写真1 全長25mのブラキオサウルス・アルティソラックスが出迎えてくれる。 |
“恐竜とハイテクの融合”というと,バイオテクノロジで琥珀(こはく)から恐竜のDNAを取り出して・・・と想像されるかもしれないが,これは小説と映画の中でのお話。両者が融合したリアルな空間が9月14日,東京都江東区有明に誕生する。松下電器産業と林原自然科学博物館が共同で運営するパナソニックデジタルネットワークミュージアム「林原自然科学博物館Dinosaur FACTory(ダイノソアファクトリー)だ(写真1)。
林原自然科学博物館は,世界的な恐竜化石産地の一つモンゴルをフィールドとして古生物学などの研究をしている博物館である。しかし,研究成果を一般に公開するための“箱”がまだない。用地は岡山県の岡山駅のすぐ前に確保しており,当初計画では今ごろは開館しているはずだったが,不況のあおりを受けて,まだ実現していなかった。
しかし,1992年から実施しているモンゴルでの発掘調査の成果は着々と蓄積されている。研究室や倉庫には日の目を見ない貴重な化石があふれていた。そこで,松下が同じ9月14日に開館する総合情報受発信拠点「パナソニックセンター」の中に,恐竜の博物館を作ることになった。松下のハイテクを使って,今までにない博物館を作ろうという構想を立て,実現した。松下はDinosaur FACToryの開発成果をもとに3件の特許を出願しており,ハイテクを用いた展示システムのショー・ルームとして利用する考えである。
「普通の博物館の5倍の情報量」
さて,Dinosaur FACToryでは具体的にどのようにハイテクを用いているのだろうか。一番の目玉はPDA(携帯情報端末)を用いた情報提供である。普通,博物館や美術館に行くと展示物の脇に説明パネルがある。ところがDinosaur FACToryでは通常の説明パネルはない。この携帯情報端末が音声と音で説明してくれる。
通常の説明パネルでの情報量は限られている。これを補うものとして,展覧会などでは有料で「イヤホン・ガイド」を提供していることもある。会場でお金を払うとイヤホン・ガイドの装置を貸してくれるので,首にかけてイヤホンを耳に付ける。展示物の近くに1番,2番と番号が表示されているので,その番号を入力すると,展示に合わせたナレーションがイヤホンから聞こえてくるという仕組みだ。確かに説明パネルよりも詳しい話しを聞くことはできるが,イヤホン・ガイドは音声に限られている。
Dinosaur FACToryのPDAはイヤホン・ガイドのマルチメディア版と思えば良い。入館時に小学生以上の全員にPDAが配られる(利用料は入館料に含まれている)。このPDAで動画付きの説明を聞くことができる。「普通の博物館の5倍の情報を提供しています」(林原自然科学博物館の石垣忍副館長)。全部のコンテンツを視聴しようとすると,3時間はかかるという。
コンテンツはMacromedia Flash5[用語解説] で開発し,SDカードでPDAに搭載している。英語の来場者には英語版コンテンツのSDカードを差し込んで,貸し出す。
Bluetoothで位置を検出させる
写真2 各展示コーナーごとに設置されたBluetoothによる位置検出用アンテナ(赤丸)。館内にはこうしたアンテナが34個ある。 |
Dinosaur FACToryのテクニカルな醍醐味はいよいよこれからである。イヤホン・ガイドではユーザーが手で番号を入力して,それに応じたナレーションを流す。これに対して,Dinosaur FACToryのPDAでは場所を検出するのにBluetooth[用語解説] を用いる。展示コーナーのあちこちに垂直に立てたパイプのような位置検出用アンテナがあって,そこにPDAをかざすと,その場所に応じたFlashのコンテンツが表示されるのだ(写真2)。
「これが大変でした。あんまり思い出したくないですね」と開発に当たったパナソニックセンターの田村亮テクニカルアドバイザーは苦笑いをみせる。なぜか? Bluetoothをはじめワイヤレス技術は出力を高めて電波が届く範囲を少しでも広げようとしがちだ。
ところが施設面積1400平方メートルのDinosaur FACToryの中に,34カ所もの位置検出用アンテナを置こうとすると,電波が飛びすぎて困る。あるアンテナにPDAを近づけても,別のアンテナを認識してしまうのだ。Dinosaur FACToryはパナソニックセンターの1階と3階に位置するのだが,「単に通信するだけだったら,各フロアに一つずつアンテナがあれば十分だ」(田村氏)。こんな状態で34個の位置検出用アンテナをそれぞれ認識させるには,技術的な苦労が絶えなかった。
まず通信方式の選択から振り返ってみよう。主な要件としては
1.それぞれの位置検出用センサーを識別する。
2.センサーにPDAを近づけたら,なるべく速く認識する。何秒もかかっていてはユーザーはセンサーから立ち去ってしまう。
3.ある程度センサーから離れていても認識する。
4.アプリケーション開発環境が整っている。
という4点があった。
1~3を満たす通信方式はBluetooth以外にも,特殊な通信機器を用いれば可能だったという。ところがこうした通信機器はアプリケーション開発環境がなくて,コンテンツ開発に不向きである。
選択肢に残った通信方式は,BluetoothのほかにIEEE802.11b[用語解説] の無線LANと赤外線通信のIrDA[用語解説]だ。IEEE802.11bでは電波が飛びすぎて,密集しているところでは2メートルと離れていない位置検出用アンテナを区別できない。802.11bでは出力調整ができるとはいえ,そんな狭い範囲には閉じこめられないのだ。
IrDAはパソコンと携帯電話の間といった近距離通信で用いられているが,受発光部を比較的きっちり向き合わせないと通信できない。複数の人が同時にセンサーにPDAを近づけてくる可能性がある展示コーナーの位置検出には不向きと判断した。
Bluetoothを狭く,しぼって使う
写真3 Bluetoothの電波を絞り込むために工夫されたアンテナ上部。何気ないフォルムに見えるが苦心の賜物だそうだ。 |
こうしてBluetoothを用いることになったわけだが,それで済めば田村氏も苦笑いを見せるようなことはなかっただろう。Bluetoothを採用しても,認識に数秒かかったり,他のアンテナを認識してしまうことがあった。
まず認識時間の短縮には,通信プロトコルをBluetoothの仕様を定めたプロファイルの範囲内で工夫をした。PDA側のBluetoothアンテナはコンパクト・フラッシュ型カード(英Brain Boxes社製)。そのファームウエアを書き換えて,高速化を図った。これによりアンテナにPDAを近づければ,すっと表示されるようになった。
他のアンテナと間違えてしまう点は,電波の出力を単に落とすだけでは解決しない。PDA側の向きによっても感度が変わってしまう。そこでアンテナの覆いの形状も工夫した。覆いは電波を外に出さないように電波吸収体で作られている。利用者がPDAを差し伸べるような形状にして,上側や後ろ側には電波が漏れないようにした(写真3)。松下はこうして培った狭域通信の技術を特許出願中である。
写真4 展示物に振られた番号をPDA上で選択する。展示物が密集しているところではBluetoothでは識別できないため,手動にした。 |
「当初は100カ所以上の位置で認識させたいというリクエストがあって,どうなることかと思った」(田村氏)。並べた展示物のそれぞれで異なるコンテンツを表示させたいというのだ。そんな密集している部分では,コーナーとして位置検出用アンテナを設置して,個々の展示物には,イヤホン・ガイドのときのような番号札を付けて,ユーザーがPDA画面上で選択するようにした。
Pocket PC 2002を採用
PDAにはカシオ計算機のMicrosoft Pocket PC 2002搭載機「カシオペア E-2000」を採用した。Bluetooth用のコンパクト・フラッシュ・スロットとコンテンツを入れるSDカード・スロットがある,電池を交換できるといったスペックを満たすPocket PCはこれしかなかった。
「Bluetoothで通信を続けているため電池は1時間半程度しか持ちません。たいていのお客さんは1時間程度で見学を終わられるのでこれで十分です」(パナソニックセンターの山田昌子企画・構築担当主任)。ところが出口で来場者からPDAを回収したあと,次の来場者にPDAを渡すには,PDAをフル充電に戻す必要がある。ACケーブルをつないで内蔵電池を充電していては,PDAの利用回転率を上げられない。電池交換式のPocket PCであれば,予め充電池を用意しておいて,いったん利用が終われば充電池を交換して,次の来場者に回せる。
画像受信は別のアンテナから
Dinosaur FACToryのもう一つの特徴は,PDAで制御するデジタル・カメラである。博物館内に撮影ポイントが4カ所あって,見上げる位置にカメラが設置されている。撮影ポイントにはやはり位置検出用アンテナがあって,ここに自分のPDAを近づけると,PDAが撮影モードになって,シャッタとして使えるようになる。カメラの脇にはファインダ代わりの大型モニターが設置してある。これを見ながらポーズを決めて,PDAでシャッタを切ると,撮った写真がPDAに表示される。
これを実現するためにも一工夫してある。撮影した画像をPDAに送るには,位置検出用アンテナとは別のBluetoothアンテナを用意した。この先を説明するには,Bluetoothのマスターとスレーブをちょっと述べなくてはなるまい。Bluetooth機器は複数の相手と通信できるマスターと,1台の相手としか通信できないスレーブの2つの役割がある。
Dinosaur FACToryにおける狭域通信で位置検出を行うためには,PDAがマスターで位置検出用アンテナがスレーブにした。これはPDA側は位置検出用アンテナと通信するだけでなく,Bluetoothを使ったワイヤレス・イヤホンも使うことを想定していたからだ(せっかくのワイヤレス・イヤホンだと紛失してしまう可能性もあるため,通常はケーブル付きのイヤホンを用いることになった)。アンテナ側は複数のPDAと通信する可能性があるが,位置情報をPDAに送るだけなので1台あたりの通信時間は短い。このため前述のようにPDAがマスター,アンテナがスレーブとして通信するようにした。
ところが,カメラで撮影した画像をPDAで受信するためには,位置検出に比べると長い通信時間が必要である。このため1台のアンテナで複数のPDAと通信する可能性もある。そこで,撮影モードになったPDAはマスターからスレーブに切り替えて,マスターの画像送信用アンテナと通信することにした。
撮影した画像は,出力コーナーでカラー印刷することができる。ここでもPDAを用いて,自分が撮影した画像を呼び出して,枠(フレーム)を付けて印刷する。おもしろいのは1階の撮影コーナーでのブラキオサウルスとの写真。撮影したときはブラキオサウルスの足しか写っていなくて,つまらないなーと思っていたが,合成写真ではブラキオサウルスの全身像になっているのだ。
有明から帰っても楽しめる
ここまでの撮影システムなら,ちょっとしたアトラクションでもやっていそうなことだ。しかし,Dinosaur FACToryはまだ先がある。施設の正式名称の前半を思い出していただきたい。ここは「パナソニックデジタルネットワークミュージアム」なのである。有明の施設から家に帰った後でも,インターネットを経由して楽しめるようになっている。
Dinosaur FACToryの出口近くの端末で,自分専用のIDとパスワードを発行することができる。これを持ち帰って,Dinosaur FACToryのWebサイトのメンバー・ページにログインすると,施設で撮影した画像を呼び出すことができる。松下はこうした施設での撮影からインターネットでの利用という一連のフローをビジネス・モデル特許として出願したという。
インターネットでは画像だけではなく,施設を見学したときにPDAでアクセスした場所のコンテンツを再度見て,復習することができる。見学時にアクセスしなかった場所のコンテンツは見られないようになっていて,もう一度,来場しなくなるというわけだ。松下電器はこうした施設とインターネットを結んだ利用についてもビジネス・モデル特許を出願したという。「今後,学校や塾などでこうしたインターネットの利用が進んでくるだろう。これをビジネス・チャンスととらえ,布石を打った」(山田主任)
林原自然科学博物館と組んで今までにない博物館を作り上げた松下電器産業。そこには単なる企業メセナに留まらない,ビジネスに結びつける戦略がある。松下は企業メセナとして続けていた劇場,パナソニック・グローブ座(東京都新宿区)の支援を打ち切った。やはり21世紀の企業メセナはビジネスと結びついていないと成り立たないということなのだろうか。
シェイクスピア劇も恐竜も好きな筆者としては,複雑な思いで雨の有明を後にした。
(和田 英一=IT Pro副編集長)