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3分前

“反田中”の大学幹部に実弾入りの封筒が

 田中氏は家宅捜索には驚いていたものの、至って強気の姿勢だという。

「田中氏本人はガサ入れ翌日に6時間の事情聴取を受けていますが、『まったく知らない。金が(医療コンサルに)渡っていたことは後で知った』と一貫して否認している。学内で、地検に協力した犯人探しも始めています」(同前)

 田中氏は青森県出身で、地元高校の相撲部を経て日大に入学。現役時代は34個のタイトルを獲得した、“アマ相撲界の大鵬”だ。

「83年に日大相撲部監督に就任。指導者として元小結・舞の海や野球賭博で追放された元大関・琴光喜などを育てた。その後も角界に絶えず逸材を供給するドンとして君臨し、日本オリンピック委員会(JOC)の副会長などを歴任。政治力に長けていた田中氏は日大でも出世コースを歩み、08年に理事長の座を手にした」(日大関係者)

 その過程で、“反田中”の大学幹部に実弾入りの封筒が送られるなどの不穏な動きが勃発。捜査当局の間でいつしか「日大利権」「ドン田中」のキーワードが取り沙汰されるようになった。

悪質タックル問題の“黒幕”

 異例の長期政権となった田中体制が最大の危機に直面したのは、18年5月。日大と関西学院大学とのアメフトの定期戦で、日大の選手が、味方にパスを出して無防備な関学のクォーターバックに激しいタックルを浴びせ、大怪我を負わせた悪質タックル問題でバッシングを浴びたのだ。この時、“黒幕”として名前が浮上した人物が、日大アメフト部の大物OBである、件の井ノ口氏だった。

「悪質タックルは、日大アメフト部の監督とコーチの指示によるものだったのかどうかが焦点となり、警視庁も捜査に乗り出すなか、大学側は第三者委員会を設置。その調査報告で、井ノ口氏は加害者である選手と父親に不当な圧力をかけ、口封じをして事件のもみ消しを図ろうとしたと指摘されたのです」(社会部記者)

 集中砲火を浴びた井ノ口氏は日大事業部の取締役を退き、18年7月には理事も辞任。だが、ほとぼりがさめた19年12月に事業部取締役に返り咲き、昨年9月には理事にも復帰した。

田中夫妻の後ろに白髪の籔本氏とスーツ姿の井ノ口氏(日大HP)

ちゃんこ屋で毎回約30万円を支払い…

 その背景を日大アメフト部関係者が解説する。

「田中氏が唯一、頭が上がらないのが、東京・阿佐ヶ谷でちゃんこ屋を経営する元演歌歌手の優子夫人。井ノ口氏の復活には彼女の口添えがあったようです。もともとは09年頃に、井ノ口氏の実姉が日大の広報関連の仕事を通じて優子夫人に取り入り、井ノ口氏も頻繁に店に出入りするようになりました。アメフトの試合後に部員20名ほどを店に連れて行き、毎回約30万円を支払い、優子夫人の機嫌をとっていたのです」

 11年に、ちゃんこ屋の近くに12階建てのマンションが建設されると、優子夫人の勧めもあり、井ノ口氏はすぐに12階の1部屋を購入。今回の捜査ではここも家宅捜索を受けている。