更新日:2021年11月25日
守口市の境界線はなぜあちこちに入り組んで存在するのか?
守口市と大阪市旭・鶴見両区と境界には、凹凸が絡み合ったようなものやギザギザの部分が目立ちます。
どうしてこんなことになっているのでしょうか?
この記事の目次
守口市の境界線は複雑に入り組んで特徴的
地図をじっくり眺めてみると、大阪市と接する守口市にはギザギザ状やリアス海岸のように複雑に入り組んだ境界(行政区画の境)がいくつかあります。
守口市と旭区・鶴見区の境界線
かつての淀川の南岸に沿うように旭区と守口市の境界線が引かれています。現在の淀川河川公園あたりにかつて中洲があり、そこが大阪市(西成郡)であったことから、淀川付け替え後も大阪市(旭区)となりました。
守口市と境界線で隣接している大阪市旭区と生じていること
大阪市旭区と守口市の境界は階段状に引かれており、「お隣は別の区(市)」という事態が起こっているのです。ごみの回収日は同じですが、旭区に住んでいる高齢者は大阪市の地下鉄・バスの優待証が支給されます。
また、たとえば守口市立第一中学校の場合、敷地の中央に境界が通っているため、校舎は旭区に、グラウンドは守口市に位置することになっています。
守口市と大阪市旭区の境界線の成り立ち
1920年代後半までの旭区と守口市は農村地帯だったため、田畑の灌漑用水として淀川やその支流の堤防に水門を設け、農業用水を取り込んでいました。ギザギザの境界は、淀川の支流や用水路の流れにそって行政区域が引かれていたことに関係しています。
守口市と大阪市旭区の境界線はそのままに進む宅地化
まず、1920年代後半にはじまった土地区画整理事業によって支流や用水路は埋め立てられていきました。当時、大阪市は工業・商業が急速に発達していったため、それらの仕事に関わる人々の居住地の整備が進められ、農地が宅地化されていったのです。
守口市と大阪市旭区の境界線がギザギザになった理由
次に1960年代に大阪万博(1970年)の開催が決定して以降、交通網の整備のために旭区や守口市の周辺地域でも高速道路が計画され、雨水の排水用に残されていた用水路は暗渠化しました。たとえば1971年に開通した阪神高速守口線は、旭区を流れていた江野川(えのかわ)を埋め立てた土地の上に通っています。
これらの整備の際に境界上の土地は住宅やマンションを販売しやすい長方形の区画に切り分けられました。こうして、ギザギザの境界が生まれたのです。
守口市と境界線で複雑に隣接する大阪市鶴見区
旭区の隣の鶴見区焼野地域と守口市南部との境界もまたじつに複雑に入り組んでいます。鶴見区は以前、城東区に属しており、レンコンなどの生産地でした。ところが、1974年に鶴見区として独立して以降、一気に区画整理が進んだのでした。
守口市との境界が複雑に入り組んでいるのは、当時の畑の形の名残です。畑には複数の所有者がおり、土地の購入者も複数いたため、土地買収の足並みがそろわなかったようです。結果として複雑な形の土地が売買され、今に至るのです。
注射針のように松原市に食い込んだ東住吉区の道の謎
大阪市東住吉区と松原市の境界も、不思議な形状となっています。東住吉区矢田7丁目は、大和川の南にあり、周囲は松原市に囲まれています。
地図をさらによく見ると、南に伸びる府道26号沿いに、約600mくらいの注射針のように細長い境界線が走っています。この境界線は、もともと阿麻美許曾(あまみこそ)神社の参道だったので、神社と別の自治体とするわけにいかず、東住吉区となっているのでしょう。
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