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予想もつかない形となった衆院選。政権担当能力のある政党に最も必要なものとは/倉山満

政治に対し「どうなるか」ではなく「どうするか」

 誰もが予想もつかない形で、衆議院総選挙が終わった。5千票差以内の選挙区が約1割、2万票差以内が約4割。そして過半数が3万票差以内の接戦だった。マスコミ各社がはずすのもやむをえまい。
吉村知事

衆院選の投開票時の日本維新の会・吉村洋文副代表(手前)。10日に府庁で応じた取材では、「まともな野党として自民党にぶつかっていきたい」との意気込みもあったが―― 写真/時事通信社

 しかし、考えてもみよ。公示日にほとんどの候補者の当選と政党のあらかたの議席数が決まっている選挙など、意味があるのか。今回は本当に、ふたを開けてみるまでわからない選挙だった。激戦区では有権者の1.5%(だいたい数千人)が動けば、当落が入れ替わる。  政治に対し、「どうなるか」ではなく、「どうするか」を考えるきっかけになったのではないだろうか。

有権者は自民党に投票するしかなかった

 ’55年以来、衆議院選挙をやれば、たった2回の例外を除き、常に自民党が勝利する。総理大臣とは自民党総裁のことだった。  それでも高度経済成長期は、まだよかった。国民はメシが食えた。真面目に働けば、給料が上がった。努力すれば、やりたい仕事ができた。だから、自民党がいかに腐敗しようと、誰も怒らなかった。  ところが、高度経済成長の終焉から50年。自民党の腐敗と無能は留まるところを知らなかったが、国民は我慢するしかなかった。代わる、マトモな野党第一党が存在しなかったからだ。  バブル崩壊後の日本は、長いデフレ不況に苦しめられている。時たま小泉純一郎や安倍晋三のような長期政権が生まれると緩やかな景気回復だけはできるが、常に希望は打ち破られる。それでも、非自民党の首相による阪神大震災や東日本大震災は、地獄絵図だった。どこにも選択肢がないなら、災害対策くらいはできる自民党に投票するしかないではないか。有権者の諦念は頂点に達した。

選挙は選択肢が二つ以上なければゼロと同じ

 そもそも、選挙は最低でも二つの選択肢がないと、やる意味がない。選択肢が一つならば、いっそのこと一党独裁をやればいい。一党優位で、代わるマトモな野党が存在しない場合、国民は無限大の我慢を強いられる。その成れの果てが、今のコロナ禍だ。結局、選挙において選択肢が二つ以上ないということは、ゼロと同じなのだ。  多くの良識的な日本人は、立憲民主党に政権を託したいなどとは考えない。そもそも、立民の連中は、本気で政権を獲る気があるのか。本気かどうかはともかく、党首の枝野幸男は本気の恰好だけは見せた。  国民民主党に大量移籍を強要し、共産党は大量の立候補取りやめの末に選挙協力を求め、社民党やれいわ新選組にも居丈高に振舞った。ここまでやって議席が微増なら、執行部の責任問題だった。ところが現実は、まさかの惨敗。さすがの枝野幸男も、退陣を決意せざるを得なかった。
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政権を担う政党に最も必要な条件は「魅力ある党首」だ
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