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Conversation
731部隊については、ある医師が大方は非現実的だが何かはあったと。凍傷やある感染症の実験は行なったと判断できるとしていて、私もその意見に同意しています。
それ以上は認めるのに慎重と、今はさせてください。
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戦前の日本の記事が当局の検閲を受けていたことは常識です。
まともで冷静な読者は下記をご覧下さい。
極悪非道の日帝の悪行の、ごくごく一例です。
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でも、1937年の南京事件は”大虐殺”ではありませんでした。こちらははっきりしています。
どちらかの国のみが悪逆非道と決めつけると、なかなか事実が見えてきません。
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日中国交正常化以来、中国に不利な記事は書かないという協定を結んだままの、今の日本のマスコミも検閲まがいの行動を続けていますよ。
戦争は二度と起こしてはならない。その思いは皆様と一緒です。
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嘘と歪曲と一部切り取りだけは得意技のネトウヨは放置。
冷静で事実だけを重んじる読者は、下記URLのブログをじっくりご覧下さい。
【南京事件FAQ project】
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南京戦後に日本軍が民衆を組織的に狙った”大虐殺”の証拠は、今に至るまで何一つ見つかっていません。
このFAQにも載っていなかったと記憶しています。
ちなみに、日本軍は中国軍に対し、総攻撃の前に降伏勧告を行い、開戦後もほとんどの南京市民が避難していた区域への空爆も砲撃も避けていました。→
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実際、2発の砲撃のみでした。離れた所にある空港などの軍事目標のみ空爆しています。また、孫文の陵墓である中山陵など中国の文化遺産を戦に巻き込まないよう、慎重に行動しています。
”大虐殺”があったとすると、線にならないのです。点にしかならない。
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なお、和文の判決文に「右のような」とあるのは、原文が縦書きだからです。
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インドのパール判事は、その人数は大袈裟だし中国軍の犯罪が日本のせいにされている部分がかなりあるとしながらも何かはあったと弁護側が認めている限り、弁論主義の原点に依り、総司令官である松井岩根大将に部下の行動に対する責任はあるとしながらも、→
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その話は何に乗っていますか?話は慎重に進めないといけないのでしょう?
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「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示した」(パル判決書下566頁)
最終的に松井大将に対して無罪を宣告しています。
詳しくはパール判事のWikipediaに。
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慎重にと言っておられるのに,wikiを参考にされるのですか
おかしくないですかね
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えと、パル判決書から引用していますよ。
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どのあたりですか?wikiには
南京事件については「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」と、検察の提示した十数万から数十万もの証言や証拠に強い疑問を呈した。ただし、パールは「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、
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はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は、圧倒的である」[13]と、犯罪行為その物は存在したと判断している。
ただし、「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、
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かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示した」[14]として、弁護側が一定規模の残虐行為の存在については争う姿勢を見せなかったために弁論主義の原則から真否を審理せずそのまま判決の基礎とした。そして残虐行為を行った人間は直接の上司と共に既に処罰されている事、
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「犯罪行為の指示」「故意の無視」といった事実は見受けられないことなどから、被告に繋がる問題ではないとして残虐事件の責任を問われた松井石根に対しても無罪を宣告している。
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とありますが、どのあたりですか。
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”…残虐事件の責任を問われた松井石根に対しても無罪を宣告している。 ”
私の記述と同じですよね。
無罪と宣告するにあたり、これらの事件は松井大将、つまり総司令官は命じていないし、見逃しもしていないことも述べています。
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弁論主義という言葉が垣間見えるように、人を裁くにあたり、司法では独特の手順を踏んでいます。
認めているのは”何か残酷な事件はあった”までで、軍が民衆を襲った”大虐殺”はあったとはどこにも出てきていません。
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これは東京裁判の判決であって、パール判事の判断ではないですよ。私はパール判事同様、東京裁判は戦勝国の茶番だと思っていますし、同じように断じているインドの判事はどう判断したかを知りたいのです。
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「同じように断じているインドの判事はどう判断したかを知りたいのです」ということは、ご存じないのですね。慎重にと言っておられるのに、なんで知らないことを言うのですか?
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このツリーも長くなりました。
ここでは、知りたいからパール判事を中心に調べて松井大将は無実と彼は宣告したということを知った、という流れです。
まだ、調べれば、色々な言葉が出てくるはずです。
パール判事はこんなことも述べていますよ。
長文失礼。
1952年(昭和27年)11月、広島高裁での→
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歓迎レセプションにおける発言
わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。
このわたくしの歴史を読めば、→
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欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。 そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。
満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、→
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どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない。
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パール判事の言う通り侵略・植民の歴史は欧米の方が圧倒的に多い。しかし、日本にも侵略・植民した事実がある事に変わりがない。大切なのは、加害の歴史にどう向き合うかです。真摯に向き合うのならば、卑屈・退廃に流される筈もない。その態度は、いずれ欧米も無視できなくなる事でしょう。
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戦争には加害者も被害者もありません。
先入観なく眺めれば、日華事変はソ連が東の敵である国民党と日本を互いに戦わせその力を削ぐ狙いがあったことがよく分かります。この事変の一番の勝利者はソ連であったと言われています。
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