもしれないですね。
柿次郎:Googleアナリティクスも1日5回くらい見ています。アクセス数などの分析ですね。それを月に1回のアイデムさんとの定例で、しっかり報告するという。効果がありますってところまでお伝えするのも、オウンドメディアの重要な仕事じゃないかと。
宮脇:柿次郎は自分でも記事を書いているよね。
柿次郎:でも、自分の記事はスケジュールに入れないようにしています。一番じっくり時間をかけて、隙間隙間でやるみたいな。編集長が記事を書かないと説得力が生まれないので。
宮脇:それはPVとかソーシャルの拡散とかで、威厳を示すということ?
柿次郎:というよりは、意識してやったわけじゃないですけど、自分の好奇心が大きい記事は自分が書くべきだと思うので。でも、それが当たると、周りの人の印象はかなり変わります。突然「新潟行きたい!」と言っても行けるようになりますから。そうやって社内で好きにやらせてもらっている以上、結果を出すのは必要なことだと思います。
宮脇:「編集長の威厳」について、岩崎さんはどう思いますか?
岩崎:そういう雑誌もたくさんありますけど、どうなんですかね。うちは得意なジャンルのある編集者やライターさんがいるので、そこはもう、特に誰が偉いとかはなくて。特集によって、エース編集者は毎回代わりますし、各々の編集者がライターを引っ張っていければいいんじゃないでしょうか。
(朽木誠一郎/ノオト)