やだよ〜

まだこの世の中を客観視出来なかった幼年の日、私たちは「将来の夢」の欄に思い思いの純真な夢を書き綴った。例えばそれはプロ野球選手だったり、総理大臣、宇宙飛行士、あるいはそれは星のカービィだった。何を隠そう星のカービィと書いたのは当時5歳だった私なのだが、その時夢見ていた星のカービィに一切の疑問はなく、確かなロマンがそこに存在していたと覚えている。 今にして思えばこの「将来の夢」を書かせるという作業は、大人になった時、過去と現在の自分を比較させ、ひたすらに落胆させるためだけの隠謀だったのだろうか。
将来の夢に星のカービィと書いて、それを偽りの笑みを持って「頑張れ夢は叶うぞ」と応援してくれる大人の姿に私は何の疑問も持たなかったし、大人が子供の夢を否定しないのは子供心を傷つけない為の配慮で、勿論今の私が星のカービィになることを夢見ている子供に出会ったら笑いながら「頑張れ」と言って背中を押してやるが、この様にして自分の誇大な夢を大人に否定されず、むしろ応援までされれば、その夢は実現可能であると認識するのは幼き子供にとって仕方ないものなのだ。かくしてファミリーコンピュータで星のカービィ夢の泉の物語を起動しテレビに映ったカービィに自分の姿を投影するようになった私は、小学校中学校と社会の階段を上る過程で星のカービィの実態を知ることになる。具体的には(略)
とにかくほんの少し世の中を客観視出来るようになれば、嫌でも気付くのだ。カービィなんていないじゃん。あんなのウソっぱちだよ、と。

つづく

伝えたいことなんてない
ブログでもTwitterでも何でもそうだけど
昔何かで聞いたんだけど、罪人が刑務所から出所した後、その体験を誰かに話さずにはいられなくなるらしい
同情されたいとか理解されたいとかではなくとにかくただただ誰かに話したい、話さずにはいられないという
ただ、話したい
そういうことなのか

完全に不眠症で人生終了した

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