--ゼロからの出発--
ヤオハン元社長 おしんの息子(1)
倒産で分かった辛い立場の人の気持ち-
「すべての責任はトップにある。失敗の最大の原因はトップにあるということを自覚することが、問題解決への一番の方法」-。
東京・西新宿の高層ビルにある会議室。元ヤオハン・ジャパンの和田一夫元会長(72)が15人ほどの参加者を前に力のこもった声で語りかける。
「東京一(はじめ)塾」と名づけられたこの経営セミナーは月に1回、東京のほか、大阪や福岡などでも開かれている。和田氏がこの経営セミナーを始めたのは一昨年秋から。参加者はIT関連のベンチャーにかかわる青年が中心。
現在、和田氏は福岡県飯塚市に本社を置くコンサルティング会社「アイ・エム・エー」社長の肩書を持つ。しかし飯塚は最近まで足を踏み入れたこともない土地だった。和田氏が当地で活動を始めたのは昨年3月からで、その後5月に東京から転居した。
社員は7人ほど。日本料理店が入っていた3階建の建物を借りて活動。「一塾」のほかにインターネットを使った経営相談や和田氏宅を使って、九州工業大学の学生を中心とする若者相手の起業勉強会も開く。
また全国から講演の依頼が数多く来ている。
「先月は18回もあり、日程調整で苦労するといううれしい悲鳴をあげている」(和田氏)
「つきっきりで、秘書のようなもの」という同社の正田英樹取締役(28)が「私のほうが倒れてしまった」ほどタフだ。2人は講演を通じて知り合い、ソフト会社を経営していた正田氏が和田氏の新事業を支援すると申し出たことから、和田氏が飯塚に移住することに。
自宅で開く起業勉強会には多いときには、約30畳ほどの居間兼台所に30人ほども詰め掛け、きみ子夫人(67)が手料理を振舞う。
夫妻をよく知る土屋高徳氏(75)は「きみ子夫人は徹底して和田代表を立ててきた人。ヤオハンが小さかったときから、寝室の天井に『和田一夫は世界的な経営者になる』と書いた紙を張っていた」と明かす。土屋氏はヤオハンがまだ静岡・熱海で八百屋だった昭和32年に入社して以来、和田氏を支え続けてきた。
きみ子夫人は「天井の紙は人に見られたら恥ずかしいので寝室にしたのですが、それでも20年ぐらいは張っていたでしょうか」と照れくさそうに話す。ヤオハンがいよいよダメだというときも、「もとの八百屋に戻ればいいじゃない」と言ってのけた。和田氏もその一言で気分がだいぶ楽になったという。
和田氏がきみ子夫人のことを「念願の家庭菜園も作るようになって、若い人との交流もあって、張り合いがあると言っている」と話せば、きみ子夫人は「前は大きな荷物を背負っていたけれど、今はそれが消えただけでも主人にとっていい環境だと思う」。
さらに和田氏は「飯塚に来てから自分を省みる謙虚さを学べたと思う。倒産して痛い目にあってみると、辛い立場にいる人の気持ちもわかる。だから人の立場にたってアドバイスができると考えて今の仕事を始めたんです」。夫妻にとって飯塚への転居が再出発のうえで精神的にもリセットにつながっているようだ。
× × ×
約2000億円の負債を抱えてヤオハンが倒産してから、まもなく4年。和田氏は無一物になったが、自分の失敗を多くの経営者に伝えようと、福岡県飯塚市に移り住んで、再起を図っている。ゼロからの再スタートを取材した。
【わだ・かずお】 1929年(昭和4年)神奈川県小田原市生まれ。日本大学経済学部卒。静岡県熱海市で家業の青果業を継ぎ、事業を拡大して85年に東証1部上場を果たす。最盛期にはアジアを中心に世界16カ国に進出、グループで5000億円の売上げを計上するまでになった。しかし、97年、ヤオハンジャパンが倒産。母・カツさんはNHKドラマ「おしん」のモデルとされる。 |
(梶川浩伸)
|