てっぺいしゃんが時事ネタで
オリンピックを取り上げると言ったとき、
まぁ、オリンピックだけで済まないんだろう
とは思った。
講座名が
「靖国神社とオリンピック」
に決まって、
この2つに
一体どんな関係が???
と楽しみなような
怖いような。。。。
そしてやっぱり怖かった
まず鎮魂の話。
鎮魂という言葉には、
本来は肉体に収まっている魂が
抜け出している(抜けかけている)と
厄災が起きる
という古代からの考えが含まれている。
それは逆に
何か厄災が起きた場所では
そういう魂的イレギュラーが起きている
と捉えられ、
だから祀って鎮めないといけない、
という方向に行くのだと。
こういう古来からの発想に
囚われているから
聖火リレーのスタートを福島にするとか
パラリンピックの聖火を「やまゆり園」で
という案が出るのではないか、
という考察に
そうかもなぁと思ってしまう。
祭りには確かにそういう匂いがある
と感じるのは
わたしの中に
それを嗅ぎ分ける何かが流れているから。
それから武士の話になる。
「皆さんがこれまで持っている
武士のイメージを書き換える」
との宣言から入った
武士及び江戸時代の話も
ホント、今まで思ってたことが
ごろりとひっくり返った。
悪代官とかバカ殿はいただろうけど、
基本的には武士は
読み書きもし、武術の稽古もし、
町や国を束ねる役割を担う
誇り高き階級のイメージでしたが。
戦国時代の戦の考察から、
武士はとにかく
戦がお好きで
血や分取り品を求めて
次の戦、次の戦と
戦を重ねることが喜びだった
ということが浮き彫りにされる。
戦自体も
軍師が戦略は立てただろうけれど
作戦通りに行って勝つことより、
血の気の多い部下の暴走で
勝つことが多かったらしいとか
徳川家がすごかったのは、
この戦好きを200年もの間
うまくコントロールする仕組みを
作ったこと。
生類憐みの令も
鎖国政策も、
わたし達が習ったことと
全然違う意図もあったらしい。
はぁ~
そんなにみんな
殺したがりやでしたか…
これは
究極の白黒付けたい
から来る。
殺すということは
相手は死に、
自分が生き残る
という
これ以上ない白黒が付く。
大多数の人は
そう簡単には人を殺せない。
でも一定数の人は
殺したい欲求にかられている?
実際にやらないにしても
なんとなくそれが分かる
という人もいた。
わたしには殺したい欲求なんて
全然ない…
と瞬間思ったけど、
そう思いたいだけなのか。
若い頃、むしゃくしゃしているときに
ゲームセンターに行って
機関銃を乱射するゲームをやると
スッキリしたもんだ。
これってカケラだよねぇ。
たぶん
どんな人の心の奥にも
そのカケラはあるのだろう。
ただ歳を重ね経験を積むにしたがって
そういう欲求は鎮まっていくのだと
自分はそう感じる。
でも世の中見ると
結構なおじいちゃんおばあちゃんが
白黒付けるに
しがみついているように見える。
なんなんだ…
靖国神社の話も
こりゃ、一体なんなんだ
靖国神社の前の桜が見事なのは、
上野寛永寺(徳川家菩提寺)に対抗して
たくさん植えたからなんだって
そんな理由??
明治政府が目指したのは
天皇を頂点に置いた
日本国民の総武士化
だから
天皇の正装が軍服だったりするわけだ。
あれ?江戸幕府が倒れて
文明開化でグローバル化近代化で
良かったねーという話じゃなかったっけ
最後にぐるっと回って
オリンピックに話は戻って来るのだが、
オリンピックの前に
スポーツってなんでしょう
話を聞きながら
アミ 小さな宇宙人の中に
アミが連れて行ってくれる惑星では
人と人が競い合うことは
1つも行われないので
スポーツの試合もない話が出てきたことを
思い出した。
読んだ時に、
スポーツで競い合うのは
お互いが成長するから
いいことなんじゃないか
と違和感を覚えたことの答えが
何年も経ってから降ってきた感じ
今回のこの講座は
相変わらずのてっぺいしゃんの切り口の見つけ方と
調査力にただただ感服する
と同時に、
今までの知識とのあまりの格差と
それを知ったことで湧いてきた感情の
持って行き場のなさで
ワサワサしたまま帰宅し、
一晩寝て起きても
うーんうーんと唸ってる。
オリンピックをどんな気持ちで見ればいいのだろう。。。。
8月6日に同じ内容でもう一度開催。
既に満席ですけど。
このレポート読んでキャンセル出たりして