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2011年02月06日

林原、「バイオ企業」に隠された生業(日本経済新聞)

国内有数のバイオ企業、林原(岡山市)が2月2日、東京地裁に会社更生法の適用を申請した。

同社は天然甘味料トレハロースや抗がん剤インターフェロンなどの開発で知られ、父の死により大学在学中に経営を引き継いだ林原健・前社長(69)の独創性にこだわるユニークなビジネス手法は経済界やマスコミから称賛を浴び続けてきた。

だが、「R&D(研究開発)主導の異色企業」との美名の陰で会社を実質的に支えてきたのは不動産や株式などの含み益。破綻間際に発覚した「不正経理」による同族経営の幕切れは、「バイオ企業」に隠された生業(なりわい)の危うさをあぶり出した。


■「突出した研究開発力」の裏で

林原の創業は1883年。林原前社長の曽祖父が開業した水飴(あめ)屋の林原商店が前身。

3代目の一郎氏が胃がんで急逝したのは1961年4月、長男の林原健・前社長は当時、慶応大法学部政治学科の2年生になったばかりだった。とりあえず4代目社長に就任したものの、仕事は叔父に任せ、実際に経営の舵(かじ)を取るようになったのは卒業してからだ。

父の時代の主力事業だったデンプン糖製造はその後、業者乱立や輸入自由化で大打撃を受け、赤字が常態化。社員の半数が会社を去ったという。

林原前社長は新しい糖化製品の開発を目指し、「デンプン加工業からデンプン化学工業への転換」を掲げた。1968年にブドウ糖の2倍栄養があるマルトース、73年に「食べられるプラスチック」のプルラン、79年にハムスターを使ったインターフェロン生産技術、94年にトレハロースの量産技術と次々に画期的な製品・技術を開発。優良企業の仲間入りを果たした。

ただ、林原前社長の成功は「突出した研究開発力」という表向きの成果だけでなし遂げられたものではなかった。

岡山市中心部から南へ車で約1時間、瀬戸内海に面する出崎半島の一角に林原生物化学研究所・類人猿研究センターが発足したのは2001年。人類と共通の祖先を持つといわれるチンパンジーの生態を研究し、「ヒトとは何かを解き明かしたい」という林原前社長の発想から始まったプロジェクトである。

翌02年、林原はJR岡山駅前に保有する社有地(約5万平方メートル)の再開発計画(名称は「ザ・ハヤシバラ・シティ」、総事業費1500億円)を発表した。百貨店やホテル、美術館などとともに自然科学博物館を建設するプランも盛り込まれた。林原前社長は当時、類人猿センターで飼育するチンパンジーを約30キロ離れたその博物館に「準社員」として通わせるという「人々をアッと言わせるような構想」を温めていたという。


■不動産事業への傾注は先代から

類人猿研究、出崎半島、岡山駅前再開発――。実はこれら一連のキーワードが林原の経営の本質を象徴的に表している。

類人猿センターの開設当時、林原は出崎半島の約90%、面積にして76万5,000平方メートル(東京ドーム約16個分)を所有していた(「日経ビジネス」2003年9月29日号)。

一方、岡山駅前の土地は終戦の翌年の1946年、林原前社長の父である林原一郎氏が日本電気(現NEC)から買い取ったもの。「岡山最後の一等地」「新幹線の素通り客を引き寄せる観光開発」として1980年代後半のバブル期から何度も再開発構想が持ち上がっていた。

林原は先代の一郎氏の時代から不動産事業に傾注。岡山駅前の土地を買った46年にグループ会社の太陽殖産(岡山市)を設立して不動産部門の拡充に乗り出し、京都センチュリーホテルや京都ステーションホテル(84年に営業終了、現在は京都ルネサンスビル)を林原傘下に収めた。

林原前社長も不動産開発には熱心で、太陽殖産が東京・新宿の歌舞伎町に93年に建設した「林原第5ビル」は英ロイズ本社ビルなどのデザインで知られる世界的な建築家リチャード・ロジャース氏に設計を依頼、「名建築」として注目を集めた。

「林原の保有資産の含み益は5000億―7000億円」。バブル期にはこんな試算が関係者の間でささやかれていた。若干時期はずれるが、92年の林原のグループ売上高は630億円。年商のざっと10倍の含み益があったことになる。同社は本業のバイオ関連技術の研究開発投資に加え、類人猿や恐竜の生態研究、刀剣や美術品の収集、さらに早くからメセナ(文化支援)活動に積極的で、91年に外国人研修生の支援や文化振興奨学金制度などが評価され「第1回メセナ大賞」を受賞するなど、多種多様な事業活動で膨大な資金負担に耐えてきた。そのバックボーンになってきたのがこの含み益だったといえる。


■もう1つの打ち出の小づち

不動産と並んでもう1つ、林原には“打ち出の小づち”があった。メーンバンクの中国銀行の保有株である。

林原、太陽殖産、林原生物化学研究所の3社が保有する中国銀行株は発行済み株式の10.7%(2010年9月末時点)。2月4日終値で換算すると、総額約240億円だが、筆頭株主としての影響力を考慮すると、この銀行株の価値は額面をはるかに上回る。

林原の金融機関からの与信総額は約1,400億円とされる。

破綻後に明らかになった中国銀行の債権額は454億7,100万円で、このうち198億円は担保で保全されていない。

中国銀行が林原の保有する岡山駅前の5万平方メートルの土地に債権400億円の担保として根抵当権設定の登記をしたのは昨年12月27日。林原が資金繰り悪化の相談をしたのが同11月であり、同社の業績や財務内容を精査して慌てて登記をした様子が推し量れる。

準メーンで280億円の債権を持つ住友信託銀行も中国銀行と同時期に岡山市内の別の土地に50億円の担保設定登記を行っており、金融機関の泥縄ぶりが浮き彫りになる。

2004年に西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載問題でワンマン経営者の堤義明・元コクド会長(76)が失脚、この時、取引金融機関が無担保状態だった1兆3,000億円の債権に慌てて担保設定を行った構図と今回の林原のケースはピタリと重なる。


■執務3時間の社長

林原前社長も名うてのワンマン経営者として知られていた。出社は午前11時半で午後2時ごろには退社、「執務時間3時間の社長」と話題になった。

常務会は開くが社長は出席しない。月1回の幹部昼食会で社長は幹部と顔を合わせるが、具体的な重要案件は担当者を呼んで情報を集め、社長1人で決める。「責任を曖昧にせず、自分がすべて負う」と林原前社長は説明していた。

聞こえは良いが、これでは幹部の存在は有名無実になり、トップの目が曇れば会社は迷走を始める。しかも執務は1日わずか3時間。そんな懸念が現実のものになったのが今回の破綻劇である。

林原の役員構成が「経営不在」を如実に物語っている。

09年10月期決算時点のメンバーを見ると、10人の役員中、林原姓が5人。

取締役が林原前社長、弟の林原靖・前専務(64)の2人で監査役はすべて親族。前社長の母である林原英子氏(93)、いとこの林原克明氏(66)、長男の林原崇氏(35)の3人だ。

他の取締役も発言権はほとんどなく「社長と専務の林原兄弟以外に『経営者』と呼べる人材はいない」(関係者)状況。確かにこの体制で経営のチェック機能が働くとは思えない。

同社はもともと縁故採用が原則で社員の90%以上が地元岡山県出身者。絶対君主が同質の社員を統治する異形の企業だったことが今回改めてクローズアップされている。

破綻時、林原は551億円の債務超過だった。同社の資本金はわずか1億円。見るからに脆弱(ぜいじゃく)な財務体質であり、売掛金や売上高の架空計上、さらに金融機関別に3種類の貸借対照表を作って提示していたという「不正経理」が1980年代半ばから四半世紀以上も続いていたとされるのは、ある意味で必然だったかもしれない。

更生法を申請した2日に岡山市内で記者会見した林原前社長は「私は経営者にまったく向いていない」と語ったという。

破綻時の負債総額は1,318億円。今後、創業家は資産売却を迫られるだけでなく、「不正経理」については当時のトップが刑事責任を問われる可能性もある。

トレハロースの開発では味の素や武田薬品工業に競り勝ち、インターフェロン製剤の特許紛争ではスイスのロシュ社を打ち負かした。こうした林原の快挙はこれから色あせ、熱心なメセナ活動や研究開発主導のユニークな経営への評価も大きく損なわれることは避けられない。

今後の更生手続きに沿って決められるスポンサー企業が同質性に偏った「異形の企業」を再生できるのか。創業家が去った後の焦点はそこに絞られる。
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Posted at 2011/02/07 22:11:20

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