自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだせない人は、単に不幸であるばかりではなく、生きるのに向いていないと言えましょう。
生まれてこなければよかった。
僕は十一になった。今日まで生きて、今も生きている。恐らく明日もまた生きるのだろう。
どうして僕は生きているのだろうか。
人生なんて生きるに値しない。
例えば、赤ん坊は泣きながら産まれる。赤ん坊は賢く、まだ生物として損なわれていない。
きっと、生まれて来なければよかったと泣いているのだろう。
だから赤ん坊は、煩く大声で泣き喚く。周囲の人間を責め立てるように、自分を捻り出した女を責めるために、疲れて眠るまで必死で泣き続ける。
勝手に世の中へと引っ張り出されてしまったことを嘆き、生きる義務を背負わされてしまった事を悲しむ。人間は本能でそれを知っているんだろう。そんな世の不条理を目の当たりにして、絶望しているはずだ。
そうでなければ、どうして赤ん坊は泣くのだろうか?
此処からは僕の話になる。
僕は泣かない赤ん坊だったらしい。産婆に随分と気味悪がられたものだ。真偽は分からないが、母が度々口にする。
母は事あるごとにその話を僕に聴かせようとした。
まるて産んでやったと言わんばかりの口振りで、その腹から捻り出した、「僕」という存在を全面的に肯定する。僕という存在を通して自分を誇り、命を生んだ自分を賛美して憚らない。まるで僕からの感謝を待っているようにして話す。
僕はその度に、生まれてこなければよかったと口にした。
母を怯ませて、会話を打ち切ろうとした。彼女を否定して、これ以上の言葉を紡がせないようにした。その女を反駁して、僕の存在を取り戻そうとしま。母の口を閉ざそうと、鋭く尖った言葉を投げつけた。全てが無駄だった。
僕の言葉は母の耳には届かない。
母は気にせずに昔話を続ける。僕がそこに居ようが居まいが、お構い無しに僕へと話を続ける。
だから、生まれたばかりの僕は泣かなかったのだろうと思う。僕は賢い赤ん坊だった。多分、今よりもずっと賢かった。何を言っても母に届く言葉なんて無いのだから、泣いても無駄だと思ったのだろう。
それは正しかった。死ぬまで母はそれ以外の事を話さなかった。そして二年前に死んだ。
葬儀での汚ない死に顔は、見るに耐えなかった。珍しく父が感情を見せていたのが印象に残った。あの女の何処が魅力だったのかは分からないが、思うところがあったのだろう。
その日以来、父の口数は減った。親子の会話は滅多な用事以外では皆無になり、父は書斎に閉じ籠るようになった。
ようやく家が暮らしやすくなったと思った矢先に、手紙が来た。